第13-1話 港町へ討伐任務
エブハン伯爵が魔族と接触し、対勇者用の術式を所有していた件、そして伯爵の粛清を終えたことを報告するために、アルバートは一度王都へ帰還した。
王城へと足を運び、謁見の間へと通される。
高くそびえる荘厳な柱、絢爛たる装飾が施された壁、その中心に座すのはセルシオ国王──王国を治める絶対的な存在だ。
重々しい雰囲気の中、アルバートは静かに膝をつき、事の顛末を淡々と述べた。
国王の瞳は穏やかだった。しかし、報告の中でエブハン伯爵の名を口にした瞬間、彼の表情にわずかな影が差す。一瞬、悲しそうな眼差しを浮かべたが、すぐに威厳ある面持ちへと戻る。
「アルバートよ、此度の件、誠に大義であった。王国の貴族が魔族と通じていたなど、断じて許されることではない。それと、負傷した弟子のために神水を使用したのだったな」
アルバートが静かに頷くと、国王は脇に控えていた神官へと視線を向ける。
「ならば、今回の褒美として特例で神水を再び授けよう」
神官服の男が前に進み、神水の入った瓶と袋に詰められた金貨を差し出す。アルバートはそれを恭しく受け取り、深く頭を下げた。
「ありがたき幸せにございます。これよりも一層、職務に励み、この身のすべてをもって陛下に尽くす所存です」
謁見の間を後にし、アルバートは王城をあとにする。
彼が向かうのは、自宅──ユアが待つ場所。
勇者は神に選ばれし存在であり、その加護を受けるがゆえに、日々の祈りを欠かさぬ。ゆえにアルバートの住まいは、王都の教会の裏手に位置していた。
彼は国から領地や屋敷を与えられているが、それらの管理は代理人に任せ、この小さな家でユアと共に暮らしている。
元は孤児院だった建物を改装したもので、広さは十分にあり、風呂も完備されている。ユアの稽古用の広い部屋もあり、使い勝手は悪くない。
玄関の扉を開けると、案の定、ユアがそこに立っていた。アルバートが帰ってくるのを察し、いつも玄関前で待機しているのだ。
「お師匠さまっ!おかえりなさい!」
元気な声と共に、ユアはぱっと笑顔を咲かせる。その姿に、アルバートの胸の奥がわずかに温かくなる。
「ただいま、ユア。今日はちゃんと片付けはしたのか?」
問いかけると、ユアの動きがぴたりと止まった。そして、ゆっくりと視線をそらす。バツの悪い時や、何か隠し事をしている時の癖だ。
「えっとぉ……まだです……」
その声は、どこか怯えたようにも聞こえる。かつて囚われていた時の記憶が影を落としているのだろう。
アルバートが決して厳しく叱ることはないのに、ユアの中には、何かを間違えたら見捨てられるかもしれないという不安が根付いている。
アルバートは静かにユアの頭に手を置き、優しく撫でる。
「明日から、私一人で伯爵と繋がりのあった魔族の討伐に向かうことになった。しばらく家を空けるが、一人で大丈夫か?」
「え?あ、はい!大丈夫です……すぐに戻ってきますよね……?」
寂しげな瞳。口元に浮かぶぎこちない笑顔。
アルバートが家を空けるたび、ユアはいつもこうだ。幼い頃の孤独が、彼女の心に未だ消えない影を落としている。
「ああ、大体の居場所は掴めているらしいから、すぐに終わらせてくる」
「わかりました!それなら、お家で大人しく待ってます!」
「ああ、稽古は忘れずにな」
「はい!あ、えっと……お風呂、入ってきますね」
「わかった。終わったら夕飯にしよう」
こうして、静かに夜は更けていった。
そして翌朝──アルバートは装備を整え、玄関の扉の前に立つ。
見送りのために早起きしたユアが、心配そうな表情で傍にいた。
「それじゃあ、ユア。行ってくる。何かあった時のためにステージ三までの使用を許可するが、外出はできるだけ控えること」
「はい……お師匠さまも気を付けてくださいね?」
「ああ、すぐに戻るからな」
「はい!待ってます……その、ご武運を!」
震える声で、ユアはそう言った。
アルバートは彼女に微笑を向けると、迎えの馬車へと乗り込んだ。
見送りの少女の姿が、少しずつ遠ざかっていく。その小さな背中に、再び出会うまでの約束を込めて、彼は静かに拳を握った。
