第十六章 「命」
第十六章 命
四月十八日。
遥と竜司が役所に行っている頃、武の心は揺れていた。
昨日の夕方・・・。
「ライオードミュージックの澤木と申しますが」
「はい」
「伊崎武さんでしょうか」
「そうです」
「実は伊崎さんが、この間のオーディションで歌った曲がとても反響が良くてですね・・・」
「・・・はい」
「是非、もう一度しっかりとお話をさせて頂きたいのですが」
「・・・ありがとうございます・・・」
「では明日もう一度、事務所へ来て頂けませんか」
「・・・はい。わかりました」
電話の後、武は悩み続けていた。
ずっと夢見ていたモノが、目の前で現実になろうとしている。
その時、武は理解していた。
――踏み込めば誰も救う事無く、自分の命を落とすという事を・・・――
それは、幸せ病との睨み合いのようだった。
領域は広がることも無く、縮まりもしない。
武は、ただ決心と誘惑の狭間で静かに何かを待った。
そして幸せ病は武の心を試し、コントロールさえしようとしている。
それが武に見透かされた幸せ病の、決死の地雷攻撃だった―――。
その頃、香樹の学校では・・・。
「・・・あゆみちゃんっ」
「ん?何ぃ?香樹君」
香樹が好きな女の子に話し掛ける。
「あゆみちゃんは姉妹とかいるのぉ?」
「私ねぇ、一人っ子なんだよ?」
「へぇ~」
「香樹君はぁ?」
「僕はお兄ちゃんと、お姉ちゃんがいるよぉ」
「いいなぁ~!私もお姉ちゃん欲しいっ!そういえばすみれ先生と付き合ってるんだよねぇ?香樹君のお兄ちゃんって」
「うんっ」
「結婚するのかなぁ~」
「あっ、お兄ちゃん、先生と結婚するって言ってたよっ!仲良いんだぁ」
「へぇ~!・・・」
その時、仲が良いという言葉にあゆみは少し淋しげな顔をする。
香樹はそれに気付かないまま、持っていた絵本を差し出した。
「・・・これ・・・あげる」
「わぁ~!可愛い~。ありがとぉ~」
「うん・・・」
「えっ?でもどうして?」
その答えは、昨日の昼間・・・。
「香樹~、作戦立てないか?」
「作戦?」
病院の屋上。
竜司が香樹にそう聞くと、香樹は不思議そうな顔をした。
「今、お姉ちゃん検査中で、今日は男と男の話に邪魔入んないからさっ」
「あゆみちゃんの話ぃ?」
「そう・・・と、俺と遥姉ちゃんの話・・・」
「お姉ちゃん?」
香樹が聞き返すと、竜司は笑顔で遠くを見つめる。
「今日・・・お姉ちゃんにちゃんとプロポーズしようと思ってんだ、俺」
「結婚するのぉ?」
「したら俺、お兄ちゃんだぞ?香樹の」
「今は違うのぉ?」
「まぁ今もだけど・・・だから一緒に考えようぜっ香樹っ」
「うんっ!」
「まず香樹君・・・あゆみちゃんは何が好きだ?」
「え・・・何がって?」
「ほら・・・例えば動物」
「さぁ~」
「じゃぁ、食べ物」
「なんだろぉ~」
「じゃぁ、服とか」
「ん~・・・」
「じゃぁ、好きな男の子」
「・・・さぁ~」
「おまえ全然知らねぇじゃんっ」
「・・・だってぇ・・・」
「わかった、わかった。じゃぁさ、家族構成はどうなんだ?」
「え?」
「姉妹がいるのかとかさ」
「・・・さぁ~・・・でも・・・」
「ん?」
その時、香樹の顔が曇った。
「・・・お父さんとお母さんが仲が悪いって・・・言ってた」
「・・・そぅ・・・なんでそれは知ってるの?」
「クラスで家族の絵を描く時にね?すみれ先生と話してたの・・・」
「そっかぁ」
それを聞き、竜司は香樹の優しさを尊重する。
「じゃぁ香樹ぃ。香樹はあゆみちゃんに何をしてあげたい?」
「ん?」
「もし、あゆみちゃんが困ってたら、何をしてあげたい?」
「・・・大丈夫だよってね?助けてあげたい」
「じゃあ香樹の持ってた絵本でもプレゼントしたらどーだ?」
「うん・・・」
「その時に言ってあげな?あゆみちゃんが困った時には、僕が助けてあげるよって」
「・・・言えるかな」
「男だろ?」
「うん・・・」
「武兄ちゃんも、多分同じ事すると思うぞ?」
「お兄ちゃんも?」
「あぁ。頑張れっ香樹!」
「うんっ。で、竜司兄ちゃんはぁ?」
「え?」
「お姉ちゃんになんて言うのぉ?」
「・・・何が良いと思う?」
「僕、わかんないよぉ」
「・・・お姉ちゃん、何が好き?」
「竜司兄ちゃんも全然知らないじゃん」
「まぁ・・・それは言いっこ無しじゃないか香樹君」
「あっ、お姉ちゃんねぇ、星が好きだよぉ?」
「星?」
「うんっ!僕、昔よく連れてってもらったもん。星を見よぉって」
「星かぁ・・・なるほど」
そして・・・。
「ねぇ香樹君っ、どうしてぇ?」
あゆみの質問に香樹は勇気を出して答える。
「・・・あのね?あゆみちゃんがね?困った時は・・・僕が助けてあげる・・・」
「・・・ホントに?」
「うんっ・・・」
「ありがとぉ・・・香樹君」
その絵本の渡されたタイミングは、あゆみにとってこれほどに無い嬉しいタイミングだった。
流れる時間の中で、互いの気持ちが同じタイミングで触れ合う時、そこには理屈では言い表せれない感情が生じる。
二人の作戦はうまく時間に乗り、ふわふわと空間に溶け、やがて好きな相手の気持ちに灯りをつけた。
第十六章 命 ―第一幕―
またその頃、竜司と遥は初めて出逢った場所を歩いていた。
「・・・竜司、看板の下敷きだったよね・・・」
「・・・今思えば・・・なんだったんだあれ・・・まぁ出逢いなんてあんなもんだ」
「まぁ・・・そうだけど・・・」
「でもすごいタイミングであの時ここを通ったよね、遥」
「そんな事言ったら竜司も、よくあのタイミングで下敷きに・・・」
「その下敷きってやめてくんない?」
「でもそうじゃん」
「いやそうだけど・・・ただ好きで下敷きになってたわけじゃないからね?」
「知ってるよ?」
「・・・ポチポチ・・・今頃天国で何してんだろ~なぁ」
「そうだねぇ・・・」
そして、午後二時。
遥が返事をしたその直後・・・
「・・・りゅっ・・・竜司!?」
竜司はその場で崩れた――。
「・・・大丈夫だ・・・」
竜司は意識を失くさないよう、必死に踏みとどまる。
だが、竜司は起き上がれない。
「竜司ぃ!しっかりしてよぉ!」
「ハァ・・・ハァ・・・」
「竜司!!今、救急車呼ぶからね!?」
「・・・ハァ、ハァ・・・まだ・・・聞いてねぇ・・・」
「え・・・?」
そして香樹は授業が終わり、竜司の嬉しそうな顔を思い浮かべながら校門を出ようとしていた。
頑張ってあゆみに気持ちを伝えた自信と嬉しさを抱え、胸の鼓動を高鳴らせて・・・。
「香樹君っ!」
そこに、下校する児童を見守る為、校門の前に立っていたすみれが香樹に話し掛ける。
「先生っさようならぁ!」
