第12話 帝国の思惑
翌朝、皇帝陛下に謁見するため、ライトの案内に従い、城内の謁見の間へと向かう。歩みを進める中、厳かな雰囲気が漂う廊下には、磨き上げられた白大理石の床が反射する朝の光が揺れている。歴史の重みを感じさせる壮麗な装飾が施された柱や壁画が、城の威厳を一層際立たせていた。
数分歩いた先に、巨大な扉が視界に入る。その扉はまるで城そのものを象徴するかのように重厚で荘厳だ。愁、スフィア、ライトの三人が近づくと、門を守る二人の兵士が無言で敬礼を交わしながら、ゆっくりと扉を開く。その動作は、静寂の中に威圧感を生むほど丁寧だった。
扉の向こうに現れた空間は、思わず息を呑むほど広大だった。左右に立ち並ぶ純白の柱は、細やかな彫刻が施され、上部には黄金の縁取りが煌めく。床にはワインレッドの絨毯が敷かれ、その深紅の色合いは視線を自然と中央へ誘う。幾何学的な模様が刻まれた巨大な魔力鉱石が並び、淡い光を放ちながら空間を包み込んでいる。
頭上を見上げれば、壮大なステンドグラスが天井全体を覆い尽くしていた。陽光が差し込むたびに、万華鏡のような光の模様が空間を彩る。その光景は、この世のものとは思えぬほど幻想的で、まるで神聖な別世界に足を踏み入れたかのようだ。
三人はその絨毯の上を慎重に歩き、数段高くなった奥の玉座に目を向ける。そこにはラリアガルド帝国皇帝、ノヴァン二世が堂々と鎮座していた。黄金に輝く王冠を戴き、緋色のローブを纏ったその姿は、『王』という概念そのものを具現化したかのような威厳を放っている。その目には、己が国を支配する者の覚悟と責任が宿っていた。
皇帝の傍らには二人の騎士が控えている。右側には帝国軍元帥ガラドル。冷静沈着な面持ちに加え、長年の戦場経験を物語る鋭い眼差しを持つ。その左には、愁にとって初対面の騎士が立っていた。整然とした佇まいが印象的だが、硬い表情には若干の緊張感も漂っている。
謁見の間に響く足音が止むと、ライトが静かに膝をつき、丁寧な礼を示す。愁とスフィアもそれに続き、玉座の主へと深々と頭を垂れる。ライトの声が響き渡り、今回の要件について語り始めると、その堂々とした態度に愁は思わず感心する。
(さすがは貴族……どこまでも完璧だな)
ライトの話す内容は、連れ去られたリリーニャの捜索とその協力要請。彼の熱心な説明に耳を傾けた皇帝は、それを真剣に受け止めた。ライトが語るリリーニャの杖の力とその有用性が、皇帝にとっていかに価値があるかを明確に示したのだ。
結果、皇帝はリリーニャの捜索を全面的に支援することを承諾。ガラドル元帥を筆頭とした選りすぐりの騎士たちに加え、帝国の諜報機関までが協力するという異例の展開となった。謁見の間の空気には緊張感が漂っていたが、それ以上に成功への期待が高まっているのを感じられた。
約一時間後、謁見が終わり城内の長い回廊を歩く三人。天井に飾られた豪華なシャンデリアから柔らかな光が降り注ぎ、壁に並ぶ歴代の皇帝の肖像画が静かに見守る中、ライトの表情はどこか誇らしげだった。普段以上に柔らかな笑顔が、彼の胸に広がる喜びを物語っている。
「よかったですね、ライトさん。これでリリーを早く見つけられそうです」
愁が静かに声をかけると、ライトは満面の笑みで頷いた。その顔は、長い絶望のトンネルを抜け出し、ようやく光を掴んだ人のそれだった。
「はい。諜報機関の協力が得られるなんて……まさに奇跡です。これで一気に捜索が進むはずです」
その声には、希望と感謝、そして安堵が入り混じっていた。国家の重要機関が個人のために動くという前例のない事態。その異例の対応に、彼の胸の内では『リリーニャを必ず取り戻す』という思いがますます燃え上がっていた。
愁は真剣な表情でライトに視線を向ける。その瞳には決意が宿り、どこか鋭ささえ感じられる。
「情報が入れば、誰よりも早く俺とスフィアで助けに行きます。今度は絶対に油断しません。任せてください」
その言葉には揺るぎない自信と、失敗を繰り返さないという覚悟があった。ライトもまた、愁に全幅の信頼を寄せるように微笑んだ。
「愁さんにそう言ってもらえると、本当に心強いです。リリーを……よろしくお願いします」
ライトの声が震えたのは、信頼だけでなく、リリーニャへの深い愛情が胸の奥で渦巻いているからだろう。
愁は自分の心に誓いを立てるように、静かに拳を握った。
