魔法士官学校入学編 2
無事に入学式を終えた翌日。魔法士官学校での生活は、円形競技場で行われるクラス分け試験からはじまった。
百名ほどいる新入生が観覧席に集められ、一人ずつ名前を呼ばれて競技場へ降りていく。そこで自分がどの程度の魔法を使えるのか、複数の試験官を前に披露するのだ。
成績に応じて、候補生たちはいくつかのクラスへ振り分けられる。各クラスに明確な定員が設けられているわけではない。そして、特に優れた能力を持つ者だけが所属できる特別クラスがあることは、入学前から聞かされていた。
アンジェリカが最低限達成しなければならないのは、その特別クラスに入ることだった。
「アンジェリカ・バロー。前へ!」
最初に名を呼ばれたのはアンジェリカだった。理由は単純で、生まれの遅い順からだったからだ。
「はい」
短く返事をして立ち上がる。
「あれが、例の子ども?」
「本当に候補生だったのか。嘘だろ……子守はごめんだ」
そんな声は聞こえないふりをして、競技場の中央まで歩いた。
「一番得意な魔法でいい。全力でやれ」
試験官が告げる。
「……全力、でいいのすでか?」
「ああ」
アンジェリカは困った。一番得意な火の魔法を全力で放てば、競技場が燃えてしまうかもしれない。この場所には試験用の保護魔法が施されているようだが、不安なものは不安だった。
(なら……広がらないようにすればいいんですよね?)
少し考えてから、アンジェリカはその場にしゃがみ、地面へ手をつく。魔術を学びはじめたばかりのころは、紙の上に自分で魔法陣を描いていたが、今は違う。
アンジェリカの掌には、《描くための》小さな補助魔法陣が刻まれている。そこへ魔力を流し込むことで、地面に大きな《別の魔法》の陣を描くことができる。
アンジェリカが意識を集中させたその瞬間、手のひらを中心として、淡い光が地面を走った。
線が分岐しながら広がっていき、複雑な文様を描いていく。競技場の中央を埋め尽くすほど巨大な魔法陣が完成すると、候補生のあいだからどよめきが起きた。
「なっ……!」
試験官の戸惑う声も聞こえてくるが、はじめた魔法を途中で止めるつもりはなかった。
もちろん、試験官たちを丸焦げにする意図もない。アンジェリカは展開した術式へ、慎重に魔力を流し込む。
ぼうっ、と低い音を立てて炎が生まれた。それは瞬く間に魔法陣の縁をなぞり、円を描きながら立ち上がっていく。
炎は横には燃え広がらない。屋根のない競技場の構造を利用し、すべての熱と勢いを上へ向かわせると、赤々とした炎の柱が、高く、高く空へ伸びる。
魔力を流し続けながら、アンジェリカは炎の形を保つことに意識を集中させた。少しでも制御を誤れば危険だ。気を抜くことはできない。でも、とても楽しい。
「や、やめ! もう、終わりでいい!」
試験官の声が響いたのを確認し、アンジェリカは素直に地面から手を離した。途端に魔法陣の光が消え、それと同時に炎も嘘のように消滅する。
静まり返った競技場で、アンジェリカはゆっくり立ち上がった。
「じ、実力はわかった」
試験官は、汗を拭きながら咳払いをする。
「バロー候補生は、特別クラスへ行くように」
「はい。ありがとうございますっ」
自分の願いが叶ったことに喜び、丁寧に頭を下げ、そのまま観覧席へ戻っていく。
以降、アンジェリカが金銭を積んで裏口入学したのではないかという噂は、ほとんど聞かれなくなった。ただ……友達が増えることはなかった。
◇ ◇ ◇
この年、特別クラスに選ばれたのは十名だった。その中には、やはりエセルバートもいた。
「やあ、アンジェリカ。昼休みだから、一緒にカフェテリアに行こう」
朝、会えば声をかけてくるし、授業で隣になれば普通に話してくる。
「わ、わ、私は一人で静かに昼ご飯を……」
「寂しいこと言うな。ほら、行こう」
いい人なのだと思うが、少し無神経だった。エセルバートの世界はあまりにも自然に彼自身を中心として回っていて、他人が気にするような細かいことまで、いちいち考えていないのだろう。
アンジェリカにも、十五歳の少女としての心くらいある。目を引くほど綺麗な男の子から食事へ誘われれば、多少なりとも胸が跳ねる。そんなアンジェリカの胸の内など、エセルバートが知る由もない。
カフェテリアへ到着すると、アンジェリカはいつもどおり、パンをひとつと野菜のスープだけ注文した。すると横から、エセルバートの怪訝そうな声が飛んでくる。
