第二百六十二話 朝靄の鍛錬
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
翌朝。
東の空が白み始める頃。
六月の爽やかな風が
館の庭を吹き抜けていた。
草には朝露が宿り
鳥たちが賑やかにさえずっている。
伊東祐兵は
誰よりも早く訓練場へ立った。
木刀を静かに構える。
一息。
ぶん。
鋭く、それでいて無駄のない一太刀。
続けて二太刀。
三太刀。
木刀が空気を切る音だけが
朝の静けさに響いていた。
しばらくすると、
「おはようございます!」
島津豊久が
木槍を担いでやって来た。
「今日は早かったな」
「目が覚めてしまいました」
豊久は笑顔で答える。
「昨日はよく歩きましたからな。身体を動かしたくなりました」
祐兵は静かに頷いた。
「それは良いことだ」
訓練場の隅では
小春が丸くなっている。
朝日を浴びながら
気持ち良さそうに欠伸をした。
黒猫は柵の上に座り
二人をじっと見つめている。
「始めるぞ」
「はい」
二人は向かい合い
一礼した。
豊久が木槍を構える。
祐兵は木刀を正眼に構えた。
風が止む。
静寂。
「参ります!」
豊久が一気に間合いを詰める。
鋭い突き。
祐兵は半歩だけ身体を開き
木刀で槍先を外へ流した。
ぱしっ。
乾いた音が響く。
豊久はすぐに槍を引き
返す動きで横薙ぎを放つ。
祐兵は木刀を返し
受け止める。
二人の得物が何度も交わる。
ぱしっ。
ぱんっ。
軽快な音が訓練場へ響いた。
豊久の攻めは力強い。
しかし以前より
力任せではなくなっていた。
祐兵はそれを感じ取り
小さく口元を緩める。
「攻め急がなくなったな」
「祐兵殿のおかげです」
豊久は呼吸を整えながら答えた。
「焦ると隙が生まれると教わりました」
「覚えていたか」
「もちろんです」
再び打ち合う。
豊久が踏み込む。
祐兵は横へかわし
木刀を軽く豊久の脇へ当てた。
「一本」
「くっ……!」
豊久は悔しそうに笑う。
「あと少しでした」
「その『あと少し』を詰めるために鍛錬がある」
「はい」
その後は並んで素振りを始めた。
一。
二。
三。
木刀と木槍が
朝日に照らされながら振り下ろされる。
汗が額を流れる。
六月の風が
火照った身体を心地よく冷ましてくれた。
「百!」
最後の一振りを終え
二人は深く息を吐く。
その時。
小春が
訓練場の真ん中へ歩いてきた。
「にゃあ」
豊久がしゃがみ込む。
「終わったぞ」
頭を優しく撫でると
小春は嬉しそうに喉を鳴らした。
黒猫も柵から飛び降り
祐兵の足元へ静かに歩み寄る。
祐兵は黒猫の頭を一度だけ優しく撫でた。
「今日も良い朝だった」
豊久が青空を見上げる。
「ええ。これなら今日も良い一日になりそうです」
朝日が館を明るく照らし始める。
二人と二匹は
心地よい汗を流しながら訓練場を後にした。




