魔法士官学校上級生編 1
それは、三年生になって最初の試験を数日後に控えた日のことだった――。
いつものように、アンジェリカとエセルバートは二人で図書室にいた。しばらく互いに黙って勉強していたが、ふいにエセルバートが顔を上げた。
「次の試験、最低一科目はアンジェリカに勝つつもりだ」
「残念でしたね、エセル。私は絶対に負けません」
アンジェリカは顔も上げず、当然のことのように答えた。
入学したころと比べれば、二人の成績差は相当縮まっている。実技では以前から大きな差があったわけではないし、エセルバートは苦手だった筆記科目でも着実に点数を伸ばしている。
それでも、アンジェリカは一度だって油断したことがない。誰よりも勉強し、誰よりも魔法の鍛錬を重ねてきた。だから今回も、自分が勝つ……そう信じて疑わなかった。それにアンジェリカは、ただ勝ちたいのではなく、勝たなければならないのだから。
「じゃあ、なにか賭けようか?」
エセルバートが楽しげに提案してくる。
「いいですよ」
アンジェリカは少しだけ考えた。
「私が全部一位を取れたら……そうですね。またケーキを一緒に食べにいってくださいますか?」
「欲がないなぁ……そんなことは、いつでもできるのに」
エセルバートは呆れたように笑う。
「エセルは?」
そう尋ねると、なぜかエセルバートはすぐには答えなかった。先に周囲へ視線を巡らせる。近くの席に誰もいないことを確かめると、内緒話でもするかのように身を乗り出し、アンジェリカへ顔を近づけてきた。
「まだ先の話なんだけど……卒業式のあとに、パーティーがあるのは知ってるかい?」
アンジェリカはぶんぶんと首を横に振った。
「知りません」
「あるんだよ。卒業生や教官たちが集まって、かなり豪華な料理が出る」
「そうなんですか」
「しかもデザートは、なんと食べ放題だ」
「デザート、食べ放題……」
思わず、その言葉に反応してしまった。
エセルバートが笑いを堪えるように口元を緩める。
「うん。きっとチョコレートケーキもある。だからアンジェリカも楽しめる……はずだ」
アンジェリカはうーん、と首を傾げる。これまでパーティーというものにほとんど縁がなかったので、いまひとつ想像がつかない。
デザートの食べ放題というものは、確かにとても魅力的だけれど……そもそも着ていく服がない。それに、大勢の候補生が華やかな服を着て集まる場所へ行ったところで、自分が馴染めるとは到底思えなかった。
きっと壁際で所在なく立ち続け、早く寮へ帰りたいと考えることになる。
「どう? 行けそう?」
「あまり前向きではありません」
アンジェリカは、そう正直に答えた。
「言うと思った。……だから賭けよう。僕が勝ったら、そのパーティーで僕のパートナーになってくれ」
「…………」
アンジェリカは目を見開いた。一瞬、聞き間違えたのかと思った。
「えっ、私が……ですか?」
「ほかに誰がいるんだ?」
エセルバートは不思議そうな顔をする。けれど、不思議なのはこちらのほうだった。エセルバートなら、誘う相手には困らないはずだ。同級生にも、彼と親しい女子候補生は何人もいる。
家柄のことを考えれば、自分よりずっと釣り合いの取れた令嬢だっているだろう。
「返事は?」
考え込んでいると、エセルバートが少し急かすように尋ねてくる。
「い、いいですよ。もちろん、いいです」
そう答えると、エセルバートは嬉しそうに目を細める。
「よかった……楽しみだな」
その表情があまりにも素直に嬉しそうで、アンジェリカの胸が妙に騒がしくなる。
「まだ、エセルが勝つと決まったわけではありません」
「いや、僕は勝つよ」
さらりと言い切る彼に、アンジェリカは少しむっとした。
「私だって負けません!」
「うん、結果が楽しみだな」
いつもどおりの会話のはずなのに、今日はなぜだか調子が狂う。アンジェリカはノートへ視線を落とし、なんでもないふりをしてペンを握り直した。
けれど、頭の中には疑問が残っている。どうしてエセルバートは、自分なんかと一緒に行きたがるのだろう。
(エセルこそ、欲がないです)
賭けの条件として口にするような願いなのだろうか。
(そんなこと……賭けなんかしなくても、誘ってくれたら私は……)
そこまで考え、アンジェリカの手が止まった。
私は――? 続きが浮かばず、慌てて考えるのをやめた。
それからのエセルバートは、普段以上に熱心に勉強へ取り組んでいた。その姿を見ているうちに、アンジェリカは入学以来はじめてと言っていいほどの危機感を覚えた。
試験は自分が勝つ。絶対に首席の座は譲れない。できることなら、一科目だって負けたくない。アンジェリカが試験に勝ち、約束どおりエセルバートとケーキを食べに行く。そして卒業の日には、華やかなパーティーへ向かう人々を横目に、一人で寮へ戻るのだろう。
そんな未来を想像した途端、なぜだか胸の奥が少しだけ沈んだ。勝ちたいと思っているはずなのに、自分が勝ったあとの光景だけは、どうして少しも嬉しく思えないのだろう。
アンジェリカには、その理由がまだわからなかった。