「それだけ?」
「はい。いつもの量です」
「成長期だぞ。足りないだろう」
そうしてエセルバートは、なにかを決意したような顔をしている。
「今日は僕が払うから、もっとたくさん食べて」
「え……?」
「食べないと、成長できないだろう? お金のことは気にしないでいい」
その言葉に、胸の中にあった小さな浮ついた気持ちが、すっと消えた。
(ああ、私……施しを受けたんだわ)
アンジェリカは、手元の盆へ目を落とした。彼の目に映っている自分は、十五歳という実年齢よりさらに幼く見える、貧相な娘なのだろう。
最近、アンジェリカは陰で「貧乏人」と呼ばれている。本人の耳に届くようなところで言われているのだから、もはや陰口ですらない気もするが。
支援者であるガイエ侯爵から生活費は十分に与えられているものの、アンジェリカはできるだけ使わないようにしていた。少しでも多く貯めて、病を持つ母の病状が悪くなったときに備えるのだ。ちなみに父は退役軍人で、酒浸りでまったく頼りにならない。
ずっと侯爵の支援を受けられる保証などないから、手元にお金を残しておかずにはいられなかった。
だから食費も必要最低限に抑えていた。それに実家が貧しいのは事実なので、「貧乏人」と呼ばれたところで否定のしようもない。
でもエセルバートにまで、そんなふうに扱われたことだけは、なぜだか少し嫌だった。
「これ、美味しかったから、アンジェリカも食べてみるといい」
エセルバートが肉料理を指差す。
「……わかりました」
人目のある場所で揉めるのも嫌だったため、アンジェリカは黙って食事を追加した。
そうして向かい合って席についたが、食べ始める前にどうしても我慢できず、不機嫌さを隠さず口を開いた。
「エセルバートさん、お金持ちだからって、私にこんなことしないでください」
「え?」
「こういうの、嫌です」
高貴な身分の人は、貧しい者に施しをする慈善活動にも慣れていると聞く。けれど、アンジェリカは彼から哀れまれたくなかった。
「金持ちじゃないよ、というのはさすがに気が引けるけど……」
エセルバートは少し困ったように笑う。
「それだけじゃないよ」
「ほかに、なにがあるんですか?」
「小さい子に負けて、僕が悔しいから」
「……はい?」
エセルバートは冗談を言っているようには見えない。むしろ大真面目だった。
「クラス分け試験のトップは、誰がどう見てもアンジェリカだった。魔法の発動には魔力だけじゃなく、基礎的な体力も使うだろう? なのに、こんなに小さくて体力もなさそうな君に、あんなふうに負けたら悔しいじゃないか」
「こんなに小さくて、は余計です」
「だから僕のためにもっと大きくなってくれ。そのためにたくさん食べるんだ」
「…………」
アンジェリカはしばらく黙った。施しよりずっと身勝手な理由で、それがなんだかおかしかった。
「私……黙っててもちゃんと成長しますから。人より成長するのが遅いだけなんです。それに、小さくても、ずっとあなたに勝ち続けます」
エセルバートの青い瞳が楽しそうに細められる。
「そうか。なら、僕も負けてられないな」
そう言って笑った彼から、思わず目を逸らす。なぜだか先ほどより少しだけ、頬が熱い。
その日を境に、二人はよく一緒に勉強するようになった。講義のあとに図書室へ行き、わからないところを教え合う。実技では競い合い、どちらが先に新しい術式を習得できるか勝負をする。
エセルバートは優秀な候補生だった。お互いを高め合えるような、そんな相手と過ごす時間は、アンジェリカにとって大切な時間となっていった。
けれど、ときどき思う。
(……私、この人と仲よくしていていいんでしょうか?)
彼は、ガイエ侯爵から「絶対に負けるな」と命じられている相手だ。厳しいバシュロが知れば、決していい顔はしないだろう。
だが、魔法士官学校の中だけは、バシュロの目が届かない。成績は気にしているはずだが、ここで誰と話し、誰と昼食を取り、誰と勉強しているのかまで報告するようには言われていなかった。
(……とにかく、勝てばいいんですよね)
アンジェリカはそう自分に言い訳をした。エセルバートには負けない。首席を取る。……それさえ守れば、友達でいるくらいは許されるはずだ。
このときはまだ、彼と成績を争うことと、友人を続けることが両立しなくなる日が来るなど、考えてもいなかった。




