第三百八話 変化の兆し
評議会と人間族の間で、ようやく決まった約束。
しかし、決めたからといって長年続いてきたものがすぐに変わるわけではありません。
ユウトたちは実際の町の様子を確認することになります――。
翌日。
ベルグラードの中心部にある大通りでは、朝から一枚の掲示を前に人だかりができていた。
「……おっ、ちゃんと出てる」
ユウトは人々の間から顔を覗かせ、掲示板に貼られた紙を見上げていた。
「何がっすか?」
隣に立つシアが首を傾げる。
「昨日話したやつだよ」
そこには、ベルグラード評議会からの通達が掲示されていた。
人間族であることのみを理由として、賃金に不当な差を設けないよう求めること。
商店などで入口を種族によって分けている慣習について、見直しを進めること。
住居の貸し出しや雇用についても、種族のみを理由とした一方的な拒否を控えるよう協力を求めること。
そして、これらの問題について評議会で正式な協議を行い、十日後までに最初の回答を示すという内容だった。
「……昨日話して、もう出したんだな」
ユウトが感心したように呟く。
「ええ。評議長が、正式な審議を待たずにできることから始めると判断されたようですね」
ミレアが答えた。
「ただし、これは現段階での協力要請です。制度そのものが変更されたわけではありません」
「……なるほど」
「評議会全体での正式な決定は、これからになります」
「そっか。でも、何も出さないよりはいいよな!」
「そうですね」
ミレアは微笑んだ。
「少なくとも、評議会が待遇の問題を正式に取り上げ、改善を求める姿勢を示したことになりますから」
掲示板の周囲では、住民たちが様々な反応を見せていた。
「……本当に変えるつもりなのか?」
「商人たちが黙って従うとは思えんがな」
「でも、評議会がこんな通達を出すなんて初めてじゃないか?」
戸惑う者。
不満そうに眉をひそめる者。
そして、何度も通達を読み返す人間族の姿もあった。
「…………」
ユウトは、その様子を静かに眺めていた。
昨日まで当たり前だったことが、少しずつ変わろうとしている。
それだけでも、町の空気には僅かな違いが生まれているようだった。
「……よし!」
ユウトが満足そうに頷く。
「まずは一個、確認完了だな!」
「ええ。評議会が通達を掲示したことは確認できました」
ミレアが記録へ書き込む。
「……じゃあ帰る?」
「どこへですか?」
「宿」
「まだ始まったばかりですよ?」
「……だよなぁ」
ユウトが肩を落とした。
「主、昨日からずっと帰りたがってるっすね!」
「だって仕事増えたんだもん!」
「アニキが増やしたんだけどな」
「それ何回言うんだよ!」
「何回でも言うぞ」
リトが即答した。
「ひどくない!?」
そんな二人を横目に、シエルは掲示板から視線を外した。
「でも、これで終わりじゃないわね」
「……ん?」
「通達を出したからといって、実際に守られているとは限らないでしょう?」
「……まあ、そうだよな」
「長年続いてきた問題が、紙一枚で全部解決するとは思えないもの」
シエルは大通りの先へ視線を向けた。
「だから、少し様子を見に行きましょう」
「……どこ?」
「昨日、人間族専用の入口があった店よ」
「……ああ!」
ユウトが手を叩いた。
「あの店か!」
「ええ。通達が出たばかりだから、すぐに変わっているとは限らないけどね」
「なくなっているといいですね」
ミレアが静かに呟いた。
五人は掲示板を後にし、大通りを歩き始めた。
◇
「……あった」
店の前に到着したユウトが、建物の脇を指さした。
「……ありますね」
ミレアの声が、僅かに低くなる。
そこは昨日、一人の人間族の女性が入口で呼び止められていた店だった。
正面には変わらず大きな入口があり、他の種族の客が普通に出入りしている。
そして、建物の横には小さな扉。
その上には――。
『人間族はこちら』
そう書かれた札が、今も掲げられていた。
「……まだあるじゃん」
ユウトが呟く。
「ええ」
「通達、出たんだよな?」
「出ています」
「……じゃあ、なんで?」
