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第十五章 「幸せという病気」

第十五章 幸せという病気






四月十四日。


その日の朝、竜司は武の部屋を訪れていた。






「今日は、遥についてなくていいのか?」


「いや、今日は大事な話が・・・」


そう言い、力の無い声で竜司が武の向かいに座ると、武はコーヒーを出しながら竜司を気遣う。


「なんかおまえ顔色悪いよな最近」


「・・・その事なんですけど」


「その事?」


武が聞き返すと、暗い顔で竜司は話し出した。


「最近、頭痛が激しくて・・・なんかちょっと心配なんです」


「病院行ったのか?」


「いえ・・・」


その瞬間、武の脳裏に、発作で倒れた瞬間の遥の映像が走る。


「・・・おまえ・・・幸せ病なんじゃねぇのか?」


「だけど・・・そうだとしても、なんで俺は遥に比べてこんなに症状が出るのが遅いんですか・・・」


「わかんねぇけど・・・ただちょっと思った事があってさ、遥が死にかけた時、夢ん中で母さんに助けられたって言ったろ?」


「はい」


「それで気付いたんだけど・・・」


「なんすか?」


「幸せ病って・・・治るんじゃねぇかな」


「・・・でもどうやって・・・?」


一瞬、フラットにした武の脳裏に真実が走り始める。


「遥が初めて発作で倒れた時・・・本当はおまえも病気にかかってた・・・幸せ病ってのは・・・タチの悪い潜伏生物みたいなモンでさ・・・」


「・・・はい」


「遥が病気で苦しむ姿を、一番傍で見てるおまえには・・・発作なんか、特に必要無いって事だよ」


「え・・・?」


「おまえは自分が発作で苦しむよりも、遥が辛そうにしてる姿を見てる方がよっぽど堪えるし耐えられない・・・幸せ病はちゃんとそれを知っていやがるんだ・・・人が何に苦しんで、何に絶望するのか・・・」



それを聞くと、竜司の中に延々と降っていた雨が止んだ。


やがてすぐに、風さえも吹かず、世界は赤く染まり始める。



「・・・だけど、なんで今になって俺に症状が・・・」



そして竜司は、今にも飛んで消えそうな意識を奮わせ、確かにそこに存在する病を探った。


一つ大きく息を吐くと、心の奥底で立てた仮説を、武が確信に近付ける。





「それはさ・・・多分、遥の命が・・・」




「・・・もう残り少ないからですか・・・?」




竜司が問うと、武は頷き、この世の乱れた動きを改めて目の奥で見据えてみた。



三十秒程の痛んだ時間を、自分の中で包み込み捨てると、正常に戻す為のタバコを吸い、言葉を発する。




「・・・それがもう一つの幸せ病の本性かも知れない・・・」


「ってか・・・そんなの・・・ホントに神様の仕業なんですか・・・?」


「いや・・・多分、人間自身だよ・・・」


「・・・でも・・・武さん、何で幸せ病が治るかも知れないって思ったんですか?」



そして竜司のその質問に、武は自分自身の答えを出した。





「想いだよ」




「想い?」




「人間の生み出した病気なら・・・人間の想いでしか治らない・・・」




「・・・」




「・・・そう感じただけだ」







その頃すみれは、病院で検診を受けていた。


「相川さん、赤ちゃんの事・・・彼氏さんにお話されないんですか?」


「・・・」


医師が尋ねると、すみれはうつむき、不安な顔をする。


「怖いのはわかりますけど、もう時期、つわりも治まって安定期に・・・」


「先生・・・」


医師の言葉に被せて、すみれは切り出した。


「・・・この幸せで・・・何かが変わっちゃう気がするんです・・・」


「え?」


「世界で一番好きな人の子供を産んだら・・・神様は黙ってないですよね・・・」


「・・・幸せ病?」


「はい・・・この子のパパにも・・・それから、この子にも、それが降りかかる気がして・・・」



それを聞くと、医師は笑顔で、超音波検査をしようと促す。


悩んだ顔ですみれは準備をし、やがて胎児心拍検出が行なわれた。


緊張を見せぬように医師は可聴音を聞き、優しい顔ですみれに話しかける。



「・・・赤ちゃんが生きている証拠です」


「・・・これって・・・」


「赤ちゃんの心臓の音ですよ?」


すみれは、自分の中で懸命に生きている、その命というものを実感した。


そして医師が続ける。


「例えそんな気がしても・・・この子には罪はありません・・・だから・・・幸せをしっかり願ってあげて下さい・・・」


「・・・」


「こんなに頑張って生きようとしてるんですから・・・」






検診が終わり病院を出ると、すみれは暖かい公園のベンチで武を待つ。


今日の青空はゆっくりと雲が流れ、それを眺めていると張り詰めていたものがフワフワと体から抜けていった。




午後二時二十八分。




しばらく目で追っていた雲がいつの間にか形を変え、公園に武が現れる。



「何?ぼーっとした顔して」



ベンチに座ったすみれの顔を見て、笑って武がそう話しかけると、すみれは首を横に振って答えた。



「さっき、そこで遊んでた子がね?」


「うん」


「走ってて転んじゃったの」


「まぁ子供だからなぁ」


「でも・・・その子、泣かなかった」


「偉いじゃん」


「うん・・・私は・・・」


「・・・私は?」


「私は・・・泣きそうなのに・・・」


「・・・どうした?」


武は立ったまま、微笑んで優しくすみれの頬に両手を添える。


すると、その手の温かみにすみれは涙が込み上げてきた。


そして小さな声で話し始める。





「・・・ずっと言えなかった・・・ごめんね?」






「ん?何を?」






「・・・私のお腹の中にね?」






「うん」






「・・・赤ちゃんが・・・いるの」






「マジで!?」



「うん・・・マジで・・・びっくりした?」



「びっくり・・・って言うか何!?何週目!?」



武は興奮した声で、すみれに聞き返す。



「今・・・十週目・・・」



「そっかぁ!!ってか体大丈夫なの!?こんな所にいちゃダメなんじゃねぇの!?」



「・・・つわりは今、ひどいけど・・・公園にいるのは大丈夫なんじゃないかな・・・?」



「そっかそっか・・・えっ・・・もう蹴ったりするの?」



「・・・ん?それはまだ感覚無いけど・・・」



「そう・・・よしっ!!頑張って産まなきゃなっ!!」



そう言い、武はその場に座り、嬉しそうにすみれのお腹を撫でた。


そしてその一瞬の顔を見てすみれは、胸の内を明かす。




「・・・武?」




「ん?」




「この子・・・産んでもいいの?」





「え・・・当たり前じゃん」





「じゃあ・・・それまで元気でいてくれる?」






「・・・おぅ」







「ホント?」







「・・・ホントだよ?」







「じゃあ、この子が産まれてからも・・・ずっと一緒に元気でいてくれる?」








「・・・うん」









「毎日、三人でご飯食べて、三人でお風呂入って、三人で同じベッドで寝て・・・旅行行ったりとか・・・あっ、運動会とかさっ!親子の競技とかあるんだよ!?そうゆうのとか・・・色々・・・」













「あぁ・・・」













「って・・・そんな幸せ・・・描いちゃダメかな・・・」






武は、その言葉に胸が激しく痛む。


そしてそれを、どうにか励ましに変えた。




「・・・お母さんが弱気になっちゃダメだよ?」


「うん・・・武は、優しいね・・・」


「そんな事・・・」


「産んでいいって・・・武ならそう言うだろうなぁって・・・ホントはね?・・・なんとなくわかってた」


「そっか・・・」


「・・・でもこんなに喜んだ顔してくれるなんて・・・思ってなかったよ・・・?」


「・・・そう?」


「・・・私もそんな風に・・・」



すみれは、震えた言葉を詰まらせ、下を向いた。



「ん?」






「そんな風に・・・この子の命を喜んであげたいな・・・」






すみれの頬を、一粒だけ涙がこぼれる。


その消えていった雫を見て武は、心配した顔ですみれを伺う。





「・・・すみれ・・・産むの、迷ってるのか?」



「・・・違う・・・」



「・・・」



「私はただ・・・この子の幸せを願ってる」



そう言い、涙の跡を拭うと、すみれは空を仰いだ。



「初めて知った時・・・中絶なんて考えもしなかった・・・元気に産まれて来るその顔を早く見たいって、早く抱きかかえてあげたいって・・・そう思った」




「うん・・・」




「だけど・・・幸せを願う度に・・・苦しい・・・」




「・・・」




「・・・そんな風に思うの・・・私だけかな・・・」




「・・・すみれ・・・」




「この子が産まれて・・・私も病気になったら・・・この子はどうなるのかな・・・?」




「・・・」






「妊娠を知って嬉しくて嬉しくて・・・だけどすぐに不安が襲ってきて、病気が怖くて・・・私だけの体じゃないんだよ?だから、それを考えたら素直に喜んでいいのかわからなくなって・・・それで、武の事も、この子の命も心配で苦しくって・・・もう、私・・・自分がわかんなぃ・・・」





