第19話 絶望
「僕を倒す?ただの人間が大層な物言いだね」
エルボスの声は、嘲笑を隠そうともしない冷たさを帯びていた。その眼差しには、全てを見下す絶対的な自信と、わずかに滲む侮蔑が込められている。
以前に相対した時よりも一層、愁を取るに足らない存在と見なしているのが明白だった。
「俺から見れば、お前もただの人間だけどな」
愁は肩をすくめ、淡々と返す。
その声には挑発的な響きがありながらも、どこか冷静さを保っている。彼の視線はエルボスから外れることなく、その姿を『鑑定の魔眼』で捉え続けていた。
そして浮かび上がった情報は、エルボスがこの余裕を持つ理由を説明するのに十分すぎるほどのものだった。
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ネーム:エルボス
レベル:95
種族:魔族(魔人族)
ジョブ:深淵の魔法使い
スキル: 即興呪法 理縛の呪鎖
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そのスキルに目を通した瞬間、愁は思わず眉間に皺を寄せた。
高レベルであることはもちろん、その固有スキル〈即興呪法〉が特に厄介だ。即興で魔法を作り出すというその能力は、文字通り未知数だ。効果や制限が掴めない以上、相手の手札を完全には読み切れないため、警戒せざるを得ない。
さらに、もう一つのスキル〈理縛の呪鎖〉――
『理』そのものを縛るという曖昧な表現ながら、それが意味する力の凄まじさは一目瞭然だ。
愁は直感的に理解していた。『操る』という系統の能力ほど警戒すべきものはない。自由を奪われた時点で、戦況は一方的になるからだ。
それに加えて、エルボス本人も言うように、エルボスの種族は人族ではなく魔族の魔人族と表示されている。この世界の詳しい種族などはまだ把握しきれていないが、詳細なステータスを見る限りでは、高い魔力と高い魔法耐性を有し、一般の人族と比べても魔法に特化した種族であることが伺えた。
(面倒な奴だな……)
愁は小さく舌打ちし、さらに注意深くエルボスを観察する。
そして、エルボスへ付き従うように近くにいる少女へ目を向ける。彼女は失われた秘法とされる『世界級魔法』、その中で転移に属する力が使える事は、前回のガバレントでのやり取りで確認済みだ。
他にも隠された能力がないか探るため、彼女の情報も〈鑑定の魔眼〉で読み取り、確認すると、転移の正体と一つの事実が判明する。
そして、その事実は、彼女が本当の敵ではないことを理解するに十分であった。
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ネーム:リルア
レベル:8
種族:人族
ジョブ:なし
スキル: 魂侵の邪眼 神法転眼
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愁の眼に映ったのは、リルアの鮮烈な姿だった。金色の髪がかすかな風に揺れていて、恐怖におびえるリルアの目元からは血の涙が頬を伝い落ちている。その姿は痛々しく、何かに囚われたような悲壮感を漂わせていた。
リルアのスキルはどちらも強力だった。
〈魂侵の邪眼〉は、自身の肉体の一部を代償に相手を死に至らしめる、まさに禁忌とも言える力だ。代償が重い分だけ、その効果は即死の特性を持つ。
そして〈神法転眼〉は、事前に地点登録した場所へ瞬時に転移する能力――その応用性は計り知れない。
だが、愁が気にかかったのは彼女の状態だった。彼女のステータスには『 理縛の呪鎖』の状態異常の表示があり、しかもそれが約二百回も重ね掛けられていることが判明した。
(……あいつの仕業か)
愁はエルボスを一瞥し、心の奥底で怒りが静かに燃え上がるのを感じた。
リルアはエルボスのスキル〈 理縛の呪鎖〉によって支配され、強制的に能力を使わされている。そして、その代償として彼女の体は血の涙を流すという魔眼の過剰使用時に現れる症状で限界に近づいていることを示していた。
