第三百十話 本当にEランク?
シアたちがアルヴェインへ向かい、ベルグラードに残ったユウトとシエル。
二人は引き続き町の様子を確認していましたが、突如として警鐘が鳴り響きます――。
「……静かだなぁ」
ベルグラードの大通りを歩きながら、ユウトがぽつりと呟いた。
「何が?」
隣を歩くシエルが顔を向ける。
「いや、シアとリトがいないとさ」
「そうね」
「ミレアさんもいないし」
「そうね」
「…………」
ユウトはしばらく黙って歩いていたが、やがて不満そうにシエルを見た。
「……何よ?」
「シエル、もうちょっと会話しようよ!」
「してるでしょう?」
「返事しかしてないじゃん!」
「あなたがどうでもいいことしか言わないからよ」
「ひどい!」
ユウトが抗議すると、シエルは小さく笑った。
三人がアルヴェインへ向かってから、まだ数時間しか経っていない。
それなのに、いつも聞こえていたシアの元気な声や、リトの豪快な笑い声がないだけで、随分と静かになったように感じられた。
もっとも、実際の町は相変わらず賑やかだった。
通りには荷車を引く商人たちが行き交い、店先では客を呼び込む声が響いている。子供たちが走り回る姿もあり、日常の風景そのものは以前と変わらない。
しかし、その中には少しずつ変化も生まれていた。
ユウトとシエルは昨日に引き続き、評議会から出された通達がどのように受け止められているのか、町を歩いて確認していたのである。
「……あっ!」
突然、ユウトが一軒の商店を指さした。
「今度は何?」
「見て! あそこの札、なくなってる!」
そこは、昨日まで人間族用の入口を別に設けていた店だった。
正面の入口は以前と同じだが、建物の脇に掲げられていた札が取り外されている。
「……本当ね」
シエルが目を細めた。
「少しずつ変わっているみたいね」
「昨日はまだあったよな?」
「ええ。昨日の時点では残っていたわ」
「じゃあ、一個進んだな!」
ユウトが満足そうに頷く。
ちょうどその時、店の正面入口から一人の人間族の男が出てきた。
手には買い物をしたらしい包みを抱えている。
その後ろから、店主と思われる獣人族の女性も姿を見せた。
「ありがとうございました。またよろしくお願いしますね」
「あ、ああ……こちらこそ」
人間族の男は少し戸惑ったように答え、軽く頭を下げた。
どうやら、ごく普通に買い物を済ませたらしい。
男は何度か店を振り返りながらも、やがて通りの向こうへ歩いていった。
「…………」
ユウトは、その後ろ姿をじっと見つめていた。
「……何?」
シエルが隣を見る。
「いや……」
ユウトは少しだけ笑った。
「なんか、こういうのでいいんじゃない?」
「……こういうの?」
「うん。いきなり全部変わらなくてもさ、昨日より一個良くなってたら、それでいいじゃん」
ユウトは札のなくなった入口へ視線を戻す。
「昨日は別の入口からしか入れなかった人が、今日は普通に正面から入って買い物できたんだろ? それだけでも結構大きいと思うんだよな」
「……そうね」
シエルが静かに頷いた。
「珍しくいいことを言うわね」
「珍しくって何だよ!」
ユウトの声が通りに響く。
すると、店先に立っていた獣人族の女性が、二人の存在に気づいた。
「……あんたたち」
「ん?」
「昨日から町を回ってる冒険者だろ?」
「そうだよ! Eランクっす!」
「…………」
シエルがじっとユウトを見た。
「……何?」
「シアはいないわよ」
「……あ」
「一人でやらないでちょうだい」
「……癖になってきた」