やがて耐え切れず、すみれが泣き出すと、武は優しい顔で隣に座って話し出した。




「・・・すみれはいつも自分に正直だね」


「・・・正直?」


「なんか・・・人って強くいようとするほど・・・いつしか、弱さを隠すようになる。でも・・・強いって、弱さを見せない事とは違うと思うんだぁ。ほらっ、弱いとこを知らなきゃ強くなんてなれないと思うしさ?」


「・・・そうだね」


「だからすみれは何にも間違ってなんかないよ?誰だって内にこもって悩んだり、それが怖かったり・・・自分がわからなくなる事だって、嫌いになる事だってある・・・それは弱さって言うより・・・ホントは守りたい大切なモノがあるって事じゃないかなぁ。それが情けない自分でも、どうしようもない自分でもいい・・・」


「・・・うん」




その時、すみれの心は一つの決心へと進みかける。




「俺達は、弱いから強くなるんじゃない・・・」









「・・・」









「守りたいから・・・強くなるんだよ・・・?」









「・・・もう・・・泣けるから・・・ダメ・・・」



そしてすみれの心に、澄んだ水が流れ出した。

武が続ける。



「幸せ病だってさ・・・きっといつか終わる・・・俺が・・・絶対守ってやるから」





「・・・」





「・・・すみれも・・・産まれてくる子供も」





「・・・うん」





「・・・絶対、守ってやる」










しかし、流れ出した澄んだ水は、すぐに幸せ病がせき止めてしまう。



そして、その日の夜。



その病が、ついに竜司に襲いかかってきた。


夕飯の後、竜司は武達の目の前で倒れ、そのまま遥の入院する病院へ搬送される。


そしてまったく先の見えない奇怪な病を前に、あの日と同じように武は、何も出来ずただ見守る事しか出来なかった・・・。



やがて集中治療室へと入った竜司の安否を思い、まだ寒さの残るロビーで、武は一人拳を握り締める。


その見つめる視線の先には、遥が倒れた日の光景が浮かび、また一方で、自分に降りかかる重みを蹴散らそうとしていた。


そのまま新しい朝を迎え、初めて発作で倒れた遥の症状と同様、竜司はすぐに意識を戻し、全てを知り、もがく為の時間を与えられる。


そして武は医師の呼びかけで我に返り、目を覚ました竜司の病室へと入った。


その、暗く痛ましい空間の中、自らを悩ます恐れを消し去り、武は竜司を気遣う。




「竜司、大丈夫か?」




その呼びかけに竜司は小さく頷き、だるく重たい体を起き上がらそうとした。




「いいから。ちゃんと寝て良くなれよ?」


「・・・すいません」




竜司が謝ると、その後、武は笑顔で話し始めた。




「朝、話したばっかなのに・・・タイミングってあるだろ」


「・・・そうですね」




武の表情を見て、安心した顔で竜司もまた、笑ってそれに答える。


そして一拍置き、武は自分から遥へ伝えるか否かを伺った。



「遥には・・・どうする?俺が言おうか?それとも・・・黙っておくか?」



「・・・いや・・・俺から言います」



竜司は小さな声でそう答えると、重たい天井を見つめながら静かに続ける。



「・・・武さん・・・」



「ん?」



「・・・遥は・・・こんな恐怖を体験してたんですね・・・」



その時、武は突然胸に痛みを感じ、それを竜司に悟られないように穏やかに答えた。



「・・・どんな?」





「・・・真っ暗なんです・・・俺、一人だけ、ずっとその空間に取り残されてて・・・」



「・・・怖そうだな」



「はい・・・あいつ・・・ずっと一人で怖かったんだなって・・・」



そう言うと、竜司は遥を思い、その苦味を噛み締める。



「・・・一人には・・・させたく無いんです・・・もう・・・一人で苦しんで欲しく無い・・・だから俺もこんな風になって・・・やっと同じ苦しみに立てて・・・なんか、嬉しいって言うかなんて言うか・・・」



「まぁ・・・嬉しいってのは言い過ぎだけどな」



「そうですね・・・こんな気持ち・・・感じた事も無くて」



「・・・ありがとな」



「・・・いえ・・・すいません、なんか・・・」



互いの気持ちを理解したいと思う、その時の二人の強く大きな優しさは、相手の強さ、弱さをどちらも否定しない事だった。



そして窓の外では太陽が、今日の空を遠慮無く、また、何にも憚れる事無く頂上を目指し始めていた。








四月十五日、午前九時三十四分。








現状の厳しい変化を皮肉るかのように、日差しが昨日と変わらぬ柔らかなぬくもりを、病院の屋上にいる竜司と遥へ与える。




「ねぇ竜司。桜、もうすぐ満開になるかなぁ?」



「ん~・・・毎年こんなもんだっけ?」



遥の問いに竜司は、自分の中での隠しきれない心の沈みに動揺する。



「早く満開にならないかなぁ」



「・・・うん、そうだね」



そしていつも交わしている何気ない会話に、遥は微妙なブレを感じた。



「・・・竜司?」



「・・・ん?」



「・・・大丈夫?」



遥は竜司の目を見ながら、その原因を確認する。


一方の竜司は、遥のその言葉に救われながら、一息ついて心を落ち着かせた。


そして短い沈黙の後、昨日の発作の事実を切り出そうとすると、逆に遥が竜司に謝りだす。



「竜司・・・ごめんね・・・?」



突然の言葉に、竜司は一瞬たじろぎ、何故だと聞き返した。



「・・・怖い思いさせたよね・・・?ごめん・・・」



「・・・え・・・」



「付き合ってる子のそんなとこ・・・見たくないよね・・・」



「・・・そんなとこ?」



「・・・私、最後まで看取って欲しいなんて・・・思ってないからね?」



そう言い、下を向きながら遥は気持ちにほんの少しだけ力を入れる。



また、竜司はそれを聞くと、遥の全てを抱きしめたい衝動に駆られた。


間を空けず、遥は無理に自分を高め、明るい声で続ける。



「だからホントに無理して私の傍について無くても大丈夫っ」



「無理なんかしてないよ」



竜司がそれを否定すると、遥はゆっくりと首を横に振る。


そして、今度は持っている気持ちを全て開放させた。







「ん~ん、違うの・・・この世には見なくていいものもあるんだよ?」




「・・・なんだよそれ・・・」




「お願いだから・・・」




「・・・」








「お願いだから・・・逃げて・・・」









「・・・え?」









うまく聞きとれない程にその言葉は温かく包まれていて、ほんの一瞬、時が止まったようだった。









「竜司、ありがとぉ・・・」









遥は目に涙を溜め、それを見られないよう顔を背ける。









「もう・・・逃げてほしい」









その勇気の反動があまりにも強烈で、遥は竜司の左手の甲を自分の右手で覆った。









すぐに全ての気持ちと熱が伝わると、竜司は遥の愛に身震いする。


そして言葉では何も表すことが出来ず、遥の体を引き寄せ、思い切り抱き締めた。









「・・・竜司・・・もういい・・・もういいよ・・・」








竜司の胸で、遥は我慢しきれず号泣する。


幾度と無く必死に訴えかけるその言葉に、竜司は更に体を強く抱き寄せ、そのけたたましい繋がりを噛み締めた。







「遥・・・聞いてくれ・・・」







体温が言葉を呼び、竜司がようやく口を開くと、まだ答えのわからないその流れの中、遥は竜司の服を強く握り締める。







「・・・淋しかったよな・・・ごめん・・・無理どころか・・・俺、ずっと遥を一人にしてた・・・」




遥は鼻をすすりながら竜司の胸元で強く首を横に振った。


そんな遥に、竜司はゆっくり語りかける。





「・・・でももう・・・一人じゃないから・・・ずっと一緒だよ?」




「・・・ずっとって・・・」




「昨日の夜・・・俺さ・・・」




「・・・うん」




「俺・・・倒れたんだ」




「え・・・」








「・・・今、実感したよ・・・その幸せを・・・こんな風に大事に思える人が・・・同じように俺の事を思ってくれてる・・・それ以上の幸せ無いよな」




穏やかな天候がその瞬間・・・遥の中に、気を遠くへ吹き飛ばしそうな熱を噴かせた。





「・・・なんで?・・・幸せ病って・・・事?」




「・・・うん」




小さな声で竜司が頷き答えると、遥の心は悲しさで溢れ返る。




「・・・そんなの・・・おかしいよ・・・今までなんとも無かったじゃん・・・なんで今になって病気に・・・」




「・・・遥?」




「・・・私が病気になったから・・・竜司はかからなかったんだって・・・ずっと思ってた・・・ずっと・・・そう思ってきた・・・私が病気になる事で、竜司が救われるなら・・・それでいいって・・・そう思ってきたのに・・・」




