第12-4話 星空のプレゼント
日が傾き、街に灯る明かりが幻想的に揺らめく頃──。
愁とリアは市場を巡り、仲間への土産や素材を買い揃えた後、今晩の宿を探していた。
やがて見つけたのは、貴族や上流階級の者たちが利用する格式高い宿だった。幸いにも、小さいながらも浴室付きの部屋が空いていたため、そこを借りることにする。
部屋に入ると、途端に一日の疲労がどっと押し寄せた。長時間の買い物と移動のせいか、リアも元気ではあるものの、僅かに疲れが見て取れる。
「リア、お風呂先に入ってきていいよ?」
「あ、その……愁さまが先に入ってください!わたしは少し休みたかったので、後からで大丈夫ですから」
彼女の言葉に、愁は少し首を傾げたが、長く歩き続けたせいで休憩したいのだろうと納得する。
「あ、そう?じゃあ、先に入らせてもらうね」
愁はクラフト能力でバスタオルを二枚作り、一つをリアに渡してから浴室へと向かった。
浴室の中は蝋燭の灯りのみで、ほのかにゆらめく光が湯気と混ざり合い、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。
薄暗いが、入浴するには十分な明るさだ。贅沢を言っても仕方がない。
服を脱ぎ、湯を張る間に石鹸を手に取る。体を洗いながら、ゆったりと疲れをほぐそうとしていた──その時。不意に、背後に人の気配を感じた。そして、ゆっくりと浴室の扉が開く。
蒸気の中から現れたのは、タオルを体に巻いたリアだった。
「うわっ!?ど、どうしたのリア!?」
慌てて彼女の方を見ないようにしながら問いかけると、リアはもじもじとしながら答えた。
「あのっ……お背中を流して差し上げようかと思いまして……」
「え?急にどうしたの?」
「えっと……スフィアさんが、男の人は背中を流してもらうと喜ぶって教えてくれたので……」
(リアに変なことを吹き込んだのは、やはりスフィアか。いや、そもそもそんなことを言い出すのはスフィアくらいしかいないか……帰ったら説教決定だな)
とはいえ、リアをむげに断るのも気が引ける。もし拒絶すれば、彼女は自分の行動を間違いだったと勘違いしてしまうかもしれない。それは避けたいことだった。
「あー……なるほどね。じゃあ、せっかくだからお願いしようかな」
リアの表情がぱっと明るくなり、「はい!」と張り切った声が返ってきた。
愁は石鹸を手渡し、リアに背を向けて浴室の床に座る。そして、後ろから泡を立てる音を聞きながら、僅かに緊張する気持ちを感じつつ、その時を待った。
(まあ、普通に洗って、満足してくれるよな)
そう思っていた愁だが、その予想に反して、リアは愁の肩にそっと手を置く。そして次の瞬間、背中に何か柔らかいものが押し当てられた。
「っ!?」
動揺しつつも、すぐには状況が飲み込めない愁。だが、微かな温もりと感触から察するに、リアはタオルを使わず、直接体を使って洗っているのではないか──そう気付いた瞬間、愁の思考が一気に混乱する。
(……おいおい、これは流石にまずいだろ!?)
