第百九十話 茶屋の面影
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
昼。
町の通りは
やわらかな春の陽に包まれている。
伊東祐兵と島津豊久は
歩みの途中で足を止めた。
「少し休むか」
祐兵が言う。
「ちょうど良い頃合いですな」
目の前には
小さな茶屋。
暖簾が揺れ
中から香ばしい匂いが流れてくる。
二人は戸をくぐった。
「いらっしゃいませ――」
明るい声。
奥から現れたのは
ふくよかな娘。
丸みのある頬に
人懐こい笑み。
その目が
祐兵を捉えた瞬間――
「……あっ」
動きが止まる。
「……もしや」
祐兵はわずかに首を傾ける。
「どこかで」
娘は慌てて前に出る。
「以前、路地で……」
祐兵の記憶が
静かに結びつく。
「転びそうになったところを」
「ああ」
短く応じる。
娘の顔がぱっと明るくなる。
「やはり! あの時は本当に……!」
深々と頭を下げる。
「助けていただいて」
「大したことではない」
祐兵は静かに言う。
豊久はその様子を見て
にやりと笑う。
「祐兵殿、なかなかのことをなさっておりますな」
「たまたまだ」
娘は顔を上げる。
「今日は、ぜひ何か召し上がってください!」
「では、茶と団子を」
祐兵が答える。
「はい!」
娘は嬉しそうに奥へ引く。
「覚えているものですな」
豊久が言う。
「人の縁だ」
祐兵は淡々と返す。
やがて
茶と団子が運ばれてくる。
「お待たせいたしました」
湯気の立つ茶。
焼き目のついた団子。
「どうぞ」
豊久はさっそく手を伸ばす。
「……これは、うまい」
「ありがとうございます!」
娘は嬉しそうに笑う。
祐兵も茶を一口。
「落ち着く味だ」
「そう言っていただけて、光栄です」
娘の頬が
さらに柔らぐ。
店内は穏やか。
他の客も
静かに過ごしている。
「祐兵殿」
「何だ」
「こうして覚えられているのも
悪くありませぬな」
祐兵は団子を一つ取り
ゆっくり口に運ぶ。
「覚えているのは、あちらだ」
「ですが、それだけのことをなさった」
祐兵は答えない。
ただ
わずかに目を細める。
娘がそっと言う。
「また、いらしてくださいね」
「ああ」
短く応じる。
豊久は笑う。
「また来ましょう」
茶屋の外。
春の光。
二人は店を後にする。
背後から
娘の明るい声が届く。
「ありがとうございました!」
振り返ることはない。
だが――
その声は
確かに届いていた。
春の町。
小さな縁が
静かに結ばれていた。




