第4-2話 リリーニャの過去 後編②
鋼の剣が振り下ろされる瞬間、リリーニャの視界が閉ざされた。恐怖から目をぎゅっとつむったからだ。
しかし、痛みはこない。
リリーニャが恐る恐る目を開くと、そこには何もなかった。ただ、闇が、深く、どこまでも広がる、光のない空間だった。
「……あれ?ここはどこ?おにいちゃん!パパ!ママ!」
叫んでも、答えはない。声が虚空に吸い込まれていく。
──だが、そのとき、頭の奥に、直接響く声があった。
それは、不思議なほど温かく、どこか懐かしい声。
『リリーニャ、可哀想な子。全てを失い、ついには自分までも失ってしまう。貴女には力があった。しかし、それを思い出す前に不幸が貴女を呑み込んでしまった』
「な、なに?あなたはだれ?おねがい!パパとママとおにいちゃんにあわせて!」
どんなときも優しく笑っていた家族は、もう、この世にはいない。圧倒的なまでの理不尽によって、奪われた。何度呼んでも、誰も応えてくれない。それでも、その現実を受け入れるには、幼いリリーニャには、あまりにも早すぎた。
『死んだ人間を蘇らせることはできない。しかし、貴女がおにいちゃんと呼ぶ人間は、まだ死んではいないわ。貴女が思い出せば、きっと助けられるはず』
「おもいだす?なにを?リリー、わからないよっ!」
──ズキッ。
頭を貫くような激痛。視界が歪み、意識が揺らぐ。その奥に──見たことのない光景が浮かび上がる。
白い部屋。
白い服を着た人が涙を流す。
知らない人が、こちらを見ている。
歌う自分を見て、男の子が笑う。
また白い部屋。
暗闇に落ちていく。
明るい場所。
温かい気持ち。
笑う人々。
大勢の人々。
光る何かを振っている。
一緒に踊る女の子たち。
キラキラした場所に自分がいる。
みんなが叫ぶ。
呼ぶ声が聞こえる。
「「スターライト!!」」
そこで、記憶の波が途切れた。意識が戻る。しかし、頭痛は続き、思考がまとまらない。
「うぅ、リリーは、誰……すたー、らいと?」
何もわからない。未だに理解できない。
──しかし、突如、思考が急激に整理されていく。急に理解して、分からないことが分からなくなくなる。そんな、奇妙な感覚。まるで自分が、自分ではないような。
でも、確かに、私は、ここにいる──
「リリーニャ・スターライト。誰かは分からない。でも、みんながリリーをそう呼ぶの」
再び、頭の奥で響く声。声の主は、まだ分からない。けれど、その声には確かな温もりがあった。
『第一段階といったところですね。リリーニャ・スターライト。今の貴女なら何をすべきかわかるでしょう?自分に何が出来るのかも』
混乱していた思考は、澄み渡り──今ならわかる。いま、何ができるのか。
「うん!この力でおにいちゃんを助ける!まだ、あなたが誰だか分からないけど、きっといつか思い出すから。その時まで待っていてね。ありがとう」
意識が、徐々に薄れていく、その中で──最後に聞こえた声は、優しく、そして懐かしかった。
『待っているわ。璃里。いってらっしゃい』
◆◇◆◇◆◇
ブレストは目の前の光景に目を疑った。振り下ろした剣は確かにリリーニャの頭を貫き、脳漿を撒き散らすはずだった。しかし──
「なんだ?ガキが消えたぞ?」
剣は空を裂き、地面に深く突き刺さっている。ブレストが視線を上げると、リリーニャはライトを抱きかかえ、宙に浮いていた。
「おいおい……まさか飛行魔法か?こんなガキが?」
飛行魔法は高度な技術を要する。幼い少女が人ひとり抱えて宙に浮かぶなど、通常ではあり得ない。
「ブレスト様、やつは魔法を使っていません……これは、何か得体の知れない力です」
背後から進言したのは、死団長の一人、フードを深く被った男だった。しかし、ブレストは鼻で笑い、宙に浮かぶリリーニャを鋭く睨みつける。
「ふん、そんなことはどうでもいい。あのガキはすぐ殺す。これは決定事項だ」
次の瞬間、爆発的な跳躍。空間が歪むほどの速度で、ブレストの拳がリリーニャに迫る。直撃すれば、幼い体などひとたまりもない──だが、その拳は届かなかった。
淡い光に包まれた半透明の球体がリリーニャを包み込み、凄まじい衝撃を吸収したのだ。
「なっ……!」
轟音とともに衝撃波が広がり、辺りの建物が軋みを上げて崩れ、粉雪が舞い散る。しかし、リリーニャはそこに静かに浮かんでいた。
そして、リリーニャの姿は、先程までとはまるで違っていた。アッシュベージュ色だった髪は、桃色の輝きを帯びた髪へと変わり、衣装はフリルとリボンをあしらった優雅なピンクのドレスへと変貌している。その手には、鮮やかに輝くピンク色の宝石をあしらった『杖』があった。
変身を遂げたリリーニャはまっすぐにブレストを見据え、幼い少女とは思えぬほど落ち着いた声音で告げた。
「今のリリーじゃ、あなた達全員には勝てない。でも……強くなって、必ずあなた達をやっつけてみせる!」
杖を構えた瞬間──『力』が解放された。
「わーくみらくる!〈インフィニティ・ヴォイド〉!」
世界が震えた。
空間が歪み、黒い水銀のような『虚無』が奔流となって溢れ出す。禍々しいまでの絶対的な力が、ブレストと死団長、そして盗賊たちを呑み込んでいく。
「くそっ、これは……!?体が動かねぇ……!」
『虚無』。始まりにして終わり、すべてを超越する概念。その波に飲まれた者は抗うことを許されない。
