第4話 港町フスカ
「ここがエルフ族の国、港町フスカ、ですか!戦争中だって聞いていましたけど、意外と活気がありますね。平和な感じさえします」
愁は目の前に広がる光景に驚きを隠せず、思わず声を漏らした。その表情には、予想外の安心感と驚嘆が入り混じっている。
エルセリア大陸の港町フスカ。愁とメラリカが空を渡り辿り着いたこの町は、上空からでは分からなかった『温もり』と『調和』に満ちた姿を見せていた。愁の心の中に描かれていたエルフ族の町のイメージは、『WORLD CREATOR』のエルフたちの国──木々の上に築かれた家々が吊り橋で繋がれ、自然とともに息づく理想郷のような場所を想像していたが、それとはどこか違う。しかし、その違いがむしろ未知への期待感を煽り、愁を興奮させた。
町並みは緑に溢れ、手入れの行き届いた草木や流れる川が穏やかに調和している。人工的な干渉は最小限に留められ、自然そのものが町の一部として生きているのだ。その光景に、愁はただ感嘆するほかなかった。
(これが……エルフ族の暮らし。自然と共存するってこういうことなんだな)
愁がこれまで目にしてきた人族の町は、自然を排除し、川を埋め立て、草木を切り倒して生まれた利便性重視の景色だったが、ここはあまりにも対照的だった。それ故に、この港町が持つ優美さと調和の美しさが、彼の心に深く刻まれる。
「この港町フスカは、戦争地帯であるメメント精霊国の国境から離れているんですよ。それに、大陸間を繋ぐ重要な港ですから、それなりに栄えていますし、治安も悪くはありません」
メラリカが穏やかな口調で説明する。
「なるほど……だからこんなに活気があるんですね」
愁はその言葉に納得しながらも、どこか引っかかるものを感じた。確かに町には日常の喧騒が満ち溢れている。しかし、港に目を向けると、大勢の人々が船に殺到しているのが見える。
「……避難しているのかな?」
愁の視線が鋭くなる。船の周囲に群がる人々の中には、焦燥感を滲ませた顔がいくつも見える。『戦争』という影響が、確実にこの地にも及んでいる証拠だった。
その時だった──
「あれ?」
愁の視線の先、人混みの中で困惑した様子の人物が目に留まった。人々の波に揉まれ、前にも後ろにも進めず、立ち尽くしている。その姿に愁の胸が騒ぐ。
「メラリカさん、ちょっと一緒に来てもらえますか?」
「え?ええ、大丈夫ですけど……何かあったんですか?」
「ほら、あの人、困ってそうなんですよ」
愁の指差す先には、旅人のような装いの人物がいた。ポケットが多くついた実用的な服に、黒いマント。そして何より目を引いたのは、目元を覆う綺麗な刺繍が施された布──
(あの人、盲目か……!)