「直しなさい」
店主の女性が、思わず吹き出した。
「ははっ! 随分と賑やかな二人だね」
「俺は普通だよ!」
「……どこがよ」
シエルが呆れたように呟く。
店主はそんな二人を眺めながら、少しだけ表情を改めた。
「そういえば、昨日評議会の連中と人間族の代表が話し合ったのも、あんたたちが間に入ったからだって聞いたよ」
「……ん?」
ユウトが首を傾げる。
「評議会の話?」
「ああ。人間族との問題を何とかするために、話をまとめたんだろ?」
「……まあ、話はしたけど」
ユウトは頭を掻いた。
「俺、そんな大したことしてないよ。分かんないこと聞いてただけだし」
「……そうなのかい?」
「うん!」
「……まあ、いいけどさ」
店主は苦笑すると、自分の店へ視線を向けた。
「正直、あたしも最初は、人間族と同じ入口にするのはどうかと思ってたんだよ」
「……なんで?」
ユウトが即座に尋ねる。
「……ユウト」
シエルが小さく声を掛けた。
「何?」
「まだ話の途中でしょう?」
「だって気になるじゃん!」
店主は二人のやり取りに笑いながら答えた。
「いや、別に大した理由なんてないんだけどね。昔からそうだったからさ」
「……やっぱり?」
「ああ。先代の頃から入口を分けてたし、あたしもそれが普通だと思ってたんだよ」
女性は少し照れくさそうに頭を掻いた。
「でもね、通達も出たことだし、一度やめてみようと思ったんだ」
「……おお!」
「そしたら、別に何も変わらなかったよ」
店主は肩をすくめた。
「いつものお客さんはいつも通り買い物してくれるし、人間族のお客さんも正面から入ってくる。それだけさ」
「……だよな!」
ユウトが嬉しそうに頷く。
「そんなに嬉しそうに言うことかい?」
「だってさ、昨日からずっと思ってたんだよ。入口が同じになったら、何か困ることでもあるのかなって」
「……まあ、あたしもそう思ってたんだけどね」
店主は少し考えてから続けた。
「実際にやってみたら、心配してたようなことは何も起きなかった。だったら、わざわざ入口を分ける必要もなかったんだろうね」
「……そっか!」
ユウトは笑った。
「じゃあ、よかったな!」
「……ああ。そうだね」
店主も小さく微笑んだ。
もちろん、たった一日で長年の考え方がすべて変わったわけではないだろう。
それでも、実際に行動してみたことで、必要ないと思っていた変化を受け入れられるようになった。
ユウトは、そのことが何より嬉しかった。
そして――。
――カン! カン! カン!
「……ん?」
突然、町の奥から激しい鐘の音が響いた。
規則的な時を知らせる鐘とは明らかに違う。
短い間隔で何度も打ち鳴らされるその音には、切迫したものがあった。
「……何?」
ユウトが音のする方角を振り返る。
先ほどまで笑っていた店主の表情が、一瞬で変わった。
「……警鐘?」
「ああ! 町の外で何かあった時に鳴らす鐘だよ!」
「……何かって?」
「魔獣だ!」
その言葉と同時に、周囲の通りが騒がしくなり始めた。
「南門だ!」
「外で材木を運んでいた連中が襲われたらしいぞ!」
「負傷者が戻ってきた!」
「誰か評議会へ知らせろ!」
あちこちから声が上がり、人々が慌ただしく動き始める。
荷車を道の端へ寄せる商人。
子供の手を引いて建物へ駆け込む母親。
そして、武器を手に南門へ向かう警備の者たち。
町の空気が、一瞬で緊迫したものへ変わった。
「……ユウト!」
シエルが顔を向ける。
「……おう!」
二人はそれだけ言葉を交わすと、同時に駆け出した。
