第三百六話 交渉という名の戦い
ついに同じ席についた評議会と人間族。
しかし、長年積み重なった不信感はそう簡単に消えるものではありません。
果たして話し合いは前に進むのでしょうか――。
翌日。
ベルグラードの中心部にある評議会館では、朝から異様な緊張感が漂っていた。
昨日、ユウトが提案した評議会と人間族による直接の話し合い。
評議長は最初こそ難色を示したものの、ユウトから双方の条件を確認したいと繰り返し求められ、最終的には一度だけ会談の場を設けることを了承した。
その後、ミレアがガルドを通じてハロルドへ連絡し、カイルたちにも話を伝えてもらったのである。
もっとも、双方が合意したのは、あくまで話し合いの場を設けることだけだった。
武器をどうするのか。
人間族への待遇をどう変えるのか。
そのどちらについても、まだ何一つ決まっていない。
そして今。
「……なんで俺たち、真ん中なの?」
ユウトが不思議そうに首を傾げていた。
「あなたが言い出したからでしょう」
シエルが呆れたように答える。
「……そうだっけ?」
「昨日のことっすよ!?」
シアが勢いよく振り返った。
「覚えてるよ!」
「なら聞くなよ、アニキ……」
リトが苦笑する。
大きな円卓の片側には、評議長を含む三人の評議員たちが座っていた。
反対側には、人間族の代表として参加したカイル、ハロルド、そしてもう一人の男。
その間に、ユウトたち五人が座っている。
どうやら、双方の間に立つという役割を期待されているらしい。
「でも、本当に集まるとは思わなかったなぁ」
ユウトが呟く。
「主が話せばいいって言ったんすよ!」
「言ったけどさ! こんなに早く集まると思わなかったんだよ!」
「……そういうものよ」
シエルは小さくため息を吐いた。
「ミレアさんも昨日は大変だったでしょうね」
「ええ。ガルドさんやハロルドさんに協力していただけたので、何とか連絡が取れました」
ミレアが苦笑する。
「……というわけですから、ユウトさん。今日はくれぐれも慎重にお願いしますね」
「分かってるって!」
ユウトは元気よく頷くと、人間族の代表者たちへ視線を向けた。
「……あ、ハロルドのおっちゃん!」
「……お前、ここでもそれで呼ぶのか?」
「何が?」
「……もういい」
ハロルドが諦めたように首を振った。
「ガルドのおっちゃんは?」
「呼んでねぇよ」
「……そっか」
「そもそも、あいつは獣人族だろ。ここへ呼んだら、どちらの代表なのか分からなくなるじゃねぇか」
「……確かに!」
「そこは納得するのね」
シエルが小さく呟いた。
「……あの」
ミレアが疲れたような声を出した。
「そろそろ始めてもよろしいでしょうか?」
「いいよ!」
「お前が仕切るんじゃねぇ」
カイルが即座に突っ込んだ。
「カイル!?」
そんなやり取りを見ていた評議長が、こめかみを押さえた。
「……ミレア」
「……はい」
「本当に、この者たちを同席させる必要があったのか?」
「昨日、評議長ご自身が了承されたはずですが」
「……そうだったな」
評議長は深く息を吐いた。
「……なんで疲れてるの?」
ユウトが尋ねる。
「誰のせいだと思っている……」
「……?」
「主、気にしなくていいっす!」
「そう?」
「はいっす!」
「お前らは少し気にしろ!」
リトの突っ込みが響く中、ようやく話し合いが始まった。
◇
「……まず、我々の立場を明確にしておきたい」
評議長が静かに口を開いた。
「評議会としては、人間族の代表者たちと話し合うこと自体を拒むつもりはない」
「…………」
「しかし、その前に一つ条件がある」
その言葉に、カイルが僅かに眉をひそめる。
「……条件?」
「現在、人間族の一部が集めている武器だ。それらをすべて評議会へ引き渡してもらいたい」
「……断る」
カイルは即答した。
「……カイル」
隣に座るハロルドが、小さく名前を呼ぶ。
「当然だろ」
カイルは評議長を睨んだ。
「俺たちが武器を手放した後、お前らは何を変える?」
「…………」
「また昔と同じように、話だけ聞いて終わりか?」
「武器を手にしたままでは、我々も君たちを信用することはできん」
「俺たちだって、お前らを信用してねぇよ」
「だからこそ、まず武器を――」
「……ほらな」
