第二百三十七話 清流の影
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
朝。
台風の後の空は
驚くほど澄んでいた。
山々は洗われたように青い。
川の音も
いつもより大きく聞こえる。
「今日は絶好の釣り日和ですな!」
島津豊久が
竹竿を肩に笑った。
伊東祐兵は
籠を持ちながら頷く。
「ああ。水も増えている。ヤマメも動いているだろう」
二人は山川へ向かっていた。
小春も後ろをついてくる。
だが——
川辺へ着いた瞬間。
「にゃっ!」
小春が
濡れた石を見て足を止めた。
「ははは。今日は川へ入る気はないようですな」
豊久が笑う。
黒猫は少し高い岩の上。
静かに川面を見つめていた。
川は透き通っていた。
白い流れ。
揺れる水草。
小魚の影。
台風の後とは思えぬほど美しい。
「良い流れだ」
祐兵が静かに言う。
豊久は早速
餌を付け始めた。
「今日は負けませぬぞ!」
「前回も同じことを言っていたな」
「む……」
二人は少し離れて竿を出す。
川の音。
風。
鳥の声。
穏やかな時間が流れていた。
その時。
ぴくっ。
豊久の竿先が揺れる。
「来たっ!」
勢いよく引く。
ばしゃっ!
銀色の魚が跳ねた。
「おお!ヤマメですぞ!」
立派なヤマメ。
陽光を受け
鱗が輝いている。
「悪くないな」
祐兵が頷く。
「悪くないどころか大物です!」
豊久が満面の笑みを浮かべる。
だが。
その直後。
つるっ。
「あっ」
濡れた石で足を滑らせた。
ざばぁん!
豊久が川へ落ちる。
大きな水音。
沈黙。
祐兵が額を押さえた。
「……何をしている」
川の中から
豊久が顔を出す。
「つ、釣れました!」
片手には
しっかりヤマメを握っていた。
「魚より先に自分を守れ」
祐兵が呆れる。
岸では
小春が慌てている。
「にゃーっ!」
黒猫は岩の上から
冷めた目で見下ろしていた。
豊久が岸へ戻る。
着物はびしょ濡れ。
「いやあ、水が冷たい!」
「当然だ」
祐兵は苦笑しながら
手拭いを投げる。
「風邪を引く前に拭け」
「はい!」
その後。
祐兵も一匹釣り上げた。
こちらは無駄がない。
静かに引き
綺麗に取り込む。
「お見事ですな……」
豊久が感心する。
「川は焦ると逃げられる」
「むう……。釣りも修行ですな」
昼頃。
二人の籠には
ヤマメが何匹も入っていた。
川辺で火を起こす。
串を打つ。
じゅう、と音。
香ばしい匂いが立ち上る。
「これは堪りませぬ……」
豊久が目を輝かせた。
焼けたヤマメを一口。
ぱりっ。
皮が香ばしい。
「美味い!」
豊久が叫ぶ。
祐兵も静かに頷く。
「ああ。川魚は焼きたてが一番だ」
小春が
焼ける匂いにそわそわしていた。
「熱いから待て」
「にゃあ……」
黒猫は相変わらず落ち着いている。
だが。
小さく尻尾だけは揺れていた。
風が吹く。
清流が流れる。
山の空気は澄んでいた。
台風の後の日向は
静かな輝きを取り戻していた。