「スフィア、周りの盗賊達を頼んでもいいか?倒したら俺のところに戻ってきてくれ。それまであの変態は俺が相手する」
「わかった!さっさと倒して向かうから待っててくれよ、主様!」
スフィアの力強い返答が、冷たい夜風の中で愁の背を押した。その声には迷いも弱さもなく、ただ信頼だけが込められている。
愁は深く息を吸い込み、神経を研ぎ澄ます。
目の前の敵は確かに強大だったが、その黒い瞳には一切の迷いが宿らない。リルアを救うため、そして自分が信じる正義のため──彼は静かに宵闇を抜き、再び立ち上がった。
刀身を返し、峰打ちから切っ先を鋭く持ち直す。柄を握り締める愁の手には、まるで決意そのものが宿っているかのようだった。
そのまま魔力を刀に注ぎ込むと、宵闇の漆黒の刀身が怪しげな輝きを放つ。彼の動きは迷いなく滑らかで、一度鞘に戻して再度〈抜刀〉と〈縮地〉のスキルを発動する。
その瞬間、夜風が切り裂かれたように鋭い音が響く。剣士としての潜在能力を引き上げる宵闇のパッシブスキルと、愁の卓越した技術が一体となり、抜刀術は見事なまでに完成されていた。
だが、結果は予想通りだった。リルアの〈神法転眼〉が発動し、エルボスの姿は愁の攻撃をすり抜けるように転移して消える。黒い刃は虚空を切り裂き、夜の冷たさがそこに戻ってきた。
「フフ、愚かだな」
エルボスは愁を嘲笑うように背後に姿を現す。その手には既に黒い球体──先程の倍以上の数が浮かんでいた。その一つ一つが禍々しい力を纏い、まるで獲物を狙う蛇のように愁を囲む。
「この数は捌けないだろう?潰れて死ね、凡人が」
その声は冷たく響き、放たれた無数の球体が一斉に愁に迫った。
数えるのも馬鹿馬鹿しいほどの量が猛威となり、夜の闇に紛れ込むように襲い掛かる。
だが、愁は動かない。ただ正眼に構えた宵闇の刃を握りしめ、静かに一言を呟く。
「妖刀宵闇。スキル解放〈碧落の彼方〉」
その言葉が放たれた瞬間、世界は変わった。
宵闇の刀身が陽炎のように揺らぎ、次の瞬間には黒い球体の全てが斬り裂かれて消え去る、刹那の出来事だった。敵意そのものが霧散するかのように、一切の痕跡を残さず夜空へ溶けていく。
そして、その範囲にいた盗賊たちが持つ武器や鎧すらも鋭利な刃物で切り刻まれたように破壊され、地面に無惨に散らばる。
庭園の静寂を破るのは、呆然と立ち尽くす盗賊たちの戸惑いだけだ。彼らは自分たちの持つ武器が、まるで紙のように切り裂かれた事実に恐怖すら感じていた。
これが宵闇のスキルである〈碧落の彼方〉の効果だ。
範囲内全ての物理攻撃、魔法攻撃と武器や防具に干渉して破壊する範囲攻撃であり、一定の耐久値よりも低い武器や防具、中級魔法、中級物理攻撃であれば全てを刹那の間に破壊する。集団戦などでは有利に働くことの多いスキルだ。
しかし、エルボスの表情はどこか楽しげだ。驚きは見せたものの、その余裕は揺らがない。
「ただの人間にしてはやるじゃないか。でも、それで僕に届くのか?手加減や情けを挟むようでは、決して僕には勝てない」
エルボスの言葉は冷たくも余裕を感じさせるが、愁はその挑発に眉一つ動かさない。ただ真っ直ぐに剣の切っ先を向け、静かに答える。
「何を言ってる?お前に手加減などしない。この場から生きて帰れると思うなよ」
エルボスとの距離を〈縮地〉で詰めるのは容易。だが、その速度であってもリルアの転移には敵わない。エルボスを仕留めるには反応を許さない攻撃が必要だが、それでは近くにいるリルアを巻き込む危険がある──愁の刃の余波は、彼女には耐えられないほどの威力なのだから。
「どうした?怯えたのか?それとも、まさかこの人形に気でも使ってるのか?愚かな男だな。〈フェイリ・ラルフテッド〉断頭せよ!」
再び挑発するエルボスが杖を向け、呪文を口にする。しかし、その杖の先には、魔法が発動した気配はない。だが、愁は冷静だった。
(どこからだ?前か?右か?いや、違う──魔法の転移か!)
