第三百十六話 ゴルダン様の配下
久しぶりに全員揃ったユウトたち。
しかし、ベルグラードの上空に現れた一人の魔族によって、穏やかな空気は一変します――。
翌朝。
「主! あーしがいない間に倒した魔獣、もっと詳しく教えるっす!」
「……なんで?」
「気になるっす!」
ベルグラードの中央部。
朝から賑わう大通りを、ユウトたち五人が並んで歩いていた。
シアたちがアルヴェインから戻ってきたことで、久しぶりに全員が揃ったのである。
昨夜は宿で遅くまで話し込んでいたものの、一か月近く離れていたこともあり、まだまだ話題は尽きないようだった。
「えーっと……グランドライノと、アイアンホーンベアだろ? あとは細々した魔獣も何体か倒したかな」
「グランドライノ! 四体出たって聞いたっす!」
「そうそう。結構でかいサイみたいなやつだった」
「暴食したっすか!?」
「したよ」
「スキルは!?」
「なかった」
「ハズレっす!」
「言い方!」
ユウトが抗議すると、シアは楽しそうに笑った。
「だって、主が魔獣を捕食して何も手に入らないなんて、珍しいっす!」
「最近は結構あるんだけどなぁ」
「そうなんすか?」
「うん。そもそも、俺が持ってない能力が必ずあるとは限らないみたいだし」
ユウトは少し残念そうに肩を落とした。
以前は、新しい魔獣と遭遇するたびに、どんな能力を手に入れられるのか楽しみにしていた。
しかし、すでに多くの魔獣を捕食し、様々な能力を獲得してきた今では、そう簡単に新しいスキルが見つかるわけでもないらしい。
「まあ、倒すのに困ったわけじゃないし、別にいいんだけどさ」
「欲張りっすね!」
「シアに言われたくない!」
「なんでっすか!?」
いつものやり取りに、リトが豪快に笑った。
「ガッハッハ! 相変わらずだな、アニキ!」
「……何が?」
「魔獣を倒した話なのに、スキルが取れなかったことばっかり気にしてるところだよ」
「だって気になるじゃん!」
「普通は危険度Cの魔獣が四体も出たら、無事に倒せただけで十分なんだけどな」
「……そうなの?」
「そうだよ!」
リトが呆れたように答える。
すると、今度はシアが話題を変えた。
「じゃあ、アイアンホーンベアはどうだったっすか?」
「あれは補佐機構に解析してもらったけど、やっぱりスキルはなかったな」
「そっちもハズレっす!」
「だから言い方!」
「でも、あれは素材になったんだろ?」
リトが尋ねる。
「そうそう!」
ユウトの表情が明るくなった。
「珍しい魔獣らしいから、持って帰ってみたんだよ!」
「……危険度Bを?」
「うん!」
「……どうやって?」
「担いで」
「…………」
リトが足を止めた。
「……アニキ」
「何?」
「やっぱり普通じゃねぇぞ」
「今さらっす!」
「今さらね」
シアとシエルが同時に答えた。
「なんでみんなして!?」
ユウトが不満そうに声を上げる。
少し後ろを歩いていたミレアは、そんな四人のやり取りを見ながら苦笑していた。
「私たちがいない間も、随分と楽しそうだったようですね」
「楽しくないよ! めちゃくちゃ忙しかったんだから!」
「その割には、町の皆さんと仲良くなっていたじゃないですか」
「それはそうだけどさ!」
ユウトが頭を掻く。
「なんか、いつの間にか相談されることが増えちゃって……」
「あなたが何でもかんでも引き受けるからでしょう?」
シエルが即座に答えた。
「シエルも手伝ってたじゃん!」
「あなた一人に任せておけなかっただけよ」
「またそれ!?」
リトが笑い、シアもつられて笑い始める。
久しぶりに五人が揃ったことで、いつもの賑やかな時間が戻ってきた。
そんなことを話しながら歩いていると――。
「ユウトさん!」
「はい!」
ユウトが反射的に振り返った。
声のした方を見ると、店先に立っていた獣人族の女性が手を振っている。
「昨日の件、ありがとうね!」
「ああ! あれか!」
ユウトも笑顔で手を振り返した。
「どう? 話まとまった?」
「おかげさまでね! あとはお互いに決めた通りに進めていくだけだよ!」
「そっか! よかった!」
「本当に助かったよ!」
「おう!」
女性は嬉しそうに頭を下げると、店の中へ戻っていった。
「…………」
その様子を見ていたシアが、じっとユウトを見つめる。
「……何?」
「主、もう普通に返事してるっすね」
「……何が?」
「『ユウトさん!』って呼ばれることにっす!」