「主、まだ一日しか経ってないっす!」
シアが小声で言った。
「でもさ、札を取るだけだろ?」
「…………」
「別に入口を作り直すわけじゃないんだし」
ユウトは不思議そうに首を傾げた。
「……確かに、札を外すだけならすぐにできそうね」
シエルが頷く。
「おお! シエルもそう思う!?」
「ええ。ただ、店主にも何か事情があるかもしれないでしょう?」
「……そっか」
「だから、それを確かめに来たんじゃない」
「……なるほど!」
「ユウトさん」
ミレアが静かに声を掛けた。
「今回は、あくまで現状の確認です。私たちに店主へ命令する権限があるわけではありませんからね」
「……分かってるって!」
ユウトは頷いた。
そして五人は、店の中へ足を踏み入れた。
「……いらっしゃ――」
カウンターの奥にいた獣人族の男が顔を上げる。
昨日、人間族の女性を裏口へ回していた店員だった。
どうやら、この店の主人らしい。
「……何か?」
男はミレアの姿を見ると、不思議そうに眉をひそめた。
「突然お邪魔して申し訳ありません」
ミレアが丁寧に頭を下げる。
「私たちはアルヴェインの冒険者ギルドから来た者です。ベルグラードの現状について調査しています」
「……ギルド?」
「はい。昨日、評議会との話し合いにも参加しました」
「……ああ」
店主は興味なさそうに答えた。
「それが何か?」
「本日、評議会から通達が出されたことはご存じでしょうか?」
「……人間族の扱いについてのやつか?」
「はい」
「見たよ」
店主は面倒そうに肩をすくめた。
「だが、うちにはうちのやり方がある。評議会が何を言おうと、店をやってるのは俺だ」
「…………」
ミレアが僅かに眉をひそめる。
そこへ、ユウトが口を開いた。
「……じゃあ、入口は変えないつもりなの?」
「……誰だ、お前?」
「ユウト!」
「名前は聞いてねぇ」
「Eランク冒険者!」
「もっと聞いてねぇ!」
店主が眉をひそめた。
「冒険者が、うちの商売に口を出す話じゃねぇだろ」
「……そうなの?」
「ああ。さっさと帰ってくれ」
店主は手を振り、話を終わらせようとした。
しかし、ユウトはその場を動かなかった。
「……あのさ」
「まだ何かあるのか?」
ユウトは一度、店の中を見渡した。
棚には日用品や食料品が並び、正面の入口からは客の出入りが続いている。
一方、建物の脇にある小さな入口は、店の奥へ繋がっているようだった。
店主はこの場所で商売を続けている。
当然、店を守ろうとする理由もあるのだろう。
(……なるほどね)
ユウトは小さく息を吐いた。
そして――。
「……失礼しました」
「……何?」
店主が目を瞬かせる。
「まず、確認させていただきたいことがあります」
ユウトの声が、静かに変わった。
「今回の通達は、各商店へ協力をお願いするものであって、今すぐ強制的に入口を変更させるものではありません。その点は承知しています」
「……あ、ああ」
「ですので、店主さんが入口を分けている理由について、少し詳しくお聞かせいただけませんか?」
「…………」
店主は、突然態度が変わったユウトを不思議そうに見つめた。
そして、その後ろでは――。
「……主」
シアがリトの袖を引っ張る。
「……なんだ?」
「またスイッチ入ったっす」
「……ああ」
リトが小さく頷いた。
「今日は現場版だな」
「現場版って何!?」
シアが小声で笑った。
しかし、ユウトは二人のやり取りを気にせず、店主の返事を待っていた。
「……昔からそうしてるだけだ」
店主が答える。
「なるほど。では、昔からの習慣ということですね」
「……そうだ」
「ちなみに、人間族の方が正面の入口から入ることで、何か営業上の問題が起きるのでしょうか?」
「……営業上?」
「はい。商品の管理が難しくなるとか、店内が混雑するとか、何か具体的な不都合はありますか?」
「……いや、そういうことじゃねぇ」
「では、どのような点を心配されているのでしょう?」
「…………」
店主はしばらく黙っていた。
そして、低い声で答えた。
「……他の客が嫌がるんだよ」
