日常26
ヘルムは兜の前面を開け手を入れ、そこから矢を引き抜く。
音を立てないようにゆっくりと弓を持った親指の背に矢を乗せ、軽く弦を引く。
胸を張り、さらに力を込め引き手を兜の頬の辺りにつけた。
その一連の動作をスムーズにこなし、野兎に狙いをつけた。
意外と様になったその動作は、弓を使ったことがないようには見えなかった。
しかし、そこから撃つまでが遅い。
その状態で固まってから数秒だった。いまだに手から矢が離れない。
大丈夫かと思いヘルムを見るが、表情がわからないので、何を考えているのかわからなかった。
だが、体が弦の張に対して限界なのか腕が震えだしていた。
生き物を殺すことに慣れていないのだろう。
自分が初めて生き物を殺したのはいつだったろうか。そんなことを考えながら野兎を見た。
まだこちらに気付いてはいないようだった。呑気に草を食べていた。
仕方がないので、ヘルムの代わりに討ち取ることにした。
右足のポーチからスリングショットを取り出し、撃つ準備をする。
危ないので、とりあえずヘルムに弓を下ろさせることにした。
ヘルムの背中を軽く叩こうと合図をしようと背中に手を当てた。
瞬間、驚いたのか気が抜けたのかヘルムはあっと声を漏らし矢を放してしまった。
矢は目にも止まらない速さで野兎の胴体を貫いた。
野兎は矢の勢いに押され、跳ねるように倒れこんだ。
ヘルムは矢を撃ったままの姿勢で固まっていた。
それを横目で見ながらスリングショットを片付ける。
「ほら、惚けてないで獲物を見に行くよ。」
もう一度ヘルムの背中を叩いてやり促してやる。
「あっ、ああ。」
ヘルムはのろのろした動きで弓を背負いなおした。
野兎は見事に射止めていた。
胴体を貫いていたので臓器が傷ついているだろうが、スリングショットの様に腹の中が潰れているわけではない。それに当たり所はあまり悪くないので、そこそこの値段になるはずだ。
背嚢から紐を取り出し野兎の足を縛る。
「ヘルム、しっかり見ててね。獲った後、下処理をしておかないと肉が臭くなるから気を付けて。今日は僕がやるから、次回はできるようにしといてね。」
そう言いながら縛った野兎の腹に刺さった矢を引き抜き地面に置いておく。
野兎は近場の木に吊るし首を切って血の流れを早くした。
置いておいた矢を背嚢から出した布で血を拭きとってやりヘルムに渡す。
「はい、これでおしまいだよ。わかった?」
ヘルムは矢を受け取ったが、いまだに無言だった。
「どうしたの?」
「いや、その、なんだろう。わかんないけど衝撃でさ。生き物を殺すのがこんなにあっけないものとは思わなかったし、それにあんまりにリック君が手際が良くて驚いたのと、何もできない自分が不甲斐なくてさ。言葉が出なかった。」
しばらく黙ったままだったヘルムは細々と話し出した。
そうとう衝撃的だったのか、まだうまく思考がまとまっていない様子だった。
「大丈夫だよ。何度かやっていたらその内慣れるさ。僕もさ、思い出したんだけど初めて生き物を殺したときは呆然としてしまったものだよ。でもさ、生きるってさ。こういうことなんだよ。彼らのおかげで僕たちはご飯が食べられるんだ。」
正直言うと初めて生き物を殺したのはいつだったか覚えていない。
村にいたころから日常生活で生き物を殺し、食べてきていたのでそういうものだと思って生きてきた。
もちろん。日々糧となる生き物には感謝している。
だが、とりわけ心を揺らすほどの感情はもち合わせてはいない。
ヘルムは『迷い人』だから、別世界の理があるのだろう。
生き物を殺すということがきっと非日常なのだ。だからここまで動揺しているのだ。
しかし、そうなると魔物を狩ることは果たしてできるのだろうか。
このまま、パーティーを組んでいても大丈夫なのだろうか。不安が残るが致し方ない。
血抜きも終わり、土に血だまりを埋めて処理も済ませた。
まだ、日が高い。ガロンの店に寄った後で薬草屋に行った後でも訓練所に行けるだろう。
ヘルムはいまだに矢を持ったまま座り込んでいた。
「ヘルムそろそろ行こう。」
野兎を木から降ろし肩に担ぐ。
「ああ。」