「……そう?」
「もう慣れたんだな、アニキ」
リトが笑う。
「だって最近、よく呼ばれるからなぁ」
「…………」
ミレアが静かに額へ手を当てた。
「……やはり、手遅れですね」
「何が!?」
ユウトが抗議する。
すると、近くを歩いていた人間族の男まで笑いながら声を掛けてきた。
「ユウトさん! 今日も忙しそうだな!」
「忙しいよ! なんでだろうな!」
「自分で仕事増やしてるからじゃねぇのか?」
「なんでそれ知ってるの!?」
周囲から笑い声が上がった。
今のベルグラードでは、そんな光景も珍しくなくなっていた。
かつては種族の違いによって互いを警戒していた住民たちが、同じ青年へ声を掛け、冗談を交わしながら笑っている。
もちろん、町の問題がすべて解決したわけではない。
それでも、一か月前には考えられなかった変化が、確かに生まれ始めていたのである。
ミレアは、そんな光景を少しだけ嬉しそうに見つめていた。
しかし――。
その穏やかな時間は、突然終わりを告げた。
――バサッ。
「……ん?」
不意に、頭上から大きな羽音が聞こえた。
鳥が羽ばたく音にも似ていたが、それにしては重く、空気を強く叩くような響きがある。
「……鳥か?」
ユウトが顔を上げる。
「……違うわ」
シエルの声が、僅かに低くなった。
「……え?」
その変化に気づいたユウトも、空へ視線を向けた。
青く広がる空。
そこに、一つの黒い影が浮かんでいた。
最初は大きな鳥のようにも見えた。
しかし、影がゆっくりと高度を下げるにつれて、その姿が明らかになっていく。
「……人?」
ユウトが呟いた。
確かに、姿は人間に近い。
頭があり、二本の腕と二本の脚を持っている。
だが、その背には人の身体ほどもある大きな黒い翼が広がっていた。
翼はゆっくりと動き、そのたびに空気を震わせている。
「……魔族」
ミレアが小さく呟いた。
「……魔族?」
ユウトが聞き返す。
「はい。あの翼と、感じられる魔力……少なくとも、普通の鳥人族ではありません」
ミレアの表情は、先ほどまでとは明らかに違っていた。
その様子から、ただならぬ相手であることが伝わってくる。
周囲の住民たちも、次第に上空の存在に気づき始めた。
「……おい、何だあれ?」
「空に何かいるぞ!」
「魔獣か!?」
「いや……人じゃないのか?」
「羽があるぞ!」
ざわめきが広がる。
商店の前にいた者たちが足を止め、空を見上げていた。
中には、警戒して建物の中へ入ろうとする者もいる。
そんな人々の視線を気にも留めず、黒い翼の男はゆっくりと高度を下げていった。
そして――。
――トンッ。
ユウトたちから少し離れた石畳の上へ、静かに降り立った。
黒い髪。
細身ながら引き締まった体格。
鋭く吊り上がった目。
背中には、折り畳まれた大きな黒い翼。
その姿は人間族に近いものの、全身から漂う異質な魔力が、明らかに普通の人間ではないことを示していた。
「…………」
男は周囲を一度見渡した。
しかし、集まっている住民たちには興味がないらしい。
その視線は、すぐに一人の青年へ向けられた。
ユウトだった。
「……見つけたぞ」
「……ん?」
ユウトが首を傾げる。
「……俺?」
「そうだ」
「……誰?」
「…………」
男の眉が僅かに動いた。
「……貴様、私を知らぬのか?」
「……初めて会ったよな?」
「当然だ!」
「じゃあ知らないよ!」
「…………」
男が黙った。
あまりにも当然の返答に、一瞬言葉を失ったらしい。
「……主、正論っす」
シアが小さく頷く。
「黙れ、小娘!」
「なんであーしが怒られたっすか!?」
「貴様ら……!」
男の額に青筋が浮かんだ。
しかし、すぐに咳払いをすると、改めて胸を張った。
「……ふん。ならば、名乗ってやろう」
「……おう」
「よく聞け!」
男は大きく片手を広げた。
黒い翼が、再びゆっくりと開いていく。
「我が名は――バット!」
「……バット?」
「そうだ!」
男は誇らしげに頷いた。
「魔王軍に属し、偉大なるゴルダン様の配下として任務を遂行する者!」
そして、翼を大きく広げた。
「その名も――バットだ!!」
「…………」
「…………」
「…………」
数秒間、沈黙が流れた。
ユウトは、しばらく男を見つめていた。
「……終わり?」
「終わりだ!」
「……そっか」
「反応が薄い!」
バットが思わず叫んだ。
「……だって、名前言われただけだし」