「なるほど」
ユウトは静かに頷いた。
「人間族の方と同じ入口を使うことを嫌がるお客様がいる、ということですね?」
「……ああ」
「実際に、お客様からそのようなご意見をいただいたことはありますか?」
「…………」
「それとも、店主さんご自身が心配されているのでしょうか?」
店主の眉間に皺が寄った。
「……そういう客もいるんだよ」
「承知しました。では、そのようなご意見がどの程度あるのか、確認されたことはありますか?」
「……いや」
「なるほど」
ユウトは少し考え込んだ。
「ということは、現時点では入口を統一した場合に、どの程度お客様が減るのかは分からないということですね」
「……まあ、そうなるな」
「ありがとうございます」
ユウトは小さく頷いた。
「では、逆に考えてみてもよろしいでしょうか?」
「……逆?」
「はい。入口を統一することで、今まで利用しづらかった人間族の方々が、お店を利用しやすくなる可能性もありますよね?」
「…………」
「実際に、昨日こちらのお店で、人間族の女性が別の入口へ案内されているところを見かけました」
「……ああ」
「あの方が商品を購入しようとしていたこと自体には、問題はなかったんですよね?」
「……まあな」
「でしたら、入口を分けることによって、お客様が減る可能性だけでなく、利用をためらう方が出ている可能性も考えられると思うんです」
「…………」
店主は黙っていた。
ユウトはその様子を見ながら、さらに続ける。
「もちろん、今までのお客様を大切にしたいというお気持ちは理解できます。ですが、入口を統一したからといって、必ずしも売上が減るとは限りません」
「……それは、そうかもしれねぇが」
「でしたら、一度試してみてはいかがでしょうか?」
「……試す?」
「はい。まずは入口の区別をやめて、しばらく営業してみるんです」
ユウトは小さく微笑んだ。
「そのうえで、実際に何か問題が起きるのか、お客様の反応がどう変わるのかを確認する。今の段階では、やってみなければ分からない部分も多いと思いますから」
「…………」
「それに、評議会も今回の問題について改善を求めています。店主さんが先に対応してくだされば、他のお店にとっても参考になるかもしれません」
店主はしばらく考え込んでいた。
しかし、やがて大きく息を吐いた。
「……分かったよ」
「ありがとうございます」
「……札を外せばいいんだろ?」
「まずは、そこからお願いできればと思います」
ユウトは静かに頷いた。
「ただ、札を外しても、実際に人間族の方が正面から入れなければ意味がありませんので、その点もお願いできますか?」
「……分かってるよ!」
店主は少し不満そうに答えた。
そして、建物の外へ向かって歩き始める。
ユウトたちも、その後に続いた。
店主は小さな入口の上に掲げられていた札へ手を伸ばし、乱暴に取り外した。
「……これでいいか」
「ありがとうございます」
ミレアが頭を下げた。
「ただし、今後の営業については様子を見させてもらうぞ」
「もちろんです」
ユウトは頷いた。
「何か問題があれば、その時に改めて考えましょう。ただ、問題があるかどうかも分からないうちから、元に戻す必要はありませんよね?」
「……ああ」
店主は短く答えると、店の中へ戻っていった。
「…………」
ユウトは、外された札を見つめていた。
長い間、当たり前のように掲げられていたもの。
それが今、なくなった。
たった一枚の札ではある。
しかし、この店を訪れる人間族にとっては、小さくない変化かもしれなかった。
「……主!」
シアが嬉しそうに声を上げる。
「やったっすね!」
「……うん」
ユウトは小さく頷いた。
そして、いつもの調子で呟く。
「……でもさ」
「……何?」
シエルが尋ねる。
「札取っただけで、考え方まで変わったわけじゃないんだよな」
「……そうね」
「店主さんも、まだ納得してないところはあるだろうし」
ユウトは店の入口へ視線を向けた。
「……だから、時間が掛かるんだな」
昨日、評議会で言われた言葉。