◇
ベルグラード南門。
「急げ! 早く中へ運べ!」
「負傷者をこっちへ!」
「まだ外に残ってる奴がいるぞ!」
門の内側では、数人の男たちが一人の負傷者を担いでいた。
運ばれてきたのは人間族の男で、片脚に怪我をしているらしく、顔を苦痛に歪めている。
その周囲では、獣人族や鬼人族の警備員たちが忙しなく動き回っていた。
「……何があったんだ!?」
ユウトが駆け寄る。
「……お前は?」
近くにいた獣人族の男が振り返った。
「町の外で魔獣が出たって聞いたんだけど!」
「……あ、ああ!」
男は慌てた様子で南の方角を指さした。
「森の近くで材木を運んでた作業員たちが襲われたんだ!」
「……何が出た?」
「グランドライノだ!」
「……グランドライノ?」
ユウトが首を傾げる。
「危険度Cの魔獣だぞ! 分厚い皮膚に巨大な角を持っていて、まともに突進を受けたらひとたまりもない!」
「……なるほど」
「しかも、一体じゃない!」
「……何体?」
「確認できただけで四体だ!」
「……四体か」
ユウトがシエルへ視線を向けた。
「……行ける?」
「誰に聞いているの?」
シエルが当然のように答える。
「……ですよね」
ユウトは苦笑した。
そのやり取りを聞いていた獣人族の男が、慌てて二人の前へ出る。
「お、おい! 待て!」
「……何?」
「お前ら、冒険者なんだろ!?」
「……うん」
「ランクは!?」
「E!」
「行くな!!」
男が叫んだ。
「死ぬぞ! 危険度Cの魔獣が四体もいるんだぞ!」
「……大丈夫だと思うけど」
「思うじゃねぇ!」
男は必死だった。
Eランクの冒険者が四体もの危険度Cの魔獣へ立ち向かうなど、自殺行為にしか思えなかったのだ。
しかし、ユウトは男の後ろにいる負傷者へ視線を向けた。
「……まだ外に人が残ってるんだろ?」
「……それは」
「だったら、早く行かないと」
「……待て! 応援が来るまで――」
男が言い終わるより早く、シエルが一歩前へ出た。
「ユウト、先に行くわよ」
「……おう!」
その直後。
――ヒュッ!
「…………え?」
獣人族の男が目を瞬かせた。
そこには、もうシエルの姿がなかった。
「……あれ?」
男は慌てて周囲を見回す。
「おい、さっきの女は!?」
「シエル? もう行ったよ」
「……は?」
「速いからさ」
「…………」
「じゃ、俺も行ってくる!」
「ま、待てぇぇぇ!」
獣人族の男が手を伸ばした時には、ユウトもすでに門の外へ駆け出していた。
「……なんなんだ、あいつら!?」
男の叫びが南門に響いた。
◇
「うわぁぁぁ!」
森の手前。
倒れた荷車の横で、数人の作業員が身を寄せ合っていた。
積まれていた材木が周囲に散乱し、地面には大きな蹄の跡がいくつも刻まれている。
その前に立ちはだかっていたのは、巨大なサイに似た魔獣だった。
グランドライノ。
分厚い灰色の皮膚に覆われた巨体と、鼻先から突き出た鋭い角。
その姿は普通のサイよりも遥かに大きく、一体だけでも一般の作業員が対抗できる相手ではない。
しかも、今そこには四体のグランドライノがいた。
「……くそっ!」
一人の人間族の男が、落ちていた木の棒を握りしめる。
「みんな、下がれ!」
男は震える足を踏みしめ、仲間たちの前へ出た。
だが、そんな抵抗など気にも留めないように、一体のグランドライノが大きく鼻息を荒らげた。
「……来るぞ!」
魔獣が地面を蹴る。
その巨体が、一直線に男へ向かって突進してきた。
「くっ――!」
男は咄嗟に目を閉じた。
しかし――。
――ドゴォン!
