第4-1話 リリーニャの過去 後編①
村の惨状は、まさに地獄絵図だった。
護衛の兵士たちは三人とも無惨に殺され、首のない死体が血溜まりの中に転がっている。村の建物は無惨に破壊され、いまだ燻る炎が焼け焦げた木材を舐めるように赤黒く揺れていた。あちこちから黒煙が立ち上り、嗅覚を刺激する焦げ臭さが村を覆い尽くしている。
そして、村人たちは無力なまま縄で縛られ、一箇所に集められていた。その顔には恐怖と絶望の色が濃く刻まれている。
ライトは震える足に力を込め、戦えるのは自分しかいないことを理解した。今この場で立ち上がらなければ、村人たちは全員殺されてしまう現実を。
心臓が早鐘のように鳴る。喉がひどく渇く。
現在、村にいる盗賊は五人。この数ならば、まだ勝算はある。そう自らに言い聞かせるようにして、ライトは震える手で腰の剣を抜いた。
ライトは実戦で剣を振るうのはこれが初めてだ。
しかし、迷っている暇はない。深く息を吸い込み、震えを抑えるように剣を強く握りしめる。そして、勇気を振り絞って前へと踏み出した。
「お前たち!私はライト・シィラビュロン、帝国貴族だ!剣を捨て降伏しろ!さもなくば、お前たちは帝国軍を敵に回すことになるぞ!」
声が震えないように、できるだけ威厳を込めて叫んだ。これは虚勢ではない。たとえこの場で自分が死んだとしても、帝国貴族の息子が殺されたとなれば、帝国軍は必ず動く。しかし──
「おいおい、お貴族様が出てきたぞ」
盗賊の一人が嘲るように笑った。他の盗賊たちも、それに呼応するように嘲笑を漏らす。
「あのなぁ、俺たちはブレスト様が率いる『陸傑死団』の団員だ!貴族ごときに怯えるような三下はいねぇんだよ!」
──『陸傑死団』。
ライトは、その名を知っている。帝国内の裏社会を牛耳る、荒くれ者の集団。その総帥であるブレストは、ティルマス大陸内でも名を轟かせる恐るべき実力者の一人だ。
ブレストは三年前、たった一人で二千八百人の帝国軍を壊滅させ、帝国の町を奪った男。その町を自らの『国』と宣言し、六人の死団長を従えて、今や配下は一万を超えるという。帝国裏社会の大物だ。
そんな恐ろしい組織の一員たちが、帝国貴族の肩書き程度で怯むはずもなかった。
「おら、ぶっ殺せ……!」
盗賊たちは剣を掲げ、一斉に襲いかかってくる。
だが、ライトは逃げなかった。剣の鍛錬は日々欠かさず行ってきた。体が覚えている動きに身を任せ、一人、また一人と襲い来る盗賊を斬り伏せていく。
──剣が肉を裂き、骨を断つ感触。
胃の奥がひっくり返るような嫌悪感が襲う。だが、それを振り払うように、ライトは剣を振るった。
三人目を仕留めた時、残る二人の盗賊が焦りを見せた。そのうちの一人は恐怖に駆られたのか、武器を捨てて村の外へ逃げ出していく。
「待てっ……!」
しかし、追う暇はない。まずは残る一人を仕留めなければならない。冷静に判断したライトは剣を振り下ろし、最後の盗賊を地に沈めると、ライトは急いで拘束されていた村人たちを解放して回った。
「リリーは!?リリーは無事でしょうか!?」
縄を解かれたオルトスが、開口一番に叫ぶ。
「大丈夫です。前に教えていただいた床下に隠してきましたので」
「よかった……本当によかった。ありがとうございます、ライト様」
安堵の涙を浮かべるオルトス。しかし、その平穏は、次の瞬間、音を立てて崩れ去る。
──ゴロリ、と転がる、何か丸いものが、ライトとオルトスの横を通過した。それは、人の頭だった。逃げ出した盗賊のものに違いない、見覚えのある顔だった。
その場の空気が凍りつく。この場にいる誰もが村の入り口に視線を向けた瞬間、雪を踏みしめる重い足音が響き、燃え盛る炎が、その姿を照らし出す。
現れたのは、七人の男たち。その先頭に立つ男は──赤い髪に恵まれた体躯、額に刻まれた大きな傷。
その姿にライトは息を呑む。
(……ブレスト!)