長年続いてきた慣習を、一日ですべて変えることはできない。
その意味を、ユウトは少しだけ理解した気がした。
「……ええ」
ミレアが静かに答える。
「ですが、一つ変わったことも事実です」
「……うん!」
ユウトが笑った。
「じゃあ、次行こう!」
◇
その後も、ユウトたちは町を回った。
もちろん、すべての店に立ち入って確認するわけではない。
まずは通達が行き届いているかを調べ、協力してもらえる商店や工房から話を聞いていった。
通達を見て、すでに入口の区別をやめた店もあった。
「昔からあった札だけど、別に必要なかったからね」
そう言って、あっさり外してしまった店主もいる。
一方で、別の工房では、人間族の従業員へ次の賃金の支払いから待遇を見直す方針を伝えていた。
「同じ仕事をしてもらってる以上、いつまでも昔のやり方にこだわる必要はないだろう」
工房の主人はそう話した。
その横では、人間族の従業員が驚いたような顔をしていた。
「……本当に、給料が変わるんですか?」
「次の支払いまでには、ちゃんと話をまとめるつもりだ」
「……ありがとうございます!」
従業員が深く頭を下げる。
その光景を見ていたユウトは、嬉しそうに頷いた。
「……おお、いい感じじゃん!」
「ええ。ただし、実際に賃金が変わったかどうかは、次の支払いを確認するまで分かりませんね」
ミレアが記録を取りながら答えた。
「……そっか」
「ですが、改善へ向けて動き始めたことは確認できました」
「……なら、一歩前進だな!」
「そうですね」
その一方で、通達に反発する者も少なくなかった。
「今まで問題なくやってきたんだから、変える必要はない!」
「評議会に、うちの商売のやり方を決める権利なんてあるのか!」
そんな声も聞こえてくる。
人間族への待遇を見直すことで、自分たちが損をするのではないか。
長年続いてきたやり方を変えることで、何か不都合が起きるのではないか。
そうした不安を抱く者もいれば、単純に変化を受け入れたくないという者もいた。
「……全然、揃ってないな」
ユウトが呟いた。
「当然でしょう」
シエルが答える。
「町全体の考え方が、通達一枚で同じになるわけがないもの」
「……だよなぁ」
「それに、対応が早い店もあれば、周囲の様子を見てから判断する店もあるでしょうね」
「……大変だなぁ」
「他人事みたいに言うな、アニキ」
リトが呆れたように言った。
「だって俺、ベルグラードの住民じゃないし」
「そのベルグラードの問題の真ん中にいるっす!」
「……なんでだろうな?」
「……もう説明しなくていいよな?」
「なんでリトまで諦めてるの!?」
そんなやり取りをしながら、五人は大通りを離れていった。
次に向かうのは、人間族が多く暮らす区画。
そこでは、カイルたちが新たな武器の調達を止めるよう仲間へ働きかけているはずだった。
評議会側に変化が見られた以上、人間族側がどのように対応しているのかも確かめておきたかった。
◇
「……おお」
ユウトが思わず声を漏らした。
案内されたのは、人間族の居住区の奥にある古い倉庫だった。
中には木箱や農具が積まれており、広い床の一角には剣や槍、斧などが並べられていた。
「……結構あるな」
リトが武器を見渡す。
「ああ。だが、これで全部じゃねぇぞ」
答えたのはカイルだった。
「……そうなの?」
ユウトが尋ねる。
「当然だろ。武器を集めてた奴ら全員が、ここへ持ってきたわけじゃねぇ」
「……そっか」
「昨日、話し合いの結果を仲間に伝えたんだ。新しく武器を集めるのは一度止めて、評議会の対応を見ようってな」
カイルは床に並べられた武器へ視線を向けた。
「その話に賛成した連中が、とりあえず使わない分をここへ持ち寄ったんだよ」
「……なるほど」
ユウトが頷いた。
「じゃあ、武器を手放すっていうより、今は使わないように保管するってことか」
「……ああ」
カイルが答える。
「評議会へ全部渡すって決めたわけじゃねぇ。そこは、まだ信用できるほど話が進んでないからな」
「……そうだよな」
