第百九十八話 床の静けさ
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
朝。
空は澄んでいる。
雨は上がり
冷えた空気だけが残っていた。
館の中。
静か。
いつもと違う気配。
「……祐兵殿?」
島津豊久が
障子の前で声をかける。
返事がない。
わずかな間。
「失礼します」
そっと開ける。
部屋の中。
布団。
伊東祐兵が
横になっていた。
顔色が悪い。
呼吸は浅い。
「……どうされました!」
豊久が駆け寄る。
「……少し、熱がある」
声は低く、弱い。
「風邪ですな……」
豊久は額に手を当てる。
熱い。
「無理をなさったのでは」
「……昨日の冷えか」
短く言う。
それだけで分かる。
「今日は休んでくだされ」
「……鍛錬は」
「なりませぬ」
即答。
「今は身体が先です」
しばし沈黙。
祐兵は目を閉じる。
やがて小さく頷いた。
「……任せる」
その一言。
豊久は立ち上がる。
火を起こす。
湯を沸かす。
慣れぬ手つき。
だが真剣。
「……これで良いはず」
粥をよそう。
部屋へ戻る。
「祐兵殿、少し召し上がれますか」
ゆっくりと身体を起こす。
「……すまぬ」
「何を仰いますか」
一口。
また一口。
静かに食べる。
「……身体にしみる味だ」
祐兵が言う。
豊久の顔がほころぶ。
「それは良かった」
薬草を煎じる。
苦い匂い。
「こちらも」
「……苦そうだな」
「効きますぞ」
少しだけ笑う。
祐兵もわずかに口元を緩める。
再び布団へ。
「眠るとよいです」
「ああ……」
目を閉じる。
呼吸が落ち着く。
時間が過ぎる。
陽が傾く。
豊久は部屋の外で座り
静かに待つ。
何度も様子を見る。
水を替える。
火を見守る。
夕。
祐兵が目を開ける。
「……豊久殿」
「ここに」
すぐに答える。
「だいぶ楽だ」
「それは何より」
安堵の息。
「……世話をかけたな」
「当然のことです」
豊久は首を振る。
「いつもは私が支えられておりますゆえ」
祐兵は静かに目を閉じる。
「……そうか」
短い言葉。
だが温かい。
外は静か。
風がやわらかい。
鍛錬をしない一日。
ただ、休む。
それもまた
必要な時。
「明日には、動けよう」
「焦らず」
豊久が言う。
「完全に治してからです」
小さく頷く祐兵。
その傍で。
豊久は静かに見守る。
夜が訪れる。
灯りが揺れる。
静かな部屋。
二人の間に流れるものは
言葉よりも深く。
穏やかであった。