手配書で何度も目にした顔だ。見間違うはずもない。そして、その後ろに控える六人は、おそらく直属の死団長たち。
「まったくよぉ……」
ブレストが、面倒くさそうに呟く。
「こんな村もまともに片付けらんねぇ奴等しかいねぇのかよ。たまたま近くにいたから来てみりゃ、このザマだ」
吹き荒れる冷たい風の中、ブレストの背後に次々と盗賊たちが集結していく。獲物を前にして嗤う獣のように、彼らの眼はぎらつき、空気には濃密な殺気が満ちていた。
「おいお前らっ!そこに転がってるゴミみてぇな腑抜けは、もういねぇよなぁ?たかが貴族のガキごときにビビってんじゃねぇぞ!」
怒号が響き渡る。整列した盗賊たちは、一瞬にして背筋を伸ばし、戦意を研ぎ澄ませた。
「今から俺様が手本を見せてやる!よく見てろ!」
地面に転がる剣を拾い上げると、ブレストは不敵にライトを睨みつけた。
「貴族さんよ、お前は最後だ。そこで『動くな』!」
その声が響いた刹那、ライトの体は何かに絡め取られたかのように硬直した。
「なっ……!?」
全身が凍りついたように、指一本すら動かせない。必死に抗おうとするが、まるで見えない鎖に縛られたかのようだった。
「大人しくそこで、こいつらが殺されていくのを見てろよ」
村人たちもまた、ライトと同じく動きを封じられていた。逃げることも、抗うことも許されない。
そして──悪夢が幕を開ける。
すぐに鈍い音が響いた。それは、ブレストの手にかかった村人の命が、一つ目に散った音だった。
「やめてくれ!金が欲しいなら私が用意する!だから、これ以上村の人たちには──!」
叫びは虚しく空を切る。剣が振り下ろされるたびに、鮮血が舞い、白銀の大地を染め上げていった。
その後も十人、二十人、そして──村長のテヌイの命がブレストの振るった無慈悲な刃によって絶たれる。
次に、ブレストの剣はミリラへと向けられた。彼女は泣き叫んでいた。声が嗄れるほどに叫び、助けを求め、願い、祈った。しかし、何一つ届かない。
「やめろぉぉぉ!!俺の妻を殺さないでくれ!!!!」
オルトスの絶叫が響く。しかし──鈍く、重い音とともに、ミリラの首は呆気なく地に落ちた。
雪の白は、今や赤に染まり、まるで大地に敷かれた『血の絨毯』のようだった。
倒れた体の傍で転がるミリラの首を、ブレストは無造作に踏みつけ、オルトスを見下ろしながら嗤う。
「お前、うるせぇな」
その一言と共に、ブレストの剣が再び閃いた瞬間、呆気なく、オルトスの首が宙を舞う。
こうして、村人は全員、ブレストの手によって虐殺され、その血が地に広がり続けた。
「そんな……オルトスさん、ミリラさん……貴様!なんて酷いことを!!」
ブレストはミリラとオルトスの首を片手で持ち上げ、ライトの眼前に突きつける。
「あぁー?それ、こいつらのことか?お前もすぐに送ってやるから心配すんなよ。き、ぞ、く、さ、まっ!」
ブレストの剣がライトの首へと振り下ろされる。
だが──不意にピタリと刃が止まる。
「あ?」
ブレストの視線の先に、小さな影があった。
「パパ?ママ?おにいちゃん?どこにいるの?」
それは、隠れていたはずのリリーニャだった。
「リリー!?なぜ出てきたんだ!!」
「まーだいたのか、よかったな貴族さんよ。少しだけ寿命が延びたな」
ブレストは持っていた二つの首を、リリーニャへと向かって投げつける。
「リリー!!目を閉じるんだ!」
しかし──遅かった。リリーニャの瞳に、両親の変わり果てた姿が映る。
