第二百九十四話 止めればいい
ベルグラードから逃げてきた人々が語った、故郷の異変。
人間族への締め付け。
そして、一部の人間族が武器を集めているという噂。
その話を聞いたミレアは、このままでは大勢の犠牲者が出る可能性を口にする。
「……大勢の人が死ぬ?」
ユウトは、ミレアの言葉を確かめるように聞き返した。
アルヴェインの冒険者ギルドにある一室。
そこにはユウトたち四人とミレア、そしてベルグラードから逃れてきた人間族の者たちが集まっていた。
先ほどまで故郷の事情を話していた男も、今は口を閉じている。
「……どういうこと?」
「そのままの意味です」
ミレアの表情は険しかった。
「ベルグラードに暮らす人間族は、決して多くありません。他の種族と比べれば、かなり少数なんです」
「……少ないの?」
「ええ。私が暮らしていた頃から、そうでした」
「……じゃあ」
それまで黙って話を聞いていたリトが、腕を組んだ。
「仮に人間族が武器を持って戦い始めたとして、勝てるのか?」
「……まず無理でしょう」
ミレアは迷うことなく答えた。
「そんなに差があるの?」
ユウトが驚いたように尋ねる。
「ベルグラードには鬼人族や獣人族をはじめ、戦闘能力の高い種族も多く暮らしています」
ミレアは少し考えながら言葉を続けた。
「もちろん、種族だけで強さが決まるわけではありません。人間族の中にも優れた戦士はいるでしょうし、他の種族が全員戦えるわけでもありません」
「……それでも?」
「ええ。人数や戦力の差を考えれば、正面から戦って勝利するのは極めて難しいと思います」
「……勝ち目は薄いってことね」
シエルの言葉に、ミレアは静かに頷いた。
ユウトは隣に座る人間族の家族へ目を向ける。
大人たちは俯き、子供は母親の服を握り締めていた。
彼らがベルグラードを離れた理由を考えれば、ミレアの話は決して大袈裟ではないのだろう。
「……でもさ」
シアが男へ声を掛ける。
「本当に、その人たちは戦おうとしてるんすか?」
「……分かりません」
男は首を横に振った。
「俺たちが知っているのは、あくまで噂だけです。実際に武器を集めているところを見たわけではありませんから」
「……武器を集めてるって話だけなんだよな」
リトが確認する。
「はい」
「だったら、まだ戦うと決まったわけじゃないだろ?」
ユウトが口を開いた。
「……え?」
「いや、武器を集めてるだけなら、必ずしも誰かを攻撃するためとは限らないじゃん」
「……そうね」
シエルが頷く。
「自衛のためという可能性もあるわ。今のベルグラードでは、人間族への監視が厳しくなっているという話だもの」
「だよな」
ユウトは少し安心したように息を吐いた。
しかし、ミレアの表情は晴れなかった。
「……ですが、ユウトさん」
「……ん?」
「もし本当に、武力によってベルグラードの現状を変えようとしているのであれば、話は別です」
ミレアはそこで一度言葉を区切る。
「……クーデターに発展する可能性があります」
「……クーデター?」
聞き慣れた言葉に、ユウトの表情が変わった。
「……そんな大事になるの?」
「可能性の話ですよ。まだ武器を集めているという噂の真偽すら分かっていませんから」
「……うん」
「ですが、今伺った事情を考えると、その可能性を否定することもできません」
ミレアの言葉に、ユウトは腕を組んだ。
人間族は、長年にわたって不当な扱いを受けてきた。
同じ仕事をしても報酬は少なく、住む場所さえ自由に選べない。
そうした待遇の改善を求めても、まともに取り合ってもらえなかったという。
それどころか、最近では監視が厳しくなり、生活はさらに苦しくなっている。
そのような状況で、武器を集めている者たちがいるという噂が広がっているのだ。
「……じゃあ、その人たちが本当に戦い始めたら?」
ユウトが尋ねる。
「おそらく、すぐに鎮圧しようとする動きが起きるでしょう」
「…………」
「そして、問題はそれだけではありません」
「……まだあるの?」
「ええ」
ミレアは一度、部屋にいる人間族の者たちへ視線を向けた。
「もし反乱が起きれば、ベルグラードに暮らす人間族全体が疑われることになります」
「……あ」
ユウトにも意味が分かった。
「今でも監視されてるのに……」
「さらに厳しくなるっすね……」
シアも珍しく真剣な表情を浮かべている。
「そういうことです。武力蜂起に関わっていない人間族まで、反乱に加担していたのではないかと疑われる可能性があります」
