第二百四十話 ついていない日
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
朝。
空はどんより曇っていた。
湿った風。
梅雨前の重たい空気が
館を包んでいる。
島津豊久は
眠そうな顔で縁側へ出てきた。
「ふぁ……」
その瞬間。
つるっ。
「あっ」
濡れた板で足を滑らせる。
どたん。
盛大に転んだ。
「……朝から何をしている」
伊東祐兵が
呆れ顔で言う。
「いやあ……まったく。油断しました」
豊久が頭を掻いた。
小春が
心配そうに近づく。
「にゃあ?」
「大丈夫ですぞ」
豊久が立ち上がった。
だが。
その直後。
ばしゃっ。
置いてあった桶を蹴飛ばす。
水が盛大に足へかかった。
沈黙。
祐兵が空を見上げる。
「今日は駄目な日かもしれんな」
「ま、まだ朝ですぞ!」
豊久は気を取り直して
朝餉へ向かった。
囲炉裏では
味噌汁が煮えている。
良い香り。
「今日は魚ですかな」
豊久が嬉しそうに蓋を開ける。
その瞬間。
ぶくぶくっ。
鍋が吹きこぼれた。
「ああっ!」
熱い汁が飛ぶ。
豊久が慌てて鍋を戻す。
「……落ち着け」
祐兵が静かに言う。
「はい……」
朝餉の後。
二人は町へ出た。
空気は蒸し暑い。
市場もどこか気怠い雰囲気だった。
「今日は静かですな」
豊久が言う。
その時。
ぽちゃん。
豊久の鼻へ
鳥の糞が落ちた。
完全な直撃。
周囲が静まる。
小春が
「にゃっ」と飛び退いた。
黒猫は塀の上で
じっと空を見ている。
祐兵が肩を震わせた。
「……ふっ」
「笑いましたな!?」
「いや」
「今、絶対笑いましたぞ!」
祐兵は咳払いした。
「今日は、運が悪いようだな」
豊久は手拭いで顔を拭きながら
空を睨む。
「鳥め……!」
だが。
さらに災難は続く。
団子屋で団子を買おうとした時。
「あっ」
最後の一本が
目の前で売り切れた。
豊久が固まる。
「そんな……」
店主が申し訳なさそうに言う。
「すみませんねえ」
豊久は天を仰いだ。
「今日は私に厳しい……」
祐兵がとうとう吹き出した。
「はははっ」
「祐兵殿まで!」
「いや……さすがにな。ここまで続くと見事だ」
豊久は不満そうだった。
昼頃。
気分転換に川辺を歩く。
だが。
腰を下ろした瞬間。
「うわっ!?」
蟻の巣だった。
豊久が飛び上がる。
祐兵はもう笑いを堪えていない。
「くくっ……」
「何故ですか!? 何故こうなるのですか!?」
小春は
豊久の周りをくるくる回っている。
少し楽しそうだ。
黒猫は
呆れたように目を細めていた。
夕方。
館へ戻る頃には
豊久はぐったりしていた。
「もう今日は寝ます……」
「そうしろ」
豊久が障子を開ける。
その瞬間。
ごつん。
鴨居へ頭をぶつけた。
静寂。
祐兵は耐え切れず
声を上げて笑った。
「あははははっ!」
豊久は頭を押さえながら
恨めしそうに見る。
「そんなに笑わなくても……」
「すまん……だが今日はもう駄目だ」
笑い過ぎで
祐兵の目には
珍しく涙まで浮かんでいた。
外では
ぬるい風が吹いている。
どこか重たい六月の夕暮れ。
ついていない一日だった。
だが。
館には久しぶりに
祐兵の大きな笑い声が響いていた。