「・・・」











「今になって・・・全部、崩れちゃった・・・」










遠くで聞こえたチャイムの音をなんとか聞き取りながら、この時、遥は見出せた光を失った――。





そして、竜司は闇に逃げていくその幸せな笑顔を追った。




ただ無我夢中に、遠い彼方に消えそうな遥の笑顔をもう一度、心から探し求める。














「遥・・・ありがとう・・・でももう、一人にさせないから・・・もう・・・一人で淋しい思いはさせない・・・」









「・・・竜司がそうだから・・・私・・・いつまでも甘えちゃうよ・・・」









「・・・ん?」









「怖かったもん・・・」









「・・・」









そして遥は、張り詰めた糸が切れ、子供のように泣きだした。









「・・・ずっと・・・一人で怖かったょ・・・」









竜司は抱き締めたまま、遥の頭を撫でる。














「だけど一緒にいたら竜司が辛いから・・・何回も考えて、何回も別れようって思った・・・」











「・・・うん」











「でも・・・そう決心する度に・・・いつもいつもいつもなんでそんなに優しいの!?ギュってされる度に・・・このままずっと一緒にいたいって・・・」











「・・・」













「好きって言ってくれる度に、嫌な事全部吹き飛んで・・・それだけで嬉しくて幸せで・・・私・・・ダメだなぁ・・・いっぱい甘えちゃうもん・・・」












「・・・」













「・・・それじゃダメなのに・・・」














「遥・・・」













「それじゃダメなのにさ・・・そんな風に言われたらまた・・・もっともっと好きになっちゃうよ・・・」











「・・・あぁ」














「ホントにこれで・・・ずっと一緒なの・・・?」













「あぁ」












「私・・・もう・・・一人は嫌だ・・・」












「うん」

















「死んでも・・・・・ずっとずっと・・・竜司と一緒がいぃ・・・」















独りで生きている人間なんていない。



けれど、誰もがその独りを背負っている。



遥が精一杯に掴んだ、竜司の服のしわが、その淋しさの全てを物語っていた。






そして日が暮れ、午後七時五十三分。



竜司に引き続き、武は急なめまいに襲われる。



傍で遊んでいた香樹に、祖母を呼ぶよう伝えると、その後すぐに激しい痛みで意識を失くし畳に倒れた。



祖母が救急車を呼び、すみれに連絡が入る。


およそ三十分後、病院の待合室に着いたすみれは、落胆した祖母と香樹に話しかけた。




「武は・・・」


「・・・倒れた時に頭を打ったみたいだから・・・今はまだ意識が・・・」




そう祖母が答えると、すみれは不安と心配でその場に座り込む。



「すみれさん・・・大丈夫。この間みたいに、すぐにまた元気になる・・・」



「・・・そうですね」



祖母が元気付けようとそう言うと、すみれは長椅子に座りなおし、少し自分を落ち着かせた。


そんなすみれの顔を見て、香樹が小さな声で話し掛ける。



「お兄ちゃんは・・・?元気になる?」


「・・・もちろんっ。起きたら元気づけてあげようね?」



すみれは香樹にそう話しながら、頼るような香樹の不安顔に押され、恐る恐る武の病室へと入った。


そして竜司と遥は、次々と仕掛けてくる、その病気の恐ろしさに絶望する。


それは、二人にとって強い支えとなっていた武の、二度目の発作を目の当たりにし、変えられない現実を改めて思い知らされたからだった――。




午前六時十四分。




目が覚めた武は、看病をしながらそのまま眠ってしまったすみれに話し掛ける。




「すみれ・・・おはよ・・・」



「・・・武・・・大丈夫なの・・・?」



武の声ですみれは目を覚まし、その後すぐに体調を心配した。


すると反対に、武はすみれの体を気遣う。



「ありがと・・・こんなとこで寝たら・・・風邪ひいちゃうよ?」



「私の事より・・・まず自分だよ・・・」



「赤ちゃんにも・・・良くないだろ?」



「そうだけど・・・」



「俺なら・・・大丈夫だから」



「どう大丈夫なの・・・?」



「ん?」



「二回も倒れて・・・どう大丈夫なの!?」



すみれの少し力の入った涙声に一瞬、武は何も返せなかった。



うつむき、弱々しい顔つきですみれが続ける。



「・・・ねぇ・・・心配だよぉ・・・やっぱり・・・強くなんてないから・・・」



「・・・ごめんな・・・」



「・・・私・・・逃げ出しそうだよ・・・」



「・・・」



「もう・・・耐えられない・・・」



武は横になったまま、すみれを見て少し微笑み、優しい声で答えた。



「・・・よく頑張った・・・」



「・・・え・・・」



「無理しなくていいよ?」



それを聞くと、すみれは言葉が出ない。


武は、すみれの辛さを闇に追いやるように、目を瞑って続ける。




「たくさん背負わせすぎた・・・ホントに・・・ごめん」




「・・・」




そして五秒以上の沈黙の後、すみれの口からついにその言葉が出てしまう。





「・・・もう私・・・自信ない・・・」




「・・・うん」




「・・・限界だよ・・・」




「・・・」




「・・・ごめん・・・武・・・」




「・・・どうした?」




「・・・自由に・・・なりたい・・・」




「うん」




武は何も反論せず、穏やかな顔で話を聞いた。


すみれは別れと、それを否定しようと滲み出る、苦しい感情で激しく揺れ動く。





「・・・私・・・武が・・・」






「・・・ん?」






「・・・大好き・・・」






そして、すみれの中にただひたすら駆け回るその感情を口に出した瞬間、我慢は全て弾け飛んだ。






「・・・泣くな・・・」






「やっぱり私・・・武が・・・大好きだょ・・・」






「うん・・・ありがとぉ」






「でも・・・見てられないよ・・・」






「・・・わかってる」






「・・・好きな人の死ぬとこなんて、私には見てられないよ!!」






「うん」






「昨日頑張ろうって思ったって今日にはもうダメで・・・情けなくって、こんな自分が嫌で・・・」






「無理するな・・・」






「・・・苦しいよ・・・」






「すみれ・・・昨日も今日も、泣いてばっかいるとお腹の赤ちゃんに笑われるぞ?」






「・・・」






「もう・・・我慢しなくていいから・・・」






「・・・」






「・・・無理に強くならなくていい」






「・・・」









「・・・すみれは・・・ゆっくりでいいから、何かに迷っても、何かに躓いても・・・自分らしく精一杯に生きな?」






「・・・武・・・」






「・・・俺の愛する人は・・・生きなきゃダメだ」






「でも・・・」






「・・・生きてれば・・・それでいい」






「・・・」






「もう・・・学校始まっちゃうよ?」







時計がちょうど七時を回り、そして二人は別れた。




一人では出せなかったその答えは、二人だからこそ・・・そして互いに好きだからこそ見出せた、唯一の光の道なのかも知れない。









すみれが出て行った直後、武は重い体を起き上がらせ、ロビーまで歩き祖母に電話を掛けた。



「あっ、ばあちゃん?」


「武・・・体はもういいのかい!?」


「あぁ。これから帰るから」


「帰るったって・・・まだ病院にいなきゃいけないんじゃないのかい?」


「・・・何言ってんの。会社行かなきゃ」


「そんな体で会社ったって・・・」


「ばあちゃん・・・親父ならどうすると思う?」


「え?」


武は祖母にそう尋ねると、その後、気丈な声で話し始める。






「親父なら・・・真っ先に遥と香樹の事・・・考えると思う」


「武・・・」


「なんか・・・結局、幸せになったら死ぬとかなんとか言ったって・・・世間はほとんど変わってねぇ・・・」


「・・・世間?」


「うん。誰がどこで何をして死のうと・・・それに触れずに生きてるモンや、壊れてない形は当たり前のようにそこに存在してる・・・」


「・・・」


「俺はこの世界の中心じゃない・・・だけど・・・俺の中心にはみんながいる・・・まずは、そっからだ。それを大事に出来なくて男は張れねぇ・・・」


「ふふっ。そうかい」


「・・・だから、絶対に守るって決めた」


「だけど・・・ホントに体・・・」


「大丈夫だから。俺より、遥の心配してやってくれ」


「武は、いいお兄ちゃんになったねぇ」


「ハハッ。昔からそうだけど?」


「ふふふっ。そうだったねぇ」


そして電話を切った後、病室へ戻り着替えようとすると、そこに竜司が訪れた。