「香樹君、今日はなんかいつもより元気良いねぇ~」
「今日も竜司兄ちゃんとこ遊びに行くんだぁ~!」
「そっかそっか!二人は仲良いねぇ~?」
「そうだよ~?」
するとそこに偶々あゆみが通りかかった。
「あっ。あゆみちゃん!!」
「香樹君・・・」
一方、竜司は四つん這いになりながら、なんとか倒れまいと力を振り絞っていた。
「竜司・・・今、救急車呼んだから・・・しっかりして・・・お願い・・・」
「ハァ、ハァ・・・遥・・・」
「ん?」
「まだ・・・香樹に結果聞いてねぇんだ・・・」
「香樹に?」
横たわり、遥の膝元で竜司は手を握り訴える。
「ハァ、ハァ・・・香樹に・・・伝えて欲しい・・・」
「え・・・?」
「・・・頑張れって・・・伝えてくれ・・・」
校門では、あゆみが照れながら香樹に伺う。
「香樹君・・・一緒に帰るぅ?」
「うっ・・・うんっ」
それを見たすみれは、嬉しそうに二人の頭に手を置き、座って目線を合わせる。
「二人とも、気を付けて帰るんだよ?」
「はぁい」
「ちゃんと、こうやって手を繋いで・・・はぐれちゃわないようにっ」
すみれはそう言い、二人の手を取り繋がせると、じゃあねと手を振り見送った。
また、同じように遥の手を握った竜司は、遠くで鳴る救急車の音が聞こえると、一つ深呼吸をして遥に向けて想いを発する。
「遥・・・」
「・・・ん?」
「・・・あのさ・・・」
「ん?竜司どうした?」
「・・・大好きだから・・・」
「・・・うんっ!私もだよ!?」
「・・・ありがと・・・」
そして遥の涙が頬に零れると、そのまま竜司は意識を失くし危篤となった。
「・・・竜司ぃーっ!!!」
その頃、何も知らずに下校する香樹は、顔を赤らめながらあゆみに話し掛ける。
「あゆみちゃんっ。こっちから帰るとね?早道なんだよ?」
「そうなんだぁ。香樹君はなんでも知ってるねっ」
「ん~ん。僕、知らない事ばっかだよ?でもね、いっぱい教えてくれるの」
「誰がぁ?」
「お兄ちゃんもお姉ちゃんも、おばあちゃんも、すみれ先生も。あと、竜司兄ちゃん」
「だぁれ?」
「僕が尊敬してるお兄ちゃんだよぉ?」
「尊敬?」
「優しくて、でも強いの。僕のお姉ちゃんが好きになった人だから」
「へぇ~カッコイイんだねっ」
「うんっ!」
それを他所に、伊崎家では武の携帯が鳴り響く。
電話を取ると遥が泣き声で動揺している。
「お兄ちゃん・・・竜司が・・・倒れて・・・」
「竜司が・・・?」
「今、病院に・・・」
「遥?しっかりしろ?すぐ行くから」
「うん・・・」
そして武は、事情を居間にいる祖母に伝えた。
不吉な予感から青ざめた顔の祖母に、武は落ち着いて説明する。
「竜司が意識不明で・・・また運ばれたらしいんだ」
「・・・竜司君が・・・?」
「・・・香樹は・・・まだ?」
「まだ帰ってきてないよ・・・」
「じゃあ・・・先に病院行ってるから、後で香樹連れて来てくれねぇかな」
「わかった・・・武?」
「ん?」
「きっと・・・大丈夫だから・・・」
「・・・あぁ」
祖母にそう伝えると、そのまま武は病院へと駆けた。
何か・・・全てが終わってしまうそんな予感を、必死に取り払いながら・・・。
一方、遥は救急車に同乗し、意識の無い竜司の手を取り話し掛ける。
「・・・逆になっちゃったね竜司・・・ごめんね?・・・私のせいでこんな病気に・・・」
遥の心はその時。
「・・・竜司・・・もし死んじゃっても・・・私もすぐに逝くから・・・」
絶望の波に流されながら・・・
ただ・・・。
「ずっと・・・一緒だからね・・・?」
諦めで覆いつくされていた――。
そして香樹は、あゆみの家の近くの交差点にいた。
その最後の曲がり角で、あゆみがお礼を言う。
「香樹君、ありがとぉ」
「ん~ん」
「あのね?・・・私・・・」
あゆみが淋しそうな顔を見せると、香樹は「どうしたの?」と心配して伺った。
「私のお父さんとお母さんね?・・・喧嘩ばっかりでね?私・・・」
「あゆみちゃん。泣きそうになったら絵本を読めばいいよ」
「えっ?」
「僕のお母さんは僕が小さい頃に、死んじゃっていないんだぁ・・・でも悲しい時は、お姉ちゃんがいつも本を読んでくれたの。で、いつも元気になったよ?」
「・・・うん」
「だからあゆみちゃんも」
「・・・」
「泣きそうになったら、僕のあげた本を読んで?」
「・・・うんっ。そうするっ!」
日が暮れかけ、二人がバイバイを言い合いながらそれぞれの家へ帰る頃、竜司は集中治療室で昏睡状態が続いていた。
駆けつけた武が、廊下に佇む遥に声を掛ける。
「遥・・・竜司は!?」
「・・・わかんない・・・」
「今、入ったばっかか?」
「うん・・・」
元気の無い遥に、武は元気を出せと軽く肩を叩く。
すると、遥は力の無い声で答えた。
「もう・・・ダメだよ・・・」
「え?」
「・・・私は知ってる・・・この病気は・・・治しようが無いんだよ・・・」
「いや、そんな事・・・」
「・・・体のどこがどう悪いってわけじゃない・・・お医者さんでも・・・どうしようも出来ないよ・・・」
「・・・そんな事ねぇって」
「・・・私も・・・あと少しだから・・・」
「何?」
「もうすぐ・・・私も竜司も・・・死んじゃう・・・」
「・・・ふざけんじゃねぇよ!」
それを聞くと武は、遥に向けて怒鳴った。
「・・・」
「竜司が死ぬわけねぇだろ!!おまえもこうやって・・・ちゃんと生きてんじゃねぇか!!」
「だけど・・・」
「・・・ってか死ぬとか治らないとかそんな事ばっか言うんじゃねぇよ!!」
「こんな時に大きい声出さないでよ・・・」
「竜司が一回でも諦めたか・・・?」
「え?」
「・・・なんでおまえが諦めてんだよ!!!」
それに対し、遥は反発する。
「私だって・・・私だって諦めたくなんて無いよ!!!」
「じゃあ変な事言うんじゃねぇよ!!」
「わかってんの!?お兄ちゃん!!!普通の病気じゃ無いんだよ!?じゃあどうやって治すの!?どこも悪いとこ無いんだよ!!ただ見守るしか・・・それしかないじゃんっ!!」
「だったら生きて幸せになってくれって願え!!!」
「・・・えぇ?」
「もっともっと・・・死なせたくなかったら・・・竜司に生きて幸せになって欲しいって願い続けろ!!」
「・・・そんな・・・願ってるよ・・・」
「おまえがこんな病気に負けんじゃねぇよ!」
そして伊崎家では・・・。
「ただいまぁ!!」
玄関を開けランドセルを置くと、香樹はすぐにまた外へ出ようとした。
「香樹!?」
祖母が居間から呼び止めると香樹は振り返り、何かと聞き返す。
「・・・香樹・・・おばあちゃんと病院へ行こ?」
「僕、竜司兄ちゃんのとこ遊びに行くよぉ?」
