第9-2話 アルバートとユアの出会い
それは──今から『四年前』の出来事。
当時、人族の住まうティルマス大陸において、小規模ながらも魔族の侵攻という未曾有の事件が発生した。
魔族側は、数こそ百に満たぬ兵ではあったが、まだ勇者の体制が完全には整っていなかったアイラフグリス王国にとって、それは決して小さな脅威ではなかった。
勇者とは、神の祝福を受け選ばれし者たち。特殊な施術によってその力を引き出され、戦いに臨む存在である。
現在こそ、正規勇者十三名に準勇者八百五十名という大戦力を擁している王国だが、当時出撃可能だったのは、わずか『正規勇者四名』のみ。
侵攻の標的とされたのは、アイラフグリス王国の領土内にある辺境の港町ウォルタス。
その地はティルマス大陸でも最も魔族の支配するデモリアス大陸に近く、さらに辺境という地理的理由からか、王国の守備が手薄であった。
その結果、ウォルタスはあっという間に魔族の手に落ち、町全体が支配されてしまったのだ。
この緊急事態に対し、セルシオ国王は四名の勇者を派遣することを決定した。
彼らこそ、後に全統五覇の一角『神託の勇騎士』として知られるハーバス・アルニトス。第一階位勇者となるハルア・アルニトス。第二階位勇者となるアルバート。そして第六階位勇者となるミザリカ・マーステット──。
いずれも当時はまだ勇者となったばかりの新米であったが、その実力はすでに歴代勇者を凌駕するほどのものであった。
特に当時十三歳のアルバートは、元は貧民の出であったが、その内に宿す聖気法力の適性は驚異的で、鍛え上げた剣技は天賦の才と称されるほど。貴族出の勇者が多い中で、彼はまさに異例の存在だった。
彼らはウォルタスに潜む魔族討伐と町の奪還を命じられ、荒れ狂う海風が吹き荒ぶ海辺の町へと向かった。
しかし、敵は想像以上に手強かった。
侵攻してきたのは、デモリアス大陸に存在する十八の魔族国家の中でも、五指に入る大国──ケイオス魔導国の精鋭部隊。
兵の数は百名程度ではあったが、その全員が選び抜かれた強者。さらに三人の指揮官の下、それぞれの部隊が将軍、参謀、医療班を後方に従えて展開しており、組織的かつ重厚な陣形で防衛を敷いていた。
四人の勇者たちは、各々の能力を最大限に発揮しながらも、連日の戦闘で疲弊し、傷を負いながら戦い続けた。敵兵一人ひとりが、まるで幾度もの死線を潜り抜けた戦鬼のように凄まじく、まさに激戦であった。
だがその末、勇者たちは三つの部隊を壊滅させることに成功する。
将軍以下の高官を残すのみとなり、劣勢を悟った後方の参謀および医療班は、戦線を放棄し早々に撤退した。
そしてついに、リーダーであるハーバス・アルニトスが、敵将バルバラを単身で討ち取り、残る三人の勇者もそれぞれ指揮官を討伐したのだった。
こうして、討伐および奪還任務は『成功裏』に終わり、町には静寂が戻った──だが、戦の後には冷たい風が吹く。
帰還の途につく段で、三人の勇者は、最年少で身分の低いアルバートに残務処理を押しつけ、自らは功績報告の名目でいち早く王都へ戻ってしまった。
ひとり残されたアルバートは、己に課せられた任務を黙々とこなし、町中を巡っては残党の掃討と、捕らわれていた人々の解放に奔走。
その途中、バルバラ将軍が陣を敷いていた領主の屋敷へと足を踏み入れたアルバートは、ふとした瞬間──扉の向こうから聞こえてきた、かすかな『泣き声』に足を止める。
鍵のかかった私室の扉をこじ開けて中へ入ると、薄暗い室内の片隅で、ひとり小さく丸まり震えている幼い少女の姿があった。
白磁のように透き通る肌。痛々しい痣と、癒えきっていない傷跡が露わになった四肢。恐怖に染まった瞳が、まるで光を拒むように伏せられている。
突如現れたアルバートに気づいた少女は、小動物のように身を縮め、怯えながらもじっと彼を見つめた。
「そこのお前……何をしている。この屋敷の者か?」
表情ひとつ動かさず、剣士としての本能で警戒を崩さぬまま問いかける。
幼さゆえのあどけなさを残したその少女は、震える声でこう返した。
「あなたは……だれ?わたしに、ひどいことするひと?あのしょーぐんのひとみたいに……」
その言葉に、アルバートの眉がわずかに動く。
少女の体に刻まれた痕──それが、いかなる虐待の結果かを彼は理解した。
少女はおそらく、捕らわれの身であったのだ。年の頃は、九歳ほどであろうか。見た目には人族そのものだが、警戒は解けない。
「俺は、自分より弱い者を痛めつけて喜ぶような趣味はない。お前は……何者だ」
突き放すような言葉の裏に、滲むのは冷たい怒り。それでも、油断はせず問いを重ねた。
少女は、小さく喉を鳴らしながらも、言葉を紡ぎ始める。
「……わたし、パパとママをしょーぐんにころされて、ここにつれてこられたの。『しんわのまけん』をつかえるから、ひつようだって……。おともだちも、まちのひとも、みんなころされちゃった。しょーぐんは……まおうさまもころしちゃったから」
その言葉は、まるでひとつの『神話』が崩れ去る音のようだった。
(ケイオス魔導国の魔王が、討たれた……?)
