第二百八十話 湯煙の癒やし
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
山籠りを終えた午後。
深山を吹き抜ける風は涼しく
木々の葉が優しく揺れていた。
数日ぶりに山を下りた
伊東祐兵と島津豊久は
山あいに湧く温泉へ立ち寄ることにした。
「汗も流しましたし、ちょうど良い頃合いですな」
豊久が笑顔を見せる。
「ああ」
祐兵は頷いた。
「山籠りの締めくくりには、湯へ浸かって疲れを癒やそう」
湯屋へ着くと
湯煙がゆらゆらと立ち上っていた。
硫黄の香りがほのかに漂い
静かな湯音が耳へ心地よく届く。
二人は身を清めると
湯船へゆっくりと足を入れた。
「これは良い湯ですな」
豊久が思わず声を漏らす。
「山歩きの疲れが、溶けていくようです」
「ああ」
祐兵も肩まで湯へ浸かる。
「温泉は、心までほぐしてくれる」
湯船の外には
青々とした木々が広がっていた。
風が吹くたび
枝葉が揺れ
鳥のさえずりが聞こえてくる。
「山での鍛錬は厳しかったですが、得るものも多くありました」
豊久が静かに言う。
「木乃葉天狗殿との出会いも、大猪との戦いも忘れられません」
「ああ」
祐兵は静かに頷く。
「どちらも、山が与えてくれた教えだった」
二人はしばらく言葉を交わさず
静かな湯へ身を委ねた。
湯気が立ち上り
山あいの景色を柔らかく包み込む。
やがて。
「そろそろ上がろう」
祐兵が言う。
「長湯は体に障る」
「承知しました」
二人は湯から上がり
涼しい風に当たりながら縁台へ腰を下ろした。
竹筒へ汲まれた冷たい湧き水を口に含む。
「美味しい水ですな」
豊久が満足そうに微笑む。
「山の恵みは、水も湯も素晴らしい」
祐兵も穏やかに笑った。
その時。
「にゃあ」
聞き慣れた鳴き声がした。
小春と黒猫が
木陰で二人を待っていた。
「待たせたな」
祐兵が優しく声を掛ける。
小春は嬉しそうに駆け寄り
黒猫も静かに尾を揺らした。
「これで山籠りも終わりですな」
豊久が空を見上げる。
「ああ」
祐兵は館のある方角へ目を向けた。
「山で得た学びを胸に、また日々を歩んでいこう」
柔らかな夏風が二人と二匹を包み込む。
山籠りの疲れは温泉で癒え
心も体も軽くなった二人は
穏やかな足取りで館への帰路につくのだった。