リリーニャは杖を掲げ、願いを込める。
「あいうぃっしゅ!お願い、あの人たちをバラバラに遠くへ飛ばして!」
杖の宝石が『燦然と輝き』、溢れ返る虚無が収束し、無数の光の粒となって散っていく。
「くそが!このガキ、覚えてろよ!必ず見つけて殺してやるからな!」
ブレストの絶叫が最後に響いた。彼らは世界のあらゆる場所へと散り散りになり──戦いは、終わった。
リリーニャはそっと地面に降り立つと、ライトを慎重に寝かせ、再び杖を構える。
「わーくみらくる!〈ぱーふぇくとひーる〉!」
柔らかな光がライトへ降り注ぐ。次第にライトの全身に刻まれた傷が塞がり、血塗れだった体が瞬く間に癒えていく。切断された足すらも元通りになり、浅かった呼吸が、穏やかに整っていく。
やがて、ライトは目を覚ました。
「……ん、リリー?これは……?」
ライトがゆっくりと身体を起こす。
「おにいちゃん……!」
リリーニャは、声を震わせながらライトに飛びついた。
「よかった……本当に、よかった……!もう、もう会えないかと思ったよぉ……!」
涙が溢れ、止まらない。そんなリリーニャをライトは優しく抱きしめた。
しかし、状況は一向に理解できない。いったい何が起きたのか、ブレストたち陸傑死団はどこへ行ったのか。その困惑が口をついて出る。
「これは……一体何が起きたんだい?」
「うんとね、色々あったの!でも悪い人はもういなくなったよ!」
リリーニャは顔を上げ、涙を拭う。答えにならない答え。しかし、ライトはそれ以上問いかけることはなかった。
そして、数秒の沈黙の後、リリーニャが寂しげに呟く。
「……それより、パパとママと、みんなのお墓を作ってあげよう……?あのままじゃ、可哀想だもん……」
ライトは深く息を吐き、頷いた。
「……そうだね。お話は、落ち着いてからにしよう」
そう言って立ち上がろうとした彼の腕を、リリーニャはぎゅっと掴んだ。
「おにいちゃん……やっぱり、もう少し……こうしてたいな……」
小さな体が震えている。この現実は、幼い子供であるリリーニャにはあまりに酷だった。ライトはリリーニャを優しく抱きしめ、そっと目を閉じた。
(今度こそ……今度こそ、絶対に守るから)
少年の胸に、強い決意が灯る。二人を照らす淡い月光が、静かに降り注いでいた──
◆◇◆◇◆◇
山小屋の中──。
囲炉裏の炎がゆらゆらと揺れ、薪が爆ぜる音だけが静寂の中に響く。
温かな橙色の光が壁や天井を淡く照らし、まるでそこに安らぎがあるかのように錯覚させる。しかし、室内の空気にはどこか緊張が漂っていた。
囲炉裏の火をじっと見つめていたライトは、静かに口を閉じた。
「……これが、僕が見たこと、そしてリリーから聞いたことのすべてです。それから僕たちは時間を見つけては旅をしながら、ブレストを探し続けています」
彼の声にはどこか疲れが滲んでいた。長い道のり、幾度となく迫る危機、そして大切な仲間と共に歩んできた日々。その全てを語り終えたライトは、ようやく愁へと視線を向けた。
愁は、壮絶な過去を乗り越え、なおも信念を貫くライトとリリーニャに深い敬意を抱いた。しかし同時に、その元凶であるブレストに対する怒りが込み上げてくる。罪のない人々を苦しめ、仲間たちの未来を奪う存在──そんなものを野放しにしておく理由はどこにもなかった。
「そんなことがあったんですね……」
愁は静かに呟いた。言葉を選ぶように、慎重に。
「陸傑死団のブレスト……俺もそいつを探すのを手伝いますよ。虐げられている人々がいるのなら、早くどうにかしなければならないですから」
そう言って、愁は右手を差し出した。しかし、ライトはすぐにはその手を取らなかった。彼の瞳には戸惑いの色が浮かんでいた。
「……本当ですか?もちろん、それは助かりますし、とてもありがたいことです。でも……」
ライトは少し言葉を詰まらせる。そして、苦しげな表情で続けた。
「でも、こんな危険なことに愁さんたちを巻き込むわけには……」
その反応を見て、愁は決意した。今こそ、自分の想いをはっきりと伝えるべきだと。
「そういえば、言っていませんでしたね」
愁は、真っ直ぐライトの目を見据えながら語り始めた。
「俺は、この大陸にある旧亜人領をすべて取り戻し、亜人族たちが幸せに暮らせる、種族の隔たりのない国を作るつもりです」
ライトの瞳が驚きに見開かれる。
「ブレストは、必ずその障害になります。だからこそ、これは俺がやらなければならないことでもある。……だから、ぜひ協力させてください」
愁は、再び手を差し出した。今度こそ、迷いなく。
ライトは愁の言葉を深く噛み締めた。囲炉裏の炎が揺れ、その光が彼の横顔を映し出す。逡巡の色が消え、代わりに強い意志が宿る。
「……そんな素敵な目的のために活動していたんですね」
ライトの顔に、はっきりとした笑みが浮かんだ。
「それなら、心強いです。こちらこそ、よろしくお願いします。共に……亜人の方たちも幸せに暮らせる世界を作りましょう!」
ライトは、力強く愁の手を握り返した。その時、囲炉裏の炎が、よりいっそう大きく揺らめく。
この日、帝国貴族ライト・シュラビュロンと八乙女 愁は、非公式ながらも確かな『盟約』を結んだのであった。
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