違和感を感じた瞬間、愁の身体は咄嗟に動いた。
首元に迫る魔法が転移して現れる刹那、リルアの瞳が赤く輝いたのを見逃さなかったことが彼の命を繋ぎ止めていた。その攻撃をかわすのに成功したのは、愁の冷静さと研ぎ澄まされた経験の賜物だった。
宵闇を握る手に力を込め、バク転で距離を取った愁は、鋭い声で叫んだ。
「人形だと?その子は人間だ!物のように扱うな!」
その言葉には怒りが宿り、彼の瞳は夜の闇をも切り裂くように鋭く光っていた。
エルボスは冷笑を浮かべると、嘲るように言い放つ。
「はあ?これは意思も感情も全てが僕の言いなりの人形だよ。僕のこの素晴らしき力によってね」
そう言いながら、リルアの首を片手で締め上げた。その小さな体が宙に浮かび、首を締められたリルアは呼吸を奪われてえづき、痙攣する。それでも彼女は抵抗しない。いや、抵抗することさえ禁じられているのだ。
エルボスは無情にも手を振り下ろし、リルアの体を地面に叩きつけた。
細い体が糸の切れた人形のように無力に崩れ落ちる。その衝撃に砂埃が舞い上がり、リルアの痛々しい姿が夜の静寂に刻み込まれる。
「もうやめろ!」
激高した愁は再びエルボスに斬りかかるが、宵闇の刃はまたしても届かない。
エルボスは転移の力を使い、愁の攻撃をいとも容易くかわしてしまう。その姿に愁の胸にはもどかしさ、焦り、そして怒りの炎がさらに燃え上がった。
エルボスは軽蔑の笑みを浮かべ、嘲るように言った。
「言っただろう?これは人形だってな。いい考えが浮かんだよ。君をこの人形に殺させようか」
リルアの無力な体が転移の力で視界から消える。そして再び現れたのは、愁の目の前だった。伸ばせば手が届きそうなほどの距離。
愁は目を見開いた。リルアの顔がよく見える。『恐怖』、そして『悲しみ』がその幼い表情に濃く刻まれていた。震える体。頬を伝う血の涙が、真紅の軌跡を描く。
「や、やめて……」
震える声でリルアが呟く。それは彼女の精一杯の抵抗だった。
だが、エルボスはその声を嘲笑で押しつぶす。
「フハハ!そいつを殺せ。リルア!!」
エルボスの命令が下った瞬間、リルアの瞳が怪しく光る。
そして、瞳に魔法陣のような紋様が浮かび上がると同時に、彼女の右足の膝から下が突然弾け飛んだ。
肉片と血が辺りに飛び散る。その場に響く音は耳をつんざくほど鮮烈だった。リルアの細い体は苦痛に震え、表情が歪む。しかし、彼女は悲鳴すら許されなかった。ただ、泣きそうな顔のまま、無力に耐えるしかない。
そして片足を消失するという代償と共に〈魂侵の邪眼〉が発動する。
どこからともなく現れた暗黒物質が、凄まじい速度で愁を飲み込んだ。それは沸騰するようにボコボコと蠢き、愁を完全に包み隠す。
その様を見たエルボスは冷たく吐き捨てるように言った。
「大口を叩いてこの有り様とは。やはりただの人間だな」
目の前で不気味に沸き立つ暗黒物質。その様子をリルアは地面に伏しながら見つめていた。希望が『闇に呑み込まれる』ような感覚が彼女を襲う。
そして胸に押し寄せるのは、罪の意識と絶望だった。
(私が、殺した、の……?)
リルアの頬を伝う血と涙は止めどなく溢れ続ける。
その幼い心はもう限界だった。ただ泣き続けることしかできない。全てを奪い、全てを支配するエルボスの姿が、彼女にとって絶望そのものに映るのだから。
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