「ただ、話し合いが進んでる間は、武器を使って何かするつもりもねぇ。少なくとも、ここへ持ってきた連中はそう考えてる」
その言葉に、ミレアが静かに頷いた。
「ありがとうございます。今回の話し合いについて、仲間の皆さんへ伝えていただけたんですね」
「ああ。ただし、納得してない奴もいるぞ」
「……うん」
カイルは苦い表情を浮かべた。
「今まで何度も裏切られてきたんだ。評議会が紙を一枚出したくらいで信用できるかって言う奴もいる」
「……そっか」
「だから、今すぐ全員を説得するのは無理だ」
ユウトは黙って頷いた。
長年積み重なった不信感は、そう簡単に消えるものではない。
それは、先ほどの店主たちの反応を見ても分かることだった。
「……ところで」
カイルがユウトたちを見回す。
「今日は、この武器を確認しに来たんだろ?」
「……うん!」
ユウトが元気よく頷く。
「一応、どれくらい集まってるのか見せてもらおうと思って!」
「……そうか」
「ただし」
ミレアが静かに口を挟んだ。
「正式な監督役については、まだギルド長の了承を得ていません。ですので、現段階では調査として確認した内容を記録するところまでになります」
「ああ。それは聞いてる」
カイルが頷いた。
「今日はハロルドにも立ち会ってもらってる。数を確認するくらいなら構わねぇよ」
「……そうですね」
工房から駆けつけたハロルドが、壁際に立っていた。
「少なくとも、昨日までよりは前へ進んでる。それを確かめてもらいたかったんだ」
「……おっちゃん!」
ユウトが嬉しそうに声を掛ける。
「誰がおっちゃんだ」
「ハロルド!」
「急に呼び捨てにするな!」
「難しいな!?」
そんなやり取りに、カイルが呆れたように息を吐いた。
「……本当にお前が話をまとめたのか?」
「まとめたよ!」
「昨日のあの落ち着いた奴はどこ行ったんだ?」
「……何の話?」
「……もういい」
カイルが頭を抱えた。
「では、確認を始めましょう」
ミレアが記録を取り出す。
ユウトも床に並んだ武器を見渡した。
「……よし。数えるか!」
一本。
二本。
三本。
四本。
「…………」
「……主?」
シアが顔を覗き込む。
「……多い」
「早いっす!」
「ミレアさんお願い!」
「最初から私が記録していますよ」
「よっ! さすがミレアさん!」
「褒めても仕事は減りませんからね」
「…………」
「主、姑息っす」
「楽したいだけだよ!」
「堂々と言うなよ!」
リトが思わず突っ込んだ。
そんな騒がしい声を聞きながら、ミレアは武器の種類と数を確認していく。
カイルが事前に示していた持ち込み予定の一覧と照らし合わせ、違いがないかを調べていた。
「……はい。今回ここへ保管すると伺っていた分については、数が一致しています」
「……おお!」
ユウトが嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、約束守ってるんだな!」
「少なくとも、今回の持ち込みについては確認できました」
ミレアが答える。
「ただし、他の場所にある武器や、新たな調達が行われていないかどうかについては、まだ確認できていません」
「……そっか」
「ええ。ですので、今回確認できたことだけを記録しておきます」
その言葉に、カイルが小さく頷いた。
「……それでいい」
カイルは床に並べられた武器を見つめた。
「俺たちだって、昨日まで本気で戦うことを考えてたんだ。たった一日で全部信用しろって言われても無理だ」
「……うん」
「だが、評議会が動いたのも事実だ。だから、俺たちもできることから始めた」
カイルは静かに続けた。
「……それだけだよ」
ユウトは並べられた武器を見つめた。
どれも、人を傷つけるために使われるかもしれなかったものだ。
もし、昨日の話し合いがまとまらなかったら。
もし、互いに相手の言葉を聞こうとしなかったら。
これらが実際に使われる日が来ていたかもしれない。
「……なあ、カイル」
「なんだ?」
「このまま両方がちゃんと約束を守れば、戦わなくて済むんだろ?」
「…………」
カイルは少しだけ考えた。
「……そうなればいいと思ってる」