すりすりと控えめに背中を柔らかな感触の『何か』で洗われる。二つのふくらみが背中に押し当てられている感触から、それが何か推測できる。だが、予想の遥か上を行くリアの行動に、愁は完全に動揺していた。
「ちょっ、リア!?さすがにそれは──」
「え?」
制止しようと振り返ったその時、床の泡で足が滑る。バランスを崩し、愁は前のめりに倒れ込んでしまった。
「っ!?」
咄嗟に左手を床について衝撃を和らげたものの、勢い余って右手がリアの胸に触れてしまう。
「あ……!」
ふわりとした触り心地が手のひらに広がっていく。主張は控えめだが、確かにそこにある存在感——などと悠長に考えている余裕のない愁は、すぐに起き上がろうと必死だ。
「ご、ごめんリア!今すぐ離れるから!」
焦って手を離し、立ち上がろうとする。だが、またしても泡で足を滑らせ、今度はリアに覆い被さる形で倒れ込んでしまった。
「うっ……本当にごめん!すぐ起きるから……!」
だが、その瞬間、リアの細い腕がそっと愁の背中に回される。
「リア……?」
「あっ……すみません!あの、恥ずかしいんですけど……こうして愁さまとくっついていると、すごく安心するんです……どうしてでしょうか?」
リアの声が耳元で震える。密着しているせいで、彼女の心臓の鼓動が伝わってくる。もちろん、それは愁も同じだった。
気まずさを誤魔化しながら、愁は慎重に体勢を立て直す。ようやく距離を取ると、二人の間に微妙な沈黙が生まれた。蝋燭の炎が揺れ、静寂の中で水滴が湯船に落ちる音だけが響く。
濡れた髪を直しながら、お互い何かを言おうとするが、なかなか言葉が出てこない。湯気の向こうで、リアは少し恥ずかしそうに視線を泳がせている。
そんな中、先に沈黙を破ったのはリアだった。
「愁さま……?このまま、一緒にお風呂に入っても……いいですか?」
その言葉に、愁の肩がピクリと揺れる。
「え?あ、ああ……まあ、いいよ。このままだと風邪引いちゃうしね」
言葉を選ぶ余裕もなく、思わず了承してしまう。どうせ今さら断ったところで気まずさが増すだけだろう。
お互い泡を流し終えると、二人は湯船へと向かった。
自然と向き合う形で入ることになり、視線を逸らしながらも、なんとも言えない気まずさが漂う。
「その……さっきはごめんね。リア、ビックリしたでしょ?」
「え?大丈夫ですよ!わたし、愁さまになら何されてもいいですから。なので気にしないでください」
無邪気な笑顔でそう言い切られて、愁は思わずむせそうになった。
(いや、それはそれで問題だろ……!)
リアが本気で言っているのか、無邪気に言葉を発しているのか判断がつかない。けれど、きっとまだ深い意味などは分かっていないのだろう。そう思うことにする。
再び沈黙が落ちるが、またも先に破ったのはリアだった。
「たまには、一緒にお風呂に入るのもいいですね」
「ん?あ、ああ!そうだね……」
「また今度、一緒に入ってくれますか?」
「え?あー、そうだね……みんなに内緒なら……」
ついつい気まずさから、訳の分からないことを言ってしまう。
(何が『みんなに内緒なら』だよ……!余計に良くない方向になってるじゃないか……!)
そう心の中で自分にツッコミを入れながら、愁は小さくため息をつく。
「そろそろ上がろうか。リア、先に上がって着替えてていいよ」
「はい!わかりました。お先に失礼しますね」
浴場を後にするリアを見送り、愁は湯に沈みながら再び深いため息をついた。
「……なんか、どっと疲れたな……」
愁が風呂から上がり、部屋に戻ると、リアはベッドに腰掛けて待っていた。
湯上がりの頬はほのかに紅潮し、温かい蒸気がまだ肌に残っているのか、ほんのりと艶めいて見える。そんなリアの瞳は、どこか期待に満ち、じっと愁を見つめていた。
愁はそんなリアの視線を受け止めながら、静かに息を整える。いつまでも気まずさを引きずっていても仕方ない。心を切り替え、今日の『見せ場』に向けて準備を始める。
時計の針はすでに十一時五十分を指していた。誕生日までは、残り『十分』──。
「リア?今日はもう少しプレゼントがあるんだ。だから、少しだけ目隠ししてもいいかな?」
「目隠しですか?わかりました」
リアはすぐに了承すると、素直に目を閉じ、愁の指示を待つ。その表情には、どこか小さな子どものような無邪気さが滲んでいた。