愁は急ぎその人物の元に向かうと、優しく声をかけた。
「すみません!盲目の旅人の方、大丈夫ですか?とりあえずこちらに」
「あ、ありがとうございますぅ……!」
その人物は困惑しながらも愁の手を取り、やっとのことで人混みから抜け出すことができた。少し離れた場所でようやく落ち着きを取り戻した旅人は、深く頭を下げる。その仕草とともに、長い髪をポニーテールに結った銀色、というよりは少し薄緑色がかった不思議な色の髪がふわりと揺れる。太陽の光を浴びたその髪は、淡い緑の光沢を帯び、まるで虹色の輝きを放つかのようだった。
「ありがとうございます。人が多すぎて、どうにも進めなくて……」
透き通るような声で礼を述べる旅人──盲目の少女。その手には、持ち手が西洋を思わせる装飾の綺麗な剣の柄と鍔で、本来ならば刃がある部分が杖になっているなんとも不思議な杖が握られていた。コツコツと音を立てながら普通に杖として利用しているので、本当に杖なのだろう。
「やっぱりそうだったんですね。船に乗りたかったんですか?」
「はい。ぼく、いろんな大陸を旅しているんです。あっ!ぼくはレイネスといいます!」
レイネスと名乗った少女が微笑みを浮かべ、再び丁寧に頭を下げる。その仕草には、困難な旅路を歩む者特有の『強さ』と、救いの手を差し伸べられたことへの『純粋な感謝』が滲み出ていた。彼女の笑顔は、周囲の喧騒さえ一瞬で忘れさせるような優しさを秘めている。
「はじめまして、レイネスさん!俺は八乙女 愁って言います。こちらはメラリカさんです」
「愁さんにメラリカさん、よろしくお願いします!」
手を差し出した愁の行動に、盲目であるはずのレイネスは迷うことなく応じる。正確にその手を握り返してくる様子に愁は少し驚いたが、すぐに納得する。
(これだけ堂々と旅をしているんだ、きっと何か特別なスキルを持っているんだろう)
そう思い、心の中で結論づける。
「船の出航までは少し時間がありそうですね。もう少し人混みが落ち着いたら向かうのがいいかもしれません。良ければ、船に乗るところまでお連れしましょうか?」
愁の提案に、レイネスは慌てた様子で手を振りながら首を振る。
「いえいえ!そこまでは大丈夫です。愁さんたちにも目的があるでしょうし、あまり迷惑をかけるわけにはいきませんから!」
その仕草は『健気さ』と『遠慮深さ』を表しており、愁は思わず微笑んでしまう。断られたにもかかわらず、悪い気は全くしない。
「迷惑だなんて思ってないですけど、そういうことなら分かりました。レイネスさん、良い旅を!」
「はい!本当にありがとうございました。愁さんたちも、どうかお気をつけて!」
再びペコリと深々と頭を下げるレイネス。その動きに合わせて、彼女のポニーテールに結われた髪がふわりと揺れる。陽の光を受けたその髪は、まるで七色に輝く絹糸のようで、愁は一瞬その美しさに目を奪われた。
レイネスは人混みが解消された港の方へ、迷うことなくスムーズに歩き出す。その姿を見送る愁の胸には小さな疑問がよぎる。
(うーん、本当に見えていないのかな?)
しかし、旅の者にはそれぞれの事情がある。愁は深く考えるのをやめた。
「なんだか、不思議な雰囲気の方でしたね」
メラリカが隣で静かに呟く。その声には、レイネスに対する興味と敬意が含まれていた。
「そうですね。普通の旅人とは違う空気がありました。でも、あれだけ正確に歩けるのだから、何か特殊な力があるのかもしれませんね」
愁は〈鑑定の魔眼〉こそ使わなかったが、それでも彼女が何か特別な能力を持っていると直感していた。それが何かまでは分からない。しかし、彼女の立ち去った今となっては、それ以上考えても仕方がないことだ。
「さて、俺たちも行きましょうか」
「ええ、キアナ王国までは馬車を手配しましょう。さすがに飛行魔法で目立つのは避けたいですからね」
港町フスカからキアナ王国までの道のりは遠い。途中で休憩を挟んでも、馬車で約二日かかる距離だ。しかし、幸い港町には馬車が多く、御者もすぐに見つかった。
愁とメラリカは、手配した馬車に乗り込む。車輪がゆっくりと動き出し、柔らかな振動とともに旅路が始まった。港町の喧騒が徐々に遠ざかる中、愁は窓の外を眺めながら、七色に輝く髪の少女の姿をもう一度思い浮かべるのだった。
