第二百七話 牙を剥くもの
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
夕暮れ前。
空は淡く赤みを帯び
町外れの道には長い影が伸びていた。
伊東祐兵と島津豊久は
川沿いの道を歩いていた。
風は少し冷たい。
草が揺れる。
「日が落ちるのが早くなりましたな」
豊久が言う。
「ああ」
祐兵は周囲へ目を向ける。
静か。
だが——
その時。
「きゃあっ!!」
悲鳴。
鋭い。
二人の目が変わる。
「向こうだ」
祐兵が駆ける。
豊久も続く。
草を踏み抜き
林の脇へ飛び出す。
そこにいた。
母子。
地面に倒れ込み
幼い子を抱き寄せている。
その前には——
野犬。
痩せた体。
濁った目。
牙を剥き、唸っている。
一匹ではない。
三匹。
「下がれ!」
豊久が叫ぶ。
野犬が振り向く。
低く唸る。
毛を逆立てる。
「飢えているな」
祐兵が低く言う。
だが、躊躇はない。
一匹が飛びかかる。
速い。
だが——
さらに速く。
祐兵が踏み込む。
木刀が振られる。
乾いた音。
野犬が地を転がる。
残る二匹。
豊久へ向かう。
「来い!」
木槍を横へ払う。
鋭い一撃。
一匹が吹き飛ぶ。
もう一匹が噛みつこうと跳ねる。
豊久の足が動く。
踏み込み。
柄で打つ。
鈍い音。
野犬が後退する。
唸り。
牙。
だが——
二人の気迫。
野犬たちの動きが止まる。
祐兵が一歩出る。
静かな圧。
「去れ」
低い声。
殺気。
野犬たちは後ずさる。
やがて。
草むらへ逃げていった。
静寂。
「大丈夫か」
祐兵が母子へ近づく。
母親は震えながら頷いた。
「は、はい……ありがとうございます……!」
子供は泣きながら母にしがみついている。
豊久が周囲を確認する。
「もう来ませぬ」
「そうか」
祐兵はしゃがみ
子供の目線へ合わせる。
「もう安心だ」
静かな声。
子供は涙を拭きながら頷いた。
「町まで送ろう」
豊久が言う。
「暗くなる前が良い」
母子を挟むように歩く。
道を戻る。
夕日が差す。
「最近、この辺りに野犬が増えておりまして……」
母親が小さく言う。
「山から下りてきたのでしょうか」
「飢えれば、人里にも来る」
祐兵が答える。
町明かりが見えてくる。
母親が深く頭を下げた。
「命を助けていただき、本当に……」
「気にするな、無事でよかった」
祐兵が言う。
豊久は少し照れくさそうに笑う。
「今後は暗くなる前に戻るのですぞ」
「はい……!」
母子は去っていく。
その背を見送る。
風が吹く。
夕暮れの空。
静けさが戻る。
「……放ってはおけませぬな」
豊久が言う。
「ああ」
祐兵が頷く。
「守るべきものがある」
二人は再び歩き出す。
暮れゆく道を。
静かに。




