第百九十一話 春潮の恵み
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
朝。
海辺には
やわらかな潮の香りが満ちていた。
波は静かに寄せては返し
小舟がゆるやかに揺れている。
伊東祐兵と島津豊久は
浜に立っていた。
「手伝ってくれると助かる」
漁師が声をかける。
「構わぬ」
祐兵が応じる。
「ぜひとも」
豊久も頷く。
網が引かれる。
重い。
水を含んだ縄が
腕に食い込む。
「……これはなかなか」
豊久が歯を食いしばる。
「腰を入れろ」
祐兵が言う。
「祐兵殿、気をつけてくださいよ?」
「わかっておる」
二人で力を合わせ
ゆっくりと引き上げる。
やがて――
銀の光。
網の中で
魚が跳ねる。
「見事ですな!」
豊久の声が弾む。
「今朝は当たりだ」
漁師が笑う。
作業は続く。
網を整え
魚を分ける。
やがて一段落。
「これは礼だ」
漁師が差し出したのは
丸々としたメバル。
「春告魚か、ありがたく頂こう」
祐兵が受け取る。
「今夜が楽しみですな」
豊久が笑う。
夕刻。
囲炉裏の前。
串に刺されたメバルが
火にかざされている。
皮がじわりと焼け
香ばしい匂いが広がる。
「良い色ですな」
豊久が身を乗り出す。
「もう少しだ」
祐兵は火加減を見ている。
やがて
焼き上がる。
「いただきます」
豊久が一口。
「……これは」
目を細める。
「塩だけで、これほどとは」
祐兵も静かに口へ。
「新しい証だ」
身はふっくらとし
旨味が広がる。
「海の恵みですな」
豊久が言う。
「ああ」
祐兵は頷く。
「人の手と、自然の力」
小春は香りに惹かれて近づき
黒猫は静かに見つめている。
「祐兵殿」
「何だ」
「こうして手伝った後に頂くと
なお美味い」
祐兵はわずかに笑う。
「働いた分、美味くなる」
火がはぜる。
魚の脂が
じゅっと音を立てる。
「まだありますぞ」
豊久が嬉しそうに言う。
「ほどほどにしろ」
「善処いたします」
祐兵は小さく息をつく。
だが
その目はやわらかい。
春の海。
潮の恵み。
二人は静かに味わう。
手に入れたものの重みと
その温もりを。
ゆるやかな夜の中で。