◆◇◆◇◆◇
馬車は舗装されていない道をガタゴトと揺れながら進んでいた。砂塵が車輪の周りに舞い、夕日に照らされた大地はどこまでも赤く染まっている。荒れた道の感触にももう慣れたものの、やはり快適さとは程遠い。その揺れを少しでも和らげようと、愁は空間を裂くように手を伸ばし、エンドレスボックスから二つのクッションを取り出し、一つをメラリカに差し出した。
「揺れますので、これを下に敷いてください」
メラリカは渡されたクッションを受け取り、礼を言いながら座り直した。
「ありがとうございます。いつも思いますが、本当に何でも出てきますね」
「そうですね。何でも入るんですよ。便利なものです」
愁は軽く笑いながら答えた。そのエンドレスボックスは、『神の秘宝』と呼ばれる特級のアイテムで、彼が数々の冒険の中で手に入れたものだ。中には過去の思い出が詰まった品々がしまい込まれている。その多くは忙しさにかまけて整理できずにいるが、それもまた『思い出の欠片』として彼の中で大切にされていた。
揺れる馬車の中、愁とメラリカは他愛のない穏やかな会話を交わしながら進んでいった。やがて日が沈み、辺りが濃紺に包まれ始めた頃、御者が声をかけてきた。近くに町があるので立ち寄るかどうかを尋ねてきたのだ。愁は一瞬考えたが、メラリカに視線を向けると、彼女は静かに首を横に振った。
「今日は町には寄らず、野宿がしたいです」
その言葉に愁は微笑んで頷いた。
「分かりました。では少しだけ進んでから場所を探しましょう」
こうして、しばらく走った馬車は道の外れに停まり、今は焚き火の暖かな光が二人を照らす夜が来た。御者は馬と馬の間で休息を取っている様子だ。その姿に愁は少し不思議そうな視線を向けたが、特に突っ込むことはせず、焚き火に枝をくべた。
「すみません、わがままを聞いてもらっちゃって」
焚き火の橙色の光に浮かぶメラリカの顔には、どこか申し訳なさが滲んでいる。
「大丈夫ですよ。むしろ冒険っぽくて楽しいです」
愁の言葉に、メラリカはほっとしたように微笑んだ。しかし、その表情にはどこか影があった。
「愁さんは、本当に優しい方なんですね」
不 意に投げかけられたその言葉に、愁は一瞬動きを止め、首を傾げる。
「どうしてですか?」
「出会ってからずっとそう思っていました。困っている人を見ると、すぐに手を差し伸べる。そんな人、なかなかいないです」
愁は少し照れくさそうに笑いながら焚き火を見つめた。
「特に大層な理由があるわけじゃないんです。ただ、目の前で手が届くことは、やっておきたいだけです」
メラリカは火の揺らめきを眺めながら、かすかに肩をすくめた。
「それは、愁さんだからこそできることなんだと思います」
やがて彼女の声は沈み込み、焚き火の音だけが響く夜に包まれる。そして唐突に、メラリカは問いを投げかけた。
「もし私を殺さなければ大勢の命が失われるとしたら、愁さんはどうしますか?」
愁はその質問に少し驚いたが、すぐに真剣な表情に戻る。
「仮にそうだとしても、俺は最後までメラリカさんを諦めたりしません。絶対にどちらも救ってみせます」
愁の強い声に、メラリカは一瞬目を見開き、ふっと微笑んだ。
「ふふ、やっぱりそう答えると思いました。愁さんらしいですね」
その後、二人の会話は途切れ、焚き火が小さなパチパチという音を立てるだけだった。やがてメラリカは小枝を取りに立ち上がり、戻ってきた彼女は少し躊躇いながら愁に尋ねた。
「あの、隣に座ってもいいですか?」
愁は一瞬驚きながらも頷き、エンドレスボックスから毛布を取り出した。
「寒いですから、これを一緒に使いましょう」
毛布で包まれた二人の間には、焚き火の暖かさと、彼女の体温が穏やかに伝わる。愁はその時、心にある想いを口にする決意をした。
「メラリカさん。理由は聞きません。でも一つだけ。俺は何があっても、あなたを見捨てたりしません。どんな時でも頼ってください」
メラリカから返事はなかった。しかし毛布越しに伝わる微かな震えは、彼女の心に愁の言葉が届いた証拠だった。それだけで十分だった。
愁は目を閉じ、炎のゆらめきに照らされる夜の静けさを感じながら、何が起きてもメラリカを守ることを誓った。