「・・・竜司兄ちゃんはね・・・?」
「ん?」
「とにかく・・・一緒に行くよ?」
「・・・うん」
祖母は言葉に詰まり、その事実を伝えられぬまま、タクシーを呼びすぐに病院へと向かった。
不安げな顔の香樹を抱きかかえながら・・・。
一方の病院の廊下では、武が諭すように遥へ想いをぶつけていた。
「遥、おまえなら絶対に勝てる・・・」
「勝てるって・・・」
「俺達は生きているうちに何回も躓いて何回も傷つく・・・だけどその分何度も何度も感動してるはずだ」
「感動?」
「誰かに優しさ貰ったり、頑張りが報われた時とか、誰かを好きになった時とか・・・」
「・・・」
「おまえならわかるだろ、人一倍その感動・・・今さ、すみれのお腹の中に赤ちゃんがいるんだ・・・初めてすみれにそれを聞いた時なんかすげぇ嬉しかったし感動した・・・」
「私も・・・嬉しかったよ?」
「どうして俺達はそうやって命に感動するか知ってるか?」
「・・・何なの?」
「泣いたり笑ったり・・・俺達も毎日頑張って生きてるからだよ・・・」
「・・・」
「不器用でも俺達もしっかり命を持ってる・・・だから嬉しくて涙が出るんだ・・・そうやって誰かの命に触れながら、知らないうちに自分達が生きてる事を喜んでるんだよ?・・・だからさ、おまえもその命・・・諦めちゃダメだよ」
「・・・でも・・・」
「遥。母さんのように最後まで強く生きなきゃ」
その時、遥の脳裏に母親の言葉が蘇る。
――ずっとずっと遥を応援してるから――
「おまえがそんな弱音ばっか言ってたら、母さん悲しむよ?」
それを聞くと、遥の中にもう一度勇気が湧き、そして強く自分を奮い立たせる。
「ごめん・・・私、約束したのに・・・」
「ん?」
「お母さんと約束したんだ・・・」
「なんて?」
「世界中の誰よりも、幸せに生きるって・・・」
「そっか・・・」
「私の幸せは・・・竜司そのものなんだぁ・・・」
「あぁ」
「だからホントは・・・絶対、死なせたくない」
もうそこに、理由や理屈など存在しなかった。
遥もまた、武と同じように真実に気付き出すと、運命の軸がリセットされ、一度全てが崩壊する。
幸せを決めるのは間違いなく自分の想いだとその時、遥も武も改めて実感した。
やがて五分もすると、そこに祖母と香樹がようやく現れ、祖母が竜司の容態を心配する。
「遥、どうだい?竜司君・・・」
「うん・・・意識がないの・・・」
そして武は、祖母に手を繋がれながら怖がっている香樹を気遣った。
「香樹、兄ちゃんと外行こうか」
「・・・竜司兄ちゃんは?」
「竜司兄ちゃん、ちょっと風邪ひいたみたいで今寝てるんだよ」
「僕、竜司兄ちゃんとお話したい・・・」
香樹が下を向きそう言うと、武は座って頭を撫でながら話す。
「・・・今は寝かせてあげよ?」
「いつ起きるの?」
「・・・すぐ起きるから」
「すぐっていつ?」
「・・・とにかく今は兄ちゃんと外で遊ぼ?」
武が無理に外へ連れ出そうとすると、香樹は武の手を振り払った。
「嫌だ!!竜司兄ちゃんと遊ぶ!!」
「・・・香樹・・・どうした?」
香樹は目に涙を溜めながら声を張り上げる。
「僕、知ってるもん!!大人は良い事とか楽しい事があると死んじゃうって、みんなが言ってたもん!!どうしてみんな入院ばっかりなの!?」
「香樹・・・」
「竜司兄ちゃんもお姉ちゃんもお兄ちゃんも、みんな死んじゃうの!!?」
今まで・・・怖くて口に出せなかった。
そして香樹の体の中で、ずっと我慢していたものが・・・
その時、音を立てて爆発した・・・。
「僕、みんなが元気じゃないと嫌・・・」
遥が倒れたあの日から・・・。
香樹は、その幼い心でずっと我慢していた。
わがままを言ったらみんなを困らせるかも知れない・・・。
泣いたらみんなを心配させてしまうかもしれない・・・。
せめて笑顔でいて欲しくて・・・。
そして誰も悲しませたくなくて・・・。
だからずっと・・・
ずっと我慢してきた・・・。
本当は、怖くて悲しくて仕方無かった・・・。
だけど・・・。
―みんなの為に僕が強くなろう―
遥が倒れたあの日。
そう、誓ったから・・・・・。
「香樹・・・ごめんな・・・?」
武は思い出す―――。
《・・・香樹にとっての家族は・・・その六人なのかい?》
《ん~・・・ホントはお父さんとお母さんがいたらいいなぁって思うけどね?僕、みんながいるから淋しくないよ?》
《・・・香樹は強いなぁ》
《だから僕・・・》
《ん?》
《僕・・・ずっとみんなで仲良く暮らしたい・・・》
でも・・・。
本当は、お父さんに会いたかった・・・。
本当は、お母さんに抱き締められたかった・・・。
当たり前のように両親と暮らす同級生達が羨ましかった・・・。
授業参観、運動会・・・。
親子が仲良く話しているその光景が羨ましくて仕方無かった・・・。
「僕、やだよーっ!!みんなとずっと仲良く暮らしたいもん!!だから誰も死んじゃ嫌だぁ!!!」
だけど辛くても仲良く、頑張って暮らしているこの家族が・・・。
「僕・・・みんなが大好きだもん・・・」
香樹の自慢だった――。
武は幼い頃の自分と、泣きながら懸命に訴える香樹の姿が重なり合う。
―――幸せってなんだろぉ・・・大人になったら・・・わかるかなぁ―――
あの頃・・・。
武がずっと願い感じていた事・・・。
その答えを・・・
香樹もまた、同じようにその小さい体で感じ、探し求めていた。
そして、ただ竜司の喜ぶ顔が見たくて・・・いつも良くしてくれる竜司にお礼が言いたくて・・・たくさんたくさん楽しい話がしたくて・・・。
ただそれだけなのに・・・。
そんな小さな幸せや願いさえも・・・。
幸せ病が引きちぎっていく――ー。
香樹の訴えに、遥と祖母はその時言葉が見つからない。
そして弟の気持ちを噛み締めると、武は優しく頭を撫で、話し始める。
「・・・香樹・・・楽しい事とか良い事があったら・・・その後なんて思う?」
「ん?」
「香樹だったら・・・なんて思う?」
「・・・これからももっと良い事があったらいいなぁって思う」
武はそれを聞くと、涙が込み上げてきた。
「お兄ちゃんも小さい頃・・・そうやって思ってた・・・」
「そうなの?」
「あぁ。今、こうやって大人になっても・・・」
「・・・」
「それは変わらない」
香樹は鼻をすすり、武を見つめる。
「香樹・・・それをなんていうか知ってるか?」
「なぁに?」
「それを幸せっていうんだよ?」
「幸せ?」
「香樹だけじゃなく・・・ここにいるみんな・・・それからすみれ先生も、竜司も・・・世界中の人達がそう願って生きてるんだよ?」
「・・・」
「幸せになりたいって・・・」