激しい衝撃音が響いた。
「…………?」
いつまで経っても、予想していた痛みは襲ってこない。
恐る恐る目を開くと、目の前からグランドライノの姿が消えていた。
「……え?」
違う。
消えたのではない。
横へ吹き飛ばされていたのだ。
十数メートル先の地面を転がった巨体は、木々の手前でようやく止まり、そのまま動かなくなった。
「…………」
男は何が起きたのか理解できなかった。
そして、いつの間にか目の前には一人の少女が立っていた。
「……大丈夫?」
シエルだった。
「……え?」
「怪我はない?」
「な……ない……」
「そう。なら、後ろへ下がっていなさい」
シエルは淡々と告げた。
「他の人たちも、なるべく離れていて。巻き込まれると危ないわ」
「……は、はい!」
男たちは慌てて荷車の陰から離れ始めた。
その様子を見ていた残り三体のグランドライノが、一斉にシエルへ顔を向ける。
「……ブゴォォォ!」
大きな咆哮とともに、地面を掻くように前脚を動かした。
仲間を倒されたことに怒っているのか、それとも新たな敵を警戒しているのか。
いずれにしても、その巨体が再び動き出そうとしていた。
その時だった。
「シエルー!」
森の方からユウトの声が響く。
「……遅いわよ」
シエルが呆れたように答えた。
「十分速いだろ!」
ユウトは軽く息を吐きながら、シエルの隣へ並んだ。
そして、周囲を見渡す。
「……あれ?」
「何?」
「四体って聞いたんだけど、三体しかいないじゃん」
「一体なら、あそこに転がっているでしょう?」
シエルが視線を向けた先には、すでに動かなくなったグランドライノの姿があった。
「……おお!」
ユウトが目を丸くする。
「さすが瞬天様だ!」
「……ユウト」
「……はい?」
「次はあなたが転がりたいみたいね」
「……さ、さて!」
ユウトは慌てて視線を逸らした。
「俺も負けてられないなぁ!」
「ふざけてないで、さっさと片付けるわよ」
「……あいよ!」
そのやり取りを聞いていた作業員たちは、完全に言葉を失っていた。
目の前には危険度Cの魔獣が三体も残っている。
それなのに、二人はまるで散歩の途中にでも話しているような様子だった。
「……お、おい」
人間族の男が小さく呟く。
「あいつら、本当に大丈夫なのか……?」
その疑問に答えるかのように、一体のグランドライノが地面を蹴った。
「……ブゴォォォ!」
狙いはユウト。
巨大な角を前方へ突き出し、猛烈な勢いで突進してくる。
「危ない!!」
作業員の一人が叫んだ。
しかし、ユウトは慌てなかった。
「……おっと」
迫ってきたグランドライノへ向けて、片手を伸ばす。
そして――。
――ドンッ!
「…………え?」
巨大な魔獣の動きが、ぴたりと止まった。
突進の勢いで地面が抉れ、土煙が舞い上がる。
それでも、グランドライノの巨体はユウトの前から一歩も進まない。
たった片手で、突進を受け止められていたのだ。
「……な、何だと?」
作業員たちは目を疑った。
「……結構、力あるな」
ユウトは感心したように呟く。
グランドライノは必死に前へ進もうとするものの、まるで巨大な岩にぶつかったかのように動くことができない。
「……ブゴォォォ!」
「……でもさ」
ユウトはその角をしっかりと掴んだ。
「アーマードベアよりは軽いかな?」
「……ブゴッ!?」
「……よいしょ!」
そのまま、持ち上げた。
「…………」
作業員たちの口が開く。
巨大なグランドライノが、地面から完全に浮き上がっていた。
それも、ユウトは特に苦労している様子がない。
「……え?」
「……は?」
「……う、嘘だろ?」
次の瞬間。
「……ほいっ!」
ユウトが腕を振り抜いた。
――ヒュンッ!
グランドライノの巨体が、宙を舞う。
そして、その先にいた別のグランドライノへ――。
――ドゴォォォン!!