「…………」
「それに、争いが起きれば、人間族だけが犠牲になるとも限りません」
ミレアは静かに続けた。
「ベルグラードには、様々な種族が暮らしています。もし街の中で戦闘になれば、何の関係もない人たちまで巻き込まれるでしょう」
「……他の種族も?」
「当然です。争いが始まってしまえば、種族に関係なく被害が出る可能性があります」
「……そっか」
ユウトは視線を落とした。
人間族だけではない。
鬼人族や獣人族、そしてその他にも様々な種族がベルグラードで暮らしている。
人間族への差別に反対している者もいれば、特に関心を持たず、普段どおりの生活を送っている者もいるはずだ。
そのような人たちまで、争いが始まれば巻き込まれてしまう。
「最悪の場合、ベルグラード全体が大きな争いに巻き込まれることになります」
「…………」
ミレアの言葉に、部屋は静まり返った。
誰も、すぐには口を開かなかった。
◇
「……なあ、ミレアさん」
しばらくして、ユウトが顔を上げた。
「……はい?」
「ベルグラードって、誰が治めてるの?」
「……誰が、ですか?」
「うん。王様とか領主みたいな人がいるの?」
その質問に、ミレアは少し考えるように視線を落とした。
「現在も同じ体制なのかは分かりませんが、私が暮らしていた頃は、地域の有力者たちによる評議会が中心となってベルグラードをまとめていました」
「……評議会?」
「ええ。街や周辺集落の有力者たちが集まり、地域全体に関わる重要なことを話し合って決める仕組みです」
「……へぇ」
ユウトは興味深そうに頷いた。
「じゃあ、王様とか領主はいないんだ」
「そうですね。ベルグラードは、どこの国にも属していませんから」
「……なるほど」
ユウトは腕を組み、少し考えた。
「じゃあさ、その評議会の人たちが、人間族の扱いを決めてるってこと?」
「……細かな決まりまで、すべて評議会が決めているわけではありません」
ミレアは首を横に振る。
「人間族を他の種族より下に見る考え方自体が、ベルグラードでは昔から根付いています。ですから、評議会の決定だけで現在の状況が生まれたわけではないんです」
「……そうなんだ」
「ですが、今のように監視が厳しくなっていることについて、評議会が何も知らないとは考えにくいですね」
「……止めてもいないってこと?」
「少なくとも、有効な対策が取られているようには思えません」
「…………」
ユウトは眉間に皺を寄せた。
誰か一人の命令で起きていることではない。
街に暮らす人々の間に、昔から人間族を見下す考え方があり、それが今も当然のものとして扱われている。
そして、地域をまとめる立場にある者たちも、その状況を改善できていないらしい。
「……なんか、変じゃない?」
ユウトが呟いた。
「……何が?」
シエルが尋ねる。
「だってさ、人間族の人たちは最初、扱いを変えてほしいってお願いしたんだろ?」
「……はい」
人間族の男が頷いた。
「それなのに、話を聞いてもらえなかった」
「……そうです」
「それで、一部の人が武器を集めてるって噂が流れ始めた」
「ええ」
「そしたら今度は、怖くなったから人間族全員の監視を厳しくしたってことだよな?」
「……簡単に言えば、そうなります」
ミレアが答えた。
「……だったらさ」
ユウトは顔を上げた。
「最初から、ちゃんと話を聞いてあげればよかったんじゃないの?」
「…………」
その言葉に、誰もすぐには答えなかった。
ユウトは不思議そうに首を傾げる。
「いや、だってそうだろ? 人間族ってだけで給料を減らしたり、働ける場所を制限したりする意味が分からないんだけど」
「……主らしいっすね」
シアが小さく笑った。
「……そう?」
「主、そういうの全然気にしないっすから」
「気にする意味ある?」
「ないっす!」
二人が当然のように頷き合う。
「……お前たちは本当に単純だな」
リトが呆れたように笑った。
「リト!」
「ガッハッハ! 褒めてるんだよ!」
「絶対褒めてないだろ!」
いつものやり取りに、シエルも僅かに笑みを浮かべる。
「……でも、言っていることは間違っていないわ」
「だろ!?」
「単純だけどね」
「余計な一言!」
そんな二人の様子を見て、ミレアも少しだけ表情を和らげた。
しかし、そこで人間族の男が小さく口を開いた。
「……それだけではないんです」
「……え?」
ユウトが振り返る。
「俺たち人間族は、学校に通うこともできません」
「…………」