「貴様! 今の名乗りを聞いて何も感じぬのか!?」
「……別に?」
「なんだと!?」
「主、もうちょっと驚いてあげるっす」
シアが小声で言う。
「なんで?」
「知らないっす!」
「じゃあ言うなよ!」
ユウトとシアが言い合いを始める。
バットはその様子を見ながら、拳を握りしめた。
「……貴様らぁ……!」
せっかく威厳を持って名乗ったというのに、目の前の相手はまったく気にしていない。
むしろ、いつもの仲間同士の会話を続けている。バットにとって、それは予想外の反応だった。
だが、そんな彼の苛立ちをよそに、ユウトはある言葉に反応していた。
「……ていうかさ」
「……何だ!?」
「ゴルダンの部下なの?」
「…………」
バットの動きが止まった。
「……今、何と言った?」
「ゴルダンの部下?」
「……貴様!」
バットがユウトを指さす。
「ゴルダン様を呼び捨てにするな!!」
「……え?」
「え、ではない!」
「だって、いつもゴルダンって呼んでるし」
「…………」
バットが固まった。
「……いつも、だと?」
「うん」
「……貴様が?」
「うん」
「……ゴルダン様を?」
「だから、そう言ってるじゃん!」
ユウトが呆れたように答える。
バットの目が僅かに泳いだ。ゴルダンが何者なのか。その立場を知るバットにとって、目の前の青年の態度は到底理解できるものではなかった。
しかし、当の本人はそんなことを気にする様子もない。
「……あいつ、今どうしてるんだろうな」
ユウトが何気なく呟く。
「……貴様!」
「……何?」
「ゴルダン様を、あいつなどと呼ぶな!」
「面倒くさいな!」
「面倒くさいとは何だ!!」
バットの声が大通りに響いた。
少し離れたところで、シアがリトの袖を引っ張る。
「……リト」
「……なんだ?」
「なんか、困ってるっすね」
「……ああ」
リトは笑いを堪えながら頷いた。
「聞いてた話と違うんだろうな」
「……主、いつも通りっすけどね」
「そこが問題なんだろ」
「貴様ら! 何を話している!」
「何でもないっす!」
シアが元気よく答えた。
「だったら黙っていろ!」
「何もしてないのに怒られたっす!」
「お前が喋るからだろ!」
今度はリトが突っ込む。
ユウトはそんな二人を見ながら首を傾げた。
「……なんか賑やかだな」
「あなたが原因でしょう?」
シエルが呆れたように答える。
「俺!?」
まったく緊張感のないやり取りだった。
しかし、ミレアだけは笑っていなかった。
突然空から現れた魔族。魔王軍に属していると名乗り、ユウトを探していたという男。
そして、その男が口にしたゴルダンという名前。
ミレアにとって、どれも聞き捨てならない情報だった。
「……ユウトさん」
「……ん?」
「少し、よろしいですか?」
「……何?」
ミレアはバットへ一度視線を向けてから、慎重に尋ねた。
「先ほど、この方はゴルダン様の配下だとおっしゃっていましたが……ユウトさんは、そのゴルダンという方をご存じなのですか?」
「……ああ」
ユウトが頷く。
「会ったことあるよ」
「……そうなのですか?」
「うん。俺たち、前にゴルダンと会ってるんだ」
その言葉に、バットが顔を上げた。
「……貴様!」
「……何?」
「余計なことを話すな!」
「……別にいいじゃん」
「よくない!」
「なんで?」
「それは……!」
バットが言葉を詰まらせる。
自分でゴルダンの配下だと名乗っておきながら、その名前について話されることには腹が立つらしい。
「……主、今日も絶好調っすね」
シアが楽しそうに笑う。
「何が!?」
ユウトには、さっぱり分からなかった。
ミレアは困惑した表情でシエルへ視線を向ける。
しかし、シエルはバットから目を離していなかった。
先ほどまでの賑やかなやり取りとは裏腹に、その表情には警戒が浮かんでいる。
「……それで」
シエルが静かに口を開いた。
「あなたは、何をしに来たの?」
「…………」
その言葉に、バットの表情が変わった。
先ほどまでの苛立ちが消え、代わりに冷たい笑みが浮かぶ。
「……ふん。ようやく本題か」
「あなたが勝手に名乗って、勝手に怒っていたのでしょう?」
「……黙れ、人間」
その一言に、ユウトの眉が僅かに動いた。
「……おい」
それまで軽い調子で話していたユウトの声が、少しだけ低くなる。
バットが視線を向けた。
「……何だ?」
「シエルに、そういう言い方するなよ」
「……何?」
