第9-4話 貴族の企みー前編ー
亜人誘拐犯の男たちを退け、亜人の少女──リアを救出したアルバートは、後から駆けつけたユアに彼女の保護を託し、男の口から出た名──町の貴族、エブハン伯爵の屋敷へと向かった。
その屋敷は町の西端、高台に構えられていた。
切り立った崖に寄り添うように佇むその建物は、灰色の石造りの外壁に囲まれ、まるで周囲を威圧するかのような厳重な趣を湛えている。
屋敷の敷地を囲む鉄柵の隙間からは、鋭い眼光を放つ私兵たちが絶え間なく巡回しており、その様子はまさに『外敵を拒む砦』の如し。
アルバートは正門前に立ち、衣の下から取り出した王家の紋章入りのネックレスを兵に示す。
「第二階位勇者、アルバートだ。急を要する。エブハン伯爵に取り次いでもらおう」
兵士は目を見開き、すぐさま腰を折って応じた。
「はっ!承知いたしました!」
勇者は王の直属──貴族すらもその威光に従う存在。ましてや国から与えられた第二階位の勇者である以上、呼び出しを拒むことなど常識では考えられない。
やがて重々しい門が開き、そこに現れたのは宝石を贅沢に身に纏い、脂ぎった笑みを浮かべる一人の男──エブハン伯爵であった。その背後には数人の近衛が控え、慎重に間合いを取っている。
「これはこれは、アルバート殿。かような遅い時刻に、いかがなされましたかな?」
エブハンの声は穏やかに響くが、その奥底には何かを隠すような胡乱さが滲んでいた。
「王命により、この町に現れたとある男を追っていた。その過程で、亜人誘拐の現場に偶然出くわし、犯人を取り押さえた。そいつが白状したのだ。誘拐は、貴殿の命によるものだとな」
言葉の鋭さを隠すことなく、アルバートは正面から切り込んだ。
しかしエブハンは顔色一つ変えず、唇の端を歪めて薄ら笑いを浮かべる。
「ほほう。それはまた愉快な話ですな。だが、盗賊の言など、鵜呑みにするには信憑性に欠ける。まさか、勇者ともあろうお方が、卑しき賊の口車に踊らされているのではあるまい?」
「当然、盲信はしていない。だが、貴殿の屋敷地下に囚われている者たちや、物陰に潜む複数の気配、これらはどう説明する?何かを隠しているのではないか、エブハン伯爵?」
その声音は静かだったが、内に秘めた怒気は空気を震わせるように鋭く、重い。
アルバートは門をくぐる瞬間、既に〈気配探知〉を発動していた。屋敷の構造、潜む人数──囚われた者の存在も、伏兵の待機も、すべて彼の目には明らかだった。
その一言で、エブハンの顔に初めて緊張の色が走る。
「……さすがは勇者の称号を戴くお方。だが知ってはならぬことに触れてしまったようだ。残念だが、このまま帰すわけには参りませんな」
エブハンの指先がひらりと動いた瞬間、物陰や屋敷の奥から私兵や盗賊風の者たちがぞろぞろと現れ始めた。
鉄の匂いを孕んだ剣、鈍く光る斧。それらを手に、獣のようにじりじりとアルバートへと迫ってくる。
「これはずいぶんと手荒な歓迎だな。勇者に剣を向けるということは、それ相応の覚悟があると見てよいのだろうか?」
「ふふ、さすがの勇者殿も、この人数ではどうにもなるまい。だが我々には、さらに奥の手があるのです」
エブハンが高らかに腕を掲げた瞬間、アルバートの足元から淡い光が走る。複雑な文様が地面を這い、直径三メートルほどの魔法陣が展開された。
直感が警鐘を鳴らす。アルバートは即座に跳躍しようとしたが、身体が石のように動かない。
「……なっ……!?」
筋一本、指先ひとつ動かせない。魔法の行使すら封じられ、力が四肢を巡らない。まるで己が自我ごと、空間に閉じ込められたようだった。
「それはですねぇ、勇者殿。その術式は、人族の勇者を封じるためだけに設計された特別製なのですよ!ふははははっ!」
腹を抱えて笑うエブハンの声が、嫌に甲高く響く。
「この結界の中では、外部からの干渉は一切通じない。もちろん中からもね。術式が完成すれば、二十八の魔刃が内部を切り裂き、捕らえた者を八つ裂きにするのです!お覚悟を──勇者アルバート」
アルバートは全力で聖気法力を練り、術式の破壊を試みる。しかし、幾重にも組まれた結界は微動だにせず、力の通り道すら閉ざされている。唯一残された手段であった〈重力魔法〉さえ発動せず、完全に詰みの状況。
(なんなんだこの術式は……!全く通じない!?)
焦燥が胸を焼く。眉間に深い皺を刻んだアルバートの表情から、いつもの余裕はとうに消えていた。
「おやおや?焦っているぞ、焦っている!あの勇者が……ふふ、術式は本物だった!あの魔族には感謝せねばなりませんなぁ!」
狂気に満ちた哄笑が、夜の冷たい風を引き裂き、戦場に不気味な余韻を残す。エブハンの笑い声は、月光すら怯えさせるような禍々しさを孕んでいた。
「魔族だと……?」
アルバートが低く呟いた。声に含まれるわずかな怒気に、エブハンは勝ち誇ったように眉を吊り上げ、嘲弄を含んだ声で答える。
「冥土の土産に教えて差し上げましょう。その術式は、魔族が『対勇者用』に構築した代物。魔族以外、人族にもエルフ族にも、手出しすらできない精巧な術式なのです。分かりますか?今この場にいる誰にも解除できないということです。さあ、そろそろ八つ裂きの時間ですな。さようなら、勇者アルバート。貴方は……知りすぎた」
術式が最終段階へと達し、アルバートの周囲を半透明の球体が包み込む。
淡く脈打つそれは、まるで生きているかのような不気味さを醸し出していた。球体の内側、闇のように黒ずんだ刃──二十八枚もの刃が、次々と虚空から浮かび上がり、アルバートを狙って収束してゆく。
──そして、刃が到達する刹那。
閃光にも似た速さで、誰かが不可侵領域に踏み込み、アルバートを刃の届く範囲から跳ねのけて目前に身を投げ出す。
すべての刃は、その者の身体に深々と突き刺さった。
「……っ!」
返り血が噴き出し、生温かいそれが、アルバートの視界を赤く染めた。
その場に釘付けとなった彼には、何が起きたのか理解できない。だが、何度も、何度も、斬撃の音だけが鼓膜を打ち続けた。
やがて、音が止む。術式が終息し、不可侵の力が消失すると同時に、アルバートの身体に自由が戻った。
血に濡れた目を擦り、ようやく確保した視界。その中に倒れていたのは──
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