第3-2話 リリーニャの過去 中編②
さらに時は流れ、幾つかの月日が過ぎた。
春の訪れとともに、村のあちこちには柔らかな陽光が差し込み、木々は芽吹き、野花が色とりどりに咲き誇る。澄んだ空気には草木の香りが漂い、遠くからは鳥のさえずりが心地よく響いていた。
そして、今年も徴税の日が巡ってきた。
村の入り口に馬車が停まると、ライトは軽やかに降り立ち、護衛の兵士たちにその場で待機するよう指示を出す。彼は一人、村の長であるテヌイと、もう一人の代表者であるオルトスのもとへと向かった。
「今年もお願いします、テヌイさん、オルトスさん。それと……リリーもね」
微笑みながらそう言うと、オルトスの背後からひょっこりと小さな頭が覗く。
幼い少女──リリーニャは、ライトの声を聞くや否や、ぱっと顔を輝かせた。だが、恥ずかしさもあるのか、すぐにオルトスの背中に隠れてしまう。それでも、ちらちらと顔を覗かせ、ライトの笑顔を目にすると、彼女も負けじと弾けるような笑みを返した。
「いつもうちの子がすみません。それで、ライト様、これが今回の分です。お受け取りください」
オルトスは硬貨の入った袋を差し出す。ライトはそれを受け取り、中身を確認した後、懐から羊皮紙を一枚取り出した。
「確かに受け取りました。これはその証明書です。大切に保存しておいてくださいね」
証明書には日付と納税の証明が記され、しっかりと印が押されている。
亜人の村では、貴族によって二重徴税が行われることも珍しくない。しかし、ライトはそのような不正を許さぬよう、こうして自費で証明書を作成し、必ず村に渡していた。
テヌイは深く頭を下げる。
「いつもありがとうございます。ライト様のおかげで、村の生活もずいぶん良くなりました」
「いえ、それは皆さんが日々頑張っているからですよ。それに、担当する村の発展を考えるのも貴族の務めですから」
ライトは爽やかな笑顔で答えると、ふと視線を落とした。すると、オルトスの背後からそわそわと飛び出しそうなリリーニャの姿が目に入る。
「リリー、今日は何をしようか?」
ライトが優しく問いかけると、リリーニャはぱあっと表情を輝かせ、勢いよくライトの手を握った。
「こっちこっち!あのね、おにいちゃんにおはなのくびかざり、つくったの!」
彼女の小さな手は温かく、柔らかかった。そのままライトは、彼女に手を引かれて村の端にある小さな花畑へと向かう。
護衛の兵士たちはもはや何も言わない。最初こそライトの行動に呆れていたものの、今ではすっかり慣れた様子で、村人が用意した食事に舌鼓を打ちながら静かに待機していた。
花畑に着くと、リリーニャはそっと手のひらに載せた花飾りを掲げる。小さな指で一つ一つ編み込まれた花々は、鮮やかな色をまといながら光を受けて輝いていた。
「はい!おにいちゃんにあげる!リリーがひとりでつくったんだよ!すごいでしょ?」
彼女の笑顔は『太陽のように眩しい』。ライトは驚きながらも優しく受け取り、その場で首にかけた。
「ありがとうね、リリー。大切にするよ」
「うん!」
リリーニャは嬉しそうに頷くと、すぐに「ねえねえ!」と目を輝かせた。
「おそとのおはなし、して!」
彼女はライトが語る村の外の話が大好きだった。見たことのない町の賑わい、お城の壮麗さ、険しい山での冒険や楽しいお祭り──どの話も彼女の心をわくわくと躍らせる。
しかし、楽しい時間ほど、過ぎ去るのは早い。空が茜色に染まり始めると、ライトは名残惜しげにリリーニャの頭をそっと撫でた。
「よし、リリー。今日はおしまい。また今度来たときに続きを話してあげるよ。それまで、いい子で待ってられるかな?」
リリーニャはライトの服の裾をぎゅっと握りしめ、今にも泣き出しそうな顔をする。
「つぎは、いつくるの……?はやくくる?」
「そうだなあ……次は夏になったら来るよ。今よりもっと暑くて、太陽がきらきらと輝くころにね。それまで元気に待っててくれる?」
「わかった!」
元気よく頷くリリーニャをそっと地面に降ろし、ライトは彼女の小さな手を握った。
「それじゃあ、リリーのパパたちのところに戻ろうか」
「うん!もどる!」
夕陽が沈んでいくなか、二人は村へと帰っていく。リリーニャの手の温もりを感じながら、ライトはまた次に訪れる日のことを思い浮かべた。
──彼女の笑顔が、いつまでもこの村に咲き続けるようにと願いながら。
