第9-1話 お師匠さまとお祭り
アークルトスの祭りでリアの誘拐未遂が発生する少し前の話。
アルバートがセルシオ国王の命を受けて王都を発ってしばらくが経った頃、珍しく静かにしていたユアが、突如としてそわそわと落ち着かなくなり始めた。
栗色の瞳が忙しなく宙を泳ぎ、指先や膝が細かく揺れている。まるで風に揺れる若草のように、身体全体から微かな興奮が滲み出ていた。
それに気づいたアルバートは、何か異変でも起きたのかと心配になり、ユアへと声をかけた。
「どうした?具合でも悪くなったか?」
「違います!お師匠さま、見てください!アークルトスの町が見えてきましたよ!」
はじけるような声には、熱を帯びた喜びがあった。
どうやら体調が悪いのではなく、目的地が見えてきたことで胸を高鳴らせていたようだ。拍子抜けしたアルバートは、ひとつ息をついてから、どこか呆れたような表情でそっぽを向いた。
「ひどいです、お師匠さま!無視するなんて!」
抗議の声とともに、ユアはグイグイとアルバートの袖を引っ張る。
その動きには子供のような無邪気さがあるが、あまりにしつこいので、アルバートは肩を竦めながら彼女の手をそっと引き剥がした。
頬をぷくりと膨らませたユアは、不満げな眼差しを向けながらも、しっかりと彼の言葉を待っている。
「もう町に入るぞ。……さっきみたいに大人しくしていろ。じゃないと何も買ってやらないぞ」
「はーい!わかりました!」
明確なご褒美の有無がユアの行動指針を決めるらしく、アルバートのその一言に、彼女はまるで弾かれたように元の席に収まった。見事な反射速度である。
そんな彼女の様子に、アルバートは再びため息を吐き、静かに肩を落とす。
(やれやれ……)
やがて、馬車は町の入り口に設けられた検問所へと到着した。
近づいてきた兵士に、アルバートは王家の紋章が刻まれたネックレスを見せる。それは何よりも確かな身分の証だ。兵士たちはすぐに敬礼し、道を開けた。
アークルトスの町は、まさに祭りの準備の真っ只中。町の通りは普段よりも賑わっており、人々の顔には自然と笑みが浮かんでいた。
色とりどりの布や提灯が飾られ、屋台の主たちが威勢よく声を張り上げている。
馬車の窓からその様子を眺めるユアは、胸の内を抑えきれないようで、窓枠に頬を寄せながらキラキラと目を輝かせていた。
だが、先ほどの言葉が効いているのか、今のところは辛うじて席に留まっている。
「馬車を停めたら町で陛下が仰っていた男の情報を集める。それが済んだら、夕方には祭りを見に行こうか」
「はいっ!そうと決まれば、任務、頑張っちゃいますよーっ!」
やる気満々なユアの姿に、アルバートは思わず苦笑する。
(いつもこのくらい真面目に取り組んでくれればな)
やがて目的の場所に到着し、馬車がゆっくりと停まった。
扉を開け、ふたりは澄んだ春の空気を胸いっぱいに吸い込みながら馬車を降りる。
時刻は正午を過ぎた頃。町中には、焼きたてのパンの香りや、香辛料の刺激的な匂いが漂っている。鼻腔をくすぐるその香りは、まるで空腹の人々を手招く罠のように誘惑していた。
「まずはギルドに行こう。話も聞けるし、あそこなら食事もとれるからな」
「わーい!ご飯!好きなもの食べていいですか?」
ユアの食に対する情熱は、時に呆れるほどである。あの小柄な身体のどこに入るのかと思うほど、よく食べる。だが、それだけ美味しそうに食べるので、見ていて悪い気はしない。
「ああ、いいぞ」
「えへへ、やった!じゃあ早く行きましょうっ!」
嬉々として手を引いてくるユアに、アルバートはやや押されながらも、彼女と共にギルドへと向かう。
その道すがら、町の人々がアルバートの姿を見つけるたび、次々と頭を下げた。白を基調とした騎士服は、王国の勇者の象徴であり、彼が勇者であることの証でもある。
(……目立つのは好きじゃないんだがな)
そう思いながらも、無下にはできず、軽く手を振って応える。
彼は謙虚であろうとするが、周囲は英雄としての彼を崇めずにはいられないのだ。
ギルドの建物に足を踏み入れると、いつもと比べて冒険者の姿は少なく、代わりに旅人や行商人が多く集まっていた。
アルバートとユアは、空いていた席に腰を下ろし、テーブルに置かれたメニューを手に取る。
アークルトスの町は海から離れているため、海鮮料理は珍しいが、その代わりに山の幸や肉を使った料理が豊富で、どれも味には定評があることで有名だ。
「これ食べたいです!野菜のスープと鳥のスパイス焼き!」
メニューを指差して弾む声を上げたユアを見て、アルバートは少しだけ目を瞬いた。というのも──
(……奇遇だな。同じものを頼もうと思っていたところだ)
鳥のスパイス焼きはこの町の名物で、前々から一度味わってみたいと考えていた料理のひとつ。だが、まさかユアと選ぶものが被るとは。
「私も同じものをいただこう。ユア、店の人に伝えてきてくれるか?」
「はーい!わかりましたっ!」
元気よく返事をし、パタパタと駆けていくユアの背を見送りながら、アルバートの心にはふと、懐かしい記憶の断片がよみがえる。
それは──彼とユアが出会った、あの日のことだった。
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