第8-3話 王の剣
「……?」
意識が覚醒すると同時に、リアの身体を包むのは不快な圧迫感だった。
口には分厚い布が詰められ、両腕は背中できつく縛られている。視界の端で揺れるのは、彼女を肩に担いで走る見知らぬ男の背。
「んーっ!んっ、んーっ!」
必死に声を上げようとするも、喉の奥から漏れるのはくぐもった呻き声だけ。周囲には人影ひとつなく、どうやら町の外れ、薄暗い路地裏を進んでいるようだった。
「チッ、目ぇ覚ましやがった……おい、お前の魔法、効き目薄いんじゃねぇのかよ!」
体格のいい男が、後方を走る細身の男に苛立ちをぶつける。
「文句言うなっての!まだ習いたてなんだから仕方ねーだろ!」
息を切らしながらも、ふたりは無遠慮な足音を響かせて駆け続ける。その背に背負われたリアの心には、じわじわと恐怖が染み込んでいった。
「ま、今日は五人目だしな。当分は金に困らねぇだろ。だが……こいつを売るのはちょっと惜しいかもな」
「だよな。身なりはいいし、亜人だが顔も可愛いし……それになんか、いい匂いがするんだよな、他の亜人族と違って」
悪意のこもった言葉が、耳を刺すように突き刺さる。ぞわりと背筋を走る悪寒。恐怖が胸の奥をきゅっと締め上げ、リアは歯を噛み締めて目を閉じた。
(どうか、誰か……気づいて)
やがて彼らは、とある廃屋の前で足を止める。木製の扉は朽ち、窓はすべて打ち付けられていた。
「……なあ。ちょっとだけ、楽しんでいかねぇか?」
その一言に、細身の男が目を見開く。
「ば、バカ言えよ……バレたらどうすんだよ」
「周りにゃ誰もいねぇ。少しくらいなら大丈夫だろ?どうせすぐ売り飛ばすんだ、誰も確かめたりしねぇって」
言葉の先にある意図を察し、リアの胸は恐怖で張り裂けそうだった。力の入らない指先。震える足。視界が、涙でにじむ。
(──たすけて……)
そして、男たちはリアを連れたまま廃屋の中へと消えた。
「んーっ!んーっ!」
床に投げ出されたリアは、身をよじって必死に抵抗する。だが手足は縛られたまま、どうにもならない。体格のいい男が無遠慮にスカートに手を伸ばし、布地をめくり上げる。
リアの頬を、熱い涙が伝う。何をされるのかわからない──だからこそ恐ろしい。無力な自分。誰にも届かない助けの声。
そのときだった。
――ドンッ!!
雷鳴のような音が室内を揺らし、背後の扉が派手に吹き飛んだ。
割れた木片が空を舞う中、そこに現れたのは白の騎士服をまとった青年だった。金色の髪が静かに揺れ、蒼く澄んだ双眸がふたりの男を鋭く射抜く。
「貴様ら……何をしている。その子を、今すぐ放せ」
剣の柄に添えられたその手からは、斬るよりも先に威圧が放たれていた。まるで冬の刃のような声に、男たちは咄嗟に身を引く。
「お師匠さまーっ!待ってくださいよぉ~っ!」
続いて駆け込んできたのは、栗色のボブカットを揺らす小柄な少女。彼女の手には、なぜか蒸した芋が握られていた。
「はぁ。ユア、お前はほんとに……」
肩をすくめながらも、ユアの登場により、場の空気が一瞬だけ和らぐ。だがすぐに、アルバートの視線がふたりの男へと鋭く戻った。
「遊びは終わりだ。今すぐその子から手を離せ。さもなくば命をもって償ってもらう」
その声は、静かに、しかし凍てつくような怒気を含んで響いた。空気が一瞬にして張り詰め、息を呑んだような沈黙が場を支配する。
「お前たちが、エルフの女性と行動を共にしていたこの子を魔法で眠らせ、さらったことはすでに分かっている。下らない言い訳など無用だ。今すぐ解放しろ」
男たち二人は顔を見合わせ、気まずそうにうなずいた。
「そっか、見られてたか……じゃあ、しょうがねえな。確かにこいつは誘拐してきた。でもな、これはこの町の貴族、エブハン伯爵の命令なんだよ。俺たちは言われた通りにしただけだ。だから、見逃してくれよ。こいつは解放するからさ」
片方の男がリアを抱えたまま、ゆっくりとアルバートに歩み寄る。
