第二百五十八話 汗の朝
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
翌朝。
東の空には
柔らかな朝日が昇っていた。
六月の空気は澄み
昨夜の雨の名残もない。
庭では露をまとった草が揺れ
鳥たちのさえずりが響いている。
伊東祐兵は
訓練場で静かに木刀を構えていた。
ゆっくりと息を吸い
一太刀。
ぶん。
風を切る音だけが響く。
その頃。
「お待たせしました!」
島津豊久が
木槍を手に駆けてきた。
朝餉で食べた雉の湯漬けのおかげか
足取りは軽い。
「今日はずいぶん元気だな」
祐兵が微笑む。
「身体の隅々まで力が湧いてきますぞ!」
「食べ過ぎて動きが鈍くなるなよ」
「それはございませぬ」
豊久は胸を張った。
訓練場の隅では
小春が丸くなっている。
朝日を浴びながら
気持ちよさそうに目を細めていた。
黒猫は柵の上。
二人の様子を静かに見守っている。
「始めるぞ」
祐兵が木刀を構えた。
豊久も木槍を構える。
互いに一礼。
静寂。
吹き抜ける風だけが
草を揺らした。
「参ります!」
豊久が踏み込む。
鋭い突き。
祐兵は半身になってかわし
木刀で槍の柄を軽く払う。
ぱしっ。
乾いた音が響く。
豊久はすぐに槍を引き
横薙ぎへ繋げる。
「良い判断だ」
祐兵が受け流す。
再び踏み込む豊久。
汗が額を伝う。
一歩。
また一歩。
攻め続ける。
だが祐兵は崩れない。
最小限の動きで受け
隙を見逃さない。
「そこだ」
木刀が軽く豊久の脇腹へ触れた。
「一本」
「くっ……!」
豊久は悔しそうに息を吐く。
「あと一歩だったのですが」
「その一歩が遠い」
祐兵は静かに言う。
「勝とうと力むと、視野が狭くなる。」
豊久は頷いた。
「なるほど……」
少し休憩を挟み
今度は素振りを始める。
百本。
木刀と木槍が
朝の空気を切る。
ぶん。
ぶん。
ぶん。
汗が滴る。
腕は重くなる。
それでも二人は止まらない。
「九十八!」
豊久が声を上げる。
「九十九!」
「百!」
最後の一振りを終えると
二人は大きく息を吐いた。
六月の風が
火照った身体を優しく冷ましていく。
小春が
二人の間へ歩いてきた。
「にゃあ……」
「終わりましたぞ」
豊久が頭を撫でる。
黒猫も柵から降り
静かに祐兵の足元へ寄ってきた。
「今日も良い稽古だった」
祐兵が木刀を納める。
豊久は額の汗を拭い
満足そうに笑った。
「はい。明日もまた強くなれるよう励みます。」
朝日はいよいよ高く昇り
館には新しい一日の活気が満ち始めていた。