カイルが鼻で笑った。
「結局、俺たちにだけ先に譲れって話じゃねぇか」
「武装しているのは君たちだ!」
「そうさせたのは誰だと思ってる!」
「我々の責任にするつもりか!」
「何年も訴えを無視してきただろうが!」
次第に声が大きくなる。
評議長もカイルも、互いに一歩も譲ろうとしない。
「…………」
ユウトは二人を交互に眺めていた。
「……主」
シアが小声で呟く。
「……何?」
「そろそろっすね」
「……何が?」
「昨日より早いな」
リトが腕を組む。
「止めなくていいんすか?」
「まだいいんじゃねぇか?」
「そうね。お互い、何が不満なのかはっきりさせた方がいいわ」
シエルも静かに頷いた。
「……皆さん」
ミレアが三人を睨む。
「静かにしてください」
「はいっす!」
「……はい」
その間にも、円卓の向こうでは激しい言い争いが続いていた。
「武器を持っている者たちを、自由にさせておくわけにはいかん!」
「だったら待遇を変えろ!」
「武力による脅迫に屈して制度を変えることなどできるか!」
「じゃあ、どうすれば変えるんだ!」
「…………」
カイルの言葉に、評議長が一瞬黙った。
「……ほら見ろ」
「……必要な検討は行う」
「いつだ?」
「それは――」
「一年後か? 十年後か? それとも、また俺たちが諦めるまで待つのか?」
「そのようなことは言っていない!」
「なら、いつまでに何をするのか答えてみろ!」
「…………」
評議長の表情が険しくなる。
そこへ、ユウトが口を挟んだ。
「……ねえ」
「なんだ!」
「なんだ!」
評議長とカイルが同時に振り返る。
「……おお」
ユウトが驚いたように目を丸くした。
「主、人気者っす!」
「そういうことじゃないだろ……」
リトが小さく突っ込む。
ユウトは二人の顔を見比べると、不思議そうに首を傾げた。
「……なんで、どっちかが先なの?」
「……何?」
評議長が眉をひそめる。
「武器を捨てろって言ってるんだよね?」
「……そうだ」
「人間族の扱いを変えろって言ってるんだよね?」
「……ああ」
カイルも頷いた。
「じゃあ、両方やればいいじゃん」
「…………」
沈黙が落ちた。
「……始まったっす」
シアが小声で呟く。
「ああ」
リトも頷いた。
「今日も絶好調っすね」
「……静かに見てろ」
「はいっす!」
評議長は大きく息を吐いた。
「……ユウトよ。そう簡単な話ではない」
「なんで?」
「…………」
「出たっす」
「シア」
「はいっす!」
評議長は一度咳払いすると、説明を続けた。
「仮に我々が先に待遇改善を約束したとして、人間族が本当に武器を手放す保証はどこにある?」
「……なるほど」
ユウトがカイルへ顔を向ける。
「……だって」
「俺に振るな」
「武器、捨てる?」
「評議会が本当に待遇を変えるならな」
「……だって」
ユウトが再び評議長を見る。
「だから、それをどう保証するというのだ!」
「……なるほど」
ユウトは頷いた。
「じゃあ、評議会も待遇を変える?」
「人間族が武器を手放すなら、改善について正式に協議する用意はある」
「……正式に協議?」
「そうだ」
「……変えるんじゃないの?」
「…………」
「話し合うだけ?」
「必要な手順というものがある!」
「……じゃあ、結局変わらないかもしれないの?」
評議長はすぐには答えなかった。
その様子を見て、カイルが鼻で笑う。
「……だから信用できねぇんだよ」
「…………」
ユウトは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「……じゃあさ」
やがて、一本の指を立てる。
「同じ日に少しずつやるのは?」
「……どういう意味だ?」
「例えば、人間族が武器を半分渡す。その日に評議会も何か一つ変える。次にまた武器を渡して、また一つ変える」
「…………」
「それなら、片方だけ損することはないだろ?」
評議長は少し考えたものの、すぐに首を振った。
「……いや。それでも問題は残る」
「……なんで?」
「そもそも、すべての武器が引き渡されたかどうか、どうやって確認する? 一部を隠している可能性もあるだろう」
「……確かに」
「それに、我々が制度を変えた後、再び武器を集め始めるかもしれん」
「……なるほど」