だが、その瞳は油断の色を帯びていた。そして──その瞬間、男の右手が閃光のように動いた。懐から鋭く光るナイフを引き抜き、アルバートめがけて突き出す。
しかし、その刹那。空を裂くような音が響き、男の右腕が宙を舞った。
「へ?」
間抜けな声と共に、男の表情が凍りつく。己の腕が肩から消え去っていることに気付いた次の瞬間、絶叫が爆ぜた。
「うぎゃあぁぁぁっ!う、腕が……俺の、腕がぁっ!」
床に崩れ落ちた男は、苦悶に身をよじりながらのたうち回る。その血の臭いが、鉄錆にも似た鋭い刺激となって鼻腔を突いた。
もう一人の男は、その光景に顔面を蒼白にし、裏口から転がるように逃げ出す。遅れて、腕を斬られた男もふらつきながらその後を追った。
その背を目で追っていたユアが、静かに口を開く。
「お師匠さま、追いましょうか?」
「いや、必要ない。貴族の方から直接話を聞いた方が早い」
アルバートは抱えていたリアをそっと地面に下ろし、口を覆っていた布と手足の拘束具を一つ一つ、丁寧に外していく。その手つきには、荒事の直後とは思えぬほどの優しさがあった。
自由を取り戻したリアは、張り詰めていた心が一気に緩んだのか、その場に崩れ落ちるようにして泣き出した。大きく揺れる肩、頬を伝う涙──その震えには、恐怖と安堵の入り混じった感情が見え隠れしていた。
そんなリアに寄り添うようにユアがひざをつき、そっと抱きしめる。
「もう、大丈夫ですよ?悪い人たちは、お師匠さまがぜんぶ追い払ってくれましたから。だから、安心してくださいね」
柔らかな声色とともに、背中をぽんぽんと優しく撫でるユア。その仕草は、壊れそうなガラス細工を扱うような繊細さだった。
やがて涙が落ち着き、リアは静かに顔を上げて二人に向き直る。そして、深く頭を下げた。
「あの……助けていただいて、ありがとうございました」
その礼に、アルバートは軽くうなずくと、ポケットから包み紙に包まれた何かを取り出して手渡した。
「礼には及ばない。民を守るのが、騎士の務めだからな。……これはチョコレートだ。食べると、少しは気が楽になる」
リアは包みを受け取り、そっと紙を解く。そして、一口かじる。
甘くて、ほんのりとほろ苦いその味が、口の中にじんわりと広がる。温かな何かが心に灯ったように、不思議と気持ちが軽くなっていく。
「……美味しいです。ありがとうございます。あの。わたし、亜人族なのにどうして助けてくれたんですか?」
その問いに、アルバートは間を置くことなく、はっきりと答える。
「私は王の剣。王が望めば、どんな者であろうと斬る。それが役目だ。しかしそれ以外のときは、この剣を困っている者のために振るいたいと思っている。たとえそれが亜人族であっても、関係ない。この国で共に生きる限り、誰もが王国の民だ」
その言葉に、ユアは茶目っ気たっぷりに手を叩き、わざとらしく感嘆の声を上げた。
「おーっ!さっすがお師匠さま!」
だがアルバートはそれを完全に無視し、真顔のまま指示を出す。
「ユア、その子をギルドに連れて行ってくれるか?私はエブハン伯爵の元へ向かい、真偽を確かめてくる。万が一の事態には、ステージ三までの使用を許可する。無事に送り届けたら、伯爵の屋敷まで来てくれ」
言い終えるや否や、アルバートは踵を返し、迷いなく歩き去っていった。
その背中を見送ったユアは、そっとリアの手を握りしめる。
「それじゃあ、ギルドに行こうか。安心して、私もけっこう強いんだから!」
「あ、あの……よろしくお願いします、ユアさん」
「もー、ユアでいいってば!敬語もいらないよ。……ねえ、あなたの名前、教えて?」
「あ、はい!わたしは、リアです」
繋いだ手をぶんぶんと揺らしながら、ユアは満面の笑みを浮かべる。
「よーし、じゃあリアって呼ぶね!よろしく、リア!」
「あ、うん……よ、よろしく、ユアちゃん」
まるで嵐のように明るく、異常なまでに元気なユアに引っ張られながら──リアは一歩ずつ、希望へと続く道を歩み出した。
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