(今度こそ……必ず救い出してみせる。どんな犠牲を払っても……)
しかし、緊迫した空気とは裏腹に、今夜は祝宴が控えていた。ガバレント奪還作戦の成功を祝うために皇帝陛下主催の宴が開かれるのだ。ライトをはじめ、愁とスフィアも招待されている。
「今夜はパーティーか。正直、こんなことをしている暇はないけど……皇帝陛下が招待してくれている以上、断るわけにはいかないよな……そうなると、スフィアのドレスを用意しないとな」
愁は一刻も早く捜索に行きたい気持ちと、一連の騒動で溜まった疲れを噛み殺しつつ、ふと隣のスフィアを見やる。すると彼女の狼耳がぴょこぴこと動き、どこか嬉しそうな表情で見つめられる。
「主様が作ってくれるのか?それなら借りるより嬉しいぞ」
スフィアははにかみながら愁の腕にそっと触れる。その仕草はどこか子どもじみていて愛らしいが、愁は軽くため息をついた。
(今日は妙にボディータッチが多いな……下手に反応したらまたからかわれるだけだし、黙っておこう)
三人が歩く中、ライトがふと足を止めた。その視線は廊下の向こうから歩いてくる一人の女性に向けられていた。まるで彫刻のように整った容姿と、完璧に仕立てられた服装。皇帝直属の秘書という肩書が目に浮かぶほどの存在感だった。
「八乙女 愁様ですね?陛下があなたをお呼びです。どうか、私についてきてください」
突然の呼び出しに戸惑いながらも、愁は決意を新たにし、その場を後にした。去り際にスフィアには分厚いファッション誌を手渡しながら、静かに微笑む。
「俺が戻るまで、いいドレスを選んでおいてくれ」
スフィアはその言葉に嬉しそうに頷くと、ふわふわとした尻尾を揺らしながら答えた。
「わかったぞ!気を付けてな」
廊下に響いていた足音が次第に遠ざかり、静寂が訪れる。その中で、愁の胸には『静かだが力強い闘志』が、炎のように揺らめき続けていた。それはまるで心の奥深くに埋められた決意の種火が、さらに強く燃え広がろうとしているかのようだった。
愁が女性の元へ戻ると、彼女は一礼してから、丁寧に自己紹介を始めた。
「ご挨拶が遅れました。私はユーリアと申します。以後お見知りおきください」
その落ち着いた声には、一切の隙がなかった。まるで何年も磨き上げられた礼儀作法そのものが体現されたかのようだ。愁は慌てて頭を下げ、言葉を返した。
「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」
だが、彼女の姿を目にした瞬間、愁の脳裏には自然とある人物の姿が浮かび上がった──朔夜。かつての仲間であり、家族同然の存在だった彼女は、ユーリアと同じように『完璧』を体現した人物だった。どの角度から見ても整然とした振る舞いを見せ、愁の秘書のように身の回りの世話を一手に引き受けてくれた。
朔夜は人工知能のAIだったが、愁にとっては最も信頼できる存在であり、長い付き合いの中で『家族』のような感情を抱いていた。面倒見がよく、頼れる姉のようなその姿は、今でも愁の心に深く刻まれている。
過去の思い出に浸っていた愁は、ユーリアが突然立ち止まったことに気づかず、危うくぶつかりそうになった。
「あ、すみません」
「あら、大丈夫ですか?愁様」
ユーリアの優雅な仕草に気圧されながらも、愁はなんとか頭を下げて謝罪した。
「この部屋で陛下がお待ちです。準備がよろしければどうぞ中に」
扉の前でそう告げると、彼女は扉を開け、中へと愁を促した。ユーリアは中には入らず、その場で再び一礼すると、静かに退出していく。その様子は、まるで舞台の幕引きの瞬間のように洗練されていた。
中に入った愁は、まず目の前の光景に圧倒された。広々とした部屋は、余計な装飾を省きながらも、その一つ一つが『帝国の威厳』を示すものだった。壁には見事な金箔が施され、足元には豪奢な絨毯が敷かれている。上を見上げれば、煌びやかなシャンデリアが天井から吊るされていた。その細工の一つ一つに心を奪われるほどの美しさが宿っている。
部屋の奥、巨大なテーブルの向こうに、帝国の皇帝──ノヴァン二世が静かに座していた。
かつては『帝国軍元帥』としてその名を轟かせ、『帝国の英雄』とも称される彼の姿は、噂以上に圧倒的だった。四〇代後半と聞いていたが、実際には三〇代前半に見えるほど若々しい。その鋭い瞳と堂々とした体格は、見る者すべてに『王者の風格』を感じさせた。
