第二百三十二話 雨音の縁側
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
朝から雨だった。
空は灰色。
シトシトと
細かな雨が屋根を叩いている。
庭の木々は濡れ
石畳には小さな水溜まりができていた。
伊東祐兵は縁側に座り
湯気の立つ茶を飲んでいる。
静かな雨音。
時折、軒先から雫が落ちた。
その時。
「祐兵殿ー!」
聞き慣れた声。
ばたばたと足音が近づく。
島津豊久が
少し濡れた姿で現れた。
「朝から元気だな」
祐兵が苦笑する。
「いやあ、雨で鍛錬ができませぬ!」
豊久が肩を落とした。
「だからといって、雨の中を走って来る必要はあるまい」
「じっとしている方が辛いのです」
豊久が縁側へ腰を下ろす。
小春は丸くなって眠っていたが
豊久の姿を見ると
ゆっくり目を開けた。
「にゃ」
「おお、小春。今日はよく寝ておりますな」
豊久が頭を撫でる。
小春は気持ちよさそうに喉を鳴らした。
一方。
黒猫は柱の近く。
外の雨をじっと見ている。
「黒猫殿は相変わらず渋い顔ですな」
「雨の音を聞いているのだろう」
祐兵が言った。
庭では、雨粒が池に波紋を作っている。
「良い音ですな」
豊久がぽつりと言う。
「ああ」
祐兵も頷く。
二人はしばらく黙って雨を眺めた。
静かな時間。
戦もなく。
争いもない。
ただ雨だけが降っている。
「こういう日も悪くありませぬな」
豊久が笑う。
「珍しいな。お前が大人しくしているとは」
「失礼ですな。私も風流くらい分かりますぞ」
「ほう?」
祐兵が少し意地悪く笑う。
「では、この雨を一句で表してみろ」
「む……」
豊久が真剣に考え始めた。
長い沈黙。
やがて。
「雨の日に
腹が減るのは
なぜだろう」
「台無しだ」
祐兵が吹き出した。
豊久は真顔で頷く。
「ですが、本当に腹が減りました」
「それはいつものことだ」
ちょうどその時。
台所から
味噌の香りが漂ってきた。
豊久の目が輝く。
「おお!」
「鼻だけは鋭いな」
昼餉は温かな味噌汁と
焼いた干物。
炊きたての飯。
外では雨。
中では湯気が立つ。
「美味い……」
豊久がしみじみ呟く。
「雨の日の飯は、何故こう美味いのでしょうな」
「身体が冷えるからだろう」
祐兵も湯飲みを手に取る。
小春は豊久の膝の上。
黒猫は囲炉裏の近くで丸くなっていた。
ぱちり。
薪が爆ぜる。
「平和ですな」
豊久が静かに言う。
祐兵は少しだけ目を細めた。
「ああ」
雨音。
湯気。
猫たちの寝息。
穏やかな空気が
館を包んでいた。
夕刻になっても
雨は止まない。
空は薄暗く
町も静かだった。
豊久は縁側で寝転び
いつの間にか眠っている。
「すぅ……」
「全く……」
祐兵は苦笑しながら
羽織をそっと掛けた。
小春は豊久の腹の上。
黒猫はその横。
二匹とも
雨音を聞きながら目を閉じている。
外では
静かな雨が降り続いていた。
日向の雨は冷たい。
だが。
その日
館の中はとても暖かかった。




