第二百四十四話 湯煙の晩酌
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
夕刻。
山あいの湯宿には
柔らかな灯りがともっていた。
外では
六月の虫の声が響いている。
雨上がりの夜風は涼しく
木々の匂いを運んでいた。
伊東祐兵と島津豊久は
湯上がりの身体で座敷にいた。
窓は少し開けられている。
遠くで川の音。
卓には
湯宿の料理が並んでいた。
山菜。
川魚の塩焼き。
焼き味噌。
そして
小さな徳利。
「これは良いですなあ……」
豊久がうっとりと言う。
頬は既に少し赤い。
「まだ飲んでいないだろう」
祐兵が呆れる。
「雰囲気で酔っております」
「安い男だ」
豊久が笑った。
女将が酒を注ぐ。
とくとく、と静かな音。
「本日はよく温まってくださいませ」
「かたじけない」
祐兵が礼を言う。
女将が下がると
豊久は早速杯を持ち上げた。
「では!」
「腹はもういいのか」
「温泉で治りました!」
「本当に単純だな」
二人は杯を合わせた。
小さな音。
酒は柔らかかった。
米の甘みが広がる。
「……美味い」
豊久がしみじみ呟く。
祐兵も静かに頷いた。
窓の外では
蛍がふわりと飛んでいた。
六月の夜である。
「湯上がりの酒というのは、何故こう良いのでしょうな」
豊久が川魚を齧る。
ぱり、と皮が鳴った。
「飲み過ぎるなよ」
「分かっております」
そう言いながら
もう次を注いでいる。
祐兵が苦笑した。
小春は
座布団の上で丸くなっていた。
温泉で温まったせいか
とても眠そうである。
黒猫は窓辺。
外の蛍を静かに見ていた。
その時。
ぐるるぅ……
豊久の腹が鳴る。
沈黙。
祐兵がじっと見る。
豊久が固まった。
「……まだ駄目かもしれませぬ」
「酒を控えろ」
「はい」
だが。
次の瞬間。
豊久は焼き味噌を口へ運んでいた。
「お前は懲りんな」
「旅先では食べねば損ですぞ」
祐兵は呆れながらも
少し笑った。
夜は静かに更けていく。
虫の声。
川の音。
湯宿の灯り。
戦の気配など
どこにもない。
二人と二匹は
六月の山の夜をゆっくり味わっていた。




