魔法士官学校入学編 6
アンジェリカがよく利用する本屋へ向かい、二人はそれぞれ二冊ずつ本を購入することにした。
会計を済ませたあと紙袋を抱えようとすると、エセルバートが当然のように手を伸ばしてくる。
「重いだろう? 帰りまでは僕に預からせてくれ」
「いえ、自分の分くらい持てます」
「持てるかどうかじゃなくて……とにかく僕が持つよ」
「でも……」
「いいから」
ほとんど強引に袋を取られてしまった。エセルバート自身も本を買っているため、荷物はそれなりの量になっている。それなのに、彼は気にした様子もない。
大通りへ出れば、自然とアンジェリカを建物側へ寄せ、自分は馬車が行き交う車道側を歩いた。
「疲れてない?」
「平気です」
「喉は渇いてない?」
「まだ大丈夫です」
「足、痛くない?」
「エセルバートさん……私、そこまで体力がないわけではありません」
「でも君、普段まったく外を歩かないだろう?」
彼の中のアンジェリカは、いったいどんな人間なのか。
「学校では、たくさん歩いています。広いですから」
「まあ、大丈夫ならいいんだ。ただ、無理はしないでってこと」
これまでエセルバートのことを、自由で気ままで、思いついたことをそのまま行動へ移す人だと思っていた。けれど、今日こうして二人で歩いてみると、それだけではないことがわかる。人混みではアンジェリカがはぐれないよう歩調を緩め、店へ入るときには扉を押さえ、座るときにはさりげなく椅子を引く。
(……こういう人を、真の紳士というのですね)
育ちのよさ、というものなのかもしれない。
街を歩き、途中で軽い食事を取り、公園を散策する。他愛のない話をしているうちに時間は思っていたより早く過ぎていく。
そして午後。二人は今日一番の目的を果たすため、一軒のカフェへ入った。
朝に待ち合わせた時計台広場に面した店、その奥にある落ち着いた席へ案内された。人目の多いところはどうしても緊張してしまうアンジェリカにとっては、それだけで少し安心できた。
「さあ、好きなものを選んで」
エセルバートに促され、アンジェリカは真剣にメニューを眺めた。
「私……チョコレートが好きです。だから、チョコレートケーキにします」
「へえ。アンジェリカ、チョコレートが好きなんだ」
「はい」
「覚えておこう」
なんでもないように言われたその一言に、なぜだか胸がくすぐったくなる。
「じゃあ、僕はチェリーのタルトにしよう」
しばらくして運ばれてきたチョコレートケーキは、艶やかな表面に薄く粉糖が振られ、小さな果実まで添えられていた。
アンジェリカは、少し緊張しながらフォークを入れ、一口食べる。濃厚な甘さが舌の上で溶け、あとからほどよい苦みが広がった。
「どう?」
向かいから、エセルバートが楽しそうに尋ねてくる。
「おいしい……です」
口に出してから、もう一口食べる。
「こんなおいしいケーキ、これまで食べたことありません」
「それはよかった」
エセルバートは自分が褒められたわけでもないのに、満足そうだった。アンジェリカが夢中でケーキを食べていると、不意にエセルバートが口を開く。
「ところでアンジェリカは、いつまでそのしゃべり方をするつもりなんだ?」
「しゃべり方……ですか?」
突然話題が変わり、アンジェリカはフォークを止めた。
「僕らは対等な立場のはずなのに、丁寧すぎる」
「ああ……」
アンジェリカは少し考える。
「これは、エセルバートさんが年上だからというわけではなく、ただの癖なんです」
「それは知ってる。ほかの人にも同じ話し方をしてるから。かわいいとは思うけど……少し寂しい気持ちもある」
「寂しい?」
予想していなかった言葉に、アンジェリカは首を傾げた。
「距離を感じるというか、なんというか……」
エセルバートは珍しく言葉を選ぶように視線を泳がせる。それからなにかを思いついたように、ぱっと顔を上げた。
「そうだ。せめて、その『エセルバートさん』って呼び方は変えてみないか?」
「では、レルカンさん?」
アンジェリカが試しに姓で呼ぶと、エセルバートはわかりやすく肩を落とした。
「違うよ。むしろ遠くなってる」
「では、なんとお呼びすれば?」
「愛称で呼んでくれってことだ。特別親しい友人は、僕のことを『エセル』と呼ぶ」
エセルバートが、少し身を乗り出した。
「さあ、どうぞ」
「今ですか?」
「今だ」
そんなふうに真正面から待たれると、かえって言いづらい。特別親しい友人だけが呼ぶ名前。許可された、その中に自分も入れてもらえる。そう考えると、胸の奥が妙に落ち着かなくなった。
「あの……その……」
「うん」
「エセル」
声にした途端、ひどく気恥ずかしくなった。アンジェリカは耐えきれず、目を伏せる。
「……これでいいですか?」
返事がすぐに来ない。
不思議に思って顔を上げると、エセルバートもまた少しだけ視線を逸らしていた。
頬が、わずかに赤い。
「うん、それでいい」
それでも彼は、嬉しそうに笑った。
「そのほうがいい」
胸の奥が、また少しだけ熱くなる。アンジェリカは誤魔化すように、残っていたチョコレートケーキを口へ運んだ。甘いはずなのに、心の動揺から味がわからなくなった。
◇ ◇ ◇
一年生を終え、二年生へ進級してから行われた試験でも、筆記、実技ともにアンジェリカが一位となり、エセルバートがそのあとに続いた。
試験が近づけば、一緒に図書室へ行く。負けたくない相手でありながら、誰よりも自分の努力を理解してくれる相手でもあった。
アンジェリカはずっと首席の座を守り続けていた。けれど、学校生活そのものは、勉強のようにうまくいくことばかりではない。周囲と馴染めず困っているときに、いつもエセルバートが助けてくれた。
「アンジェリカは僕がいないと、本当に危なっかしいな」
そう言って笑われるたびに腹は立ったが、否定しきれないことがまた悔しかった。エセルバートが隣にいることは、いつの間にかアンジェリカの日常の一部になっていた。
そうして出会ってから二年が過ぎ、二人は最上級生となった。十五歳だったアンジェリカも十七歳だ。二年間で背丈はかなり伸びた。以前ほど子ども扱いされることもなくなり、制服の袖も一度作り直している。
けれど、エセルバートとの身長差は縮まらなかった。彼もまた成長を止めていなかったからだ。以前は細さの残っていた身体も、訓練を重ねるうちにすっかり逞しくなった。肩幅が広くなり、顔立ちに精悍さが増している。
以前と同じように笑っているのに、ふとした瞬間、知らない男性を見ているような気持ちになることがあった。そのたびにアンジェリカは、なんとなく落ち着かなくなり、視線を逸らした。
そんな関係はずっと変わらないと思っていた。……最上級生になって、最初の試験結果が張り出されるまでは。
掲示板の前に集まった候補生たちの隙間から、アンジェリカは自分の名前を探す。……一位の欄に書かれていたのは、自分の名前ではなかった。
(嘘……ですよね?)
アンジェリカは、はじめてエセルバートに負けたのだ。




