第二百九十一話 弦音の朝
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
翌朝。
夏の朝日が館の庭を照らし
木々の葉には朝露が残っていた。
蝉の声が響き始める中
伊東祐兵と島津豊久は
庭の一角に設けた射場へ向かっていた。
二人の手には弓がある。
的は少し離れた場所に立てられていた。
「今日は弓を鍛えよう」
祐兵が静かに言う。
「承知しました」
豊久は頷き
弓を手に取った。
まずは姿勢を整える。
足を開き
背筋を伸ばす。
矢をつがえ
ゆっくりと弦を引く。
ぎりり。
弦が張り詰める音が
朝の庭へ響いた。
「焦るな」
祐兵が声を掛ける。
「狙いを定める前に、呼吸を整えるのだ」
「はい」
豊久は一度息を吐き
静かに的を見つめた。
そして。
弦を放つ。
ひゅん。
矢は真っ直ぐに飛び
的へ突き立った。
「見事だ」
祐兵が頷く。
「ありがとうございます」
豊久は嬉しそうに笑う。
「次は祐兵殿のお手本を」
「ああ」
祐兵は弓を構えた。
無駄のない動きで矢をつがえ
静かに弦を引く。
張り詰めた空気。
一瞬の静寂。
そして放たれた矢は
的の中央近くへ深々と突き立った。
「お見事ですな」
豊久が感嘆する。
「弓は力だけでは当たらぬ」
祐兵は弓を下ろす。
「心を静め、己の呼吸を整えることが大切だ」
「心を乱さぬことも、武芸の一つなのですな」
豊久は頷いた。
二人は再び弓を構える。
何度も矢を放つたび
弦音が庭へ響いていく。
ぎりり。
ひゅん。
的へ突き立つ矢。
その繰り返しの中で
豊久の動きも次第に安定していった。
その時。
「にゃあ」
小春が射場の隅から顔を出した。
黒猫も木陰から二人を眺めている。
「小春殿、矢の音が気になるようですな」
豊久が笑う。
「あまり近くへ来るなよ」
祐兵が優しく声を掛ける。
小春は少し離れた場所へ座り
黒猫と並んで二人の鍛錬を見守った。
やがて
朝日が高く昇る。
「今日はここまでにしよう」
祐兵が弓を納める。
「良い鍛錬になりました」
豊久も弓を置く。
「弓は心を映す」
祐兵は的を見つめた。
「心が乱れれば、矢も乱れる」
豊久は静かに頷く。
「これからも心を鍛えながら、腕を磨いていきます」
朝の風が庭を吹き抜ける。
弦音の余韻が静かに消えていく中
二人と二匹は
清々しい朝の鍛錬を終えるのだった。