香樹がコクッと頷くと、今度は遥が話し始めた。
「これからも・・・みんなで仲良く暮らそ?」
遥のその優しい笑みで、香樹の心は落ち着きを取り戻す。
「香樹ぃ~。心配だったかぁ~」
遥が香樹の髪の毛をくしゃくしゃにしてそう言うと、香樹は素直に頷きながら遥に抱きついた。
「よしよし・・・ごめんねぇ香樹・・・」
その時、すみれが駆けつける。
「武・・・竜司君は・・・?」
すみれが容態を伺うと、武は顔をしかめて首を横に振った。
やがて昏睡状態が続いたまま夜を迎える。
午後九時二十一分。
医師が治療室から出てきた。
するとすぐに武が医師に駆け寄る。
「あの・・・竜司は・・・」
「なんとも言えない状態です・・・幸せ病であるならおそらくこのまま・・・」
「でも・・・まだ二回目ですよ?倒れたの・・・」
「幸せ病は・・・人によって症状が異なります・・・突然亡くなる方もいれば、伊崎さんのように何度も発作で苦しみ続ける方もみえる・・・どうして人によって症状が違うのかは不明ですが・・・」
「・・・そうですか」
今度は遥が武に伺う。
「お兄ちゃん・・・」
「ん?」
「人によって違うのは・・・どうしてかな」
「わかんねぇけど・・・人によって幸せの形が違うように、それぞれ生き方も気持ちの持ち方も違う・・・」
「うん」
「幸せ病はそれを常に窺ってるはずだ」
「・・・」
「そうやって人の強さを試してるんだ・・・」
それを聞くと遥は一人、竜司の病室へと入る。
「竜司・・・」
遥が呼び掛ける。
「待っててね・・・?私・・・もう怖くないよ?・・・竜司がたくさんたくさん愛してくれたから・・・私、強くなれたのかな・・・ホントはもっともっと一緒にいたかったけど・・・」
そして、その目に涙が溢れた。
「・・・二人で一緒に死ねたら・・・それはそれで幸せなのかな・・・あなたを一生大事にしますって・・・あれね?すごく嬉しかった・・・で・・・いつもいつも一緒にいてくれた・・・いつも変わらず好きでいてくれた・・・泣いてる時は・・・いつもギュって抱き締めてくれた・・・」
その瞬間、遥は言葉に詰まり、泣き崩れる。
「・・・もう一回・・・・・・もう一回だけ・・・ギュってして欲しいよ・・・・・・このまま終わりなんて・・・やだ・・・」
静かな時間が、やたらと愛おしく思えた。
それに気付くまでに・・・人はどれだけの涙を流さなければいけないのか・・・。
どれくらいの愛を与え、どれくらい与えられればいいのか・・・。
大切な人を亡くしかけるその瞬間までも・・・人は強くいなければいけないのか・・・。
《あなたが生きているその全てが・・・》
《私にとっての一番の幸せです・・・》
「竜司、ありがとぉ・・・さようなら・・・」
そのまま遥は病室を出ると一人、屋上へと上っていく・・・。
そして今度は、武達四人が暗い室内へと足を踏み入れ、呼吸器を付けて眠っている竜司に話し掛ける。
「・・・竜司?」
小刻みに機械音だけが小さく響き、武が名前を呼びかけると、祖母は竜司のその姿を見ていられない。
一度目の発作から急激に早い間隔で押し寄せた竜司の重い発作は、全員に絶望感を与え、死を大きく意識させた。
「おい・・・竜司・・・そろそろ目ぇ覚まさねぇと」
そして武のその言葉で、香樹が寝ている竜司のもとへとゆっくり歩み寄った。
「竜司兄ちゃん・・・?」
「香樹・・・竜司兄ちゃんに何か話してあげな?」
香樹は武にそう言われ小さく頷くと、伝えたかった言葉を香樹なりに必死に投げかける。
「竜司兄ちゃん・・・僕、頑張ったよ?」
三人はその言葉の意味を探る事も無く、香樹の言葉に耳を傾けた。
「・・・ちゃんと言えたからね?竜司兄ちゃんが頑張れって言ってくれたから・・・」
「・・・」
「だから・・・竜司兄ちゃんも頑張って??」
そして香樹の言葉は天へと昇り、力となって竜司へと降り注がれる。
竜司の心に眠っていた、『生きたい』という望みがその時、今までよりも増して、大きく膨張した。
またその頃、あゆみは香樹に貰った絵本を読んでいた。
母親があゆみに話し掛ける。
「あゆみ?何読んでるの?」
「香樹君に貰った絵本だよ~?」
「そっかぁ。じゃあたまにはお母さんが読んであげよっかっ」
「わぁ~いっ」
二人で読み出した物語は、やがて終盤に差し掛かった。
『幸せに暮らしている王子様とお姫様の前に、とても大きな魔物が現れ、二人にこう言いました』
―仲良く暮らす者達の仲を引き裂いてやろう―
『やがて魔物の魔法で、王子様は深い眠りについてしまいました。そして魔物は言いました。このまま目を覚ます事なく、王子は死ぬであろうと・・・』
一方、病院では・・・。
「遥ちゃんは・・・?」
すみれが武に伺う。
「夜風に当たりに行くって・・・」
「そう・・・遥ちゃんの近くにいてあげなくていいかなぁ・・・」
「きっと大丈夫だよ」
「・・・でも・・・」
「あいつには・・・母さんがついてる」
そして遥は屋上にいた――。
「竜司・・・今日の星も竜司と一緒に見たかったな・・・」
遥の中で竜司との幸せな映像が駆け巡る。
「仕方ないから・・・今日は一人でお祈りするね・・・?」
『そしてお姫様は星に願いを込めました』
「竜司と初めて出逢った時・・・私はきっとこの人と一緒になるんだろうなぁって・・・なんか、そう感じたんだ・・・」
『どうか・・・あの人を苦しませないで・・・』
「初めてデートした時・・・竜司がいれば他には何もいらないって・・・そう思った・・・」
『どうか・・・あの人の笑顔を奪わないで・・・』
「初めて一緒になった時は・・・もう・・・このまま死んでもいいって・・・そう思ったよ?」
『どうか・・・あの人の夢を壊さないで・・・』
「初めて・・・・・・・・・初めてこんなに人を好きになったょ・・・??」
『どうか・・・私のこの命で、世界一愛する人を・・・』
「だからお願い・・・私の命と引き換えに・・・どうか竜司を・・・」
――助けてあげて下さい――
あゆみの目から一粒、涙が零れ落ちた。
「泣いちゃったかぁ・・・あゆみ・・・」
そう言い、母親があゆみの頭を優しく撫でる。
「お母さん・・・」
「ん?」
「・・・お父さんと・・・仲良くして?」
「え・・・?」
「私・・・良い子にするから・・・みんなで仲良く暮らしたい・・・」
それを聞くと、母親はあゆみを強く抱き締めた。
「ごめんね・・・あゆみに悲しい思いさせて・・・」
「・・・王子様は・・・目を覚ますかなぁ」
「じゃあ続き読むよ?」
「うんっ」
その絵本はあゆみに勇気を与え、やがて解れかけた家族を繋げていく。
そして時計は午後十時を指した。
「竜司兄ちゃん・・・?」