「話すなら普通に話せばいいじゃん。別に馬鹿にする必要ないだろ?」
「…………」
バットがユウトを睨みつけた。
しかし、ユウトはその視線を逸らさない。
先ほどまでの飄々とした雰囲気は残っているものの、その目にははっきりとした不快感が浮かんでいた。
シエルが小さく息を吐く。
「……ユウト」
「……何?」
「私は大丈夫よ。それより、相手の目的を聞きましょう」
「……ああ」
ユウトは頷き、再びバットへ向き直った。
「で、何しに来たの?」
「…………」
バットは、しばらくユウトを見つめていた。
「……なるほど」
やがて、口元を歪める。
「報告通り、妙な男だ」
「……報告?」
ユウトが首を傾げる。
「ゴルダン様から聞いている」
「……ゴルダンから?」
「様をつけろ!」
「面倒くさいなお前!」
「貴様ぁ!」
再び声を荒らげるバット。
だが、今度はすぐに息を吐き、無理やり感情を抑え込んだ。
「……ふん。まあいい」
「……いいんだ?」
「よくはない!」
「どっちだよ!」
シアが思わず吹き出す。
バットはそれを無視し、ユウトへ視線を向けた。
「私は、貴様の様子を確認するために来た」
「……俺の?」
「そうだ」
「……なんで?」
「…………」
バットの額が再び引きつる。
「……また始まったっす」
シアが小声で呟く。
「ユウト、少しだけ黙っていなさい」
シエルが言った。
「なんで!?」
「話が進まないからよ」
「俺のせい!?」
「少なくとも、半分くらいはね」
「……半分!?」
そのやり取りを聞いていたバットが、鼻で笑った。
「ふん。ゴルダン様の報告が事実なのか、この目で確かめる必要があるのだ」
「……何を報告したんだろ?」
「知らん」
「知らないの!?」
「すべてを下の者へ話すわけがないだろう!」
「……まあ、それもそうか……」
ユウトが納得したように頷く。
「じゃあ、ゴルダンに直接聞けばいいか」
「気軽に聞こうとするな!」
「なんでだよ!?」
バットの苛立ちは、明らかに限界へ近づいていた。
だが、彼にとってはここからが本題だった。
ゴルダンから聞かされていた情報。
目の前の青年について、確認しなければならないこと。そのために、わざわざこの町まで足を運んできたのだ。バットはゆっくりと息を吐き、ユウトを真っ直ぐに見据えた。
「……とにかく」
折り畳まれていた黒い翼が、大きく広がる。
同時に、その身体から魔力が溢れ始めた。
「……ん?」
ユウトが僅かに目を細める。
周囲の空気が、変わった。
先ほどまで通りを包んでいた賑やかな雰囲気が消え、重苦しい圧迫感が広がっていく。
男の足元で砂埃が舞い、黒い翼が魔力の流れに合わせて揺れた。
「……おい」
周囲にいた住民たちが、次々と顔色を変える。
「なんだ……あれ……」
「魔力が……!」
「離れろ! 危ないぞ!」
警戒の声が上がり、人々が後ずさり始めた。
ミレアがすぐに前へ出る。
「皆さん、下がってください!」
その声に、近くの住民たちが慌てて距離を取る。
リトも周囲を見回し、人々が逃げるための道を確保するように立った。
シアは笑みを消し、バットの動きを注意深く見つめている。
「……ミレアさん?」
ユウトが振り返る。
「……この魔力量」
ミレアの表情が険しくなる。
「少なくとも、ただの使者として来たわけではなさそうですね」
シエルも静かに頷いた。
魔力を解放した相手が、この場で何をするつもりなのか。
それによっては、すぐに対処する必要がある。
ユウトは一歩前へ出た。
「……戦うの?」
「……必要であればな」
バットが不敵に笑う。
「……ふーん」
ユウトは少し考え込んだ。
「……それ、ゴルダンに言われてきたの?」
「……何?」
「俺と戦ってこいって」
「…………」
バットが黙った。
「……あれ?」
ユウトが首を傾げる。
「言われてないんだ?」
「うるさい!!」
バットが怒鳴った。
「貴様は黙っていろ!」
「聞いただけじゃん!」
「ゴルダン様が何と言おうと! 私は、この目で確かめなければならんのだ!」
「……だから、何を!?」
ユウトが聞き返す。
しかし、バットはもう答えを隠そうとしなかった。
その身体から溢れる魔力が、さらに強くなる。
「貴様が本当に、伝承に語られるほどの存在なのか!」
「……伝承?」
ユウトの表情が僅かに変わった。
その横で、シエルが息を呑む。
「……バット」
制止するように名前を呼んだ。
しかし、相手は聞いていない。
