魔法士官学校入学編 3
入学から五ヶ月が過ぎたころ、魔法士官学校でははじめての大きな試験が行われた。
試験は筆記と実技の二種類に分かれており、その総合成績によって順位が決まるが、どちらの試験でも一位となったのはアンジェリカだった。
「アンジェリカ、首席おめでとう」
成績が張り出された掲示板の前で、真っ先にそう声をかけてきたのはエセルバートだった。
「あ、あ、ありがとうございます、エセルバートさん」
アンジェリカは振り返り、ぺこりと小さく頭を下げる。周囲にはほかにも特別クラスの候補生たちが集まっていたが、直接祝いの言葉をくれたのは彼だけだ。
でも、それが嬉しい。頬はむずっとして、くすぐったくなった。
「でも、次は負けないからね」
祝いながらそんなことを言って、悔しそうというより、むしろ楽しそうに笑っている。
実技試験でのエセルバートの順位は二位だった。
二人の魔力や実技能力に、圧倒的と言えるほどの差があるわけではない。アンジェリカのほうが魔力の扱いには長けていたものの、エセルバートは判断が速く、術式の応用力にも優れている。
ただし、筆記となると話は別だった。エセルバートにはいくつか苦手科目があり、中でも戦史の成績が芳しくない。
「どうして、あの無駄な年号が並んでいるだけの問題が解けるんだ?」
試験が終わって数日後。二人で図書室の机を挟んでいると、エセルバートが答案を前に盛大なため息をついた。
「そもそも、あれになにか意味があるんだろうか。今後の人生に役立つ気がまるでしない」
「試験には役立ちます。覚えたら覚えただけ、いい点数になります」
「そういうことじゃないよ」
即座に返すと、エセルバートが恨めしげな顔をする。
戦史は、オルレシア王国が諸外国と争った歴史や、大規模な魔獣討伐について学ぶ科目だ。本来ならば、過去の戦術や判断を学ぶためのものなのだろう。しかし担当教官には少々癖があり、試験では細かな年号や人物名を問う問題が非常に多い。流れを理解しているだけでは、高得点を取るのは難しかった。
「私も、それほど面白いとは思っていません。ただ、覚えるしかないので……」
「なんだ。コツがあるわけじゃないのか」
エセルバートは肩を落とした。どうやら、アンジェリカなら簡単に暗記できる秘訣でも知っていると思っていたらしい。
「そんなにがっかりしなくてもいいじゃないですか」
アンジェリカは困惑しながら、自分のノートへ目を落とす。物覚えのよさは、もともとの性質もあるのだと思う。ただ、それだけではなかった。
アンジェリカは幼いころから、長時間机に向かう生活を続けている。教師が「覚えが悪い」と報告を入れると、そのたびにバシュロがやってきて、叱責され、できるまで繰り返すよう命じられる。だから、覚えられないから諦めるという選択肢を、与えられていなかったとも言える。
そんな惨めな話は、彼に言えないけれど……。
「でも、そうですね……コツと呼べるかわかりませんが、私は自分で年表を作っています」
「年表?」
「はい。教本に載っているものをそのまま覚えるのではなくて、その出来事が起きた理由や、前後でなにがあったかも調べて、一度自分で書き直すんです」
アンジェリカは実際に、自分で作った年表を彼に見せていく。
「たとえば、この魔獣大侵攻だけ覚えようとすると、年号がただの数字になってしまいます。でも、その数年前から周辺地域で魔獣の目撃が増えていて、それを当時の軍上層部が軽視していたことまで一緒に覚えると――」
「ちょっと待って」
エセルバートが身を乗り出した。
「これ、全部君が作ったの?」
「そうですけど」
「……アンジェリカは、試験前にこんなことをしてたの?」
「はい」
「もしかして、図書室以外でもずっと勉強してる?」
「ほかには、なにもすることがないので」
「……そりゃ、負けるわけだ」