「武さん・・・体は・・・」


竜司の気遣いに武は、笑顔で大丈夫だと答える。


すると、竜司は普段着に着替えようとする武に疑問を感じた。


「・・・どっか行くんですか?」


「え?会社だよ」


その言葉に竜司は戸惑う。


「会社って・・・そんな昨日倒れた人が仕事なんて無茶ですよ!!」


「まぁそんな大きい声出すなって」


「・・・すいません・・・でも・・・」


「おまえも俺の中心だよ」


「えっ?」


「おまえの中心は誰なの?」


「俺の・・・中心?」


「そう。いつも心の真ん中にいる人」


「・・・遥・・・ですかね」


「じゃあこんなとこいないで遥んとこ行け」


「でも・・・」


「おまえが止めたって俺は行くぞ?」


「・・・」


「ありがとな」


「・・・はい」





そして武は、病院を出て行った。


何かを変える為では無く、ただいつも通りに・・・。


午後になると、武は休憩時間を利用して茂と待ち合わせていた。


暗く小さな喫茶店でアイスコーヒーを注文し、雑誌を広げる。


特に喉も渇いていないのに半分程を一気に飲み干すと、入り口の鈴の音を鳴らして茂が店内に入ってきた。



茂は武を探し、席に腰掛けると、武の顔を見てすぐに顔色の悪さを指摘する。



「おまえ、顔色悪いぞ?」


「遅いから待ちすぎて体調不良だよ」


「何言ってんだ。ワシも何かと忙しくてな。なんだおまえ、幸せ病か?」


「・・・平気で聞く内容かよ」


茂はメニューを見てホットコーヒーを注文し、タバコに火をつけた。


「おまえは早かれ遅かれ発作が出るとは思ってたけどな。そうだ武・・・会っていきなりこんな事を言うのもあれだが・・・」


「なんだよ」


「・・・親父さん。もう長くはない」


「・・・そうか」


茂が父親の事を伝えると、武は少し間を置いてアイスコーヒーを飲む。


「何だ・・・病気だって知ってたのか?」


「いや、はっきりとは知らねぇけど・・・親父のやつれた顔見りゃなんとなく想像はつくよ」


それを聞き、茂はタバコの煙を上へ向け大きく吐き出すと、顔をしかめて話し出した。


「・・・子供達には黙っておいてくれと言われたんだがな・・・」


「・・・親父らしいな」


「あの人は、少し生真面目すぎる・・・肩の力を抜く事が出来ないんだ」


「あぁ・・・」


「しかしなぁ、そのパワーはすごいモンだよ・・・力量ってやつだろうなぁ、あれは」


「・・・そうかねぇ」


「本当は認めてるんだろ?親父さんの事」


「・・・まぁ・・・」


「もう一度会ってやったらどうだ?」


「あぁ」


「それから・・・幸せ病の事だけどな」


「今日はまたよく喋るなぁ、おっさん」


「バカ。定年迎えたら誰でもこうなるよ」


「あっそう?で、何?幸せ病がなんだって?」



武は笑ってそう言うと、タバコに火をつける。


反対に茂はタバコを灰皿に落とし、三、四回、ポンポンと叩き消した。


そして一つ咳をすると、注文したコーヒーがやってくる。


その熱いコーヒーの湯気と、上手く消し損ねたタバコの煙が天井へと駆け上がり、その苦く、くせのある空間で茂はゆっくりと言葉を投げかけた。




「・・・ワシが思うに・・・人間は思い込みによってどんどん自分を変化させていく生きモンだ。辛いと思えば思うほど本当に取り返しのつかない状態にまで堕ちていく・・・ダメだと思えば思うほど死にたくなる・・・所謂、悪循環ってやつだ・・・しかし悪い事にも終わりはある。必ず・・・終わる日がやってくるんだ・・・」



「・・・そうかもな」




「じゃあ・・・良い事にも終わりはあると思うか?」




「・・・さぁ・・・」




「生きていれば・・・良い事に終わりなんてものは無い」





「・・・」





「生涯・・・せき止められても、踏みにじられても、死ぬまで必ず形を変えて続いてく・・・まぁこれがワシの持論だよ」






「・・・やたらカッコイイじゃん」





「ハハハ。でも本当の事だ。幸せってなんだろうなぁ。もう一度考えてみるのもいい」






「俺にそんな時間ねぇよ」





武がそう言い、親指でタバコをはじき、灰を灰皿に落とすと、茂はコーヒーをかき混ぜ、そのまま続ける。




「武・・・良い事があればよ?・・・この先もっと良い事があるかもしれないって・・・人間、そう思いたくねぇか?」




「・・・そうだな」




「それはワガママでも欲深いわけでもなんでもなく、向上心だ。特におまえらのような若い奴らは、もっともっとそう感じて生きて欲しい」




「・・・あぁ」






「幸せになる事を・・・諦めるな」





そして茂はスプーンを受け皿に置き、コーヒーを口にした。


武は黙って微笑み、隠しきれない悲しさをタバコの煙でごまかす。








「初めて会った時・・・あの日ワシは、人間腐っていた方が生き延びられるのかもしれんと言った」



「そうだっけ?」



「あれは・・・間違いだ」



「・・・」



「まったく逆だよ」



茂がそう言うと、今度は武が語りだした。



「わかってる。だけど答えなんか見つからねぇ・・・幸せ病も、俺たち人間も・・・だから一瞬でも目を離したらやられそうでさぁ・・・結局、心の底ではいつも勝つか負けるかで・・・」



「勝つか負けるかってのは・・・自分にか?」



「いや・・・とりあえず今は俺の場合・・・恋だよ」



「恋?」



「まぁ・・・色々あんだよ、年寄りにはわかんねぇ事情がさ」



「羨ましくもなんともねぇよ」



やがて店を出ると、いつの間にか外は雨に変わっていた。


空を見上げ、近くのコンビニで傘を買った武は、そのまま営業先へと向かう。


そして時折、胸に痛みを感じて立ち止まり、その度にすみれの顔を思い出した。


その鮮明な記憶は、別れの悲しみや後悔を飲み込み、すみれの戻らない笑顔を次々と未来へ突き動かす。


同じ頃、すみれは違う未来を見据えていた。




「みんなぁ~、どんな色を使ってもいいから、今日は好きなように家族の絵を描いてみよぉ~」




すみれのクラスでは、白い画用紙を広げた児童達が、それぞれに真剣な顔で絵に取り組んでいた。


それぞれの机を回り、すみれが子供達の純粋な作品を見ていると、ある児童が徐に質問をした。



「先生っ!普通の顔しか描いちゃダメですかぁ?」


「ん?普通の顔?」




「あのね、笑った顔を描きたいの」


「え・・・どうして?笑った顔を描いていいよ?」


すみれはその質問に違和感を感じ、児童に聞き返す。


「だってぇ、お父さんとお母さん・・・仲が悪くて喧嘩ばっかりだもん」




その言葉で、すみれは気持ちがグラついた。


そして気を取り直し、笑顔で児童に問いかける。





「あゆみちゃんは、笑った顔を描きたいんでしょ?」


「うん・・・」


「・・・じゃあ・・・どうして笑った顔を描きたいって思ったの?」


「ん?・・・だってお父さんとお母さんがね?ずっと仲良しでいてほしいから・・・」




児童が申し訳なさそうにそう言うと、すみれは体の芯が熱くなった。




「先生、あゆみね?・・・お父さんもお母さんも二人共大好きだからね?・・・仲良くして欲しい」


「じゃあ・・・お父さんとお母さんとあゆみちゃんが三人共、元気に笑ってる絵を描こうっ」


「うんっ!」





すみれは笑顔でそう言った後、やりきれない気持ちになる。




自らが投下した青白い閃光が、自分の中の角ばったモノを全て崩壊させた。





やがてすぐに、堕ちた闇の片隅から自然と生まれ、すみれの中でけたたましく、うねり狂い出したもの・・・。












それは中絶という選択だった―――。











その夜、昼間に感じた妙な感覚を家まで持ち帰った武に、香樹が駆け寄ってくる。




「お兄ちゃんっ!元気になった!?」


「おぉ!香樹ぃ。ごめんなぁ心配したか?」


「うん・・・おばあちゃんも、すみれ先生も心配してたよ?でもすみれ先生がね?お兄ちゃんが起きたら元気付けてあげようねって言ってたぁ」


「・・・そっか。ありがとな香樹」


「うんっ。お兄ちゃん、今日はうちにいるのぉ?」


「おぉっ!一緒に風呂入るか!!」


「うんっ」


そのまま居間に歩き、祖母に「ただいま」と告げると、祖母は笑顔で武を出迎えた。


「おかえり武。ご飯食べるかい?」


「もちろんっ」


「香樹?ご飯にするから手を洗っておいで?」


「はぁ~い」


祖母が手を洗ってくるよう促すと、香樹は勢い良く手を挙げ、洗面所へ向かう。


すると祖母がそれを見計らい、武に小さな声で話しだした。



「香樹・・・心配してるよ・・・?あんた達の事・・・」


「ん?」


武がスーツを着替えながら聞き返すと、テーブルにおかずを並べながら祖母が続ける。


「子供は・・・ホントに優しいねぇ・・・どんな子も、同じように親や家族を心配する心を持ってる・・・みんな仲良しでいたい、愛されたいって・・・ひしひしと伝わるよ・・・それを見てるとねぇ・・・なんとしても守ってあげなきゃって・・・愛おしく思うんだよ」