◆◇◆◇◆◇
アルバートが任務で向かうのは、魔族が潜伏しているという情報の入った海沿いの町、ウエルピス。
その名は古の言い伝えにも登場するほど歴史ある町であり、王都の食卓を潤す豊富な海産物の供給地でもある。
馬車は静かに進み、王都を離れるにつれ、空気は次第に湿り気を帯びていった。潮風が運ぶ磯の香りが鼻をつく。
悪臭というわけではないが、アルバートはこの匂いを好ましく思えなかった。
「また海沿いの町で魔族か……良い気はしないな」
彼の脳裏には、かつて別の海沿いの町で繰り広げられた血塗られた戦いの記憶が蘇る。波音に混じる幻聴のように、剣戟の音や絶叫が耳の奥に響く気がした。
やがて馬車はウエルピスの兵舎前に停車し、御者が扉を開く。
降り立つと、潮風が強く吹きつけ、マントの裾が大きく揺れた。目の前には整然と並ぶ兵士たちの姿がある。その視線には緊張と期待が滲んでいた。
「御苦労だった。すぐに動く」
短く言葉を交わし、アルバートはすぐに魔族の情報収集に向かった。
魔族の目撃情報が最も多いのは、町の外れにある神話の時代から存在する古代遺跡だった。その遺跡には、かつて『魔王イリストレイ』が封印されたという伝説が残っている。
今となっては千年も昔の話であり、真偽は定かではないが、それでも人々はその場所を畏れ、忌み嫌い、近づこうとしなかった。
遺跡へ向かう道は、荒れ果てた岩場が続く。波が打ち寄せる度に、白い飛沫が宙を舞い、岩肌を濡らしていた。足元には野生の草花が疎らに生え、風に揺れている。
(荒れ放題だな……手入れもされていない。まあ、それもそうか。魔王が眠る場所など、誰が近寄るものか)
遺跡はまるで時に取り残されたかのように静寂に包まれ、空には重たい雲が垂れ込めていた。
そんな中、ふとアルバートの全身に戦士としての直感が走る。
(……誰かいるな)
咄嗟に近くの崩れかけた石柱の陰に身を潜める。目を凝らすと、遺跡の入口から二つの人影が現れた。
一人は長身の男。その体には黒い鱗が浮かび上がり、背中には巨大な翼が広がっている。長く太い尻尾がゆらりと揺れ、その顔は竜そのものだった──竜人族の魔族。
そして、もう一人。
背は低く、病的なまでに色白で美しい容姿の少女。長い黒髪にフリルの多い黒のドレスを纏い、まるで影そのもののように遺跡の中から現れる。その瞳には何の感情も映っておらず、異様なほど冷たい輝きを湛えていた。
この二人の放つ魔力の波動は異常だった。かつてアイラフグリス王国の港町ウォルタスを蹂躙した魔族の将軍──バルバラの配下すら凌ぐほどの強大な力。
その時、少女の魔族が微かに視線を動かし、こちらを見た。
(気づかれたか──!?)
「ん?どうした、ユーソラス。何かいたのか?」
竜人族の男が、少女の方に目を向ける。
ユーソラスと呼ばれた少女は、ふっと唇を歪め、艶然と微笑んだ。
「いいえ、アルボラス。何でもないわ。ただ……何かの気配を感じた気がしたのだけど、どうやら気のせいだったみたいね」
その言葉と同時に、アルバートの身を隠していた石柱が『一瞬で』消滅した。
「……!」
間一髪で飛び退いたアルバートの瞳が、消えた柱のあった場所を凝視する。
そこには、まるで初めから何も存在しなかったかのように、影すら残されていなかった。ただ、ユーソラスの指先から立ち昇る淡い魔力の残滓だけが、その異常を物語っていた。
「そうかそうか!いやはや、流石は吸血鬼の王の血族だな。その力は羨ましいぞ!」
アルボラスが喉を鳴らし、楽しげに笑う。その声音には警戒や焦りの色など微塵も感じられない。
それに対し、ユーソラスは口元に優雅に手を添えながら、微笑を浮かべた。
「あらあら、それを言うなら貴方も竜王の血族でしょうに」
魔族の二人は、まるで談笑を交わすかのように言葉を紡ぎながら、悠然とその場を後にする。
海風が遺跡の静寂を揺らすなか、アルバートの背を冷たい汗が伝う。拳を固く握りしめる彼の瞳は、海の向こうへと飛び去っていった二人の影を追っていた。
(奴らの狙いは……一体何だ?)