呆れたような声だったが、ノートを見る目は真剣だった。アンジェリカが説明を続けると、エセルバートは途中から自分のノートにもなにかを書きはじめた。
わからないところでは質問を挟み、ときには「こっちの出来事と繋げたほうが覚えやすくない?」と逆に提案してくる。そうして話していると、自分一人で勉強しているときとは違った視点が見つかることもあった。
「じゃあ、これから僕も同じ方法をやってみるよ」
「はい、頑張ってください」
「余裕だなぁ……」
「どうせ、私が勝つから大丈夫です」
「言ってくれるね」
静かにしなさい、と司書から注意されるまで、二人は小声で言い合いを続けていた。
◇ ◇ ◇
ガイエ侯爵の代理人であるバシュロがアンジェリカを訪ねてきたのは、それから数日後だ。
アンジェリカの経歴には、ガイエ侯爵との関係は記載されていない。書類上、後見人となっているのはバシュロである。そのため彼は保護者代理という立場で、候補生寮に併設された面会室へ出入りすることを許されていた。
指定された時間に向かうと、バシュロはすでに席についていた。久しぶりに顔を合わせたというのに、挨拶らしい挨拶もなく、本題に入る。
「よくやった、アンジェリカ」
「ありがとうございます」
「侯爵閣下もお喜びだ。実家には、今月はいつもの倍額を送るとしよう」
その言葉には、アンジェリカも素直に顔を上げた。
「本当ですか! ありがとうございます」
母の薬代にもなるし、家の暮らしも少しは楽になるだろう。それは嬉しいことだ。
けれど、同じように成績を褒められているはずなのに、エセルバートに「おめでとう」と言われたときとは、どこか違った。
アンジェリカはその違いについて深く考えず、行儀よく膝の上で手を揃える。
「これからも首席を取り続けるように」
「はい」
「……それと」
そのとき、バシュロの声色がわずかに変わった。眼鏡の奥から、探るような視線を向けられる。
「レルカン家の子息は、どのように過ごしていますか?」
一瞬、アンジェリカの身体が強張った。まさか、エセルバートと親しくしていることを知られたのだろうか。
「……エセルバート・レルカンさん、ですか?」
「ほかに誰がいるとでも? 性格や、得手不得手。わかったことがあれば報告しなさい」
アンジェリカは、少しだけ安堵した。友人として付き合うなと言われたわけではない。だからといって、進んで二人の関係を話す気にもなれなかったが……。
「彼は同じ特別クラスにいます。性格はいたって明るく、クラスの中心的存在です。実技試験の点数は私より少し下でした。筆記は……いくつか苦手な科目があるようです」
バシュロは何かを記憶するように、ゆっくりと頷いた。そして、続いた質問は、アンジェリカには予想外のものだった。
「交際相手は?」
「交際相手?」
聞き返すと、バシュロの眉間に皺が寄った。
「親しい女子候補生だ。頻繁に行動を共にしている者がいるなら、名前を挙げなさい」
「わ、わかりません……私には、わかりません」
思わず答えたあと、アンジェリカは記憶を探った。エセルバートは誰にでも気軽に話しかけるし、男女問わず知り合いも多い。誰か特定の少女とばかり過ごしている姿など、少なくともアンジェリカは見たことがなかった。
バシュロは、あからさまなため息を吐いてくる。「役に立たない」と叱られてしまう。身構えたが、バシュロは怒りの感情を見せなかった。
「確かに……あなたには、こういったことはまだ難しいようですね」
「……申し訳ありません」
「次からは、少し周囲を見るようにしなさい」
「はい……」
素直に答えながらも、アンジェリカにはいまひとつ腑に落ちなかった。エセルバートが誰と仲良くしようが、試験の順位には関係がない。
なぜそんなことまで知る必要があるのだろう。けれど、わからないことを尋ねれば、また「余計なことを考えるな」と言われる気がした。
だから、それ以上はなにも聞かなかった。




