第二百四十二話 腹騒ぎ
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
朝。
空は曇っていた。
湿った六月の風が
館の障子を静かに揺らしている。
囲炉裏では
味噌汁が煮えていた。
良い香り。
だが——
「うう……」
島津豊久が
縁側で腹を押さえていた。
顔色が悪い。
伊東祐兵が
心配で様子を見る。
「どうした」
「腹が……」
豊久が苦しそうに呻く。
「昨夜、団子を食べ過ぎたか」
「違いますぞ……たぶん……」
「たぶんと言ったな」
祐兵の目が細くなる。
小春が
心配そうに豊久の周りを歩いていた。
「にゃあ……」
黒猫は少し離れた場所。
冷静に様子を見ている。
「昨日、川で冷えたのではないか」
祐兵が茶を差し出す。
「飲め」
「ありがとうございます……」
豊久は湯飲みを受け取った。
だが。
ぐるるる……
腹が鳴る。
不穏な音。
豊久の顔が引きつった。
「……祐兵殿」
「行ってこい」
「はいっ!」
豊久が凄まじい勢いで立ち上がる。
だだだだっ。
廊下を駆けていった。
小春が驚いて飛び退く。
障子が勢いよく閉まる音。
沈黙。
祐兵は静かに茶を飲んだ。
「食い過ぎだな」
しばらくして。
豊久が戻ってきた。
少しやつれている。
「生きております……」
「大袈裟だ」
「腹というものは恐ろしいですぞ……」
その時。
ぐるるる……
再び腹が鳴った。
豊久が固まる。
祐兵が目を逸らした。
「……またか」
「うっ」
豊久が再び走る。
どたどたどたっ。
「忙しい男だな」
祐兵がため息をついた。
外では
ぽつぽつと雨が降り始めていた。
梅雨の匂い。
じめじめした空気。
どうにも腹へ悪そうな日である。
昼頃。
ようやく豊久が落ち着いた。
縁側でぐったりしている。
「……もう駄目です」
「腹を壊しただけで死にそうな顔をするな」
「戦より辛いかもしれませぬ」
「それはない」
祐兵が即答する。
小春が
豊久の横へ座った。
慰めるよう
腕へ顔を擦りつける。
「小春……が。や、優しいですな……」
黒猫は相変わらず無表情。
だが。
少しだけ近くへ来ていた。
祐兵が湯気の立つ椀を差し出す。
「食えるか」
中身は、薄い粥だった。
刻んだ梅。
少しの塩。
胃に優しい匂い。
豊久が泣きそうな顔になる。
「祐兵殿……!」
「騒ぐな。腹に響くぞ」
「はい……」
豊久はゆっくり粥を口へ運んだ。
「……美味い」
「当たり前だ」
雨音が静かに響く。
六月の昼。
戦も騒ぎもない。
ただ、腹を壊した男が一人。
館には
穏やかな時間が流れていた。




