第百九十五話 市井の無法
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
昼の城下。
人の往来は絶えず
賑わいの中に
どこか緩みもあった。
伊東祐兵と島津豊久は
ゆるやかに通りを歩いていた。
「先ほどの団子、もう一本いけますな」
豊久が言う。
「やめておけ」
祐兵は笑いながら、即座に返す。
その時。
甲高い声が響く。
「痛い! なんてことをするんだい!」
足が止まる。
「……行くぞ」
短く言い、祐兵は歩みを変えた。
人だかりの中心。
一人の老女が
小さく身をすくめている。
その前に——
太った年増女。
腕を押さえ、大げさに顔を歪めている。
「肩がぶつかったんだよ! 骨が折れちまってるよ、これは!」
老女は震えながら首を振る。
「わ、私は……そのような……」
その横で。
腹の出た男が
へらへらと笑っている。
「いやあ困りましたねえ。これはただじゃ済みませんよ」
目は笑っていない。
老女の懐元を見ている。
「払えないなら——」
年増女の目が光る。
「それ、よこしな」
老女の手。
握られているのは
古びた一節笛。
「だ、だめです……それは……」
「何だい、ただの笛だろう!」
年増女が腕を伸ばす。
老女が必死に引く。
「これは……息子の……」
その言葉の途中。
男が手を伸ばす。
「だったら尚更、値が張りそうだ」
「——やめよ」
低い声。
空気が止まる。
祐兵が立っていた。
その隣に豊久。
「何だいあんたらは!」
年増女が睨む。
「通りすがりだ」
祐兵は静かに言う。
「だが、その理は通らぬ」
男が笑う。
「これはこの婆さんがぶつかって骨が折れたんですよ? 怪我の代わりに——」
「嘘だな、体格が違いすぎる」
即断。
男の顔が強張る。
「取り押さえるぞ」
「はい」
豊久が一歩前へ出る。
「その手を離せ」
男の手は
すでに笛へ伸びていた。
「……何だよ、やる気か?」
「無論だ」
踏み込み。
一瞬。
豊久の手が動く。
男の腕を捉え
そのままひねり上げる。
「ぐあっ!?」
軽い。
まるで子供のように。
「このっ!」
年増女が飛びかかる。
大ぶりな動き。
祐兵が半歩動く。
腕を取る。
流す。
体勢が崩れる。
そのまま地へ。
「きゃあっ!」
乾いた音。
動きは一瞬で終わる。
静寂。
誰も動かない。
「弱き者を狙うな」
祐兵の声。
静か。
だが重い。
豊久が男を押さえたまま言う。
「言いがかりで物を奪うとは……町の恥ですな」
「ぐ……離せ……!」
「離さぬ」
きっぱりと。
老女は震えている。
祐兵はゆっくりと歩み寄る。
「もう大丈夫だ」
笛を見て言う。
「大切なものなのだろう」
老女は涙を浮かべ
何度も頷いた。
やがて町役人が駆けつける。
二人は無言で引き渡した。
「助かりました……」
「後は任せる」
祐兵が言う。
人だかりが散る。
日常が戻る。
老女が深く頭を下げる。
「ありがとうございます……本当に……」
豊久は少し照れ
頭を掻いた。
「大事にしてくださいな」
祐兵は静かに頷く。
再び歩き出す。
「……許せませぬな」
豊久が言う。
「ああ」
「戦ならまだしも」
「戦ですらない」
短い言葉。
だが、その奥は深い。
春の陽が差す。
穏やかな城下。
その裏に潜む無法。
それを断つため。
二人は今日も歩く。