一人、竜司についていた香樹は、そのまぶたが少しだけ動いた事に気が付く。
「竜司兄ちゃん?起きて?」
香樹が懸命に話し掛ける。
やがて・・・
「・・・香樹・・・」
「起きたぁ?竜司兄ちゃんっ」
「・・・あぁ・・・」
竜司は意識を戻した。
それを確認すると、香樹は嬉しそうに竜司に「待ってて?」と声を掛け、外へと飛び出していく。
「みんなぁーっ!!竜司兄ちゃんが起きたよぉーっ!!」
香樹が廊下へ出ると、竜司は天井を見上げた。
「遥・・・」
夢の中で・・・
その全てがわかった。
今、自分が生きている理由。
そして、今・・・どうしようもなく悲しい涙が込み上げてくる理由を・・・。
香樹に呼ばれ、すぐに武とすみれ、祖母の三人がやってくる。
「竜司!!・・・よかった・・・」
武が、竜司の無事な姿を見るなり、ホッとため息をつくと、すみれは遥を呼びに笑顔で部屋を飛び出す。
一呼吸置き、武は竜司に話し掛けた。
「竜司・・・起きたか?」
「・・・はい」
「香樹が・・・おまえに頑張れって・・・」
「・・・はい」
すると、香樹も嬉しそうに竜司に話し掛ける。
「竜司兄ちゃんっ!!僕・・・頑張ったよ?」
「聞こえたよ・・・?偉いなぁ・・・香樹・・・よく頑張った・・・」
竜司はそう言い、香樹の頭を撫でた。
その後すぐに、必死でこらえていた涙が零れ落ちる。
どうしたのかと武が聞くとその時、すみれが急いで部屋に戻ってきた。
「どうしたの・・・そんな急いで・・・」
武の問いにすみれは震えながら答える。
「遥ちゃんが・・・」
「え?」
「遥ちゃんが・・・屋上で・・・」
すみれは震えて声がうまく出せない。
「すみれ・・・落ち着け・・・?」
そして震えを抑え、すみれは思い切り叫んだ。
「遥ちゃんが屋上で倒れてるの!!早く!!お願い!!」
その瞬間、武の頭に激痛が走る。
「武・・・?どうした?」
そして、すみれの呼び掛けに答えられぬまま・・・
武も倒れた―――。
午後十時二十分。
武と遥は揃って意識不明となる。
すみれは強く香樹を抱きしめ、目を瞑って奇跡を祈り続けた。
そして竜司は、その命が遥に助けられた事を悟り、ひどく自分の存在を責めたてる。
「なんで・・・俺が助かって遥が・・・もうたくさんだよ!!」
その声に驚きながらも、落ち着いてすみれは竜司に優しく声をかけた。
「竜司君・・・大丈夫だから・・・絶対に大丈夫」
「いつもいつも・・・遥は俺の先を歩いてる・・・」
「ん?」
竜司はどうしようも出来ない想いを訴える。
「あいつの前じゃ・・・俺なんてただのガキだよ・・・いつも支えてくれて、いつも助けてくれる・・・今日だってそうだ・・・」
「遥ちゃんが・・・助けてくれたの・・・?」
「・・・なんで・・・なんで俺じゃないんですか!!俺が死ねばよかったんだ・・・遥の代わりに俺みたいな奴が死ねばいいんだよ!!」
「バカッ!!」
その言葉を聞くと、すみれは耐え切れず竜司の頬を叩いた。
そして力強い声で語りかける。
「・・・どれだけ遥ちゃんが竜司君を助けたいって願ったか・・・」
「・・・」
「この竜司君の体のあったかさは・・・遥ちゃんの想いなんだよ!?」
「・・・」
「その強い想い・・・そんな言葉で踏みにじったらダメだよ!!!」
竜司は悲しみを背負いながら椅子にもたれかけた。
目の前の絶望と自分の不甲斐無さにその時、竜司は立っている気力さえも失っていた・・・。
「自信がありません・・・」
「え・・・?」
竜司が続ける。
「もう・・・自分に自信がありません・・・」
「竜司君・・・」
「こんなに・・・自分を嫌いになったの初めてです・・・」
そしてすみれは隣に腰掛け、竜司を精一杯に励ました。
「私なんかが偉そうな事言えないけど・・・みんな・・・そんなに自信なんて持ってないよ?」
「・・・」
「だから・・・・・・だからこそ人は人を好きになるの」
「え・・・?」
「みんな自信が無いから・・・恋をするんだよ?誰かを好きでいる自分を・・・嫌いな人なんていない・・・」
「・・・」
「人を好きになる事は、自分を好きになる事なんだよ?」
竜司の頬に涙が垂れる。
「そんな素晴らしい事だったら・・・自分に自信が無い事だって・・・別に悪くなくない?」
「・・・」
「人を好きになる資格があるって事だからさ・・・?」
「・・・はい」
「遥ちゃんに出逢って恋して・・・楽しかったり辛かったり・・・同じ時間を過ごして、いっぱい笑っていっぱい泣いて・・・それだけ好きになれたんだから・・・もっともっと自分にも自信持っていいんだよ?それだけで・・・素晴らしい事なんだから・・・何度も勇気出して、何度も頑張ったんでしょ?・・・だったら・・・恥じる事なんて一つも無い」
「・・・」
「その涙が・・・きっといつか笑顔に生まれ変わるから」
竜司はただ視線を一つに絞り、流れる涙を拭う事無く、すみれの言葉を体に染み込ませた。
自分への怒りが静かに優しさに包まれる。
竜司は黙ったまま、消えそうな自分をゆっくりと調整していった。
そしてその時、電源を切り忘れた武の携帯が鳴る。
すみれが応対すると、電話の相手は茂だった。
「・・・波川と申します・・・武君は・・・?」
「あっ・・・今、病院で検査を・・・」
「まさか・・・意識が・・・?」
「・・・さっき倒れて・・・」
「そうですか・・・どなたか武君の身内の方は・・・?」
すみれは祖母に電話を代わる。
「伊崎さん・・・ご無沙汰しております、波川です」
「あの時の刑事さん?」
「はい。・・・伊崎さん・・・大変申し上げにくいのですが・・・」
「・・・えぇ」
「・・・息子さんが先程、危篤状態に・・・」
さかのぼる事、ほんの数分前・・・。
午後十時十二分。
武達の父親もまた、その時昏睡状態に陥っていた。
第十六章 命 ―第二幕―
「・・・そうですか・・・」
「伊崎さん・・・息子さんの傍に・・・いてやってあげられませんか・・・?」
それを聞くと、祖母の目にドッと涙が溢れ出る。
泣きたいわけじゃない・・・。
息子と過ごした全ての映像が、幸せの証として涙で蘇る。
そして祖母は、手で目を覆いながら、震えた声で電話の向こうへと頭を下げた。
「息子を・・・宜しくお願いします・・・」
その言葉で祖母が電話を切ると、すみれは祖母に伺う。
「・・・おばあちゃん?」
「ごめんねすみれさん・・・今、武達のお父さんもね・・・危篤なんだって・・・」
「え・・・」
「何をしたってどこにいたって・・・私にとってはいつまでも息子・・・だからせめてね・・・」
「・・・せめて?」
「せめてもう一度・・・抱き締めてあげたかった・・・」
それを聞くとすみれは祖母に訴える。