「……そっか」
「ただ、まだ何も決まっちゃいねぇ。今の状況を面白く思ってない奴らもいるだろうしな」
「……うん」
「だから、油断するつもりはねぇよ」
カイルの表情は真剣だった。
しかし、そこには最初に出会った時のような、張り詰めた怒りだけがあるわけではなかった。
少なくとも今は、戦い以外の道を考えようとしている。
「……でもさ」
ユウトが笑った。
「昨日よりは、ちょっと良くなってるだろ?」
「…………」
カイルは一瞬黙ったあと、小さく笑った。
「……まあな」
「じゃあ、まずはそれでいいじゃん!」
「……簡単に言うな」
「最近それ、よく言われるなぁ」
「主が簡単に言うからっす!」
シアが嬉しそうに笑う。
「……でもよ」
ハロルドが静かに口を開いた。
「俺は、昨日までとは違うと思ってる」
「……おっちゃん?」
「人間族の扱いを変えてほしいって、俺たちはずっと言い続けてきた」
ハロルドは壁にもたれながら続ける。
「何度も話をして、そのたびに昔からのやり方だって言われてきた」
「…………」
「だが、今日は評議会が自分たちから通達を出した。まだ何も解決しちゃいねぇが、それでも今までとは違う」
その言葉に、カイルも黙って頷いた。
「……だから、もう少し見てみようと思うんだ」
ハロルドが微笑んだ。
「評議会が本当に変わろうとしてるのか。それを確かめるくらいは、してもいいだろ?」
「……うん!」
ユウトも笑った。
「俺もそう思う!」
ミレアはそのやり取りを、静かに見つめていた。
かつて、人間族への差別が当たり前のように存在していた故郷。
そこから離れ、二度と戻らないつもりだった場所。
そのベルグラードで今、小さな変化が生まれ始めている。
(……本当に、変われるのでしょうか)
ミレアは胸の奥で呟いた。
もちろん、まだ安心できる状況ではない。
評議会への不信感も、人間族が抱える怒りも、簡単に消えるはずがない。
それでも――。
(……少なくとも、昨日までとは違いますね)
ミレアは小さく微笑んだ。
◇
倉庫での確認を終えたユウトたちは、再び人間族の居住区を歩いていた。
道の端では、子供たちが木の棒を使って遊んでいる。
その少し先では、老人が壊れた椅子を修理していた。
初めてこの区画を訪れた時と、景色そのものはほとんど変わっていない。
しかし、どこか空気が違うように感じられた。
「……なあ、ミレアさん」
ユウトが声を掛ける。
「……はい?」
「これ、もうちょっと続けてれば、ベルグラードも良くなっていくかな?」
「……そうですね」
ミレアは少し考えてから答えた。
「すぐにすべてが変わるとは思いませんが、少しずつ良くなる可能性はあると思います」
「……そっか」
「ただし、続けることが大切です。今回のような動きが一時的なもので終わってしまえば、また元に戻ってしまうかもしれません」
「……だよな」
ユウトが頷いた。
話し合いで約束を決める。
決めたことを実行する。
そして、実際に守られているかを確認する。
どれか一つが欠ければ、せっかくの話し合いも意味を失ってしまう。
(……やっぱり、仕事って終わんないよなぁ)
ユウトは心の中でため息を吐いた。
前世でも、契約がまとまったからといって、すべて終わりではなかった。
書類の準備。
条件の確認。
引き渡しまでの調整。
そして、契約した後に発生する問題への対応。
(……ああ、そうだったそうだった)
ユウトは懐かしそうに苦笑した。
(……交渉がまとまってからが本番なんだよな)
「……ユウトさん」
その時、ミレアが静かに声を掛けた。
「……ん?」
「そろそろ、アルヴェインへ一度報告をしなければなりません」
「……報告?」
「はい」
ミレアは頷いた。
「私たちは元々、ギルド長からベルグラードの状況を調査するよう依頼されて来ています」
「……あ」
ユウトの表情が止まった。
「主、忘れてたっすね?」
「忘れてないよ!」
「今思い出した顔だったぞ、アニキ」
「最近みんな、俺の顔読みすぎじゃない!?」
そんなユウトたちを見ながら、ミレアは小さくため息を吐いた。