もしそれが事実であれば、これまで沈黙を保っていた魔族国家が突然侵攻を開始した理由にも合点がいく。
少女の瞳に浮かぶのは、拭い去ることのできぬ恐怖と絶望──それでも、どこか微かな光を求めるような眼差しだった。
「そうか、それは辛かったな。だが、お前が魔族であるのなら、俺はお前を殺さなければならない。それが陛下の厳命なのだ。悪く思うな」
淡々と告げながら、アルバートは腰の剣を静かに抜き放ち、刃先を少女の細い首元へと突きつけた。
その手に込めた力は微かで、今にも折れてしまいそうな少女の身体を前に、無意識のうちに手加減していた。──本心では、斬りたくなどない。
だが命令は絶対。王都を襲撃した魔族を一掃するという勅命。その命に従うならば、たとえ相手がどれほど幼く、無垢で、涙を流していたとしても、殺さねばならない。
剣の冷たさを喉元に感じながらも、少女は震える肩を抑え、必死に声を張り上げた。
「おねがい!ころさないで!わたしはまだしにたくない!つよくなって、わたしみたいにくるしむひとをすくいたい!わるいひとたちをたおせるようになりたいの!だから……!」
その叫びは、幼い体に秘められた『願い』そのものだった。瞳に浮かぶ涙はただの恐怖や悲嘆ではない。その奥に宿っていたのは、誰かを守りたいと願う純粋な衝動。アルバートは、その視線に釘付けになった。
(……こいつの目は、絶望も怒りも映していない。ただ、まっすぐに、未来を見据えている)
心の奥に、熱のようなものが走った。
これまで命令には疑問も持たず、ただ粛々と従ってきた。正義を語るつもりもなかった。ただ、剣を振るってきた。だがこのとき、初めて迷いが生まれた。少女の叫びに心を揺らされている自分に、アルバートは戸惑っていた。
「強くなりたいのか?その身も魂も、すべて賭けてでも」
問いかける声には、無意識のうちに熱がこもっていた。
少女は、一瞬だけ瞬きをし──その後、しっかりと、真っ直ぐに頷く。
「つよくなりたいです!」
その答えに嘘はなかった。心の奥底から湧き上がる衝動が、その声に宿っていた。まるで闇の中でひときわ輝く星のように、少女の瞳は希望を映していた。
アルバートの口元に、ほんの僅かな笑みが浮かぶ。
「……なら、俺と契約を結べ」
剣を構え直しながら、静かに語る。
「魔族には、他者と契約を結ぶことで、力の行使や自由意志を委ねる仕組みがあると聞いた。つまり、お前のすべてを俺に預けるということだ。そうすれば、俺が責任を持ってお前を鍛えてやる」
その契約は──奴隷契約に等しい。契約者は、自らの生命すら管理者に握られ、逆らうこともできない。死の命令すら拒めぬ。常識的に考えれば、受け入れるはずもない提案だった。
だが、少女はほんの一瞬も迷わず──まるでそれが当然の選択であるかのように、力強く叫んだ。
「それでもいいです!つよくなれるのなら、それでも!」
その瞳に映るのは恐れではない。覚悟だった。
アルバートは、それが単なる命乞いではないことを直感していた。
「……わかった。なら、ここでお前を殺すのはやめにしよう。これからは俺と共に来い。俺が、お前を導いてやる。お前──名は?」
剣をゆっくりと下げ、鞘に収める。
少女は一瞬ぽかんとした後、ぱっと花が咲くような笑顔を浮かべた。
「わたしはユアです!これからよろしくおねがいします、おししょうさま!」
そう言って深く頭を下げるユアの姿に、アルバートはほのかな希望を見た。
その場でユアは契約の儀式を行い、正式にアルバートの支配下に入ることとなった。その瞬間、彼女の身から漂っていた魔族特有の気配は霧が晴れるように消え、残されたのはただの人族の少女の反応だけとなった。
後日、アルバートは王に報告した。ウォルタスの町で偶然見出した才能ある孤児を弟子に迎えたい、と。
王の許しを得て──あれから、四年の月日が流れ、ユアは成長した。
やや我が儘で、口が達者になったが、訓練には一切の弱音を吐かず、驚くほどの吸収力で剣の腕を磨いてきた。剣の才にも恵まれ、まだまだ粗削りながらも将来性は十分すぎるほどだ。
(ユアは、ほんとうに手がかかるが……成長したもんだな)
そんな回想に耽っていると、いつの間にか料理が運ばれてきていた。
立ち上る湯気の中に、香辛料の刺激的な香りが鼻を擽る。その芳ばしさに現実へ引き戻されていたアルバートの隣から、小さな声が聞こえる。
「お師匠さま?食べないんですか?」
「ん?ああ……すまない。少し考えごとをしていた」
ユアはわがままだが、食事の際は必ず彼を待っている。礼儀や感謝の言葉も欠かさず伝えられる──そういうところは、ちゃんとしている。
そんな彼女の姿に目を細めながら、アルバートは静かにフォークを取る。
「……それじゃあ、いただこうか」
「はい!お師匠さま、いただきます!」
ふたりの手が同時に動く。
皿の中から立ち上る湯気は、まるで積み重ねた時間を祝福するかのように、柔らかく彼らを包み込んでいた。
少しでも『面白い!』『続きが気になる!』と思っていただけたら、ブックマークで応援いただけると嬉しいです。下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして評価をいただけると、さらにさらに、次回の更新も頑張れます!




