第17話 再戦
「これ……勿体ないな。貰っておくか、何かと使えるだろうし」
愁は古びた鉄の扉に手を触れながら、独り言のように呟いた。その声は静まり返った空気に溶け込み、城壁に囲まれた旧ハレムント王国の廃城にわずかに響いた。目の前の扉は錆びつき、時の流れに削られていたが、愁の瞳にはその無骨な鉄の輝きが映っていた。
彼は指先に微かな力を込めると、手のひらから淡い光が漏れ出した。クラフトの能力を応用した〈分解〉のスキルを使い、扉を素材へと変える準備を進めているのだ。この力は触れた物を解析し、元の素材へと還元することができる。使い方次第では新たな可能性を引き出す力――愁が転移後に発見した、新たなスキルのひとつであった。
「さて、どんな素材になるか……」
愁は軽く呟くと、〈分解〉を発動する。扉は静かに消え去り、細やかな金属粒子が浮遊する。不要な不純物を取り除かれたそれらは、『鉄』の素材として瞬く間にエンドレスボックスの中へと吸い込まれていった。
(やっぱり、こいつは便利だな。どれだけ物を詰めても溢れる心配がない)
愁が感心する間もなく、かすかな物音が耳に届いた。次の瞬間、廃城の静寂を切り裂くように、複数の足音が押し寄せてきた。振り返ると、粗雑な装いの盗賊たちが武器を構えながら迫ってくる。
「案の定、音を聞きつけて来たか……まあ、元々隠れるつもりもなかったしな」
愁の口元が僅かに引き締まる。横に立つスフィアは冷静な眼差しを向けながら、自らの周囲に黒白の雷撃を纏い始めていた。
「こいつらさっさと片付けて、中に入るぞ!」
「了解だ!」
二人は声を掛け合い、行動を開始した。城の門を抜けると、そこにはかつての美しい庭園の名残が広がっていた。かつて咲き誇ったであろう花々の跡地には、雑草が力強く生い茂っている。今は見る影もないが、石畳に刻まれた模様や枯れた噴水の彫刻が、往時の栄華を物語っていた。
庭園の奥には、城へ続く入り口が三つ見える。中央の大門は固く閉ざされているが、両端の入り口からはぞろぞろと盗賊たちが現れていた。
「殺さずにいけるか?」
「なんとかなるんじゃないのか?主様は優しいな、こんな連中に情けをかけるなんて」
「なるべく殺したくないだけだよ」
愁の静かな決意に応えるように、スフィアが雷撃を纏い、素早く一人の盗賊を蹴り飛ばした。触れた瞬間、小さな閃光が弾け、盗賊は意識を失って地面に倒れる。
「こんなもんか?」
「それ、ちゃんと生きてる?それにしてもスフィア、電撃の扱いは天才的だね」
「当たり前だろ!何年も使ってるんだからな!」
スフィアの電撃は、的確に相手を無力化しながらも命を奪わない絶妙な威力だった。その一方で、愁は愛刀の宵闇を手に取り、盗賊たちを一撃で昏倒させていく。鋭い刀身を用いた峰打ちは、彼の熟練の技術を物語っていた。
「にしても、数が多いな!」
愁が〈気配探知〉で人数を確認すると、三百人近くの盗賊が愁とスフィアの周りを囲んでいることが判明した。城にいる盗賊の半分以上がこの広い庭園に集まっていることになる。
「引くな!ブレスト様がこちらに向かっているのだぞ!」
盗賊たちの中から響いた一声が、薄暗い廃城の中に反響し、士気の低かった彼らの瞳に再び炎を灯した。その場の空気が一変する。まるで無秩序だった集団が一つの生物のように息を合わせ、牙を剥いた。愁は敵の群れを冷静に見渡しながら、息を整える。
(これがブレストの力か。統率された集団ではない……だが、あの男には何か特別な力があるのか?奴が現れるという情報だけで、この集団の士気が段違いだな)
愁とスフィアは数百人もの盗賊たちに囲まれていた。それでも二人は退かず、愁の剣とスフィアの魔法を駆使して戦い続けた。荒れ果てた庭園は、すでに激戦の舞台と化している。切り裂かれた木々、踏み荒らされた花壇──かつての美しい景観は、今では遠い記憶のようだった。
