第二百一話 川辺の気配
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
午後。
陽はやわらかく傾き
風は少しだけ涼を帯びる。
伊東祐兵と島津豊久は
川辺へと足を運んでいた。
水の音。
絶えず、静かに流れる。
「良い場所ですな」
豊久が言う。
「ああ」
祐兵は頷く。
「流れは穏やかだが、底は読めぬ」
その目は水面の奥を見ている。
浅瀬。
小石が光る。
魚影が揺れる。
子供たちが遊ぶ姿はなく
今日は静かだ。
歩く。
土は少し湿り
足に心地よい。
葦が風に揺れる。
さらさらと音を立てる。
「……祐兵殿」
豊久が低く言う。
「あそこ」
指す先。
水際。
小さな網が流されかけている。
祐兵は近づく。
しゃがみ、手に取る。
粗末な作り。
子供のものだろう。
「置いていったか」
「流されては惜しいですな」
少し先。
石の上に小さな草履。
片方だけ。
「……こちらもか」
祐兵が言う。
「慌てて帰ったのでしょうか」
豊久が拾い上げる。
周囲を見渡す。
人影はない。
ただ水音。
風。
「しばし待つ」
祐兵が言う。
「戻るかもしれぬ」
「はい」
二人はその場に立つ。
時間が流れる。
陽が少し傾く。
やがて。
遠くから足音。
子供が一人、駆けてくる。
「あっ!」
網と草履を見て声を上げる。
「これ……ぼくの……!」
息を切らしながら言う。
「落ちていたぞ」
祐兵が差し出す。
「ありがとうございます!」
満面の笑み。
「気をつけるのですぞ」
豊久が言う。
「はい!」
子供は何度も頭を下げ
駆けていった。
再び静けさ。
「良かったですな」
豊久が言う。
「ああ」
祐兵は短く答える。
川の流れを眺める。
絶えず。
同じようでいて、同じではない。
「流れは変わる」
祐兵が言う。
「だが、道はある」
「それを読むのが武、ですな」
豊久が応じる。
しばし。
言葉はない。
ただ水音。
「戻るか」
「ああ」
歩き出す。
川辺を離れる。
背後で水が流れ続ける。
穏やかな時間。
小さな出来事。
だが確かに残る。
春の川辺。
その静けさの中で。
二人はまた一つ
日を重ねた。