そう言って立ち上がる。
「矢はしまわないのかい?」
ずっと持っている矢が気になり声を掛ける。
「ああ、ちょっとね。――大丈夫しまうさ。」
そう言って、兜を開けて矢をしまった。
しばらくお互いに無言で歩いていた。
ヘルムは最初の頃の元気な様子と違い、どんよりとした空気を醸し出していた。
何度も声をかけようかと思ったが何も思いつかなかった。
そのせいもあって気まずい空気が立ち込めていた。
青の森を抜け、街に向かう道を歩いている頃ようやくヘルムが話し出した。
「ごめん。ちょっと軽い気持ちだったかもしれない。冒険者ってこういうことをする仕事なんだよね。自分の考えの甘さを痛感したよ。このままじゃ、リック君の足を引っ張ってしまいそうだな。」
話の流れ的に冒険者をやめそうな空気だが、それは無理だろう。
『迷い人』は最初に発見したギルドがその責任を負うことが決まっている。狩猟ギルドが発見した場合は彼らが金を貸してやり猟師にすることが決まっている。商業ギルドも同じだ。
これは『迷い人』の能力が優れているため最初に見つけたギルドがその能力を独占できるようにするために決められた協定だ。『迷い人』突然現れるので、どのギルドにもその恩恵が与えられる機会ある。ただ、もちろん優れた能力を持たない外れを引くこともある。
『迷い人』は否応なしに拾われたギルドに借金をさせられ、それを返済するまで間接的に彼らの所有物になってしまうのだ。もちろん、返済できらばその後は自由だ。だが、右も左も分からない地で生活が落ち着くまでに身に付いたその仕事を簡単に手放すことはできない。なので、『迷い人』は最初に入ったギルドを辞めることはほとんど無い。
となれば、ここで言われる言葉はパーティーの解散だろうか。
まだなり立てで、今解散してもそこまでお互いに痛手はないだろう。
しかし、また一人か。今回二人で行動していつもより楽しんでいた自分がいた。
普段は森の中では気を張りつめるだけであまり楽しいと感じたことがなかった。ヘルムがいることで森が広く感じることができ、説明などをすることで自然を楽しむ時間が増えた。それに会話ができることが一番嬉しかった。
しかし、今日でそれも終わりか。ほんの一日だがパーティーを組めてよかった。
そう思いヘルムを見ると、まだ何か言いたげだった。
「でも・・・・もっと頑張るよ。リック君の足を引っ張らないように。だからパーティーを解散しないで欲しい。私が不甲斐ないのは分かっているとは思うけど、これからもっと強くなるからどうか見捨てないで欲しい。頼むよ。」
そう言ってヘルムは頭を下げた。
どうやら、彼は今日の失態をそうとう気にしていたようだ。確かにまともに生き物も殺せないなら、魔物なんてとてもじゃないが戦えない。
そうなれば、ただのお荷物でしかないのだ。
パーティーを解散されてしまっても無理はないだろう。
しかし、解散されてしまうと彼はきっと生きるすべがなくなってしまうだろう。
とてもじゃないが一人で森をさまようことできない。彼には自分が必要なのだ。
「それに一緒に冒険できて楽しかったんだ。だから、また一緒に冒険がしたい。」
ヘルムは頭を下げたままそう言った。
どうやら、彼も同じ気持ちだったようだ。
それならば自分は拒否するつもりはない。彼が努力家なのは知っている。弓の試射で血が出るほど撃ち続けたり、立つのもやっとはずの筋肉痛なのに森まで我慢して歩き続けている。きっと彼は強くなる素質はある。一緒に冒険者をしていたらいつか最高の相棒になってくれるかもしれない。
「大丈夫だよ。解散するつまりはないよ。僕も楽しかったしね。それに、なんだかんだ言ってちゃんと野兎は討ち取ってたしね。」
そう言ってヘルムの肩を叩く。
彼は顔上げて、たぶん笑っているのだろう。その兜の男はいつものように無骨な見た目だが、何故か心を癒してくれる人柄の良さがにじみ出ていた。
「そうか。よかったよ。これからも、よろしく頼むよ。」
「うん。こちらこそ、よろしくだ。」
その後は、戻ってからの事について話しながら、お互いに楽しく街に帰ることができた。