凄まじい衝撃音が響き、二体の巨体がまとめて地面を転がった。
土煙が大きく舞い上がり、近くに積まれていた材木が衝撃で揺れる。
やがて土煙が収まると、そこには折り重なるように倒れた二体のグランドライノがいた。
「……よし! 二体!」
ユウトが満足そうに頷く。
「……雑ね」
シエルが呆れたように呟いた。
「倒せたんだからいいじゃん!」
「もう少し周囲への影響を考えなさい」
「……ちゃんと人がいない方に投げたよ!」
「それは当然でしょう?」
「……厳しい!」
そんなやり取りをしている間にも、最後の一体が動き始めていた。
「……あ」
ユウトが振り返る。
残されたグランドライノは、仲間たちが一瞬で倒されたことに驚いたのか、身体の向きを変え始めている。
どうやら森の方へ逃げようとしているらしい。
「……逃がす?」
ユウトが尋ねる。
「この近くには、まだ作業をしている人たちがいるかもしれないでしょう?」
シエルが答えた。
「……だよな」
「また誰かを襲うかもしれないもの。ここで止めるわ」
その言葉と同時に、シエルの姿が消えた。
「…………!」
作業員たちが目を見開く。
次に彼女の姿を捉えた時には、すでにグランドライノの横を通り過ぎていた。
――ドンッ!
鈍い衝撃音が響く。
魔獣の巨体が僅かに揺れ、数歩進んだところで力を失ったように崩れ落ちた。
「…………」
辺りが静まり返る。
先ほどまで響いていた魔獣の咆哮も、地面を揺らす足音も聞こえなくなっていた。
「……終わった?」
ユウトが尋ねる。
「ええ」
「……早いなぁ」
「あなたが遊んでいるからよ」
「遊んでないよ!」
ユウトは抗議しながらも、倒れたグランドライノへ近づいた。
四体とも、すでに動く様子はない。
「……さて」
ユウトは右手を向けた。
「じゃあ、一応確認しておくか!」
そして――。
「暴食!」
次の瞬間。
ユウトの右手から黒い霧が広がり、倒れたグランドライノたちを包み込んだ。
「…………!」
作業員たちが息を呑む。
黒い霧は魔獣の巨体を覆い隠し、やがてその身体を少しずつ飲み込んでいく。
分厚い皮膚も、巨大な角も。
まるで霧の中へ溶け込んでいくかのように消えていった。
しばらくして、霧が晴れる。
そこには、もうグランドライノの姿はなかった。
《――解析完了》
《――取得可能なスキルは確認できません》
「……なし!」
ユウトが残念そうに肩を落とした。
「残念だったわね」
シエルが小さく笑う。
「まあ、いいや!」
ユウトはすぐに気を取り直した。
しかし――。
「…………」
背後から、何の声も聞こえなかった。
「……ん?」
ユウトが不思議そうに振り返る。
そこには、助けた作業員たちが立っていた。
誰一人として動かない。
全員が、ユウトとシエルを見つめたまま固まっていた。
「……どうしたの?」
「…………」
「……どっか怪我した?」
ユウトが近づくと、人間族の男が慌てて首を振った。
「い、いや……そうじゃねぇ……」
「……じゃあ、何?」
「お、お前……」
男は震える指でユウトを指さした。
「……Eランク冒険者、なんだよな?」
「……うん!」
ユウトが元気よく頷く。
「そうだけど?」
「…………」
男はユウトを見る。
次に、グランドライノを一瞬で倒したシエルを見る。
そして、魔獣が転がった地面に刻まれた巨大な跡へ視線を向けた。
「…………」
「……何?」
ユウトが首を傾げる。
男はゆっくりと顔を上げた。
「……絶対おかしいだろ……」
「……何が!?」
その叫びに答える者はいなかった。
なぜなら、他の作業員たちもまったく同じことを考えていたからだ。
危険度Cの魔獣が四体。
普通なら、まともに戦うことすら難しい相手だ。
それを、たった二人の冒険者が一瞬で倒してしまった。
しかも、傷一つ負わずに。
