第二百五十六話 山の恵み
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
夕刻。
六月の陽は傾き始め
館の庭には長い影が伸びていた。
台所からは
香ばしい匂いが漂っている。
昼に仕留めた雉である。
島津豊久は
囲炉裏の前で落ち着きなく座っていた。
「まだですかな」
「まだだ」
伊東祐兵が答える。
「さっきも聞いた」
「しかし良い匂いが……」
豊久の視線は
炭火の上へ釘付けだった。
雉肉は串に刺され
ゆっくりと焼かれている。
皮から脂が落ちる。
じゅう。
小さな音。
香ばしい匂いがさらに広がった。
「これは堪りませぬ……」
豊久の腹が鳴る。
ぐぅ。
祐兵が苦笑した。
「お前の腹は実に正直だな」
その時。
小春が現れた。
匂いにつられたらしい。
囲炉裏の近くへ座り
じっと雉を見つめている。
「にゃあ」
「お前も気になるか」
豊久が笑った。
黒猫もやって来た。
しかしこちらは少し離れた場所。
静かに様子を見ている。
やがて。
「よし」
祐兵が串を下ろした。
焼き上がりである。
皮はこんがり。
肉汁が閉じ込められていた。
粗塩を振る。
それだけ。
余計な味付けはいらない。
山の恵みそのものである。
「待っておりました!」
豊久が箸を取る。
まず一口。
ぱりっ。
皮が鳴る。
続いて肉の旨味が広がった。
豊久の目が見開かれる。
「……美味い」
心からの声だった。
祐兵も口へ運ぶ。
ゆっくり噛む。
雉特有の力強い旨味。
噛むほど味が出る。
「ああ」
短く頷いた。
「良い雉だ」
豊久は夢中になっていた。
「皮も香ばしいですぞ」
「今日は当たりだったな」
「見事な一射でしたからな」
祐兵が少し笑う。
「おぬしは一羽も獲れなかったが」
「うっ」
痛いところを突かれた。
「兎が悪いのです」
「そういうことにしておこう」
二人は笑った。
その頃。
小春には
細かく裂いた肉が少し与えられていた。
「にゃっ!」
嬉しそうである。
黒猫も少量だけ受け取る。
こちらは静かに食べていた。
外では
六月の夕風が吹いている。
草の匂い。
遠くの川音。
囲炉裏の火がぱちりと鳴った。
豊久が満足そうに息を吐く。
「狩りの後の飯は格別ですな」
「命を頂いたのだ」
祐兵が静かに言う。
「残さず食う」
豊久も真面目な顔で頷いた。
「ああ」
山の恵みへの感謝。
獲物への敬意。
それが狩人の務めだった。
やがて皿は空になる。
豊久は満腹そうに腹をさすった。
「幸せですなあ……」
「そうか」
祐兵は苦笑しながら茶を啜る。
館には穏やかな時間が流れていた。
六月の夜は
静かに更けていくのだった。