愁は優しくリアの肩にコートを掛ける。その後、丁寧に目隠しを施し、ゆっくりとその身体を抱き上げた。
「わっ……!どこかに行くんですか?」
「うん、すぐに着くから少し待っててね」
リアが驚いたように身を強ばらせたが、すぐに愁の腕の中で大人しくなる。その小さな体をしっかりと抱えたまま、愁は窓を開け、〈飛行〉の魔法を込めた魔石の力を解放した。
窓から飛び立つと、風が頬を撫でる。
静かな夜の帳の中、愁たちはゆっくりと高度を上げていく。闇を切り裂くように、夜空へと舞い上がると、冷たく澄んだ空気が心地よく肺を満たした。
やがて、雲を抜ける。その先には、星々が無数に瞬く広大な夜空が広がっていた。街並みや城は遥か下に小さく瞬き、まるで宝石をちりばめた宝箱のように輝いている。
「よし、もう目隠しを取ってもいいよ」
「はい!わかりました……」
リアがそっと目隠しを外す。次の瞬間──。
「わあ……!」
彼女の息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
眼前に広がるのは、無限の星々が輝く幻想的な夜空。どこまでも続く漆黒のキャンバスに、無数の光が瞬いている。静寂の中、星たちの光だけが、穏やかな鼓動のように空を満たしていた。
「すごく綺麗……こんなに星が綺麗に見えたのは、初めてです……!」
リアの声は感動に震えていた。瞳を大きく見開き、まるで夢を見るかのように、じっと星空を見つめる。その頬には夜風を受けた冷たさよりも、幸福の温もりが滲んでいた。
愁はそんなリアの横顔を見つめながら、エンドレスボックスから小さな箱を取り出す。
箱を開けると、中には、光が当たると七色に淡く輝く不思議な輝きを放つ美しいネックレスと指輪──地底龍の素材から作られた特別な贈り物が収まっていた。
「あと、これもプレゼントだよ。ネックレスはスフィアとお揃いのやつ。指輪は、リアだけに作ったやつだよ」
ネックレスを受け取ったリアは、震える指先でそっとそれを撫でる。
「……とっても、綺麗……!」
その瞳が潤んでいることに、愁はすぐに気付いた。
「わたし、こんなに幸せでいいんでしょうか……?」
その言葉に、愁は微笑んで首を振る。
「まったく、ここは笑うところだよ?それにその質問の答えは決まってるよ。もちろん、リアは幸せになっていいんだ。いや、もっと言うなら、俺はリアにずっとずっと幸せでいてほしいんだよ」
リアの頬を伝う涙が、星明かりに照らされて光る。
「だから、これからも俺の隣で、俺を支えてくれるかい?リアの笑顔が、俺にとって何よりの力になるから」
リアは必死に涙を拭いながら、顔を上げる。そして、愁が望んだ通りの笑顔を浮かべ、はっきりと頷いた。
「はい!愁さま、これからもわたしを側に居させてください。ずっと、ずーっと先の未来も」
「ああ、もちろんだよ。これからもよろしくね、リア」
その後、愁はリアの左手を優しく取り、指輪をはめる。指輪に付与された加護の特性上、最も力を発揮するのは左手の薬指。他意はない。
「この指輪は、リアをどんなことがあっても守ってくれるものなんだ。もちろん、指輪が力を使うことがないように、俺が守るつもりだけどね」
「はいっ!これなら、わたしが愁さまと離れていても、寂しくないです!」
「そうだね。そのときは、この指輪を見て、今日のことを思い出して」
その後も、しばらく星空を眺めながら語らう。しかし、夜の冷気は容赦なく二人の体温を奪っていく。リアが小さく震え始めたのを見て、愁はそっと微笑んだ。
「そろそろ、戻ろうか?」
「はい!」
その帰り道の途中──リアはふとネックレスの飾りを指差した。
「愁さま?このネックレスの、この部分ってなんでしょうか?」
愁はよく見るために少し顔を近づける──その瞬間、リアがそっと頬にキスをした。
愁は一瞬驚くが、すぐに察する。先日、まったく同じことをした人物がいたのだ。
「……スフィアに教わったのかな?」
「えへへ、お礼がしたいならキスが一番だって教わりましたっ!」
リアは無邪気に笑う。その笑顔は、まるで満天の星空よりも眩しく輝いて見えた。
──この笑顔を、ずっと守り続けよう。愁はそう誓いながら、リアの頭を優しく撫でたのだった。
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