片方は魔獣を片手で持ち上げ、もう片方は目で追えないほどの速さで動いていた。
そして最後には、黒い霧で魔獣の身体そのものを消し去ってしまったのである。
「……なあ、シエル」
ユウトが小声で尋ねる。
「……何?」
「なんか、みんな変な顔してない?」
「……そうね」
「……なんで?」
シエルは少しだけ考えた。
そして、静かに答える。
「あなたがグランドライノを投げたからじゃない?」
「……え?」
「普通は投げないもの」
「……そうなの!?」
「……そうよ」
シエルが呆れたようにため息を吐いた。
そのやり取りを聞いていた作業員たちは、ますます何も言えなくなってしまった。
◇
ベルグラードの南門へ戻る頃には、すでに騒ぎが広まり始めていた。
「……おい! あの二人だ!」
「さっき飛び出していった冒険者か!?」
「グランドライノはどうなったんだ!」
門の内側では、警備員たちが慌ただしく駆け寄ってきた。
「……全部倒したよ!」
ユウトがあっさり答える。
「…………」
先ほど二人を止めようとしていた獣人族の男が、固まった。
「……全部?」
「うん!」
「……四体とも?」
「うん!」
「…………」
男はユウトとシエルを見比べる。
そして、後ろから歩いてきた作業員たちへ視線を向けた。
「……本当なのか?」
「……ああ」
人間族の男が、ゆっくりと頷く。
「本当だ。俺たち、あの二人に助けられたんだ」
「…………」
「グランドライノが突進してきて、もう駄目だと思ったんだけどよ……」
男は少し興奮した様子で話し始めた。
「そっちの女の子が、いきなり現れて吹っ飛ばしたんだ!」
「……何?」
「それだけじゃねぇ! そっちの兄ちゃんなんか、あの巨体を片手で止めて、そのまま持ち上げて投げちまったんだぞ!」
「…………」
「しかも、全部倒した後に黒い霧が出てきて、魔獣が消えちまって……!」
「……お、おい」
警備員の男が額を押さえた。
「お前、混乱してるんじゃないのか?」
「してねぇよ! 本当なんだって!」
他の作業員たちも、一斉に頷いた。
「俺も見た!」
「信じられねぇけど、本当だ!」
「一瞬だったんだぞ!」
次々と証言が重なる。
警備員たちは顔を見合わせた。
そして、改めてユウトへ視線を向ける。
「……お前、本当にEランクなのか?」
「……また!?」
ユウトが思わず叫んだ。
「だから、Eランクだってば!」
「……そんな馬鹿な」
「……何が!?」
ユウトは納得がいかない様子だったが、シエルは隣で小さく笑っていた。
「……まあ、無事でよかったじゃない」
「……そうだな!」
ユウトもすぐに笑顔へ戻る。
「怪我した人も、ちゃんと治療してもらえてるんだよね?」
「あ、ああ。治療所へ運んだ。命に別状はないはずだ」
「……そっか!」
ユウトは安心したように頷いた。
「じゃあ、よかった!」
その言葉に、先ほど助けられた人間族の男が、ゆっくりと頭を下げた。
「……ありがとう」
「……ん?」
「本当に助かった。あんたたちが来てくれなかったら、俺たちは死んでたかもしれねぇ」
「……ああ」
ユウトは少し照れくさそうに笑った。
「気にしなくていいよ! 間に合ってよかった!」
すると、隣にいた獣人族の作業員も頭を下げた。
「俺からも礼を言わせてくれ。本当にありがとう」
「……おう!」
ユウトは元気よく答えた。
人間族も、獣人族も。
その場にいた作業員たちは、同じように二人へ感謝の言葉を向けていた。
少し離れたところでその様子を見ていたシエルが、静かに微笑む。
この町では今、種族の違いによって人々が対立している。
しかし、魔獣に襲われた時、作業員たちは種族に関係なく互いを助けようとしていた。
そして、助けられた今も同じだった。
誰が人間族で、誰が獣人族なのか。
少なくとも、この瞬間だけは、そんなことを気にしている者はいなかった。