ユウトは今度はカイルへ視線を向けた。
「……だって」
「だから、いちいち俺を見るな!」
「じゃあ、どうする?」
「評議会が本当に変わると信用できるまでは、武器を手放せねぇ」
「…………」
ユウトは再び腕を組んだ。
評議会は、人間族を信用できない。
人間族も、評議会を信用できない。
相手が先に譲ることを求めながら、自分からは譲れないと言っている。
「……面倒くさいな」
「昨日も聞いたぞ、その台詞」
リトが苦笑する。
「だって、面倒くさいんだもん」
ユウトは小さく頭を掻いた。
しかし――。
そこで、ふと動きを止めた。
(……ああ、そうか)
ユウトの頭の中で、何かが繋がった。
最初は、単純な話だと思っていた。
武器を捨てる。
待遇を改善する。
その両方を同じタイミングで行えばいい。
だが、それだけでは足りない。
互いに信用していない以上、約束をしたところで守られる保証がない。
そもそも、待遇の改善といっても、一日で変えられるものと、そうではないものがある。
そのうえ、評議会にも権限の限界がある。
商人や土地の所有者に関わる問題まで、ここにいる三人だけで決められるわけではない。
(……なんだ)
ユウトは小さく笑った。
(……前世で、散々やってたことじゃん)
売主と買主。
貸主と借主。
条件が合わず、どちらも譲ろうとしない相手。
互いの言い分を聞き、優先順位を整理して、納得できる着地点を探していく。
不動産の仕事をしていた頃、何度も経験してきたことだった。
もちろん、今回の問題は単なる売買や賃貸の交渉などとは比べものにならない。
人々の生活と、場合によっては命まで掛かっているのだ。
だが、相手の立場を理解し、条件を整理するという点では共通するものがある。
(……こういう交渉、懐かしいなぁ)
ユウトは、ゆっくりと息を吐いた。
(……よし。久しぶりにやるか!)
「……失礼ですが」
静かな声が、会議室に響いた。
「一度、お話を整理させていただいてもよろしいでしょうか?」
「…………」
評議長が顔を上げた。
「……何?」
カイルも眉をひそめる。
しかし、それ以上に驚いていたのは、ユウトの仲間たちだった。
「…………え?」
ミレアが目を瞬かせる。
「……主?」
シアが首を傾げた。
「……アニキ?」
リトも思わずユウトを見た。
シエルだけが、静かにその様子を見つめている。
先ほどまでとは、明らかに雰囲気が違っていた。
姿勢が変わっている。声の調子も落ち着いていた。
そして何より、普段は思いついたことをすぐ口にするユウトが、相手の返事を待っている。
「……ユウト、だったな」
評議長が警戒するように尋ねる。
「はい」
「……何を整理するというのだ?」
「まず、今回の話し合いで何を決めるべきなのか、という点です」
「…………」
「皆さんのお話を伺っていて、少し気になったことがあります」
ユウトは円卓をゆっくりと見渡した。
「評議会の皆様は、住民の安全を守りたい。一方、人間族の皆さんは、これまでの不当な扱いを改善してほしい」
「……そうだ」
評議長が頷いた。
「ああ」
カイルも答える。
「では、少なくとも目指しているものが完全に対立しているわけではありませんよね?」
「……何?」
「評議会の皆様も、住民同士が争うことを望んでいるわけではないでしょう?」
「……当然だ」
「カイルさんたちも、戦うこと自体が目的ではありませんよね?」
「……ああ」
カイルは少し戸惑いながら答えた。
「待遇が変わるなら、戦う必要なんてねぇ」
「ありがとうございます」
ユウトは静かに頷いた。
「でしたら、まずはそこを共通の目的にしましょう」
「…………」
「争いを起こさず、人間族の待遇改善について協議を進めること。そのために、双方が何をする必要があるのかを考えればいいんです」
評議長もカイルも、黙ってユウトを見つめていた。
そして、その横では――。
(……え?)
ミレアが固まっていた。
(……今の、ユウトさんですよね?)
先ほどまで、ハロルドをおっちゃんと呼んでいた青年。
魔物を見つければ嬉しそうに駆け出し、こちらの注意を何度も聞き流してきた冒険者。
その人物が今、まるで長年交渉の場に立ってきた者のように話している。
(……一体、何が起きているんですか!?)
