第百九十七話 春雨のひととき
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
朝。
空は灰色。
細かな雨が
静かに降り続いている。
庭の砂に
柔らかな波紋。
しとしととした音だけが
館を包む。
「……雨ですな」
島津豊久が縁側に立つ。
腕を組み、空を見上げる。
「外は無理か」
伊東祐兵が、後ろから言う。
「ええ……槍も振れませぬ」
少し残念そうに。
しばし沈黙。
雨音だけ。
やがて。
「では、別の鍛錬をするか」
祐兵が言う。
「別の、ですか?」
「頭だ」
部屋へ移る。
畳の上。
祐兵は静かに盤を置いた。
将棋。
「おお……!」
豊久の目が光る。
「負けませぬぞ」
「それはどうかな」
駒が並ぶ。
静かに対座。
雨音が背景となる。
一手。
また一手。
祐兵の指し手は静か。
深い。
先を読む。
豊久の指し手は速い。
鋭い。
勢いがある。
「そこか」
祐兵が言う。
「攻めますぞ」
豊久が前へ出る。
駒が進む。
間合いが詰まる。
しばし。
静寂。
雨音だけが強くなる。
「……参りました」
豊久が頭を掻く。
「早いな」
祐兵がわずかに笑う。
「守りが堅いのです」
「攻めが単調だ」
「うぐ……」
もう一局。
駒を並べ直す。
今度は慎重に。
呼吸を整える。
「……そこですな」
豊久が低く言う。
祐兵の目がわずかに動く。
「良い」
一手。
盤面が変わる。
長考。
雨はやや強くなった。
軒先から滴が落ちる。
「……参りました」
再び。
「今度は悪くなかった」
祐兵が言う。
「本当ですか?」
「ああ。読みが深くなった」
縁側へ戻る。
雨はまだ続く。
庭の木々が濡れている。
「こういう日も、悪くありませぬな」
豊久が言う。
「ああ」
祐兵は頷く。
「動かぬことで見えるものもある」
その時。
小春が足元に来る。
丸くなり、目を細める。
「おや、お前も暇か」
豊久が撫でる。
小さく鳴く。
祐兵は湯を沸かす。
茶を淹れる。
湯気が立つ。
「ほら」
「ありがとうございます」
雨音。
茶の香り。
静かな時間。
「祐兵殿」
「何だ」
「また勝負を」
「……良いだろう」
再び盤の前へ。
雨はやまない。
だが。
その中で。
二人の時は
穏やかに流れていく。




