第20-1話 覚悟の一歩
愁の周囲は、暗黒物質によって完全な闇に覆われていた。視界を奪われ、全身を飲み込む冷たく重い空気。その静寂の中、彼は微かに息を整え、ステータス画面を呼び出した。
そこに表示されていたのは、彼が今まさに『即死属性』の攻撃を受けているという恐ろしい現実。
リルアのスキル〈魂侵の邪眼〉──それは〈鑑定の魔眼〉で確認した通り、自身の肉体の一部を代償に相手を死に至らしめる、まさに禁忌とも言える力。その効果は即死であり、本来ならばこの暗黒物質に飲み込まれた時点で愁は命を落としているはずだった。
しかし、愁は奇跡的に生き延びていた。『WORLD CREATOR』におけるユニーク等級アイテム『戦王のタリスマン』──それが、彼を即死の運命から救っていた。
このタリスマンは、即死効果を持つ攻撃を完全に無効化する。しかし、単純な攻撃力による即死、つまりは一回の攻撃によるダメージがHPを上回る意味での即死には効果がないという制約もある。それでもこの状況下では、愁にとってまさに命綱であった。
暗黒の中、愁はすぐさま〈気配探知〉を発動し、状況を把握する。
敵であるエルボスの気配は少し離れた場所にあり、一方でリルアの気配は目の前の暗黒物質のすぐ外、地面に倒れている。リルアは〈魂侵の邪眼〉の代償で右足がすでに失われ、苦痛に顔を歪めていた。
そして、愁はこの機を逃さず〈気配探知〉でリリーニャの居場所の詳細を特定し、魔法石をライトに繋ぎ、繋がったことが確認できると、会話もなくリリーニャの位置情報のみを伝えて通話を終える。
(ライトさんなら上手くやってくれるだろう。あとはこの状況を利用するしかない……リルアを縛る『理縛の呪鎖』さえ断ち切れば、エルボスの転移を封じることができる。その隙を突いて倒すしかない)
愁は焦燥感を必死に抑え込み、策を練る。
そして、彼の脳裏には過去の記憶が蘇る。『WORLD CREATOR』の運営の遊び心から期間限定で実装された領域守護者、理を操る最強の守護者──『理統王ヴァルグリンカル』との壮絶な戦いの日々を。
ヴァルグリンカルは『理』を自在に操り、どんな『理』もねじ曲げて都合の良い結果に変えるという設定があった。
いわゆるご都合主義的な何でもありな設定である。もちろん運営も分かって設定している『普通なら絶対に倒せないだろう』という難易度設定で作り上げた『ネタ要素』の強い領域守護者であった。
そんな背景もあり、設定の通りにほぼ何でもありな領域守護者ヴァルグリンカルに本気で挑むものは少なかったが、あわよくば名をあげられることから、運営の予想を上回る盛り上がりを見せていた。
そして、愁もまた、世界序列一位の『神代の魔法使い』ココロン、彼の率いる魔法使い精鋭十五人、そして、世界序列二位の『ソードマスター』武者武者率いる剣客二十人と共に、世界序列一位から三位までが協力するという異例のチームでこの無敵ともいえる敵に挑んだ。
ココロン率いる魔法使い達が繰り出す精密で高火力な魔法。武者武者と剣客たちが前線で敵を引きつけ、攻撃の糸口を作る戦術。そして愁自身も回復アイテムなどの支援系アイテムを生成し、前線で戦う仲間たちを支援。
さらには強力な魔剣をクラフトしての攻撃支援に、愁のギルドメンバーで元領域守護者であるミーシャとヴルムヴィードによる戦闘の支援。
約六時間半に及ぶ戦闘の末、彼らは『倒すことは不可能』とされたヴァルグリンカルを討ち果たし、唯一無二のアイテム『理滅無限刀』を手にした。
それは『すべての理を断ち切る』力を持つ宝剣──しかし、ゲーム内ではその力を発揮する機会のない『トロフィー的な存在』に過ぎなかった。
だが、今。その『理滅無限刀』こそが、リルアを縛る呪鎖を断ち切る鍵となる。
愁はエンドレスボックスから『理滅無限刀』を取り出し、そっと帯刀した。
その刀身は不思議な輝きを放ちながらも、人や物には一切干渉しない。ただ『理』だけを断つ異質な存在だ。
愁の手のひらには冷たい汗が滲み、心拍は耳鳴りのように脈打っていた。呼吸が浅くなるたび、胸の中に渦巻く不安が膨れ上がる。
だが、愁は一度深く息を吸い込み、意識を一点に集中させた。
(失敗すれば、すべてが終わる……いや、始める前に終わってしまう)
刹那の静寂の中で、彼は刀の柄に添えた手に力を込めた。その手が震えないよう、祈るような思いで抑え込む。
「必ず……断ち切る!」
低く響いた声に込められた決意は、闇を裂く閃光のようだった。その瞳には、燃え立つような決意の炎が宿り、愁の全身から湧き上がる闘志が漂う闇すら押し返そうとしていた。
目の前には、暗黒物質の向こう側で、力尽きたかのように倒れ込むリルアの小さな背中があった。
彼女の心と身体を縛る〈理縛の呪鎖〉が、不気味に輝きながらその存在を主張している。『理滅無限刀』を手に持った事により、より鮮明に『理』が視認できるようになっていた。
だが、愁には迷う暇などなかった。ここでエルボスが愁の動きに気づき、リルアを操って〈神法転眼〉による転移で手元に戻せば、すべてが水泡に帰す。それを阻止するには、この一瞬で行動を起こすしかない。
(今だ……!)
愁は心の中で『三秒』を数える。それは、かつて彼がミーシャから教わった方法だった。
「何事もね、踏み出す一歩さえ越えられれば、後はなんとかなるものよ。だから迷った時は三つ数えて、そのまま突っ走りなさい」
その言葉は愁にとって呪文のように染みついている。考え込み、立ち止まるよりも、たとえ恐怖があっても動き出す。その積み重ねが彼をここまで導いてきた。
暗黒物質が徐々に薄れていく。時間の経過で〈魂侵の邪眼〉の効力が弱まっている。それはまるで闇の中に微かな光が差し込むようだった。
だが、同時に愁にとっては時間切れを意味する鐘の音でもあった。
(残された時間はわずかだ。踏み出すなら今しかない)
愁は意を決し、刀の鞘を払った。
その刃――理滅無限刀が漆黒の光を纏い、かすかな振動と共に空気を震わせる。『すべての理を断ち切る』力を秘めたその剣が、愁の想いに応えるように力強く輝きを増していく。
次の瞬間、愁は〈縮地〉のスキルを発動し、暗黒物質を突き抜けた。
視界が開けたその先には、必死に起き上がろうとしているリルアの姿が目に飛び込む。
荒い呼吸、震える身体、片足を失った痛みと、自分が人を殺したかもしれないという罪悪感――彼女の小さな身体には到底背負いきれないほどの重圧がのしかかっていた。
(守らなければ……この小さな背中を!)
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