「………パ、パ?ママ?どうしたの?ねえ!へんじしてよ!リリーをむししないで!」
震える手で、転がる首へと手を伸ばす。小さな指先が、かつて優しく撫でてくれた母の頬に触れる。
「なんだー?お前の親だったのかそれ?わりーなー、ぶっ殺しちまったよ」
ブレストは愉悦の表情を浮かべながら、剣をゆっくりとリリーニャへ向けた。
「今、大好きなパパとママに会わせてやるからよ。なあ、嬉しいだろ?」
血の香りが満ちた空気の中で、その声はひどく軽やかだった。
剣が振り下ろされる。鋭い金属音が空を裂き、死の気配が覆いかぶさる。
だが、その刹那──ライトは衝動のままにリリーニャの前へと飛び出し、震える小さな体を腕の中に抱きしめた。
次の瞬間、鋭利な刃が背中を裂き、熱い鮮血が弾け飛ぶ。
「なんだぁ?俺の術を自力で解いたのか?すげーなお前。だけどよ、お前は最後だって言ってんだろが!どけろよ!くそがっ!」
ブレストの声が怒気を孕む。その言葉と同時に、衝撃。
ライトの背を蹴り飛ばしたブレストの靴底が、傷口に深く食い込んだ。数メートル先へと転がるライト。
しかし、その腕は決してリリーニャを放さなかった。
「ったくよ。俺は言ったことは必ず守ることにしてんだよなぁ。おい!早くガキ殺させろよ!おらっ!」
何度も、何度も蹴りつけられる。だが、ライトは決して手を離さない。苛立ちに顔を歪めたブレストは、苛烈な動作で剣を振り上げると、躊躇なくライトの膝から下を斬り落とした。
「ぐあぁぁっ!」
鋭い悲鳴が響く。
視界がぐらつき、傷口から血が噴き出す。全身から血が抜かれていくような感覚。だが、それでも──ライトはリリーニャを抱きしめたまま、震える唇を動かした。
「……ご、ごめんね。リリー……パパとママを……守れなかった……」
「おにいちゃん、どうしたの?ぎゅっとしててくるしいよ?リリー、はやくパパとママとおはなししたいよ……」
幼い少女の無垢な声が、血と死が支配する静寂を引き裂くように響いた。ライトは、震えるリリーニャの小さな体を抱きしめながら、自分の無力さを呪った。
(なんで……なんで僕は何もできない……!)
地位も、権力も、剣の腕すらも──この場では、何の意味もなさない。眼前に広がるのは、血に塗れた地獄。死の臭いが鼻を刺し、肌を焼くような戦火の残滓が、重くのしかかる。
流れすぎた血のせいか、意識が遠のく。痛みすら、もう感じない。
(それでも……それでも……僕、は……)
リリーニャを抱き締めていた腕から、力が抜ける。ライトの手が、するりと指の間から滑り落ちた。まるで、糸の切れた人形のように。
リリーニャの足元に、崩れ落ちるライトの身体。その向こうに広がるのは、死体の山と、血の海。両親の首が転がっている。見開かれたままの瞳は、最期の瞬間に刻まれた恐怖を映し、冷たく、何の温もりもない。そして、ライト──彼は足を切り落とされ、背を裂かれ、今はもう動かない。
「おにいちゃん……?ねぇ、おにいちゃんもリリーをむしするの?なんで?リリー、いいこにしてたよ?ねぇ、おにいちゃん?」
震える指先で、ライトの頬に触れるが、冷たい。弱々しい力で体を揺すって、かすかな期待を込める。しかし、ライトからは何の反応もない。
「あーあ、死んじまったよ。しゃーねぇな。じゃあ、お前で最後だ」
残酷な声が響く。
リリーニャを守るものは、もう何もない。
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