魔法士官学校入学編 1
十五歳のアンジェリカは、その日はじめて長距離汽車に乗った。
魔法士としての才能を見出され、とある貴族の支援を受け、人より二年早く魔法士官学校に入学することが叶ったのだ。
がんばればお金がたくさんもらえる。
病気の母を助けることができる。
でも、浮かれてばかりもいられない。
「アンジェリカ、よく聞きなさい」
向かいに座る男が言う。
彼はアンジェリカのお目付役だ。まだ怒られているわけでもないのに、その漆黒の瞳で睨まれると、自然と萎縮してしまう。この男は、気に入らないことがあるとアンジェリカを殴ってくることさえあったから。
「は、はい! なんでしょうか? バシュロさん」
「魔法士官学校に入るからには、遊びにいくつもりでいてもらっては困る」
「もちろんです。ちゃんとがんばります!」
ぐぅと拳を作って意気込みを懸命に表現してみるが、男はフンと鼻を鳴らしたただけだった。
「あのお方に恩返しがしたいなら、必ず首席をとるように。特に……レルカン侯爵家のエセルバートという候補生がいる。その男だけには負けてはならない。わかったな」
聞き慣れない名前に、アンジェリカは一度瞬いた。
「エセルバート……さん、ですか?」
「エセルバート・レルカンだ。覚えておけ」
「はい……わかりました。その人には絶対に負けません!」
魔法士官学校に入ってやるべきことは、首席をとること、そしてエセルバート・レルカンに負けないこと。
(うん、ちゃんとできます!)
この頃のアンジェリカは、軍には派閥が存在し、アンジェリカの支援者であり軍部大臣であるガイエ侯爵と、総司令官であるレルカン侯爵が長年対立していることなどなにも知らなかった。
軍の中でも魔法士は特別な存在だ。才能あるレルカン侯爵家の子息エセルバートが首席で魔法士となり、将来の幹部候補として頭角を現すことをガイエ侯爵は警戒していた。
その対抗馬として、そして使い捨ての道具としてアンジェリカが送り込まれたわけだが、大人たちの都合など知らず、これらの生活にほんの少しの期待を抱いていた。
どれほど厳しくも困難な命令となっていくか、想像することもせずに。
◇ ◇ ◇
「なに、あの子……?」
「どうして子どもがいるの? ここ、遊び場じゃないのに」
廊下を歩いているだけで、そんな声が聞こえてくるが、聞こえていないふりをした。
入学式の数日前から魔法士官学校の寮に入ったアンジェリカだったが、前途は多難と言える。もともと同年代の少女と比べても背丈が低く、身体つきも華奢で見た目だけなら実年齢の十五歳より幼く見える。さらに上の十七歳以上の候補生ばかりが集まる中では、どうしたって異質だった。
そのうえ、通常より二年も早く特例で入学を認められたとなれば、周囲が警戒するのも無理はない。
アンジェリカの支援者であるガイエ侯爵との繋がりについては、決して公言してはならないと厳しくバシュロから言いつけられている。だからアンジェリカの身元について詳しく知る者は少なかったのだが、それがかえってよくなかったらしい。
入寮の日、付き添ってきたのが愛想のないバシュロだったせいで、いつの間にか「どこかの悪徳商会の娘が大金を積んで入学してきた」という噂まで立っていた。
訂正しようにも、コソコソと言われているだけなので、自分から訂正する気にもなれず黙るしかない。
入学式の日も同じだった。
ほかの女子候補生たちはいつの間にか連れ立って寮を出てしまい、気づいたときにはアンジェリカだけが取り残されていた。しかも、入学式が行われる大講堂の場所がわからない。
(私は、どうしたらよいのでしょうか……)
案内板の前に立ち、アンジェリカは困り果てていた。地図らしきものは描かれているものの、校舎の造りそのものが複雑で、現在地すらいまひとつ把握できない。
誰かに聞こうにも、周囲にはもうほとんど人がいなくなってしまっていた。このままでは、入学初日から遅刻となってしまう。……それだけはまずい。バシュロに知られたら、なにを言われるかわからない。
アンジェリカが必死に案内板と廊下を見比べていると、不意に背後から声がした。
「どうしたんだ、君? もしかして迷子?」
振り返ると、そこに立っていたのは、金髪の青年だった。太陽の光を直接受けた髪が、まるで金糸のように輝いている。青い瞳も澄んでいて、鼻筋はすっと通り、整った輪郭にはまだ少年らしさが残っていた。
アンジェリカは、この世にこれほど綺麗な男の人がいるのかと、思わず見入ってしまった。
「…………」
「……君?」
声をかけられ、はっと我に返る。
「ま、迷子ではありません。ただ、大講堂の場所を知らなくて……」
「それを迷子と言うんだよね?」
アンジェリカはかっと頬を赤くした。
言われてみれば、そのとおりである。でもなぜ迷子と認めるのはこんなにも難しいのだろうか?
「どこの子かなぁ? 入学生の妹さん? 親御さんと一緒に来たの?」
「……私、ちゃんと制服を着ています。リボンも曲がらずに結べました」
アンジェリカは、自分も立派な士官候補生なのだと主張するように胸を張った。身につけているのは、魔法士官候補生に支給される深緑色の制服だ。男女で仕様こそ違うが、目の前の青年が着ているものも同じ色をしている。
「……確かに、皆さんより二歳年下になりますが、れっきとした候補生なんです」
青年の青い瞳が丸くなった。
「ああ……そういえば、最年少で入学が認められた人がいるって聞いてたけど……」
そこで言葉を切り、アンジェリカを上から下まで見つめる。
「ものすごい魔法の使い手だって聞いてたから……」
想像していたのと違う。そう顔に書いてあったので、アンジェリカは、わずかにむっとする。
「候補生のアンジェリカ・バローと申します」
それでも丁寧に頭を下げると、青年は楽しそうに笑った。
「小さいのに礼儀正しいんだね。僕はエセルバートだ。よろしく、アンジェリカ」
「エセル……バート?」
アンジェリカは、その名前に引っかかった。つい数日前、汽車の中でバシュロから聞かされた名前だ。
「もしかして、エセルバート・レルカンさんですか?」
「おや? もしかして僕のことを知ってるの?」
青年――エセルバートは、一瞬驚いたあと、すぐに得意げな笑みを浮かべた。
「まあ……有名人だからね、僕は!」
アンジェリカは面食らった。陽気で、自信家で、遠慮がないけれど、不思議と嫌味には見えない。
これまでのアンジェリカの狭い世界には、あまりいなかった種類の人間だった。
(この人が……)
軍部総司令官、レルカン侯爵の長男エセルバート。アンジェリカが、絶対に負けてはならない相手。
バシュロから言われていた人物が、ここ数日で出会った誰よりも親切に、自分へ声をかけてくれた。それがなんとも皮肉に思えた。