ミレアは心の中で叫んだ。
◇
「……では、続けさせていただきます」
ユウトは落ち着いた声で話を進めた。
「今、皆さんが求めているのは、相手に先に約束を守ってもらうことですよね?」
「……そうだ」
評議長が頷く。
「人間族が武器を手放さなければ、我々も安心して協議はできん」
「俺たちは、評議会が本当に変わると分からなきゃ武器を捨てられねぇ」
カイルも腕を組んだ。
「つまり、双方が相手の約束を信用できていないということですね」
「……そういうことだ」
「でしたら、先に決めるべきなのは武器の引き渡しでも、待遇改善の内容でもありません」
「……何?」
評議長が眉をひそめた。
「約束をどのように確認するか、です」
「…………」
「例えば、武器を引き渡すと約束しても、本当に全部渡したのか分からなければ意味がありません。待遇を改善すると約束しても、いつ、何を、どのように変えるのか決まっていなければ、同じことです」
ユウトは一度言葉を切った。
「だから、まずはそれぞれの約束を具体的にする必要があります」
「……具体的に?」
カイルが尋ねる。
「はい。『待遇を改善する』ではなく、『何を、いつまでに、誰が検討し、決定するのか』まで決めるんです」
「…………」
「もちろん、今日この場ですべてを決める必要はありません。決められないことについては、次にいつ話し合うかを決めればいい」
評議長は黙って考え込んだ。
確かに、今までは待遇改善について検討するという話ばかりで、具体的な期限や手順までは定められてこなかった。
それが人間族側の不信感につながっていることも、否定できない。
「……だが、武器の問題はどうする?」
獣人族の評議員が尋ねる。
「武装した者たちを、そのまま放置しておくわけにはいかんぞ」
「おっしゃる通りです」
ユウトは即座に答えた。
「ですから、こちらも段階を分けて考えましょう」
「……段階?」
「まず、話し合いが続く間は、双方が新たな争いを起こさないことを約束するんです」
ユウトはカイルへ視線を向けた。
「カイルさん。話し合いが続いている間、武器を使った威嚇や襲撃を行わない。それから、新たな武器の調達も一時的に止める。そういう約束なら、仲間の皆さんに相談できませんか?」
「…………」
カイルは少し考え込んだ。
「……武器を捨てろってわけじゃねぇんだな?」
「はい。今すぐすべてを引き渡せとは言いません。ただし、話し合いの間に武装を強めるようなことがあれば、評議会も信用できないでしょう?」
「……それは、そうだな」
「もちろん、武器を持つ方々全員をカイルさん一人で管理できるとは思っていません。だからこそ、まずは仲間の皆さんへ提案していただきたいんです」
「…………」
カイルはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……話はしてみる」
「ありがとうございます」
ユウトは今度は評議長へ向き直った。
「では、評議会の皆様にもお願いがあります」
「……何だ?」
「話し合いが続いている間、武器を持っているという疑いだけで人間族全体への監視をさらに強めることは、避けられませんか?」
「……それは難しい」
評議長が眉をひそめた。
「万が一、武装した者たちが動き出した場合に備える必要がある」
「もちろん、危険な行動が確認された場合の警戒までやめる必要はありません」
「……何?」
「私が申し上げているのは、人間族という理由だけで、何もしていない方々まで一律に疑うような対応です」
「…………」
「武装した者を警戒することと、人間族全体を監視することは、同じではありませんよね?」
評議長が黙る。
その横で、蜥蜴人族の評議員が静かに頷いた。
「……確かにな。警戒の対象や基準を整理する余地はあるだろう」
「しかし、警備を緩めすぎるわけには――」
「はい。その懸念も理解しています」
ユウトは獣人族の評議員へ顔を向けた。
「ですから、警備そのものをなくすのではなく、必要な警備と、過剰な監視を分けることを提案しているんです」
「…………」
「危険な行動があれば対応する。一方で、ただ道を歩いているだけ、数人で集まっているだけという理由で疑うことは、見直していただきたい」