「・・・あぁ」


「武・・・死んだらダメだよ?」


「・・・おぅ」


「おばあちゃん・・・何にも出来なくって・・・ゴメンねぇ・・・」


「何言ってんの。そんな事ねぇよ」


「出来る事ならね・・・代わってあげたい・・・」


「・・・ばあちゃん、ありがと」


武が祖母に礼を言うと、そこに手を洗った香樹が帰ってくる。


「洗ってきたぁ!」


「よーし。じゃあ食うか香樹」


「お兄ちゃんも手洗ってこなきゃぁ~」


「あ・・・そうだな。ちょっと待ってて」



武が手を洗い、三人は夕飯を食べ始めた。


すると、香樹が自分から学校の話をし始める。





「お兄ちゃんっ。今日ねぇ、学校で画用紙に絵を描いたぁ」


「へぇ~。どんな絵?」


「まだみんな出来てないから、また来週も描くんだよ?」


「そっかぁ。え?で、どんな絵?」


「僕、海へ行った時の絵を描いた」


「海?」



すると香樹は、一緒に海へ行ったメンバーを一人一人、指折り数えだした。



「僕とぉ、お兄ちゃんとぉ、お姉ちゃんとぉ、おばあちゃんとぉ、竜司兄ちゃんとぉ、すみれ先生と行った時のやつ」


「あぁ、こないだの冬に行った旅行だろ?」


「うんっ」


そして笑顔で祖母が、徐に香樹に尋ねる。


「香樹ぃ、それでテーマは何だったの?」


「家族だよ?」


武は一瞬、鳥肌が立った。


それを聞くと、祖母が尋ねる。


「・・・香樹にとっての家族は・・・その六人なのかい?」


「ん~・・・ホントはお父さんとお母さんがいたらいいなぁって思うけどね?僕、みんながいるから淋しくないよ?」


「・・・香樹は強いなぁ」


「だから僕・・・」


「ん?」


黙って下を向いた香樹に、優しく武が聞き返した。 

  



