第41話 決意の日
ルミナスの中心にそびえる魔法学校と隣接する王宮。その最奥にある病室は、昼間だというのにひどく薄暗かった。
厚いカーテンが外光を遮り、室内には淡い魔導灯の光だけが揺れている。薬草の匂いと、どこか乾いた空気が漂い、静寂は重く沈んでいた。
白い寝台の上には、一人の老人が横たわっている。
魔術王シン。建国王にして、三百年以上にわたりこの国を守護してきた大魔法使い。
長く伸びた白い髪と、胸元まで届く立派な白髭。皺に刻まれた顔は深い眠りに落ちているように見えるが、その呼吸は弱々しく、胸の上下はわずかにしか動いていない。
寝台の周囲には、いくつもの治癒魔法陣が浮かび、医師たちが必死に魔力を注ぎ続けていた。
だが――その場の誰もが理解していた。それが延命でしかないことを。
寝台の脇には、二人の少女が立っていた。
金色の髪を揺らす――クオーレ。そして、その隣で拳を握り締めている――メイディア。
メイディアの瞳からは、ぽろぽろと涙が零れていた。
「……お祖父様……」
かすれた声が、静かな病室に落ちるが、シンは答えない。まるで遠い世界にいるかのように、深い眠りに沈んでいる。
その様子を、少し離れた場所から見守る男がいた。
ミネルバ・レイクルット。
吸血鬼の血を引く魔族であり、魔法学校の魔法戦闘学部の教授。かつては軍人として戦場を駆けた人物でもある。
セミロングの金髪は柔らかく肩に落ち、赤い月のような瞳が静かに細められていた。白いシャツに黒いローブを纏った姿は洗練されており、落ち着いた雰囲気を漂わせている。
だが今、その表情にはわずかな陰が差していた。
シンは、彼を見出した人物だった。軍人として戦場で生きていたミネルバを、王宮へ呼び、そして学校へ招いた、恩人と言っていい存在。
(……こんな形で、終わるはずがない。そうですよね……シン様)
ミネルバは、そう思っていた。
だが、医師が静かに口を開いた。
「……危篤です」
病室の空気が、凍りついた。
「魔力の衰弱が激しく、このままでは……」
言葉はそこで止まる。続きなど、誰も聞きたくなかった。
そのとき、小さな音がした。
コトリ。
クオーレが、制服のポケットから小さな小瓶を取り出し、机の上に置いたのだ。
透明なガラスの中で、淡い翠色の雫がゆらめいている。
「……先生」
クオーレはそれを医師に差し出した。
「これ……」
声は、いつもの太陽のように明るい彼女よりずっと静かだった。
「永命草から抽出した『永命の雫』なの」
医師の目が見開かれる。
「なっ……!」
永命草。医師の中でそれは、伝説級の霊薬と呼ばれる植物だ。
生息地は極めて限られ、ルミナス近郊では、強大な魔物が生息する地帯でしか採取も困難。ましてや一定量の雫を抽出するには膨大な量が必要となり、抽出には、とても高度な魔力操作が必須となる。
「これで……」
クオーレは、ぎこちなく微笑んだ。それはまるで、雲に隠れた太陽のようだった。
「これで、おじい様のお薬をつくれるかしら?私……頑張って集めたの」
その言葉は、どこか幼い響きを帯びていた。
医師は震える手で小瓶を受け取る。
「こ、これは……確かに永命の雫です……!」
だが、彼の顔は、すぐに曇った。
「永命の雫であれば、多少の効果は見込めるかもしれません」
慎重に言葉を選びながら、続ける。
「しかし……」
一瞬、口を閉じる。
だが、やがて覚悟を決めたように言った。
「シン様は……病気というよりも……」
沈黙。そして——
「種としての寿命ではないかと考えられます」
その瞬間、空気が、完全に止まった。
魔術王シン。彼は建国当時から、今と同じ老人の姿だったとされる。
白髪、白髭。歴史書に描かれる肖像画も、すべて同じ、今と同じ姿だ。つまり――三百年前の時点で、すでに老人だった可能性が非常に高い。
そこからさらに三百年が過ぎている。医師がシンの身体を診て感じたのは、病ではなかった。
——老衰。もしくはそれに似た、生命そのものの終わりのような兆候。
医師の発言に対し、クオーレは、何も言わなかった。まるで時間が止まったかのように、ただシンを見つめながら立っている。
一方、その隣では、メイディアの涙だけが、静かに床へ落ちていた。
「……うそよ……」
声は震え、幼い少女のものだった。
「そんなの……いや……」
王族は、シン。クオーレ。メイディア。その三人しかいない。それ以外の王族は、皆――不可解な死を遂げている。
そして、国を守る守護結界は、シンしか展開できない。クオーレもメイディアも、まだ未熟で、学校に通う子供に過ぎない。この国を守る力は――まだない。
沈黙が、病室を覆った——そのときだった。
バンッ!
扉が勢いよく開いて、軍服の男が、息を切らして飛び込んできた。
「失礼します!」
軍の高官だった。
顔色は蒼白で、明らかにただ事ではない様子である。
「報告です!」
クオーレとメイディアに変わり、ミネルバが振り向く。
「何があったんですか」
「ルミナス周辺に……大量の魔獣が確認されました!」
病室に衝撃が走る。
「さらに――隣国であるケイオス魔道国と思われる軍が国境沿いに集結しつつあります!」
言葉が重く落ちる。
「おそらく……標的は我が国かと」
ミネルバの眉が、深く寄った。
「……このタイミングで?」
低く呟く。
「まるで……狙っていたかのような」
その言葉の直後だった。
ガタン。
椅子が動く音。メイディアが立ち上がっていた。
さっきまで泣いていた少女が、今はもう、涙を拭っている。そして、その瞳は、強く燃えていた。
「……軍を集めてください」
高官が驚く。
「メイディア様……?」
メイディアは、はっきりとした声で言った。
「私が国を守ります」
病室が静まり返る。
メイディアは知っていた。姉であるクオーレは魔法の天才だ。魔法の才能は誰よりも高い。知識も豊富で、魔法で奇跡すら起こせるかもしれない。
だが――魔法の才があっても、誰かを導く人ではない。国の頂点に立てる人ではない。
それに、魔法で誰かを傷付けるようなことを魔法を愛しているクオーレに強いることは、絶対にしたくなかった。
だから、残された選択肢は、一つしかない。王族として。ルミナスの民を守る者として。
「行きましょう」
メイディアは軍の高官を見た。
「状況を説明してください」
高官は一瞬迷ったが、すぐに頷いた。
「はっ!」
メイディアは、病室の扉へ向かう。
その背中は、小さかった。まだ、十五歳の少女なのだ。野外演習の傷も、まだ癒えていない。それでも、彼女は歩く。また一つ、重い責任を背負って。
扉が閉まる。
残された病室で、クオーレは、静かにシンの手を握った。その指先は、わずかに震えていた。
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