獣人族の評議員は腕を組み、しばらく黙っていた。
ユウトはそれ以上押しつけようとはせず、相手が考える時間を待った。
「……なるほどな」
やがて、評議長が口を開いた。
「要するに、双方が今以上に事態を悪化させないための約束を先にするということか」
「はい」
「そのうえで、武装解除と待遇改善について、具体的な条件を決めていく」
「その通りです」
「…………」
評議長は深く息を吐いた。
その表情は、先ほどよりも幾分落ち着いているようだった。
しかし、ここでカイルが口を開いた。
「……待ってくれ」
「はい?」
「それじゃ、結局俺たちの待遇は何も変わらねぇんじゃないのか?」
その声には、まだ強い不信感が残っていた。
「話し合いを続けるって言うだけなら、昔と同じだろ?」
「……ええ。そこも大切な問題です」
ユウトは静かに頷いた。
「だからこそ、待遇改善についても具体的な期限を設ける必要があります」
「……期限?」
「はい。まず、評議会が直接決定できることと、商人や土地の所有者など、他の方々の協力が必要なことを分けましょう」
ユウトは評議長へ視線を向けた。
「例えば、人間族の子供たちの教育や、医療を受ける際の扱いについては、評議会として見直せる部分がありませんか?」
「……あるにはある」
評議長が答える。
「だが、財政や施設の受け入れ能力など、検討すべき問題もある」
「でしたら、そこから始めましょう」
「……何?」
「すべての問題を一度に解決するのではなく、評議会が責任を持って改善できる部分から、優先順位をつけるんです」
「…………」
「仕事の賃金や住居の問題は、民間の商人や所有者とも話す必要があります。だから、それらを一日で変えると約束するのは現実的ではありません」
ユウトは小さく微笑んだ。
「ですが、検討するための場を設けることと、結論を出す期限を決めることなら、今からでもできますよね?」
「…………」
評議長が黙った。
「……例えば、十日後」
ユウトが続ける。
「その日までに、評議会として最初に取り組む改善項目を決め、代表者へ回答する。そのような形ではいかがでしょうか?」
「……十日か」
評議長が考え込む。
「この三人だけで決められる話ではない。評議会全体での協議が必要になる」
「もちろんです」
ユウトはすぐに頷いた。
「ですから、この場で待遇の変更そのものを確約していただく必要はありません。まずは正式な議題として取り上げ、回答する日程を決めていただきたいんです」
「…………」
「そして、その回答内容に納得できなければ、次の話し合いで意見を出せるようにしておく。そうすれば、少なくとも何も決まらないまま放置されることは避けられます」
カイルは黙ってユウトを見つめていた。
これまで何度も、評議会から検討するという言葉を聞いてきた。
しかし、具体的な期限や回答の方法については、ほとんど示されたことがなかった。
もし、それが明確になるのであれば――。
「……十日後に、本当に返事が来るんだな?」
カイルが評議長を見る。
「……正式に評議会で協議する必要はあるが、回答する期限を決めること自体は可能だろう」
「……なら、まずはそれを約束してもらいたい」
カイルが答えた。
「……分かりました」
ユウトは静かに頷いた。
「では、そこは双方の確認事項として記録しておきましょう」
「…………」
その言葉に、ミレアが我に返った。
「……あ、はい!」
慌てて荷物から紙と筆記具を取り出す。
しかし、手を動かしながらも、彼女の頭の中は混乱していた。
(……なんなんですか、この状況!?)
いつもなら、話をまとめるのは自分の役目だった。
ユウトが余計なことを言わないように注意し、必要な説明を補い、相手に失礼がないよう取り計らう。
それが、この数日間の旅での自分の役割だったはずだ。
ところが今は違う。
ユウトが話をまとめている。
それも、評議長と武装した人間族の代表者という、互いに激しく対立する相手の間に立って。
双方の意見を確認し、条件を整理し、次に決めるべきことを示している。
しかも、相手を怒らせることなく話を進めているのだ。
(……本当に、あのユウトさんなんですか!?)