「僕・・・ずっとみんなで仲良く暮らしたい」



「うん。だから海行った時の絵を描いたのか?」



「・・・またみんなで行ける?」



「もちろんだよ」



「じゃぁ夏休みに行きたいっ!」



「よしっ!じゃあ勉強頑張ってやるか?」



「やるっ!」





時に、大人は子供から教わるものがたくさんある。


小さな世界から幸せを正直に見据え、そして感じるその透き通った目からは、必ず大事な人を優しく見つめる強さがある。


武は、小さな体から放たれる、その大きな願いをしっかりと胸に刻み、眠りについた。





一晩明け、午前中で学校が終わった香樹は、その足で遥の病室へと向かう。




「お姉~ちゃんっ!」



病室のドアを開け、元気良く香樹が遥を呼ぶと、遥は嬉しそうに話し掛けた。



「香樹ぃ~今日はもう学校終わったのぉ?」


「うんっ、早帰りだもん」


「そっかそっか」


「ねぇっ!竜司兄ちゃんはぁ?」


香樹が竜司の居場所を尋ねると、遥はどうして?と聞き返す。


「遊びたいもんっ」


「そぅ。多分、屋上にいると思うよ?」


それを聞くと、香樹は屋上へと駆け上がって行った。

そしてタバコを吸っている竜司を見つけると、大きな声で名前を呼び、走って近寄っていく。



「おぉ香樹ぃ~。危ないぞ?走ると」


「大丈夫だよっ!ねぇ竜司兄ちゃんっ遊ぼぉ」


「何して遊ぶの?」


「何でもいいよぉ?」


「じゃあご飯食べたばっかだし、お話するか」


「え~」


「後で、キャッチボールでもなんでもするから」


「ホントぉ?」


「ホントホント。だってほらっお腹がいっぱいで動けねぇもん」


そう言って竜司は、少し疑った目の香樹に、自分のお腹を触らせた。

すると香樹は、無邪気な顔でそのお腹を触り笑いながらポンポンと叩きだす。


「ホントだぁ。パンパンっ」


「でしょ?・・・あっでもちょっとあんまり叩くと・・・」


「パンパンお兄ちゃ~ん」


「なんだそれ。おまえ嫌だろそんなお兄ちゃん・・・ちょっと・・・吐くから・・・」


竜司は、ツボにはまった香樹をなんとか抑えると、今日はどうしてこんなに早く病院に来たのかを聞いた。


「もぉ~だからぁ~早帰りだってばぁ」


「だからぁってまだ一回しか聞いてないぞ・・・?」


「すみれ先生が言ってたけど、先生達の会議があるって言ってたぁ」


「そっかぁ。おまえご飯食ったか?」


「お弁当食べたよ?あっねぇねぇ竜司兄ちゃん」


「ん?」


「お姉ちゃんのどこが好きなのぉ?」


突然の香樹の問いに、竜司は驚く。


「ねぇどこどこぉ?」


「どこって言われても・・・なぁ?そりゃぁ・・・全部・・・?」


「嫌いなところは無いのぉ?」


「香樹・・・なんでそんな事、急に聞くのさ」


「別にぃ~」


「なんだそりゃ。香樹は学校で好きな子いないのか?ん?どうなんだおぃ」


竜司が香樹の肩を軽く突くと、香樹は恥ずかしそうに答えた。


「・・・いない」


「ホントかぁ?ちゃっかり彼女いたりしてぇ。ほらっ気になる子とかさ」


「・・・あゆみちゃん・・・」


「えっ?やっぱりいるじゃんかっ!!同じクラスの子とかかっ!?」


香樹は下を向きながら、照れている。



そして竜司にだけ話し始めた。


「・・・誰にも言っちゃダメだよ?」


「言うわけないじゃん。何?あゆみちゃんのどこが好きなの?」


「・・・優しいとこ・・・と、顔」


「顔って・・・その歳でさすがだな・・・血は争えん・・・」


「えぇ?」


「あっいやいや。で、どうなんだ仲良しなのか?」


「うんっ仲良しだよ?」


「じゃあほら。告白とか」


「何?それ」


「好きって言っちゃえよ」


「やだよぉ~・・・僕、顔が赤くなっちゃう」


「なんだぁ男だろぉ香樹っ」


そう言われると、今度は香樹が興味深そうに竜司の顔を見上げて尋ねる。


「竜司兄ちゃんはお姉ちゃんに好きって言ったのぉ?」


「なっ・・・俺か?当たり前じゃんっ」


「緊張した?」


「したかなぁ・・・まぁほれっ竜司兄ちゃんは大人だからな」


「関係あるのぉ?」


「・・・さぁ。とにかく。ちゃんと好きなら好きって口に出して言わないと、相手には伝わらないぞ?」




そこに、昼食を食べた遥が屋上にやってきた。


遥は、並んでベンチに座る竜司と香樹を見ると、その会話が気になり、背後からゆっくりと近づく。


そしてそれを知らない竜司と香樹は、恋愛について語っていた。


香樹は、武とすみれの事についても聞き出す。





「お兄ちゃんもすみれ先生に好きって言ったかなぁ」


「そりゃぁ~言っただろぉ~あぁ見えて意外とキザだからな、武さん」


「キザってぇ?」


「まぁいいんだよそれは。あのな、まず好意を伝えなきゃだぞ?」


「うん・・・」


「好意。わかるか?好意」


「好意・・・」




「いいか。女はシチュエーション大事にするからな。例えばおまえ、トイレの前で好意伝えても、あゆみちゃんドキってしないだろ?」


「なんで?」


「なんでって臭いじゃねぇか」


「あっ、トイレは臭い」


「そう!だから体育館裏とかさ」


「あっ。この間、体育館裏で六年生が喧嘩してたぁ」


「なんだダメだそんなとこ。じゃあほらっ、屋上?」


「先生がね?屋上は危ないから行っちゃダメって言ってたぁ」


「・・・まぁ確かに・・・じゃあ・・・美術室とかか」


「美術室遠いよ?」


「・・・めんどくせぇ学校だなぁ・・・?じゃあ香樹の教室にしよう」


と、そこに遥がやってきた。


「シチュエーションが何だってぇ?」


「あっお姉ちゃんっ!」


「遥ぁ!なんだよいるならいるって言えよぉびっくりしたぁ・・・」


「いる」


「全然おせぇ」


そして遥が質問する。


「何の話だったの?臭いとか、喧嘩とか」


「まぁ・・・そんなとこポイントじゃないけどね・・・?」


竜司が答えると、香樹が目で竜司に「言うな」と訴える。


「OK、OK・・・いやっ、ちょっと男と男の大事な話さぁ・・・ねぇ?香樹」


「うんっ・・・」


「へぇ~」


遥は怪しんだ目で竜司を見た。

それに対し、竜司はごまかす。


「・・・いやぁ~今日はいい天気だなぁしかし」


「ごまかし方が古い」


これじゃダメだと悟ったか、香樹はキャッチボールを竜司に提案する。


「・・・竜司兄ちゃん!キャッチボールまだぁ?・・・」


「・・・おぅ!キャッチボールしよぉ!!」


そうして、ウキウキしながら二人はキャッチボールの為、病院の庭へと向かった。

なんとかバレずに済んだと一安心しながら・・・。

しかし、遥は解っていた。


「香樹が恋ねぇ~・・・・」


そう言い、空を見上げると、幼い頃の自分の恋と茜を思い出す。


空はあの時と同じように、綺麗に青く澄み渡り、今でも尚、遥を応援し続けていた。







やがて夜になると雨が降りだし、そして仕事を終えたすみれの携帯が鳴る。


液晶を見ると、武や遥が入院する病院名が表示され、すみれは一瞬、その着信を切ろうとする。


しかし電源ボタンを押せぬまま、二十秒ほど目を瞑り悩んでいると、やがて呼び出し音が止まった。


その瞬間すみれの胸中に、これまでにない不安と心配が込み上げる。


気付けば、そのまま家路とは反対方向の電車に乗り、病院へと向かっていた。


駆け巡る、嫌な胸騒ぎをなんとか押さえ、仕舞い込みながら・・・。



一方、発信元の病院では、繋がらなかった電話を切り、病室へ戻る遥の姿があった。


部屋に帰り、電話が繋がらなかった事を、待っていた竜司に報告すると、その後、窓の外を眺めながら小さく呟く。



「なんか・・・淋しいなぁ~・・・」



それを聞き、竜司は遥の頭をポンポンと優しく撫で、電話ですみれに何を話そうとしたのかを尋ねた。



「すみれさんに何の用事だったの?」



「ん~・・・お兄ちゃんを宜しくって・・・言おうと思ってさっ」



「そぅ・・・」



「すみれさんは・・・ホントのお姉ちゃんみたいで・・・優しくて綺麗で・・・私、大好き」



「うん」





その後、遥は顔を強張らせて話す。





「でも・・・体、大丈夫かなぁ、すみれさん」



「え?」



「・・・ホントは電話でそれを聞こうと思って」



「すみれさん・・・もしかして・・・」



「ん~ん。わかんないけど・・・なんか心配になって・・・」





そして一方のすみれも、病院にいる三人の安否が心配で仕方がなかった。


ようやく病院に着くと、急ぎ足で武の病室へと向かう。


だが、辿り着いたその病室には、入院しているはずの武の名前が書かれていなかった。







「・・・なんで・・・?」







その時、すみれは人生で初めて、とても大きな後悔に襲われる。


そのまま凍りついた顔で遥の病室に向かい、その病室のドアをノックすると、中からいつも通りの遥の声が聞こえた。







「・・・すみれだけど・・・入ってもいい?」



「どうぞ~」






ドアを開けると、遥は普段のようにすみれを中に招き入れる。






「さっき電話したんだよ~?すみれさんっ」



「えっ?」



「ほらっ、病院から着信なかった?」



「・・・あれって・・・遥ちゃん?」



「うんっ。ごめん・・・忙しかった?」







それを聞くと、すみれは安堵で自然と涙が込み上げてきた。


遥がそんなすみれを気遣う。







「あれ?・・・すみれさん?どうしたの?」



「ごめん・・・私・・・」



「何かあった?」



「私・・・逃げてばっかり・・・」



「ん?」







すみれはそのまま椅子に腰掛け、落胆した顔で続ける。








「武からも・・・病気からも逃げて・・・赤ちゃんまで・・・」



「赤ちゃん?」



「今、お腹に・・・いるの・・・赤ちゃん」



「・・・やっぱりかぁ」






遥の返しに、すみれは少し驚き、聞き返した。







「・・・やっぱ知ってた?」



「ん~ん。夢を見たの」



「夢?」



「元気な赤ちゃんがね?キャッキャッて笑ってる夢」



「・・・」



「でも・・・私の子供じゃなさそうだし、すみれさんかなぁって」



「・・・それだけ?」



「うん。あっ、よくわかんないよね・・・?」







遥が照れながらそう言うと、すみれは心の中で子供の笑った顔を想像する。




そして遥に武の事を伺った。







「武は・・・」



「ん?」



「武は・・・今・・・」



「あっ、お兄ちゃんなら大丈夫だとか言って家に帰ってるよ・・・担当の先生にも止められたのに今日も仕事行って・・・」



「えっ・・・あの体で?」



「うん・・・今日はなんともなかったみたいだけど・・・」



「そう・・・」





すみれはその後、遥に全てを話す。


武との別れ、今の気持ち、そしてこの先の事・・・。


遥は、ただ黙って聞いていた。


特に口を挟むわけでもなく、優しく頷きながら。



すみれが気持ちを伝えきると、遥は諭すようにすみれに投げかける。








「すみれさん?」




「・・・うん」




「私は・・・すみれさんが大好きだよ?」




「・・・そんな・・・」




「だから・・・何があっても応援したい」




「・・・」




「いつか・・・私が屋上で死んじゃってもいいかなぁなんて考えた時、すみれさん言ってくれたよね?」




「ん?」




「香樹を連れてきてくれて・・・この子を抱き締めてあげられるのは、遥さんしかいないって・・・」




「・・・」




「すごく助けられた・・・」




「・・・」




「すみれさん・・・赤ちゃん・・・ホントは抱いてあげたいんだよね?」




「・・・」




「ホントはこの手で・・・抱き締めてあげたいんだよね?」








遥がすみれの両手を握ると、すみれは何度も頷きながら涙を流した。








「お兄ちゃんもきっと・・・それを望んでる・・・」





「・・・」





「生まれてきちゃいけない子供なんていない・・・例え、その先何が待ってても・・・」





「・・・うん・・・」





「私は・・・お父さんとお母さんに・・・ホントに感謝してるんだぁ。お母さんが死ぬ前に・・・最後に言ってあげたかった言葉があるの・・・結局言えなかったんだけど・・・」