「調査だけのはずだったのですが……随分と話が大きくなってしまいましたね」
「……誰のせいだろうな?」
リトが呟く。
「主っす!」
シアが即答した。
「アニキだな」
「あなたね」
シエルも頷く。
「なんで即答!?」
ユウトは慌ててミレアへ視線を向けた。
「ミレアさんは!?」
「…………」
ミレアは何も言わなかった。
ただ、静かにユウトを見つめている。
「……ミレアさんまで!?」
その様子に、リトが豪快に笑った。
「ガッハッハ! 満場一致だな!」
「そんな多数決いらないよ!」
しばらくして笑いが収まると、ミレアは改めて真剣な表情になった。
「ですが、今後のことを考えると、誰がアルヴェインへ戻るのかを決めなければなりません」
「……誰が?」
「はい。正式な監督役を引き受けるには、ギルド長の了承が必要です。それに、ここまで調査した内容についても、早急に報告する必要があります」
「……なるほど」
ユウトが頷いた。
「でも、みんなで戻ったら、こっちの様子を確認できなくなるよな?」
「そうですね」
「かといって、誰も戻らなかったら、ギルド長に話を通せない」
「……ええ」
ミレアは頷いた。
「ですので、アルヴェインへ戻る者と、こちらに残って引き続き状況を調べる者に分かれることを考えています」
「……なるほどな」
リトが腕を組んだ。
「確かに、その方がよさそうだ」
「でも、正式な監督役になるまでは、勝手に何でもできるわけじゃないわよ」
シエルが静かに付け加える。
「ギルド長の了承が出るまでは、あくまで調査の範囲で動くべきね」
「……うん」
ユウトも頷いた。
誰が戻るのか。
誰が残るのか。
そして、ギルド長から正式な了承が得られるまで、どこまで関わるべきなのか。
考えなければならないことは、まだまだ山ほどある。
「…………」
ユウトは少しだけ遠い目をした。
「……主?」
シアが顔を覗き込む。
「……何?」
「また仕事増えたっすね!」
「…………」
「主?」
「……あのさ」
ユウトがゆっくりと顔を上げる。
「……はいっす?」
「俺、普通に冒険者やってたんだよね?」
「そうっすね!」
「魔物倒したり、依頼受けたりするのが仕事だったよね?」
「そうっす!」
「……なのに」
ユウトは大きく息を吐いた。
「なんで、またこんなに仕事してるんだよぉぉぉ!」
その叫びに、通りを歩いていた人々が思わず振り返った。
「ガッハッハ! アニキ、自分で増やしたんだろ!」
「だから、それ何回言うんだよ!」
「主! 社会人っす!」
「どこで覚えたんだよ、その言葉!?」
シエルは呆れたようにため息を吐き、ミレアは思わず笑ってしまった。
ベルグラードは、まだ変わり始めたばかりだった。
通達を出したからといって、差別がなくなったわけではない。
武器が保管されたからといって、争いの危険が消えたわけでもない。
それでも、今まで動かなかったものが、少しずつ動き始めている。
店の入口から札が外され、従業員への待遇を見直そうとする声が上がり、戦うために集められた武器の一部が倉庫へ運ばれた。
どれも、小さな変化だった。
だが、その一つ一つが積み重なれば、いつかこの町の未来を変えることができるかもしれない。
そして、そんな変化の中心にいる青年は――。
「……もう一回聞くけどさ!」
「なんだ、アニキ?」
「……追加報酬、ちゃんともらえるんだよな!?」
「まだギルド長に確認していませんよ?」
ミレアが笑顔で答えた。
「……ですよねぇ!」
ユウトのため息が、ベルグラードの空へと消えていった。
故郷の未来を変えるための仕事は、まだ始まったばかりだった。
第308話をお読みいただき、ありがとうございます!
少しずつ動き始めたベルグラードですが、まだまだ問題は山積みのようです。
そして今度は、アルヴェインへの報告という問題も――。
次回もよろしくお願いします!
「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります!
それでは、また次回お会いしましょう!