ミレアが思わず顔を上げた、その時だった。
「……もう一点、確認させてください」
ユウトが口を開いた。
「……まだあるのか?」
評議長が尋ねる。
「はい。むしろ、ここからが重要です」
「…………」
「今のお話を進めるとして、双方が約束を守っているかどうかは、誰が確認するのでしょうか?」
その言葉に、室内の空気が変わった。
「……どういう意味だ?」
カイルが尋ねる。
「例えば、カイルさんたちが新たな武器の調達を止めたとしても、評議会の皆様にはそれが分かりませんよね?」
「……ああ」
「逆に、評議会が待遇改善について協議したとしても、実際に何が決まったのか分からなければ、人間族の皆さんは信用できません」
「……そうだな」
「だからこそ、双方の話を確認し、記録する立場の人が必要になるんです」
「…………」
評議長がゆっくりと口を開いた。
「……そのような者が、どこにいる?」
「……え?」
「人間族からすれば、評議会に近い者は信用できまい。我々としても、人間族の側に立つ者では意味がない」
「……そうですね」
「どちらにも属さず、双方の話を聞き、約束が守られているかを確認できる者など……」
評議長はそこで言葉を止めた。
「…………」
カイルも何かに気づいたように顔を上げる。
ハロルドが隣に座る人間族の男と視線を交わした。
そして――。
何故か、全員の視線がユウトたちへ向けられた。
「…………?」
ユウトが後ろを振り返る。
「……誰?」
「主っす」
シアが即答した。
「なんで!?」
「……確かに」
カイルが口を開いた。
「こいつらなら、俺たちの話を聞かずに否定することはなかった」
「…………」
「それに、俺たちが間違ってると思ったことも、普通に指摘してきた」
「……そりゃ言うよ!」
「……そういうところだ」
カイルは小さく笑った。
ハロルドも頷く。
「アルヴェインの冒険者ギルドは、ベルグラードの評議会に属しているわけじゃねぇ。人間族の代表でもない」
「…………」
「それに、ミレアはこの町の出身だが、昔から人間族への扱いに疑問を持っていた。少なくとも、どちらか一方の話だけを聞いて決めつけるような奴じゃねぇよ」
その言葉に、ミレアが僅かに目を見開いた。
「……ガルドさんから、私のことも聞いたんですね」
「……まあな」
ハロルドが小さく笑った。
一方、評議長も考え込んでいた。
「……なるほど。確かに外部の冒険者ギルドであれば、一定の中立性は期待できるかもしれんな」
「……おお!」
ユウトが嬉しそうに頷く。
「じゃあ、それで――」
「……少しお待ちください!」
ミレアが慌てて声を上げた。
「……ん?」
ユウトが振り返る。
「私たちは、あくまで調査依頼を受けてこちらへ来ています。双方の約束を継続的に監督するとなれば、依頼の範囲を超えてしまいます」
「…………」
「そのような役割を正式に引き受けるには、アルヴェインのギルド長へ確認する必要があります」
ミレアの言葉に、評議長が頷いた。
「……もっともだな」
「……そうですね」
ユウトも静かに答える。
そして、少し考えてから口を開いた。
「でしたら、今日の段階では、双方の発言と確認事項を記録するところまでにしましょう」
「…………」
「継続的な確認役については、ギルド長の了承を得てから正式に決める。その間は、双方が記録の内容を確認し、次回の会談までに持ち帰って検討していただく形ではどうでしょうか?」
評議長は、ゆっくりと頷いた。
「……それならば、我々としても異論はない」
「俺たちも、それなら構わねぇ」
カイルも答える。
「ただし、仲間への説明は必要だ。それに、十日後の回答内容によっては、納得できないこともあると思う」
「もちろんです」
ユウトは頷いた。
「だからこそ、今回はすべての問題を解決したことにはしません。まずは争いを避け、話し合いを続けるための準備をするんです」
「…………」
「それと、もう一つだけ」
ユウトが静かに付け加える。
「人間族への不当な扱いを改めることは、武器を引き渡すための報酬ではありません。そこは分けて考えた方がいいと思います」
評議長もカイルも、顔を上げた。
「武器の問題は住民の安全のため。待遇改善は、この地域で暮らしている人々の生活のため。それぞれ解決する必要がある問題ですから」
「…………」
「どちらかが相手の言いなりになるための話し合いには、したくないんです」
ユウトの声は穏やかだった。
しかし、その言葉には、これまでとは違う確かな説得力があった。
評議長はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……分かった」
その表情からは、最初にあった強い警戒が幾分和らいでいた。
「まずは今日の確認事項をまとめ、我々は評議会全体へ持ち帰ろう」
「……俺も仲間に話してみる」
カイルが続けた。
「武器の扱いについても、具体的な条件を考える必要があるだろうからな」
「……ありがとうございます」
ユウトは、静かに頭を下げた。
そして――。
「…………」
ミレアは、完全に固まっていた。
(……誰ですか!?)
目の前の青年を見つめる。
(……今、誰が話していたんですか!?)