「……さて!」
ユウトが大きく伸びをした。
「じゃあ、町の確認に戻ろうか!」
「……そうね」
シエルが頷く。
「まだ見てないところもあるものね」
「……おう!」
二人は警備員たちに軽く手を振ると、南門を後にした。
その背中を、何人もの住民が呆然と見送っていた。
◇
その日の午後。
ベルグラードの中心部では、ある噂が広まり始めていた。
南門の外に、危険度Cのグランドライノが四体も現れたこと。
それによって作業員たちが襲われ、何人かが負傷したこと。
そして――。
たった二人の冒険者が、その四体を瞬く間に倒してしまったこと。
「……嘘だろ?」
「本当らしいぞ。南門の警備員たちも話してた」
「しかも、そいつらEランクだって?」
「そうなんだよ!」
「……そんなわけあるか!」
通りのあちこちで、人々が噂を交わしていた。
「でも、実際に助けられた作業員がそう言ってるんだ」
「人間族の連中だけじゃなくて、獣人族の作業員も見てたらしいぞ」
「……じゃあ、本当なのか?」
「さあな。でも、グランドライノがいなくなったのは確かだろ?」
話は少しずつ形を変えながらも、町の中へ広がっていった。
評議会と人間族の話し合いに関わっていた冒険者。
その二人が、今度は町の外に現れた危険な魔獣から作業員たちを救った。
昨日まで、ユウトとシエルはベルグラードの人々にとって、突然現れた余所者に過ぎなかった。
町の事情も知らず、評議会と人間族の問題へ首を突っ込んできた、よく分からないEランク冒険者。
だが、今は少し違う。
人間族の話を聞き、評議会の話も聞いた。
どちらか一方だけを責めるのではなく、互いが話し合えるように働きかけた。
そして今日は、種族に関係なく、危険に晒された人々を救ったのである。
そんな二人へ向けられる視線は、少しずつ変わり始めていた。
「……なあ、シエル」
大通りを歩いていたユウトが、ふと足を止めた。
「……何?」
「なんかさ、さっきから見られてない?」
「……そうね」
シエルが周囲を見渡す。
確かに、通りを歩く住民たちが、ちらちらとこちらへ視線を向けていた。
目が合うと慌てて逸らす者もいれば、何かを話しながら二人を見送る者もいる。
「……俺、何かついてる?」
「ついてないわ」
「……じゃあ、シエル?」
「違うわよ」
「……じゃあ、なんで?」
ユウトは不思議そうに首を傾げた。
シエルは少しだけ考えたあと、何も言わずに歩き始める。
「……そのうち分かるわ」
「……え!?」
ユウトが慌てて後を追う。
「ちょっと! 教えてくれよ!」
「自分で考えてみなさい」
「……ヒント!」
「嫌よ」
「なんで!?」
いつものやり取りを交わしながら、二人は大通りを歩いていった。
その背中を、町の人々が静かに見送っている。
ベルグラードは、まだ変わり始めたばかりだった。
評議会と人間族の問題が解決したわけではない。
長年続いてきた差別や不信感が、簡単に消えるはずもなかった。
それでも、昨日までは見られなかった小さな変化が、町のあちこちで生まれ始めている。
そして今度は、ユウトとシエル自身に対する人々の認識も変わろうとしていた。
それは、単に強い冒険者としての評価だけではない。
種族に関係なく人々の話を聞き、困っている者がいれば迷わず手を差し伸べる。
そんな二人の姿が、少しずつ町の人々の心に残り始めていたのである。
第310話をお読みいただき、ありがとうございます!
ベルグラードの人々に、少しずつ実力まで知られ始めたユウトたち。
果たしていつまで「ただのEランク」で通せるのでしょうか。
次回もよろしくお願いします!
「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります!
それでは、また次回お会いしましょう!