◆◇◆◇◆◇
それからさらに八ヶ月の月日が流れ、季節は再び冬を迎えた。
今日はリリーニャが心待ちにしていた徴税の日、そして、彼女がオルトスとミリラの家族になった記念の日でもある。大切な日と大好きな日が重なるこの日を、リリーニャは『人生で最も幸せな日』だと感じていた。
村は雪に覆われ、白銀の世界が広がっていた。枯れた木々の枝にはふわりと雪が積もり、まるで白い花が咲いたかのように美しく輝いている。澄んだ空気に冬の匂いが混じり、吐く息は白く染まる。
リリーニャは窓辺にちょこんと座り、雪化粧を施された村の入り口を見つめていた。彼女の小さな耳がぴくりと動く。遠くから、聞き慣れた馬車の車輪の音が微かに響いてきた。
やがて見覚えのある馬車の姿が雪道の向こうに現れると、リリーニャは弾かれたように立ち上がった。
「ライトおにいちゃん!」
弾む声とともに、彼女は勢いよく家を飛び出した。白い息を弾ませながら駆けていくと、ちょうど馬車から降りてきたライトと目が合う。優しく微笑む彼の姿に、リリーニャの顔がぱっと輝いた。
本来の目的である徴税を滞りなく終えた後、リリーニャはいつものようにライトにべったりとくっついて離れなかった。
正確な誕生日がわからないリリーニャにとって、オルトスとミリラと出会ったこの日は、まるで誕生日のような特別な日だった。それを知っていたライトは、彼女のために小さなプレゼントを用意していた。
「誕生日おめでとう、リリー。はい、これは私からのプレゼントだよ」
そう言って差し出されたのは、繊細な装飾が施された銀色の腕輪だった。
リリーニャは息を呑み、大きな瞳を輝かせる。彼女の世界には存在しなかった、美しく光を反射するその腕輪。そっと手に取ると、きらきらと輝くそれをじっと見つめた。
「……すごい!きれい!」
無邪気な歓声を上げると、リリーニャは急いで腕にはめてみせた。そして、ライトに向かって誇らしげに両腕を広げる。
「おにいちゃんありがとうっ!みて!似合ってる?」
「うん、よく似合ってるよ。とっても可愛いね」
くるくると腕を回して腕輪を眺めるリリーニャは、まるで光そのものだった。ライトは、そんな彼女の笑顔が好きだった。貴族である彼の周りには、常に計算や策略が渦巻いていた。そんな世界の中で、純粋なリリーニャは、闇に染まりかけた彼の心を照らしてくれる太陽のような存在だった。
しかし──その平和な時間は、突然崩れ去った。
突如、村の入り口の方で爆発音が鳴り響いた。
乾いた空気を裂くような轟音が広がり、リリーニャはびくりと肩を震わせた。次いで、護衛の兵士の怒声がこだまする。
「敵襲!盗賊と思われる者たちの攻撃です!」
それを合図に、村の入り口の方からは剣と剣が交じり合う音が響き始めた。戦闘が始まったのだ。
ライトの顔色が変わる。
「リリー、こっちだ!」
彼はすぐさまリリーニャの手を取り、雪を蹴立てながら駆け出した。向かった先は、冬の間ほとんど使われない農具小屋だった。
小屋の中に入り、ライトは素早く床の一部分を強く押す。すると、床板がわずかにずれ、中には人がひとり入れるほどの隠しスペースが現れた。
これはオルトスがライトに教えていた避難場所だった。万が一のとき、リリーニャを安全に隠せるようにと用意されたもの。
「リリー、ここに入って。何があっても絶対に出てきちゃダメだよ。私が戻るまで、静かにここで待っているんだ。いいね?」
リリーニャは震える小さな手で、ライトの腕をぎゅっと掴んだ。
「おにいちゃんは?パパとママは?いっしょじゃなきゃいやだよ……」
震える声には、不安と恐怖が滲んでいた。
「大丈夫、パパとママは僕が助けに行く。だから、リリーはここで良い子にして待ってて。リリーは強い子だからできるよね?」
迷いのない声が、優しくリリーニャの心に響いた。小さな手が、ゆっくりと離れていく。
「……うん。わかった!リリー、ここで待ってるね。だから、ちゃんと迎えにきてね?」
「もちろんだよ。約束する」
ライトは微笑み、優しくリリーニャの頭を撫でる。その温もりが、消えないようにと願いながら、彼は床板を戻し、素早く小屋を後にした。そして、戦火の待つ村の入り口へと向かっていった。
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