太陽が西の空へと沈むにつれ、辺りを覆う闇が次第に濃くなる。冬も半ばを過ぎたこの季節、日没は早い。庭園にはいくつかの松明が立てられていたが、それでも完全には暗闇を払えず、視界は悪化する一方だ。それでも愁とスフィアは共に戦い、九十人以上の盗賊を戦闘不能に追い込んだ。だが、それでもまだ全体の五分の一の人数──勝利は遥か遠くにある。
廃城に『ブレスト』の名が響いた瞬間から、敵の士気は異様なまでに高まり、もはや逃げ出す者は一人もいない。一人一人の力そのものは大したことがない盗賊たちだが、引くことを知らない彼らを相手に、不殺で立ち回るのは骨が折れる。愁とスフィアの動きには、次第に疲労の色が滲み始めていた。
その時、庭園の奥から重々しい音が響いた。盗賊たちが出てきた入り口とは別の扉、庭園中央の大きな扉がゆっくりと開き始めたのだ。鋭い軋み音が闇にこだまし、戦場の喧騒が一瞬止まる。
扉の向こうから現れたのは、黒いローブを身に纏った男だった。フードの奥に覗く顔は、どこか幸の薄い暗い表情をしている。その目には生気がほとんどなく、手に持つ三十センチほどの細長い杖をゆっくりと愁たちへ向けた。
「〈エルフィレイド・スフレフェルス〉朽ち果て消えろ」
男──エルボスが紡いだその言葉と同時に、戦場の喧騒が消え去った。盗賊たちの叫びも、風の音も、すべてが無音の世界に変わる。そして、愁とスフィアの足元には黒い魔法陣が浮かび上がった。
(避けられないか……ならどうする?〈守護者の聖域〉を展開するか?)
だが、異様な静けさが愁の心を乱した。『守護者の聖域で防げるのか?』そんな不安が胸を締め付け、嫌な予感が頭を離れない。わずかな時間の中で、愁は頭をフル回転させて打開策を探る。だが、何も確証がないまま焦りだけが募る。
(くそ!まずはスフィアと合流する!)
決意を固めると、愁は〈縮地〉を使い、数メートル先で同じく魔方陣に囚われているスフィアの元へと移動した。彼女を庇うように前に立ち、エルボスから放たれた漆黒の球体を目の当たりにする。
愁は刹那の判断で一本の剣をクラフトする。それは『守界刀』──防御に特化した特殊な剣だ。攻撃力を持たない代わりに、刀自体を犠牲にして持ち主を守る能力を有しており、その防御力は一時的にだが〈守護者の聖域〉を遥かに凌駕する。しかし、その作成には膨大な集中力と技術が必要であり、失敗のリスクも大きいクラフト難度の高い魔剣だった。だが、愁はそのクラフトをミスなくこなす。黄金色の輝きと共に右手に納まった『守界刀』を手に、愁は一瞬の安堵の表情を見せた。
そして、すぐさま愁はその剣を地面に突き立てた。直後、漆黒の球体が『守界刀』の効果範囲に衝突し、粉々に砕け散る。だが、魔法の余波は凄まじく、庭園の一部はセピア色に染まった空間へと変貌を遂げる。その空間はあらゆる生命を根こそぎ奪い、愁を起点とした約半径五メートル程の範囲に巻き込まれた盗賊たちを断末魔と共に消し去っていく。それはまるで蒸発するかの如く、盗賊たちは消えていった。
愁とスフィアは『守界刀』による結界によって守られていたが、次第にその刀身には亀裂が入り始めていた。愁の右手からは血が流れ、銀色の刀身を赤く染めていく。『守界刀』の能力を使用するには、大量のMPとHPの両方を使用する。まるで代償のようなその効果のせいで、『守界刀』の長時間の使用は使用者の命に関わる。
(これ以上、持たせるのは厳しい…!)
時間にして数十秒。だが、愁には永遠にも思える時間だった。ついにセピア色の空間が溶けるように消滅し、庭園は再び闇と松明の揺れる灯りに包まれた。
「これは驚いた。僕の魔法が直撃しても生きているなんてね」
エルボスが足を進めながら冷たい声で言う。その後ろには、小さなぬいぐるみを抱いた少女が付き従っていた。
「リリーはどこだ!」
愁は吼えるように問いかけた。しかし、エルボスの表情に動揺はない。
「さあね?ここで死ぬ運命の君が知る必要はないさ」
疲労と消耗で視界が歪む中、愁は再び宵闇を抜き放つ。その切っ先はエルボスへと向けられた。
「次こそ逃がさない。お前は俺が倒す」