遺跡を後にした魔族たちの姿は、やがて海の彼方へと消えていった。彼らの余裕は不穏なほどで、まるで勝敗が既に決しているかのような、あるいは戦うことすら無意味であるかのような——あまりにも自然な振る舞いだった。
完全に気配が消えたことを確認すると、アルバートは慎重に柱の影から姿を現した。
「やれやれ……とんだ大物がいたものだ。危うく、あの場で殺されるところだったな」
アルバートは、かつて柱があった場所を見つめる。
つい先ほどまで確かに存在していたそれは、今ではまるで幻であったかのように跡形もなくなっている。
彼は深く息を吐いた。魔族のただならぬ力の片鱗を目の当たりにした今、彼らが単なる敵ではないことを改めて実感する。
彼の視線が再び海の向こうへと向けられたが、今は追うべきではないと判断する。時間的にもうすぐ待ち合わせの刻限。ひとまず、町へ戻るべきと考えた。
「そろそろ戻るか。たしか、今回はクミラが応援に来るんだったな」
遺跡を後にし、馬を駆ることしばし。町の兵舎前に到着すると、ちょうど王国騎士団の紋章を掲げた馬車が停まるところだった。
車輪の軋む音と共に扉が開く。そこから降り立ったのは、黒いローブを羽織り、白い騎士服を身に纏った小柄な少女──クミラだった。
彼女の青い髪が、月光を受けて淡く輝く。冷たい夜風が彼女のローブを揺らし、白銀の刺繍が光を反射する。
「アルバートさん!お久しぶりです。第五階位勇者クミラ、只今到着しました!」
朗らかで真っ直ぐな声が、静かな夜に響く。
クミラは一歩前へ進み、丁寧に頭を下げた。
「久しぶりだな、クミラ。君のような優秀な勇者が来てくれて心強いよ」
アルバートが差し出した手を見て、クミラは一瞬戸惑う。
それでも、小さく息を吸い込み、意を決したように手を握り返した。その掌は少しだけ震えている。
「あ、あの!精一杯頑張りますので、よろしくお願いします!」
そのぎこちない態度が、彼女の緊張を物語っていた。ずっと会いたかった存在に再会し、その手を握ることさえ躊躇うほどに。
アルバートはふっと微笑んで、優しく答える。
「ああ、こちらこそよろしく」
クミラは王国でも最高峰の魔導師の一人であり、強大な魔力と精密な魔力操作の技術を持つ。さらに、勇者だけが扱える聖気法力すらも高いレベルで操る特異体質の持ち主だった。
約五年前、アルバートは十歳だったクミラに剣技の指南をしていたことがある。あの頃はまだ準勇者候補だったが、今では第五階位勇者にまで昇り詰めている。その努力を思えば、彼女がどれほどの研鑽を積んできたかが容易に想像できる。
彼女の存在が、今の戦局においてどれほど心強いものか。
「先ほど敵の戦力の確認を行ってきた。どうやら、かなり高位の魔族が少なくとも二人はいることがわかった。その他、遺跡の中におよそ二十ほどの魔族がいるが、そちらはさほどでもないだろうな」
「二十……結構多いですね。それに高位の魔族が二人もいるとなると、こちらも全力で向かわないとまずいですね」
問題はその二人の魔族の実力だった。彼らのオーラから感じ取れるものは底知れず、単なる力の強さでは測れない何かがあった。
アルバートは僅かに目を細める。
「遺跡の中の魔族はそれほど脅威ではないが、奴ら二人が問題だ。出来れば先に始末してから遺跡に向かいたいと思っている」
幸いにも、今のところ二人の魔族は遺跡を離れ、少し離れた無人島へ向かっているようだった。何をしているのかはわからないが、邪魔されずに討つなら今しかない。
冷たい海風が二人の間を吹き抜ける。クミラの青い瞳が鋭く輝き、彼女の決意が揺るぎないものだと告げていた。