「まだ遅くない!!」
「すみれさん・・・」
「・・・まだ生きてるから!!お父さんの所行くよ!?」
「でも武と遥がこんな時に・・・」
「大丈夫!!絶対にあの二人は死なない・・・」
すみれの言葉で、竜司はすぐにタクシーを呼んだ。
戸惑う祖母にすみれが続ける。
「後悔して欲しくないから・・・行こ?おばあちゃんっ」
「でも・・・」
「大丈夫。きっと今、お父さんが武と遥ちゃんを守ってくれてる・・・だから心配しなくても大丈夫っ。私も行くから。ねっ?」
「・・・うん・・・ありがとう」
やがて病院にタクシーが着くと、祖母とすみれ、そして香樹の三人は父親のもとへと向かった。
一方、それを知らない父親は、意識の闇の中で武と遥を探す。
―――武、遥・・・。今まで苦労かけたな・・・こんな父親を許してくれ・・・何もしてやれなかった俺のせめてもの気持ちだ。少しの間でしか生かす事が出来ないが・・・おまえらを一瞬でも幸せ病から守ってやる―――
そして父親は、最後の決意を握り締め、遠い彼方に存在する遥の意識へと語りかける。
すると遥は、暗闇の中で彷徨いながら父親の声を追った。
いつか、遥が疑問に感じた事がある。
《幸せ病ってね?倒れると・・・いっぱいいっぱい夢を見るんだぁ・・・でもなんか・・・その夢は現実と繋がってて・・・そこにはちゃんと私の意志が存在してるの・・・それって何か意味があるんじゃないかなって・・・》
それには確かに意味が存在していた。
幸せ病で意識を失くした場合、夢と現実の境が無くなり、夢の中でも会話が出来る。
また、それにより・・・夢の中での、よほどの強い想いや願いは、正夢のようにしっかり形となって現実へ降り注ぐ。
そして何よりも、生きる力を持った人間の、心の中にある本当の『幸せを願う想い』で・・・大事に想う人の幸せ病を吹き飛ばす事が出来る――。
《人間がいずれ、当たり前に幸せを感じ、気付く事が出来れば別だが・・・そのうち神様が人間のそんな精神へ戦争を仕掛けてくるんじゃないかと思ってな・・・》
そして幸せ病は・・・紛れも無く、人間への精神戦争だった。
だがそれは、誰かと争う事ではなく・・・。
誰かを守りたいと願う、自分の愛との戦い。
幾ら、幸せを踏みにじられても・・・。
決してその幸せを諦めない人・・・。
そして誰かの幸せを笑顔で願ってあげられる人・・・。
そんな、当たり前に持っている人間の本当の強さを、幸せ病は気付かせる為・・・そして学ばせる為にこの世に姿を現したのかも知れない。
そして、それに気付いた人間に与えた唯一の希望と贈り物。
それは・・・。
《大事な人に・・・この願いを届けてくれるという事》
やがて何も無い空間で父親と遥は意思の疎通を図る。
その時二人は、互いに同じ夢を見ていた。
「遥・・・」
「お父さん・・・体、大丈夫?」
「俺なんかの心配して・・・おまえは優しい子だなぁ」
「そんな事ないよ・・・?」
「遥。香樹の面倒みてくれてありがとな?」
「うん・・・」
「それから・・・悲しい思いばかりさせて・・・すまない」
「ん~ん、平気。お父さん?」
「なんだ?」
「私ね?結婚したの」
「そうか・・・おめでとう」
「結婚式とかしたかったなぁ・・・新婚旅行とか」
「・・・そうだな」
「花嫁姿見たかったぁ??」
「あぁ。もちろん」
「私やっぱり、もっともっと生きてたかったょ・・・」
「・・・」
「でもね?初めて人をあんなに好きになれて・・・なんていうか、すごい強くなった!」
「・・・強く?」
「うん。お兄ちゃんに言われたんだぁ」
「・・・なんて?」
「諦めるなって」
「そうか」
「だから後悔してないよ?彼を好きになった事も、この道を選んだ事も・・・」
「あぁ」
「例え、惨めに見えても・・・これが私の誇りだから」
「・・・ん?」
「自分に嘘をつかずに生きた事が、私の誇り」
「遥・・・大人になったじゃねぇか」
「ありがとぉ・・・あのね?お兄ちゃんを・・・助けてあげて?」
「何?」
「まだお兄ちゃんはやり残した事がたくさんある」
「ダメな兄ちゃんだなぁ~」
「へへっ。だから、ほんの一瞬でもいいからお兄ちゃんを戻してあげてほしいんだ」
「・・・おまえは?」
「私は・・・このまま最期を待つから」
「・・・だが・・・」
「きっとなるようになるよっ。多分運命は始めから決まってる・・・だからお願いお父さんっ!お兄ちゃんを助けてあげて?」
「・・・」
「じゃあ・・・もうこれでさよならだね・・・」
「遥・・・」
「バイバイッ!お父さん!!」
そして遥は、夢という意識の断片を自ら切り離し、誰もが知らない未知の空間で一人彷徨う事を選んだ。
それは『死』という世界・・・。
その遥の強い願いは、父親を通して武の体へと伝わる。
だが、一方の父親はその時、最後の命の炎を遥へと燃やしていた。
《遥・・・おまえをまだ・・・死なせやしねぇからな・・・》
遥の命は、今にも千切れそうな父親の微かな命の線で繋がれ、死へと向かうその魂を引き止められる。
その頃武もまた、夢の空間を彷徨いながら父親の声を耳にした。
「・・・親父?」
「武、すまんな・・・何もしてやれなかった」
「いや・・・そんな事ねぇよ。あの時遥に会いに来てくれたじゃん」
「あれは・・・少し恥ずかしい事をしてしまったな」
「何で?」
「あんな真似・・・性に合わねぇじゃねぇか」
「ハハハッ。いつまでも堅い頭してんじゃねぇよ」
「ふんっ。それから武・・・幸せ病は必ず治る。おまえはもう気付いているかもしれんが・・・」
「・・・」
「幸せになって欲しいと願う強い想いで、この病気は消し去れる」
「幸せで病気になって死ぬっていうのに、変な話だな・・・」
「それでももっと強く幸せを願うんだ。幸せは終わりじゃない・・・幸せは始まりだ」
「親父・・・それを掲げて選挙出なよ・・・」
「しかし必ずその反動がやってくる。遥がそうだ・・・相手の幸せを願った途端、また倒れてしまった・・・」
「うん・・・」
「本当は親である俺が助けてやりたい所だが・・・俺はもう生きる力が残っていない・・・だからもうお前達の幸せ病を完全に治してやる事が出来そうもねぇんだ・・・やっぱり結局なんでもかんでも、元気に生きてるうちにって事だなぁ」
「じゃあその元気なうちに願ってくれればよかったじゃねぇか」
「バカ。俺はずっと願ってたよ」
「・・・何を?」
「香樹の幸せをだ」
「・・・香樹の?」
「あぁ。ずっと願ってた・・・大きく成長した香樹の姿を想像してな。俺にはそれが精一杯だ。何の愛も与えてやれなかった・・・せめて・・・俺なんかの願いで可愛い息子を救えるなら・・・そう思って毎晩毎晩・・・・・だから香樹はもう、この先幸せ病で死ぬなんて事・・・絶対無いはずだ」