愁は息を整えると、その場で跪き、頭を垂れた。本来ならもっと正式な礼を取るべきなのかもしれないが、教わった知識は限られている。せめて謁見のときと同じ形式を取るしかなかった。
「失礼します。お呼びとのことでしたが、どういったご用件でしょうか?」
自分から話してしまったのは失敗だったのではないかと不安がよぎる。しかし、ノヴァン二世は穏やかな声で答えた。
「君が八乙女 愁君か。今は二人だけだ、楽にしてくれていい。頭をあげてくれ」
「はい。では失礼します」
頭を上げ、立ち上がった愁は、目の前に立つ皇帝の存在感に圧倒されそうになりながらも、なんとか冷静さを保とうとする。だが次に皇帝が放った一言が、愁の心を大きく揺さぶった。
「さて、単刀直入に聞くが君はこの世界の人間じゃないね?」
その鋭い眼光が愁を捉えた。その瞬間、彼の背筋に冷たいものが這い上がるような感覚が走る。まるで冬の霜が心の奥底にまで忍び込んだような寒さだった。
ラリアガルド帝国皇帝──ノヴァン2世。この大国の支配者が、いかにしてこの情報を掴んだのか、愁にはわからない。しかし、相手が『大国の皇帝』である以上、情報を集める術などいくらでもあるはずだ。慎重に言葉を選びながら、愁は心の中で覚悟を決める。
(嘘をつくのは得策じゃない……ここは正直に答えるべきだ。それでも、少し探りは入れておくべきだな)
愁は冷静さを保とうとするも、視線は皇帝の一挙一動を逃すまいと注がれていた。そして、意を決して言葉を口にする。
「どうしてそう思われたのかをお聞かせ頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
質問に質問で返すというのは、曖昧に見えて最も安全な手だ。たとえ答えが得られなくても問題はない。だが、もし皇帝が話に応じるのなら、状況をより理解できる糸口が掴めるかもしれない。
「そうだな。私は他にも異なる世界から来た者と会ったことがある。それに『WORLD CREATOR』という名前──これでは不満かな?」
その言葉を耳にした瞬間、愁の胸の奥に眠る何かが揺れ動いた。「WORLD CREATOR」──聞き慣れたその名に、身体が反応しそうになるのを必死に抑える。今、ここで感情をあらわにしてしまえば、皇帝の思う壺だ。
「いえ、十分です。陛下のおっしゃる通り、俺はこの世界の人間ではありません」
愁の声は冷静を装っていたが、その胸の内には不安と警戒心が渦巻いていた。ノヴァン2世がここまで詳しく知っているとは思わなかった。他の転移者、あるいは転生者について情報を得ている可能性は予測していたが、自分の元の世界で使われていた名まで知っているとは思わなかったからだ。
「やはりそうか。すまないが、君が神代魔法を使用したところは召喚獣を通して見させてもらった。正直、あの規模と威力には驚かされたがね」
まるで隠し事など無意味だと言わんばかりに手の内を明かしてくるノヴァン2世。彼の意図は測りがたいが、この場で取り乱せば、さらに不利になるのは明白だった。
「なるほど、召喚獣ですか。それに神代魔法までご存知とは……ところで、質問続きで申し訳ありませんが、陛下がお会いになった異世界から来た方は、今もご健在なのでしょうか?」
愁にとって最も知りたい情報だった。その者がまだ生きているのなら、自ら話を聞きたい。そして、その経験や知識をこの世界での歩みに役立てたい──だが、その願いは次の一言で無情にも潰えた。
「いや、もう亡くなってしまった。その人とはノヴァン1世、私の父なのだよ」
瞬間、空気が張り詰める。愁は言葉を失いながらも、目の前の事実を飲み込もうとした。大国を築き上げた皇帝が、自分と同じく異世界から来た存在だった──その事実が、彼の胸に重く響く。
「まさか陛下のお父様が、俺と同郷の方だったとは……驚きました」
「私も父の代から長いこと探しているが、君が初めてだよ。私の父もそうであったが、異世界から来た者は強力な力を持っている。君はその規格外の力を持って何を成そうとしている?」
ノヴァン2世の瞳が愁をじっと見据える。薄く発光するその瞳は、何らかの魔眼が発動している証拠だ。それに気づきながらも、愁は平静を装い、自分の答えを心の中で練り直す。