ユウトである。
間違いなく、ユウトだった。いつもの姿も変わっていない。
しかし、先ほどまでの会話は、普段の彼からは想像もできないものだった。
話す順序を考え、相手の立場を尊重し、譲れる条件と譲れない条件を分ける。
そのうえで、双方が納得できる着地点を探していく。
それは、場当たり的な提案などではなかった。
まるで、何度もこうした交渉を経験してきた者のようだった。
「……ユウトさん」
ミレアが小さく呟く。
「……はい?」
ユウトが振り返った。
「……あなた、本当にユウトさんですよね?」
「……え?」
ユウトが首を傾げる。
その瞬間だった。
「……あっ!」
何かを思い出したように声を上げる。
「……どうしました?」
「……いや、なんか久しぶりだったから!」
「……久しぶり?」
「こういう話をまとめるの!」
「…………」
ミレアの表情が固まった。
「……ユウトさん」
「何?」
「以前にも、こういうことを?」
「……あ」
ユウトの笑顔が止まる。
(……しまった!)
そういえば、自分が前世で不動産の仕事をしていたことなど、誰にも話していなかった。
「……えっと」
「……ユウトさん?」
「……気のせい!」
「そんなわけないでしょう!?」
ミレアが思わず声を上げた。
「主! さっきの主、別人みたいだったっす!」
「……え!?」
「そうね。私も驚いたわ」
シエルが静かに頷いた。
「ガッハッハ! アニキ、あんな話し方もできたんだな!」
リトが豪快に笑う。
「……できるよ!」
「じゃあ普段からやってほしいっす!」
「シア!?」
「……それは私も同感ね」
「シエルまで!?」
いつもの騒がしいやり取りが戻ってきた。
そんな様子を見ていた評議長が、思わず深いため息を吐く。
「……本当に、先ほどまでの青年と同じ人物なのか?」
「……私も、今それを考えていました」
ミレアが真顔で答えた。
「ミレアさん!?」
カイルはそんなユウトたちを見て、呆れたように笑った。
「……まったく、変な奴だな」
「また!?」
「だが……」
カイルは一度、評議長へ視線を向けた。
「少なくとも、今までよりは話が進んだ気がする」
「……そうだな」
評議長も静かに頷いた。
まだ何も解決していない。
人間族への不当な扱いは続いており、武器を集めている者たちも存在している。
双方の不信感が消えたわけでもない。
しかし、長い間平行線を辿っていた話し合いに、初めて具体的な手順が生まれた。
互いの主張を確かめ、期限を決め、約束を記録する。
そして、それが守られているかを確認する方法を考える。
それは小さな前進に過ぎない。
だが、少なくとも今までとは違っていた。
「……じゃあ!」
ユウトが元気よく立ち上がる。
「今日はこれで終わりだな!」
「……ユウトさん」
ミレアが静かに声を掛ける。
「……何?」
「確認事項の記録をまとめて、双方に内容を確認していただかなければいけません」
「……あ」
「それから、ギルド長への報告も必要です」
「……ああ」
「次回の会談までに、準備することもありますね」
「…………」
ユウトがゆっくりと椅子へ座り直した。
「……もしかして」
「……はい?」
「……仕事、増えた?」
「増えましたね」
ミレアが微笑んだ。
「…………」
「主!」
シアが嬉しそうに肩を叩く。
「おめでとうっす!」
「何が!?」
「仕事が増えた」
リトが笑う。
「なんで!?」
「あなたが言い出したからでしょう」
シエルが呆れたように答えた。
「シエル!?」
「ユウトさん」
ミレアが優しく微笑む。
「……何?」
「一緒に頑張りましょうね」
「ミレアさんまで!?」
ユウトの悲鳴が、評議会の会議室に響き渡った。
こうして、互いを信用できずにいた評議会と人間族の間に、初めて具体的な協議の道筋が生まれた。
まだ武器は手放されていない。
待遇も変わっていない。
それでも、争いを避けるために何をすべきか、双方が同じ席で考え始めたのである。
そして、そのきっかけを作った青年には戦いでは決して見せることのない、もう一つの顔があった。
ただし。
「……なんでこうなったの!?」
本人は、増えてしまった仕事の方が気になって仕方ないようだった。
第306話をお読みいただき、ありがとうございます!
ようやく始まった両者の話し合いですが、問題はやはり「信用」。
そして気づけば、ユウトたちの仕事がまた一つ増えていました。
次回もよろしくお願いします!
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それでは、また次回お会いしましょう!