「・・・そうなのか?」
「それだけ親の愛は強いって事だよ」
「・・・」
「そして本来なら・・・武と遥はもう死んでるはずだ・・・」
「そうだろうな・・・」
「だが・・・こんな最低な父親からのせめてもの気持ちだ」
「え?」
「少しの間、お前達二人が死ぬのを引き止めておいてやるから・・・」
「親父・・・」
「残りの人生、おまえの好きなように生きろ」
「・・・あぁ」
「それから・・・遥に感謝しろ?」
「え?」
「まぁ・・・今にわかる。あと、遥から伝言だ」
「なんだよ・・・」
「お兄ちゃんも諦めるな・・・だってよ?」
「・・・そう・・・」
「武。おまえはすでに俺を超えてるからよ」
「・・・」
「俺はおまえを尊敬してる。頑張れよ?武」
夢の中の父親と遥の願いが、現実へと降り注ぎ・・・そして武の命は続いていく―――。
それと同時に遥は危篤に陥った。
また、ベッドの上の父親は、死を直前にした遥を自分の命で繋ぎ止め、激しく苦しみ出す。
それはまだ、我が子を死なせたくないと願う、父親の最後の抵抗だった・・・。
「伊崎!!しっかりしろぉ!!」
その姿を見て茂がそう叫ぶと、そこに祖母達三人が駆けつけた。
「・・・伊崎さん・・・来てくれたんですか・・・?」
ドアの前に立つ祖母の姿を見て茂が声を掛けると、祖母はゆっくりと息子のもとへ歩み寄る。
一方、武はベッドの上で目を覚ました。
目覚めた瞬間に自然と流れていた涙を軽く拭うと、遠くで竜司の声が聞こえる。
「遥ぁ!!死ぬなぁーっ!!!」
その声を聞くと武は起き上がり、声のする方へと向かった。
やがて遥の病室に辿り着くと、武は必死に叫ぶ竜司に声を掛ける。
「竜司・・・」
竜司はその声で振り返ると、武の姿を見て気が緩み・・・。
「武さん・・・遥を・・・」
「・・・」
「遥を・・・助けて下さい・・・」
すがるようにその場で泣き崩れた・・・。
「遥を・・・・・死なせないで下さい・・・」
「竜司・・・」
「お願いします・・・・・・俺の・・・・」
「・・・」
「俺の・・・世界一大事な人なんです・・・・・」
「・・・あぁ」
「だから・・・・・・お願いします・・・・助けてやって下さい!!!お願いします!!!!」
「泣くな」
「武さん!!!お願いします!!!・・・・・・・・・どうか・・・・お願いします・・・・」
そして竜司は、遥のもとへフラフラと歩み寄ると、その脳裏に遥の言葉が鮮明に浮かび上がる。
《竜司?この世には見なくていいものもあるんだよ?》
「・・・遥・・・俺やっぱり耐えられねぇよこんなの・・・・・・」
《・・・竜司がそうだから・・・私・・・いつまでも甘えちゃうよ・・・怖かったもん・・・・・・ずっと一人で怖かったょ・・・》
「・・・なぁ遥・・・こんなに近くにいんだろ・・・・・・・何寝てんだよ!!遥ぁ!!返事しろよぉ!!」
《だけど一緒にいたら竜司が辛いから・・・何回も考えて、何回も別れようって思った・・・でも・・・そう決心する度に・・・いつもいつもいつもなんでそんなに優しいの!?ギュってされる度にこのままずっと一緒にいたいって・・・》
「毎日一緒にいてやるから!!!頼むよ!!・・・・・おまえの好きなギュってやつだって・・・・・毎日毎日たくさん飽きるまで何度もしてやるから!!!・・・・・・だから・・・起きてくれ・・・・・」
《好きって言ってくれる度に、嫌な事全部吹き飛んで・・・それだけで嬉しくて幸せで・・・私・・・ダメだなぁ・・・いっぱい甘えちゃうもん・・・それじゃダメなのに・・・それじゃダメなのにさ・・・そんな風に言われたらまた・・・もっともっと好きになっちゃうよ・・・》
「間違ってる事なんて一つもないよ・・・・もっと好きになって、もっともっと俺を好きにさせてくれよ・・・・・・・俺さ・・・こんなに人を好きになったの・・・・・初めてだから・・・」
《ホントにこれで・・・ずっと一緒なの・・・?私・・・もう・・・一人は嫌だ・・・》
「・・・・おまえに届くようにって必死に言葉探しても・・・・・こんな事しか言えねぇ・・・」
《死んでも・・・・・ずっとずっと・・・竜司と一緒がいぃ・・・》
「お願いだから・・・生きて・・・ずっと俺の傍にいてくれ・・・・・・」
そして一方の父親のもとでは祖母が静かに、その苦しむ姿を見ながら語りかける。
「あんたの事だから・・・きっと子供達の事考えてるんでしょ?」
すみれは祖母のその姿を見て、自分のお腹にそっと右手を置いた。
「・・・本当は優しくて、とっても良い子だったね・・・勉強も頑張るし、申し分の無い子・・・あんなに小さかったあんたが・・・」
そして香樹がすみれの左手を握り締める・・・。
「ホントに立派な父親になった・・・」
祖母がそう言うと、すみれは座って香樹の目線に合わせ、笑顔で話し掛けた。
「香樹君。お父さんに、頑張れって・・・言ってあげよ?」
香樹は父親の苦しむ姿に驚き戸惑っている。
「先生が手を握っててあげるから怖くないよ?」
「・・・」
「・・・お兄ちゃんとお姉ちゃんが、後は香樹に任せた!!って・・・そう言ってるよ?」
「え・・・?」
それを聞いた瞬間、香樹の目が真っ直ぐに前を向いた。
「二人の分まで・・・香樹君がお父さんに頑張れ、ありがとうって・・・伝えてあげようよ」
「・・・うん」
香樹は返事をすると、ゆっくりと横たわる父親へと近づく。
その命の幸せを願い続けてくれた父親に向けてゆっくりと・・・。
ベッドの前まで来ると、祖母が座ったまま香樹の肩に手を回す。
「香樹・・・あんたのお父さんだよ?わかるかい?」
祖母の言葉に頷き、香樹は生まれて初めて父の名を呼んだ・・・。
「お父さん・・・」
その時・・・。
声が聞こえたのか、父親は震えながら力強く拳を握る―――。
「お父さん・・・頑張って?・・・」
そしてその父の強さを感じ、段々と香樹の口調が強くなる。
「・・・お父さん!!」
もう・・・。
そこにいる全員が、涙をこらえきれない・・・。
長い年月・・・。
「お父さん!!頑張って!!・・・死んじゃ嫌だ!!」
一緒にいたくてもいられなかったその親子は、ようやく愛を確かめるかのように手を握り合う・・・。
いつか・・・父親は面会に来た茂に、その想いを伝えていた。
《伊崎・・・どうしてあんた程の男が・・・あそこまで・・・確かに弟さん、邪魔な存在だったのはわかる・・・しかし、殺してしまう程憎かったのかい・・・?》
《・・・波川さん・・・貴方には、大事なモン・・・ありますか?》
《ワシにか?・・・何故だ?》