「子供たちは、他の種族の子供たちが学校へ行くのを、ただ見ているだけなんです」
男は隣にいる子供へ視線を向けた。
「それに、病気になっても、普通の治療院では診てもらえません。人間族というだけで、医者に掛かることすら断られるんです」
「……は?」
ユウトの表情が変わった。
「……ちょっと待って。学校も? 病院も?」
「……はい」
「子供でも?」
男は静かに頷いた。
「……人間族なら、子供でも同じです」
「…………」
ユウトは言葉を失った。
働いても十分な報酬がもらえない。
住む場所を自由に選べない。
そのうえ、子供たちは教育を受けられず、病気になっても満足な治療を受けられない。
それでは、たとえ努力しようとしても、暮らしを良くすること自体が難しい。
「……それは、あんまりだろ」
リトも低い声で呟いた。
「ええ……」
シエルの表情も険しくなっている。
ミレアは俯き、僅かに唇を噛んだ。
ユウトはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……そりゃ、何とかしてほしいって思うよな」
人間族の男は、何も答えなかった。
ただ、隣に座る子供の頭を静かに撫でていた。
◇
「……ただ、問題はそこなんです」
少し間を置いて、ミレアが再び口を開いた。
「……ん?」
ユウトが顔を上げる。
「今となっては、単に話を聞くだけで済む段階ではないかもしれません」
「……どういうこと?」
「人間族の一部が、本当に武力で現状を変えようとしているのであれば、まずはそれを止める必要があります」
「……うん」
「同時に、ベルグラードの評議会や住民たちにも、人間族への対応を改めてもらわなければなりません」
「……うん」
「ですが、長年続いてきた考え方を変えるのは容易ではありません。それに、双方の不信感も相当大きくなっているはずです」
ミレアは真剣な表情で続けた。
「もしどちらかが先に手を出してしまえば、話し合いの機会すら失われるかもしれません」
「…………」
ユウトは腕を組んだまま、しばらく考え込んだ。
武器を集めているという噂が本当なのかは分からない。
仮に本当だったとしても、それが自衛のためなのか、反乱を起こすためなのかも分からない。
何より、現在の評議会がどのような考えを持っているのかさえ、まだ分かっていない。
分からないことだらけだった。
「……じゃあさ」
ユウトが口を開いた。
「……はい?」
「止めればいいじゃん」
「…………はい?」
ミレアが固まった。
「……何を、ですか?」
「クーデター」
「…………」
「いや、まだ起きてないんだろ?」
「少なくとも、こちらの方々がベルグラードを出た時点では……」
「じゃあ、起きる前に止めればいい!」
ユウトは当然のように答えた。
「主! 名案っす!」
シアが勢いよく頷く。
「……お前たちは」
リトが額に手を当てた。
「……何?」
「いや……何でもねぇ」
「ユウト」
今度はシエルが呆れたように口を開いた。
「あなた、簡単に言っているけどね」
「……うん?」
「今までの話を聞いていたでしょう? 長年続いてきた差別があって、人間族の中には武器を集めているという噂まであるのよ?」
「聞いてたよ!」
「だったら、簡単に止められる話じゃないって分かるでしょう?」
「……でもさ」
ユウトは少しだけ表情を引き締めた。
「放っておいたら、死人が出るんだろ?」
「…………」
「だったら、起きる前に何とかした方がいいじゃん」
その言葉に、シエルは口を閉じた。
確かに、ユウトの言うこと自体は間違っていない。
問題は、それをどうやって実現するかだった。
「……じゃあ、どうやって止めるつもりなの?」
シエルが尋ねる。
「…………」
ユウトは少し考えた。
そして――。
「……話し合い?」
「今までの話、聞いてた!?」
「聞いてたって!」
シエルが思わず声を上げた。
「何度話し合いを求めても、聞き入れてもらえなかったんでしょう?」
「そうだけど!」
「それなのに、今さら話し合いで解決できると思うの?」
「……いや、だからさ」
ユウトが答えようとした、その時。
「主! 話して駄目だったら、殴って止めるっす!」
シアが元気よく声を上げた。
「……それだ!」
「それだ、じゃないわよ!」
「結局、力ずくじゃねぇか!」
シエルとリトの声が重なる。
「違うって! 最初はちゃんと話す!」
「……最初は、って言ったっす!」
「シア!? お前が言い出したんだろ!」
