第二百三十四話 朝霧の稽古場
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
早朝。
空はまだ淡く
山際には朝霧が漂っていた。
草には露。
空気は冷たい。
鳥の声だけが
静かな城下に響いている。
訓練場では——
「せいっ!」
木槍が風を裂いた。
島津豊久である。
踏み込み。
突き。
引き戻し。
動きに迷いはない。
朝日が
額の汗を照らしていた。
その少し離れた場所。
伊東祐兵が
腕を組んで見ている。
「今日は調子が良いな」
「ええ!」
豊久が笑う。
「昨夜、干物をたくさん食べましたので!」
「そういう問題か?」
祐兵が呆れる。
小春は
訓練場の端で丸くなっていた。
まだ眠そうだ。
黒猫は柵の上。
静かに二人を見ている。
「では祐兵殿!」
豊久が木槍を構える。
「一本、お相手願います!」
「朝から元気だな……」
祐兵は苦笑しながら
木刀を取った。
構える。
静か。
隙がない。
豊久の目が鋭くなる。
「行きますぞ!」
踏み込む。
速い。
木槍が一直線に伸びる。
だが。
祐兵の木刀が
槍を外へ流す。
「甘い」
「まだまだ!」
豊久はすぐ引き戻し
今度は横薙ぎ。
祐兵は半歩下がる。
風だけが頬を掠めた。
「良い踏み込みだ」
「褒めても何も出ませんぞ!」
豊久が笑いながら攻め込む。
連続の突き。
訓練場に
木が打ち合う音が響く。
乾いた音。
速い呼吸。
朝霧が揺れる。
周囲で見ていた若い家臣たちも
思わず見入っていた。
「すごい……」
「速すぎて見えん……」
豊久が大きく踏み込む。
「はあっ!」
鋭い突き。
その瞬間。
祐兵が身体を捻る。
木槍が脇を抜ける。
同時に。
こん。
木刀が豊久の額へ軽く当たった。
「あっ」
勝負あり。
静寂。
豊久が目を丸くする。
「今のは見えませんでした……」
「踏み込みが大きい」
祐兵が木刀を下ろす。
「力はあるが、動きが読まれやすい」
豊久は悔しそうに頭を掻いた。
「むう……」
「だが、前より随分良い」
その言葉に
豊久の顔が明るくなる。
「本当ですか!」
「ああ。焦らなくなった」
豊久は嬉しそうに笑った。
朝日が少しずつ昇る。
霧が晴れていく。
小春が
欠伸をしながら近づいた。
「にゃあ」
「おや、小春。起きましたか」
豊久が抱き上げる。
黒猫は柵の上から
静かに尾を揺らした。
その時。
ぐぅぅ……
豊久の腹が鳴る。
沈黙。
祐兵がため息をついた。
「朝餉前に動きすぎだ」
「いやあ……これは。槍を振ると腹が減りまして」
「いつものことだな」
豊久が笑う。
「今日は何を食べましょうな!」
「まず汗を流せ」
「はい!」
朝の風が吹く。
平和な訓練場に
二人の笑い声が響いていた。