《大事なモンを傷付けられても、怒らないのが立派な人間ですか・・・大人ってやつですか・・・・俺はそうは思わない・・・・大人だろうと、政治家だろうと・・・腹から怒る事だってあるはずだ・・・》
《・・・残念だが・・・世間では通用しない》
《しかし所詮、人間なんです・・・幾ら着飾っても、幾らカッコつけても・・・そんなに強い生き物じゃない・・・俺なんかは・・・本当は弱さの塊です・・・だからあぁゆう結果でしか助けてやる事が出来なかった・・・でも・・・あの子達は違う》
《ん?》
《・・・母親のように優しく強い子供達です》
《・・・》
《俺がいなくても・・・絶対にしっかり生きてくれると・・・信じています》
《・・・そうか》
《いつかここを出たら・・・もう一度一緒に家族全員でご飯を食べたい》
《あぁ》
《香樹は・・・七つ、八つになっているんでしょうね・・・武に似て、ヤンチャに育ってる気がします・・・風呂も一緒に入ってやりたい・・・野球でもサッカーでも・・・なんでもいいからたくさん遊んでやりたい・・・》
《伊崎・・・いつかまた、幸せは戻ってくる》
《はい・・・》
《必ず戻ってくるよ・・・》
きっと神様は覚えていてくれた。
そんな儚い願いを。
「こ・・・うき・・・ハァ、ハァ・・・」
「・・・お父さん・・・?」
それがほんの一瞬・・・。
「ハァ、ハァ・・・も・・・もう一回・・・ハァ、ハァ・・・お父さんって・・・呼んでくれねぇか・・・?」
奇跡として戻ってきた―――。
「・・・お父さん・・・」
「ハァ、ハァ・・・香樹・・・ご飯ちゃんと食べて・・・しっかり勉強・・・しろ・・・よ?ハァ・・・ハァ・・・」
「うん・・・お父さん痛い?・・・嫌だよぉ・・・死なないで・・・」
「ありがとう・・・ハァ、ハァ・・・香樹・・・お父さんな?・・・最後に香樹とたくさん話せて・・・」
「・・・お父さん!!!!」
「幸せだったよ・・・」
その言葉を聞き、香樹が部屋中に響き渡る声で泣き喚いた瞬間、遥の病室では武が竜司の体を起こし、話し始めた。
「竜司・・・おまえに頼みがあんだ・・・」
「・・・はい・・・」
力の無い竜司に、武は一言一言しっかりと語り掛ける。
「俺の机の引き出しにCDがあるから・・・」
「え?」
「それを明日・・・ライオードに持っていってくれねぇか?」
「それって・・・」
「力作だから」
「・・・力作?」
「俺の夢・・・おまえに託したからな?」
「えっ・・・でも・・・」
「・・・俺はおまえの夢・・・叶えてやっから」
笑って武が竜司の肩をポンッと叩くと竜司は、武本人は行かないのかと尋ねた。
「行かねぇ・・・ってか行けねぇっぽいからさ」
そして武は医師に頭を下げ、遥のもとへと近づく。
「遥・・・もうちょっとだけ・・・我慢してくれな?」
そう言うと、武は静かに病院の外へと出る。
「武さん!!どこへ・・・?」
後を追ってきた竜司に武は微笑み、言葉を投げた。
「天国だよ」
「・・・何言ってんすか・・・」
「遥を頼んだぞ?」
「やめてくださいよ・・・もう・・・そんな事言うのやめてくださいよ!!!」
「甘えてんじゃねぇ!!!」
「・・・」
「こんなとこで泣いてる暇あったらちゃんと遥んとこにいてやれ!!!」
「でも・・・」
「・・・きっと目を覚ますから」
「え・・・?」
「遥はきっと目を覚ます」
「・・・」
「傍にいて・・・一番にそれを喜んでやれ」
「武さん・・・」
「遥を・・・幸せにするんだろ?」
「・・・はい」
「だったら・・・行け」
「・・・」
「いいから行け」
そう言われると、噛み締めた顔で竜司は武に背を向ける・・・。
「・・・武さん・・・」
そして背を向けたまま、竜司は武の名を呼んだ。
「・・・死なないで下さい」
「・・・おぅ」
「武さんの夢は・・・武さんでしか叶えられませんから・・・」
震えた声で竜司はそう言い、遥のもとへと帰っていく。
武はそれを見て小さく微笑みながら、竜司と反対方向へ歩いた。
そして竜司から受け取った携帯を手に取り、茂に発信する。
「あっ。おっさん?」
「・・・武か?」
武の声を聞き、茂は驚いて聞き返した。
「あぁ。なんだよ、生きてんのか?みたいなその感じ」
「おまえ・・・意識戻ったのか?」
「まぁほんの一瞬だけな・・・てか親父んとこいるんだろ?」
「あぁ・・・今、危篤の状態だ・・・おまえ今・・・」
「悪いけど、すみれに代わってほしいんだ」
「・・・待ってろ」
そう言い、茂はすみれを外へと呼び出し、武からだと携帯を渡す。
そしてドキドキしながらすみれは電話を代わった。
「・・・もしもし」
「俺だけど」
「うん・・・」
すみれは込み上げる涙を必死でこらえる。
「すみれ・・・赤ちゃん、元気に産んでくれよ?」
それを聞くと、すみれは言葉が出ない。
武が続ける。
「男の子かなぁ」
「・・・」
「・・・女の子かなぁ」
「・・・」
「まぁ。どっちにしても俺らの子だから・・・可愛いはずだよね」
「うん・・・」
「すみれ・・・」
「・・・はい」
すみれが小さい声で返事をすると、武は言葉を発する時間を探す。
「・・・あのさ・・・ちょっと出掛けてくるわ」
武・・・。
私、この瞬間を・・・。
「・・・いつ・・・帰ってくるの・・・?」
ずっと、ずっと・・・。
「・・・ちょっとだけ・・・遅くなるかもしんねぇ」
恐れてた・・・。
「・・・そう・・・」
なのに・・・。
「・・・あのさ」
なんでかな・・・。
「・・・ん?」
今日はあんまり・・・怖くないよ・・・?
「最近・・・綺麗になったよな」
それは、多分・・・。
「ふふっ。何も出ませんよ~?」
武が優しすぎるから・・・。
「ホントにそう思ったもん」
でもね?
「じゃあ・・・待ってる・・・」
私も強くなったんだよ?
「・・・あぁ」
だから武が帰ってくるのを・・・。
「ご飯いっぱい作って・・・待ってるから」
ずっとずっと信じてる。
真実はとてつもなく苦しく
現実は限りなく静かだった。
未来は輝いて見えれど、掴もうとすれば儚さに気付く。
だけど・・・。
人が人を信じる事ほど、美しいものは無い――。
すみれは電話を切ると、目を瞑って武の無事を祈り、父親の病室へと戻った。
そして武はその後少し歩き、以前にすみれと訪れた高台の夜景が見える場所に腰を下ろす。
その幾つもの灯りを眺めると、ゆっくり目を閉じた。
遥が・・・その脳裏に現れる。
その記憶へと舞い戻るかのように・・・。
キラキラと光る星を仰ぎ、武はその場でまた、意識を失くした。
この世でたった一人の妹へ向け・・・。
その命を夢の中へと投げ込む。
そして・・・その体力と精神力は、もうすでに限界を迎えていた――。