「そうですね。ならばまずは高位の魔族を討ち、その後で遺跡の魔族を討伐しましょう」
話がまとまり、二人は町の外れへと移動した。
クミラが飛行魔法を展開し、風の力が彼女の足元を優しく持ち上げる。アルバートもその背を預け、どこまでも蒼が広がる空へと飛翔する。
目指すのは、魔族が向かった無人島──距離にして約十キロ。高速で飛べば十五分ほどで到達する。
穏やかな海を渡り、目的地の上空へとたどり着く。眼下には波に削られた岩肌が広がり、荒涼とした大地が太陽の光に照らされていた。
しかし──
「魔族は……姿は見えませんね」
「そうだな。いや、待て……何かが来る!」
その瞬間、鋭い殺気が奔る。アルバートの戦士としての直感が警鐘を鳴らした。
見えない『何か』が、信じられない速度で接近してくる。不可視の脅威──遺跡で石柱を消し去った、あの恐るべき攻撃と同じもの。
狙われているのはクミラ。
アルバートは迷うことなく彼女の手を引き、抱き寄せるようにしてその場を高速で離脱した。
刹那、彼女が立っていた場所が静かに『消滅』する。
地面も、草木も、音すらも奪われたかのように。そこには何の痕跡も残されていない。ただ虚無がぽっかりと口を開けていた。
「……っ!ありがとうございます!でも一体どこから……」
クミラは荒い息を吐きながらも、すぐに体勢を立て直した。アルバートも剣を構え、周囲を警戒する。
だが、敵の気配は皆無。視覚でも、魔力探知でも捉えられない。
「ここまで気配を消せるとはな……」
「見えないなら、わかるようにします!」
クミラが地面に手をつき、魔力を込める。
刹那、魔法陣が輝き、周囲に淡い光が広がった。
「探知結界──これで範囲内の動きは全て捉えられます!」
「よし、反応があればすぐに知らせてくれ」
アルバートは深く息を吸い、聖気法力を解放する。全身を戦闘態勢に切り替えた、その時──
「三時の方向!高速で接近!」
クミラの声が鋭く響いた。
アルバートは瞬時に剣を振るう。目に見えないはずの敵を、その直感と経験だけで捉えた──そして、金属が軋むような音。アルバートの剣が何かにぶつかった。否、それは拳だった。鍛え上げられた鋼のような拳が、刃を受け止めていたのだ。
「ほぅ……俺の拳を受け止めるとはな。話には聞いていたが、それが勇者の力というわけか」
どこからともなく現れたのは、紅き瞳を輝かせる竜人族──アルボラス。その逞しい腕は剣を止めたまま微動だにせず、むしろアルバートの方が押され始めていた。
その瞬間、第二の脅威がクミラを襲う。
不可視の衝撃が、彼女の防御結界を粉砕する。結界は音を立てて砕け散り、なおも衝撃は収まらず、クミラの体を弾き飛ばした。
「ぐっ……!」
十数メートルもの距離を吹き飛ばされながら、彼女は空中で必死に体勢を整える。着地と同時に口の中に溜まった血を吐き捨てた。胸の奥に鈍い痛みが残る。
「……くっ、結界越しでもこの威力なんて……っ!」
彼女は震える指先で自らに〈治癒〉の魔法を施し、傷を塞ぐ。しかし失われた血までは戻らない。これ以上の消耗は命取りになる。
「まぁまぁ、今ので吹っ飛んでしまうの?貴女も勇者なのかしら?もしそうなら、期待外れねぇ」
妖艶な笑みとともに現れたのは、漆黒のドレスを纏う魔族──ユーソラス。その瞳には嘲りが宿り、クスクスと笑いながらクミラを見下ろす。
「つまらないわぁ」
青空の下、四者の激突は避けられないものとなった。アルバートは剣を握り直し、クミラも再び魔力を練り上げる。
戦いの幕が、今──上がる。
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