第二百八十六話 良薬のぬくもり
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
翌朝。
夏の日差しが
館の庭を明るく照らしていた。
木々を渡る風は涼しく
蝉の声が静かに響いている。
朝の務めを終えた
伊東祐兵は
館の庭を歩いていた。
しかし
いつもなら共にいるはずの
島津豊久の姿が見えない。
「豊久殿はどうした」
祐兵が家臣へ尋ねる。
「先ほどから腹の痛みを訴え、部屋で休んでおられます」
その言葉を聞くと
祐兵は足早に部屋へ向かった。
襖を開けると
豊久が布団へ横になっている。
顔色は少し青ざめ
腹を押さえていた。
「豊久殿」
祐兵が静かに声を掛ける。
「申し訳ありません」
豊久は苦笑する。
「朝から腹が痛み、力が入りません」
祐兵は額へそっと手を当てた。
「熱は高くないようだな」
「はい」
豊久は小さく頷く。
「だが、無理は禁物だ」
祐兵は家臣へ振り向いた。
「すぐに薬師を呼んでくれ」
「承知いたしました」
家臣は急いで館を出ていった。
しばらくすると
町で評判の薬師が館へ到着した。
薬師は豊久の脈を診て
腹へ優しく手を当てる。
「急な腹の冷えでしょう」
薬師が穏やかに言う。
「山籠りや川歩きの疲れも重なったのでしょうな」
祐兵は静かに頷いた。
「治る見込みはありますか」
「もちろんです」
薬師は微笑んだ。
「薬を煎じ、今日は安静にしていただければ、ほどなく良くなりましょう」
薬師は数種類の薬草を取り出し
丁寧に薬を調え始めた。
囲炉裏へ薬鍋が掛けられる。
やがて
薬草の香りが部屋いっぱいへ広がった。
「さあ、ゆっくり飲んでください」
薬師は茶碗を豊久へ渡す。
「ありがとうございます」
豊久は少しずつ薬を口へ運んだ。
飲み終えると
表情が少し和らぐ。
「腹の張りが、少し楽になった気がします」
「それは良かった」
祐兵は安堵の笑みを浮かべた。
「今日は何も考えず、ゆっくり休むのだ」
「はい」
豊久は素直に頷いた。
その時。
「にゃあ」
小春が静かに部屋へ入ってきた。
黒猫も後ろから歩いてくる。
二匹は豊久の布団の近くへ座り
心配そうに顔を見つめた。
「お前たちも、見舞いに来てくれたのか」
豊久は優しく微笑む。
小春は小さく喉を鳴らし
黒猫も静かに目を細めた。
薬師は荷をまとめながら言う。
「今日は温かいものを召し上がり、無理をなさらぬことです」
「ありがとうございます」
祐兵は深く頭を下げた。
薬師が館を後にすると
部屋には再び穏やかな静けさが戻る。
祐兵は豊久の枕元へ座った。
「焦らず休め」
穏やかな声で言う。
「元気になれば、また共に城下を歩こう」
豊久は安心したように笑みを浮かべた。
「はい」
窓の外では
夏風が庭木を優しく揺らしている。
祐兵と二匹は
静かな館の中で
豊久の一日も早い回復を願いながら
穏やかな時を過ごすのだった。