「・・・なんて?」





「・・・産んでくれてありがとうって・・・」





「・・・遥ちゃん・・・」





「へへっ・・・ありきたりだしなんか恥ずかしいけどさっ・・・最後はもうそれしか・・・」





「・・・」





「・・・この子も・・・お母さんに早く会いたいって・・・そう思ってるはずだよ?」





「・・・うん」





「産んでくれてありがとうって・・・そう・・・早く泣いて表現したがってるはず・・・」









遥の言葉は、遠い彼方へと響き、やがてすみれの中に宿る子供の命と共鳴する。



それは一層強く光り、すみれの母性に宿った。

また、女性としての愛が、強くすみれを生まれ変わらせる。



そして遥に礼を言い、すみれは病院を出て行った。



遥は、すみれを見送った後、武に電話を掛ける。




「あっもしもしお兄ちゃん?」


「何?なんかあったの?」


武が心配すると、遥は突然前触れも無く切り出した。


「すみれさんの家の近くに公園あるよねぇ?」


「えぇ?何の話?」


「あのね、そこの公園に忘れ物しちゃって・・・」


「・・・何を?」


「大事な物」


「だから何?それ」


「だから大事な物だってば」


「で・・・何なの?」


「見てきて欲しいの。あるかどうか」


「無いんじゃない?」


「ちょっと。話終わっちゃうじゃん」


「俺、明日も仕事なんだけど・・・」


「病人の言う事が聞けないの?」


「俺も病人だってば」


「・・・とにかく!!そこ行って見てきて」


「だから何があんの。すみれに頼めよぉ、近いんだし」


「すみれさんは・・・寝てるみたいだし」


「もぉ~。明日じゃダメなの?」


「ダメだから今電話してるんでしょ?」


「・・・じゃあ行くよぉ・・・」


話が成立したところで遥は電話を切り、その後、竜司の部屋をノックする。


「・・・竜司ぃ」


「あれ?遥、寝たんじゃなかったの?」


「さっきすみれさんが来てくれたの」


「え?こんな時間に?」


「心配して来てくれたんだよ?」


そう言い、遥はベッドに腰掛けると、竜司にしがみついた。


「遥?一人で寝るの淋しくなっちゃった?」



竜司の問いかけに遥はコクッと頷き、温かなその腕で抱き締められる。


一方の竜司は、その存在の全てを包み込むようにゆっくりと続けた。




「そっか・・・すみれさんは?帰ったの?」


「うん・・・一応ね」


「一応?」


「まぁ・・・お兄ちゃんのとこに行ったようなもんかな」


「え?どっち?」


「お兄ちゃんがすみれさんに会いに行くのか・・・まぁどっちでもいいや」


「遥・・・寝ぼけてる?」


「寝ぼけてない・・・あの二人の磁石は中々うまくくっつかないから、ちょっとしたサプライズ作戦?ってやつ」


「何?それ」


「お互いに大好きだとね?見えない磁石でちゃんとピタってくっつくんだよ?」


素直に甘える遥を見て、竜司は今まで以上に遥を愛おしく感じる。


「だから私は竜司んとこに来た」


「じゃあ今日は一緒に寝ようね?」


「うんっ」


そして二人は、一つのシーツにくるまい眠りについた。


温めあった、かけがえの無いその愛が消えぬように。







一方、二人が眠る頃、武は公園に着いた。




「・・・ってか・・・何探すんだ?」




とりあえず遥に電話を掛ける。






《お掛けになった電話は電波の届かない場所におられるか・・・》







「しまったぁ!・・・病院だったなあいつ・・・」





仕方なく帰ろうとするが、その時、武の脳裏にすみれが現れた。


公園から見えるすみれの部屋には電気が点いていない。





「寝てるよね・・・」





そして諦めて帰ろうとした瞬間、武の携帯が鳴り響く。



「・・・もしもし?」



「・・・あっ・・・ごめん・・・寝てた・・・よね?」








着信は、すみれだった。









「いや・・・すみれこそ寝てたんじゃないの?」




「ん・・・?今日はスーパー寄ってて・・・今、その帰りだよ?・・・武は?」




「・・・俺は・・・」





耳を澄ますと、ポツポツと傘に当たる雨の音とは別に、武の背後からコツコツとヒールの音が聞こえる。





「・・・もしもし?武?」





すみれは電話口で武の名を呼ぶと、公園の前で小刻みに光る携帯のライトに気が付いた。




そして武がゆっくりと振り返り、二人は携帯を片手にしたまま目が合うと、互いに胸が高鳴る。





「こんばんわ・・・」





「あっ・・・こんばんわ・・・」








武が挨拶をすると、すみれもまたそれに答えた。



沈黙を作る事も無く、すみれが話し掛ける。










「どうして・・・いるの?」





「・・・いやっ・・・探し物・・・?」






その時、二人には雨の音が全く聞こえていない。






「え・・・何を?」






「・・・ん?・・・大事なもの・・・」






「・・・大事な・・・ものって・・・?」






「・・・俺の大事なもの・・・探しに来た」






「え・・・?」











そして五メートル程の距離を保ったまま、電話越しに武は、すみれに話し始めた。










「スーパーで何買ってきたの・・・?」





「ん?・・・ほらっ・・・晩御飯を・・・」





「レジ袋・・・持ってないじゃん・・・」





「えっ・・・あっ・・・マイバッグだよマイバッグ」





「へぇ・・・じゃあ何買ったか見せてよ」








武はそう言い、ゆっくりとすみれに近づく。








「えっ・・・見せてって言われても・・・」





「何作るの?今日」





「・・・カレー?」





「ジャガイモとかそんなに入る?そのバッグに」





「・・・ルーだけ・・・買ったの・・・」








武は、互いの傘が当たらないギリギリの所まで近づき、電話を切って直接話し掛けた。















「こっちの傘・・・おいで?」






「・・・やだ」






「なんで・・・?」






「・・・悔しいもん」






「じゃあ俺がそっち行こうか?」






「・・・やだ」






「なんで・・・?」






「・・・私が・・・行くから・・・」






「・・・じゃあ捨てちゃえ?」






「・・・」







「もう・・・傘も・・・色んなモンも全部捨てて・・・こっち来い」







「・・・もぉ!嫌いッ!!」







「えーっ!」








「・・・嘘」









すみれの青い傘が濡れた地面に落ち、






二人は抱き合う。











「・・・おかえり」






武がそう言うと、すみれは何も言わず頷いた。


その後、小さな声で武に謝る。







「勝手で・・・ごめん」



「・・・カレー作ってくれたら許す」



「・・・ルー・・・無い・・・」



「じゃあ一緒に買いに行こ」



「え・・・」








「一緒に買い物して・・・一緒に作ればいい」





「・・・」





「で、一緒に食べて、その後一緒に風呂入ってさ・・・で、毎晩一緒に寝よう」





「・・・武・・・」





「・・・この子と三人で・・・一緒に・・・」





「・・・」





「一緒に・・・死ぬまで笑って暮らそう」









すみれは頷きながら、思い切り泣いた。







悲しさではなく・・・嬉しさで・・・。











「いっぱい泣かせて・・・ごめん」










武のその言葉にすみれは首を横に振り、目いっぱいの涙で、これまでの恐怖や不安の燃えカスを全て捨て去る。






「すみれ・・・」




「・・・はい」




「・・・結婚しよう」




「・・・うん」




「一生・・・大事にして・・・一生俺が幸せにしてやる」




「・・・ありがとぉ・・・大事な探しもの・・・見つかった?」




「・・・見つけたよ?・・・もう二度と失くさない」




「そぅ・・・よかったねっ武」










そして二人はすみれの部屋に上がり、産まれてくる子供の話をしながら眠りについた。


死ぬ事など・・・一切考えず、一切口にせず・・・。





ただ、未来だけを見つめてその光を輝かせた。











二人が婚約を交わした次の日、武は竜司のもとへと向かう。


そして、昨日の夜の事を話すと、竜司は自分の事のように喜んだ。


「武さんっ・・・さすが男ですねぇ。自慢しに来たんでしょぉ~」


ニヤつきながら竜司が武をからかうと、武は照れを隠して見せる。


「ちっ・・・いちいち照れるぜっ」


ちょうどその頃、伊崎家では電話が鳴り響いた。


祖母が慌てて受話器を取ると、澤木と名乗る男が武の在宅を確認する。


そして祖母が不在を伝えた。






「いえ・・・武は今、出てしまっていて、おりませんが・・・」


「そうですか。いつ頃お戻りになりますでしょうか」


「夜には帰ってくるとは思いますが・・・」


「ではまた改めます」







一方、病院では・・・。






「竜司よ」


「はい」


「おまえら・・・婚約したんじゃなかったっけ?」


「あっ。そうなんですよ。タイミング逃しました」




そう言いながら竜司が笑うと、武は自分の携帯のメール履歴を確認する。




「武さん?何見てんすか?」




竜司が聞くと、武は受信メールを読み出した。





「・・・遥は、俺が幸せにします・・・だって」


「あっちょっとっ!それ俺のメールでしょ!?」


「これ何気に恥ずかしいよねぇ竜司君」


「今、読むのはダメですよぉ~」




そして武は、笑いながら続ける。




「いや、これさぁ、俺が小さい頃に遥と約束した事とまったく一緒でさぁ」


「え?」


「だからなんか笑っちまった」


「・・・はぁ」


「ちなみに香樹の将来の夢も・・・遥を幸せにしてあげたいだったなぁ」


「・・・はい」


「小さい頃さぁ、親に叱られて外に出されて・・・そしたら遥が傍に来て、なんか二人で色々喋った思い出があるんだよ」








お兄ちゃん・・・


遥は中に入ってな?寒いから・・・


嫌だ・・・


ホントにすぐ泣くなぁ遥は。お母さんまだ怒ってた?


遥がホントの事言う・・・


いいっていいってぇ。遥はお兄ちゃんが守ってやるからなっ


どうして?


そりゃぁ・・・お兄ちゃんだから。遥は女の子だから幸せにならなきゃいけないんだってさっ。お母さんがそう言ってた。


お兄ちゃんは?


お兄ちゃんは男だから、女の子を守るんだよ?


ふ~ん。お兄ちゃん。幸せってなぁに?


・・・幸せってのは・・・ん~・・・なんだろぉ?


お兄ちゃんでもわからないのぉ?