「あーしは最初から殴るとは言ってないっす!」
「いや、ほぼ言ってただろ!」
「ガッハッハ! どっちも同じようなもんだ!」
「リトまで笑うなよ!」
先ほどまで重苦しかった部屋が、再び騒がしくなった。
しかし、その様子を見ていたミレアは、笑うことができなかった。
「…………」
ユウトが何を考えているのか。
今のところ、彼女にはまるで分からない。
ただ、一つだけ気になることがあった。
「……ユウトさん」
「……ん?」
ユウトが振り返る。
「……本気で言っているんですか?」
「……何が?」
「ベルグラードで起きるかもしれない争いを、止めようと」
「…………」
ユウトは少しだけ考えた。
そして、いつもの調子で答える。
「……だって、まだ起きてないんだろ?」
「……はい」
「だったら、まだ間に合うじゃん!」
「…………」
ミレアの目が僅かに揺れた。
あまりにも簡単に言う。
まるで、ちょっとした困り事を解決しに行くかのように。
しかし、ユウトの表情にふざけている様子はなかった。
「……それにさ」
ユウトは少し考えるように続けた。
「まだ、分からないことだらけだろ?」
「……え?」
「武器を集めてるって話だって噂なんだし、今の評議会の人たちが何を考えてるのかも分かってないじゃん」
「……それは、そうですが」
「だったら、まず確かめないと」
ユウトはそう言うと、再び人間族の男へ視線を向けた。
「俺たち、まだベルグラードで何が起きてるのか、ほとんど知らないんだしさ」
「…………」
ミレアは何も言わなかった。
確かに、今の情報だけで結論を出すことはできない。
話を聞いた限りでは、争いが起きてもおかしくない状況に思える。
しかし、今のベルグラードが実際にどうなっているのかを、この場で確かめる術はないのだ。
「……まあ、行ってみないと分かんないこともあるだろ!」
ユウトが笑った。
「……ちょっと待って」
シエルが眉をひそめる。
「今、さらっと行くって言わなかった?」
「……え?」
「ベルグラードへ行くつもりなの?」
「…………」
ユウトは一瞬、動きを止めた。
「……まだ決めてない!」
「今の間は何?」
「なんでもない!」
「主! あーしは行くっすよ!」
「まだ決まってないって!」
再び始まったやり取りに、リトは呆れたように笑った。
「……アニキがそう言い出したら、結局行くことになるんだろうな」
「だから、まだ何も決めてないって!」
「……あなたねぇ」
シエルは深いため息を吐いた。
その様子を見て、ミレアもようやく小さく笑みを浮かべた。
しかし、その胸の内は複雑だった。
ベルグラード。
自分が生まれ育ち、そして自ら離れることを選んだ故郷。
長い間、もう戻ることはないかもしれないと思っていた場所。
あの土地の考え方が嫌で、外の世界を知りたくて、故郷を後にした。
それでも、生まれ育った場所への思いまで消えたわけではなかった。
今、そのベルグラードで争いが起きようとしているのかもしれない。
もし本当に武力衝突が起きれば、多くの人が傷つくことになるだろう。
そして、目の前の青年は――。
「……まだ起きてないなら、間に合うだろ?」
そんなことを、当たり前のように口にする。
「…………」
ミレアは静かにユウトを見つめた。
数日前まで、彼らにとってベルグラードは名前すら知らない遠い土地だった。
それが今、人間族の避難民との出会いをきっかけに、少しずつ現実の問題として姿を現し始めている。
争いは、本当に起きるのか。
それとも、まだ止められるのか。
答えは分からない。
ただ、ユウトの言葉が、ミレアの心に僅かな希望を生んだのは確かだった。
ベルグラード……遠く離れたその土地が、少しずつユウトたちの次の旅へと繋がり始めていた。
第294話をお読みいただき、ありがとうございます!
人間族の不満と、それを警戒するベルグラード側。
互いの行動がさらに状況を悪化させ、このままではクーデターに発展する可能性まで出てきました。
しかし、まだ争いは起きていません。
ならば――
「起きる前に止めればいい」
あまりにも単純で、ユウトらしい答え。
果たして本当に、ベルグラードで起ころうとしている争いを止めることはできるのでしょうか。
そして故郷の異変を知ったミレアは――。
次回もよろしくお願いします!
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それでは、また次回お会いしましょう!