「世界に災厄をもたらすと恐れられ、数多の伝承にその名を残す最強種!」
バットの声が、町の大通りに響き渡った。
周囲の住民たちが足を止める。
「……何の話だ?」
「……最強種?」
「一体、誰のことを……?」
ざわめきが広がる。
シエルの表情が、はっきりと変わった。
「……やめなさい!」
その声には、普段の落ち着いた調子とは違う鋭さがあった。
しかし、バットは構わずユウトを指さした。
「貴様が本当に――!」
「……おい!」
ユウトも、ようやく相手が何を言おうとしているのか気づいた。
だが、遅かった。
「――終焉竜なのかどうかをな!!」
「…………」
その瞬間、大通りの空気が止まった。
先ほどまで響いていた商人たちの声も、行き交う荷車の音も、妙に遠く感じられた。
誰も、すぐには言葉を発しなかった。
やがて――。
「……え?」
誰かが、小さく声を漏らした。
「……終焉……?」
「……竜……?」
「……あの青年が?」
住民たちの視線が、ゆっくりとユウトへ集まっていく。
昨日まで、親しげに声を掛けていた者たち。
魔獣から救われたことを感謝していた者たち。
相談に乗ってもらい、何度も頭を下げた者たち。
その誰もが、同じ青年を見つめていた。
伝承に語られる最強種。
終焉竜。
その名を知る者にとって、決して気軽に口にできる存在ではない。
それが、目の前のEランク冒険者だというのか。
人々は困惑し、互いの顔を見合わせた。
冗談だと笑おうとした者もいたが、黒い翼の男から溢れる魔力を前に、うまく声が出なかった。
「…………」
ユウトは、ゆっくりと頭を抱えた。
「……言っちゃったよ……」
「……何?」
バットが怪訝な顔をする。
「……いや」
ユウトは困ったように相手を見る。
「それ、言ってよかったの?」
「…………」
今度はバットが止まった。
「……何?」
「だってさ」
ユウトが周囲を見渡す。
集まった住民たちは、誰もがこちらを見つめていた。
「……こんな人がいるところで、大声で言っちゃってるけど」
「…………」
「……いいの?」
バットの表情が僅かに引きつった。
どうやら、そこまでは考えていなかったらしい。
「……貴様……!」
何か言い返そうとするものの、適切な言葉が見つからない。
その様子を見て、シアが小さく呟いた。
「……馬鹿っすね」
「……馬鹿だな」
リトも静かに頷く。
「貴様ら!!」
バットが怒鳴った。
しかし、今度ばかりはユウトも笑えなかった。
これまで、ベルグラードの人々は自分たちを信頼してくれていた。
種族の違いを気にせず、誰かが困っていれば助ける。
ただ、それだけのことを続けてきた。
しかし、終焉竜という名前を聞いた人々が、これからも同じように接してくれるのか。
それは、ユウトにも分からなかった。
その時だった。
「……ユウト、さん?」
震えるような声が聞こえた。
「…………」
ユウトが振り返る。
そこに立っていたのは、ミレアだった。
彼女はバットを見ていなかった。
周囲の住民たちにも、視線を向けていない。
ただ、真っ直ぐユウトを見つめていた。
「……今のは……」
普段の落ち着いた声とは違う。
驚きと困惑が混ざったような、小さな声だった。
「…………」
ユウトは何も答えられなかった。
ミレアはこれまで、ユウトの常識外れの強さを何度も目にしてきた。
危険な魔獣を恐れない姿。
普通の冒険者では考えられない力。
そして、時折見せる、人間離れした能力。
それでも、彼が何者なのかまでは知らなかった。
いつも明るく、少し騒がしくて。困っている者を見つければ、放っておけない。
そんな不思議なEランク冒険者。
それが、ミレアの知るユウトだった。
しかし、今――。
目の前の青年に向けて、伝承に登場する存在の名が告げられた。
「……ユウトさん」
「……うん」
ユウトが困ったように頭を掻く。
ミレアは、ゆっくりと言葉を続けた。
「あなたが……」
そこで、一度声が止まった。
そして――。
「……終焉、竜?」
第316話をお読みいただき、ありがとうございます!
ついに大勢の前で明かされてしまったユウトの正体。
しかも、本人の意思とはまったく関係ない形で――。
次回もよろしくお願いします!
「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります!
それでは、また次回お会いしましょう!