・・・でも、いい事なんだよ?幸せって。遥は、お兄ちゃんが幸せにしてあげるよっ。


わぁ~い








「竜司・・・」


「はい」


「全部、おまえに譲る」


「え?」


「生きて、生きて・・・おまえが遥を幸せにしてやってくれ」


「・・・武さん・・・」


「おまえにしか出来ねぇから」


「・・・」


「あいつを・・・頼むよ」


「はい」








武の中で、幼い頃の遥との思い出が駆け回り、やがてそれは笑顔で消えていった。





その頃、伊崎家では電話口で祖母がもう一度、男の名前を確認する。







「あのっ・・・もう一度お名前頂戴出来ますか?」


「ライオードミュージックの澤木と申します」





そして祖母が電話を切る頃、すみれは遥にお礼を言いに来ていた。





「遥ちゃん、ありがとぉ」


「ん~ん、とんでもない。あ~結婚かぁ、憧れるなぁ」




すみれが礼を言うと、遥は武達二人を羨ましがり、その後すぐに笑顔で話し出す。




「お兄ちゃん、あぁ見えて良い人だからさっ」


「うん」


「あっ!結婚式は!?」


「え・・・でもそんな余裕・・・」


「せっかくだからやろうよ!」


「うん・・・そりゃぁ私は、やりたいけど・・・」


「じゃあやろうやろうっ!小さくてもいいじゃんっ」


そして一方の武に祖母から電話が入った。


「武かい?」


「おぅ、ばあちゃん。どうしたの」


「今、家に武宛に電話があってね?澤木って人から」


「澤木?」


「うん。ライオードミュージックだって」


その名前を聞き、武の心臓の鼓動が早くなる。


「・・・武?」


一瞬、声が途絶えた電話の向こうに祖母が問いかける

と、武は少し声を震わせて答えた。


「・・・ライオードっていやぁ・・・大手のレコード会社だよ」


「え?」


「・・・で、なんて?」


「また掛け直すって」


「そっか。じゃあ今日休みだし、とりあえず家帰るよ」


そして遥の病室。


「でも武がやるって言うかなぁ結婚式なんて・・・あぁ見えてシャイじゃんね」


すみれがそう言うと、遥は冗談で切り替す。


「じゃあ・・・うちらと一緒にやるとか」


「竜司君と遥ちゃん?」


「そうっ・・・てかさ、うちらは一体どーなってんだろ、その辺・・・」


遥が苦笑いをすると、すみれは笑顔で答えた。


「私も、遥ちゃんを応援してるよ?」


「ん?」


「応援してるから・・・幸せになろうね?」


「うんっ。ありがとぉ、すみれさん」


その穏やかな笑顔を見て、桜が一片、その病室の窓から入り込む。

また、その頃茂は一人、墓に水をかけ手を併せていた。

そこにもう一人、ある男が現れ茂に話し掛ける。




「波川さん・・・お久しぶりです」


茂が振り返ると、その男は深々と頭を下げた。


「佐久間・・・元気にしてたか」


「えぇ。お陰様で」


「マルボウが上ってこれないように、墓をもっと山の上に建てるんだったなぁ」


茂が冗談を言いながら起き上がると、男は武の父親について聞き出す。


「波川さん。伊崎は・・・今・・・」


「あぁ・・・もう、長くは無いみたいだ・・・」


「そうか・・・亡くなる前に・・・もう一度会っておきたかったのだがな・・・」


男がそう言うと、茂は顔をしかめて話し出した。


「・・・伊崎は善と悪・・・その両方に支配されて生きている。現役時代、若くしてあれだけの派閥を持った男だ。反対に当然のように知らぬ所で蚤も湧く。本当の悪になりきれなかったのもまた・・・事実で残念な事だな・・・」


「いや・・・伊崎は善を選んだ・・・それが全てで・・・この世にそれ以外は何もない。それが真実だ」


「そうかも知れんな」


茂はもう一度その場に座り、墓に花を添えた。

男が遠くを見つめながら続ける。


「もっとも・・・何が善で、何が悪かもわからない世界だ・・・私は運命なんてものは信じちゃいないが・・・だからこそ枠組みが必要だ。この世界が最低限、その枠の外側、内側を守れというのなら、私はこの組の全てを守るという事になる・・・そしてそれが伊崎にとって家族であっただけの事。人間の生き様なんて、本当は簡単で単純なものだ・・・知っていたんでしょう・・・色の無い世界の素晴らしさを・・・伊崎も先生と呼ばれる男だからな。そして幸せとは単なる原動力だ・・・人の生きる術の一つに過ぎない。その原動力で駆け抜けた人間は、いずれ真実にぶち当たる。そこにはおそらく、善も悪も無いのではないか・・・削って残るものは命のみだ」


「ふふっ・・・今、伊崎の息子がその真実にぶち当たってる所だよ」


「武君・・・だったか」



「そう・・・伊崎武だ。あいつを見ていると、その真実というのが見えてくる・・・おそらく・・・幸せ病っていう善悪の中枢も見えてきたんじゃないか?」


「だとしたら・・・その命をどうするかだ」


「あいつは親父さんと一緒だよ」


「一緒?」


「大事なモノを失くしかけたら・・・全く同じ事をする」


「自分を犠牲にするという事か・・・」


「いや・・・あいつは犠牲などとは思っていないはずだ。そこが・・・幸せ病を倒す必殺技なのかもしれん」


そして男はそれを聞くと、座って墓に手を併せた。


「兵藤の・・・親友だそうじゃないか。その、武君」


「あぁ・・・あんたが手を併せに来ても・・・兵藤は喜ばねぇよ?」


「喜んで欲しいなんて思っちゃいない。あくまでもあいつは自分の意思で死んだんだ。私たちの仕事は・・・綺麗事では無い」


「なに、警察官も一緒さ」




そう言うと茂は、トボトボと歩き、家へ帰る。


背負った人生の重みで、その両足をキシキシと痛めながら・・・。






そしてその日の夜。


竜司と遥は、病院から少し離れた高台にいた。


「よかったぁ、晴れてて」


竜司がそう言うと、遥は芝生に腰を下ろす。


「遥、星好きなの?」


「うんっ。私、昔から星好きだよ?」


「そうなんだぁ・・・」


そのまま二人は、その場に寝転がる。

そして見上げた空には、たくさんの星が光り輝き、竜司が空を見ながら話し始めた。




「遥は、小さい頃どんな子だったの?」




「私?・・・私は結構内気だったかなぁ」




「そうなんだ」




「竜司は?」




「俺はぁ~外で遊んで泥だらけで怪我して・・・で、家帰って母さんに怒られて・・・みたいな」




「なんかわかる気がするぅ。・・・私ね?小さい頃から、晴れた日はいつも星見てたんだぁ」




「へぇ~。綺麗だから?」




「それもあるけど・・・お願い事とかさ、いつも星を見ながら祈ってた。でも、今こうして見てると思う・・・」




「ん?」




「今日のこの光を・・・待ってたんだなぁって」




「え?」




「まさか小さい頃に、竜司とこうやって星を見るなんて思ってもなかったけどさ、今日の光はなんだか今までと全然違う・・・この光はたった一回限りなんだよ?」




「そうだね」




「きっとなんか特別な一日なんだろうなぁ」




それを聞き、竜司の中にある幸せの一つの形が言葉になろうとしていた。


そして、竜司は上を見上げたままそれを解き放つ。




「遥が・・・小さい頃から、今まで込めた願いも、悩みも全部・・・俺が受け止めるよ」




「・・・うん・・・ありがとう」




「だから、これからは、二人で一緒に願お?」




「うん」




「じいちゃん、ばあちゃんになっても・・・一緒に・・・」




「・・・」




「一緒に俺らの幸せ・・・ずーっと願い続けよぉ」




「うん」




「したら、何年先も、何十年先も・・・俺達はずっと幸せだよ」




「そうだねっ」




「一緒に幸せになろうね、遥」




「うんっ。ありがとぉ竜司」



その光景は、空に広がる幾つもの星が、願いの奇跡を届けているようだった。



次の日、二人は籍を入れる。



そして幸せ病との戦いは、局面を迎えようとしていた。




―――FROM遥―――






人ってどうして、悲しい時にも泣いて






嬉しい時にも泣けてくるんだろぉ。







ホントに、涙は自分への励ましなのかもしんないなぁ。









でも、だとしたら・・・人は、そのどちらも経験しないといけないように出来てるのかも。












だから、悲しくても嬉しくても、涙が溢れてくるんだと思う。
















私がこの時、流した涙は一体どっちだっただろう。















たくさんの星に囲まれて、












隣には世界一、大事な人がいる。





















もちろん嬉しくて、とっても幸せだった。




















だけど・・・。





























確信を持って、言い切れない。




























あの涙が、嬉しさと悲しさ。























どっちの涙だったか・・・。






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