愁は自らの言葉に確かな意志を込め、まっすぐノヴァン二世を見据えた。空気が一瞬、張り詰める。だが彼は臆することなく、口を開いた。
「俺はこの力を、信じてついてきてくれる仲間たちと共に使います。そして、旧亜人大陸を全て取り戻し、そこに新たな国を作るつもりです。虐げられ続けた亜人たちが安心して暮らせる、種族のしがらみのない平和な国を」
その言葉は部屋の静寂を破り、重厚な空気に響き渡った。ノヴァン二世の鋭い眼差しが、微かに揺れるのが愁にも分かった。その揺らぎは、わずかながらに驚きと共感を秘めたものに思えた。そして、彼の表情は徐々に柔らかなものへと変わっていった。
「そうか……」
その声には、言葉では語り尽くせない『安堵』が滲んでいた。しかし次の瞬間、ノヴァン二世の瞳は再び鋭く真剣な光を宿し、愁を射抜くように見つめた。
「その話を聞いて安心した。私も亜人たちの待遇改善を成そうとしているのだよ。しかし、アイラフグリス王国の影響が根強く、民の意識を変えるには至っていないのが現実だ」
深い嘆きがその言葉に潜んでいるのを、愁は感じ取った。皇帝としての責務と現実の板挟みに苦しむ姿が、垣間見える。
「アイラフグリス王国が最初に亜人たちを奴隷にしたのが始まりで、そこから人族全体に広がったという話は聞いています」
「そうだ。アイラフグリス王国が行った差別が広まり、今のような状況が作り出された。帝国は父と私の二代にわたり、少しずつ亜人たちの待遇を改善してきた。才能ある者には種族や出自に関係なく職を与え、適した報酬を与える制度もその一環だ。だが、それを民や貴族に認めさせるまでの道のりは険しかった」
ノヴァン二世の声に込められた重みが、帝国が歩んできた苦難の歴史を物語っている。愁は、アイラフグリス王国で目の当たりにした亜人たちの現状と重ね合わせ、種族間の差別がいかに根深い問題であるかを思い知る。
「陛下はなぜ亜人たちを救おうとしているのですか?正直、不利益になることの方が多いのではないでしょうか?」
愁の問いには、疑念というよりも純粋な探求心があった。なぜ、皇帝であるこの男が、自らの国益を損ねてまで亜人のために動くのか。その答えを知りたかった。
「たしかに、不利益の方が多い。しかし、父はそれを良しとしなかった。父は、自らが見てきた平和な世界を語り、それを夢見て私を育てた。だから私はその意志を継ぎ、成し遂げたいのだ」
ノヴァン二世の瞳に灯る光。それは愁の目に、夢を追い求める少年のように映った。その瞳に込められた『純粋な信念』を前に、愁はこの男を信じてみてもいいかもしれないと思った。それは確証のない希望的観測に過ぎない。だが、愁には分かる。この瞳の輝きは、幼い頃に父を慕い、その背中を追いかけていた自分自身の姿と重なって見えるのだ。
「話は分かりました。それでは、陛下は俺に何を望むのですか?」
愁は慎重に言葉を選びながらも、核心に迫る質問を投げかけた。これが、彼にとって最も重要な判断材料となるはずだった。だが、返ってきた答えは意外なものだった。
「何も望まぬよ。君は君の信じた道を行きなさい。目的が同じならば、どこかで交わることもあるだろう。そのとき、敵か味方かは分からないが、どちらであっても私は全力で臨むつもりだ」
その言葉に、愁の胸の奥が静かに震えた。この男は自らの信念を託すのではなく、あくまで相手の意志を尊重する。その時、愁は思ったのだった。
(今の俺では、この人には到底敵わないな……)
見据える世界も、抱く未来も、この男には到底及ばない。しかし、自分にはまだ成し遂げるべきものがある。そのために、信じてくれる仲間たちと共に戦う。それだけは負けるわけにはいかない。
「分かりました。俺も全力で成し遂げてみせます。陛下には負けませんので」
少し生意気に響くかもしれない言葉。それでも愁は、意志の強さを伝えるためにあえて口にした。ノヴァン二世はその挑戦的な言葉に微笑みを浮かべる。
「そうか!負けないか、実に面白い。皇帝になってから、そんなことを言われたのは初めてだ」
短いやり取りだったが、愁の中には確かな決意が芽生えていた。最後にノヴァン二世からの誘いを受け、愁は静かに部屋を後にした。背後から聞こえた「春になったらまた話そう」という言葉が、不思議と温かく彼の胸に響いていた。
 




