第二百五十九話 狼の少女
魔族大陸へ到着早々、案内役のゴルダンと別れることになったユウトたち。
右も左も分からない土地で出会ったのは、獣耳と尻尾を持つ小さな少女でした。
犬ではなく、誇り高き狼族。
果たして、無事に最初の目的地へ辿り着けるのでしょうか。
それでは、第259話をお楽しみください!
「…………」
茂みから姿を現した少女は、警戒心を露わにしたままユウトたちを見つめていた。
頭には二つの狼耳が生え、背後ではふさふさとした尻尾が揺れている。
人間界では見たことのない姿だったが、本人にとってはそれが当たり前なのだろう。先ほど犬と間違えられたことが、よほど気に入らなかったらしい。
「えっと……ごめんな?」
ユウトが困ったように頭を掻くと、少女は不機嫌そうに眉をひそめた。
「何が?」
「犬って言ったこと。狼なんだよな?」
「そう!」
少女は勢いよく頷き、胸を張った。
「私は誇り高き狼族なの! 犬と一緒にしないで!」
「おお……そんなに違う?」
「全然違う!」
「そうなのか……」
あまりの剣幕に、ユウトは素直に頷くしかなかった。
すると、隣にいたシアがそっと身を寄せてきた。
「主、何が違うんすか?」
「俺に聞くなよ」
「聞こえてる!」
「ごめんなさい!」
小声で話していたつもりだったが、少女にはしっかり聞こえていたらしい。
ユウトが慌てて謝ると、今度はシアがその袖を引っ張った。
「主!」
「今度はなんだ?」
「尻尾触ってもいいか聞いてほしいっす!」
「自分で聞け!」
「怖いっす!」
「さっき触ろうとしてただろ!」
「それとこれとは別っす!」
「何が!?」
シアの理屈がまったく理解できず、ユウトは思わず声を上げた。
当然ながら、少女の警戒心はますます強くなっている。
先ほどまで茂みに隠れていた理由が分かる気がした。
「……ユウト」
シエルが呆れたようにため息を吐く。
「あなたたち、少し黙っていなさい」
「俺も!?」
「あなたが一番うるさいわ」
「解せぬ」
「それ、ゴルダンの真似っすか?」
「ちょっと気に入った」
「くだらねぇ……」
リトが呆れたように呟く横で、シエルはもう一度深いため息を吐いた。
このままでは、いつまで経っても少女とまともに話せそうにない。
彼女は騒がしい二人を後ろへ下がらせると、少女の前に歩み出た。
「驚かせてごめんなさい」
「…………」
「私たちは、あなたに危害を加えるつもりはないわ」
「……本当?」
「ええ」
シエルが穏やかに頷くと、少女はその顔をじっと見つめた。
先ほどまでとは違い、少しだけ警戒が和らいだように見える。
しかし、少女の視線がシエルの後ろにいるユウトたちへ向けられると、再び眉間に皺が寄った。
「…………」
「……なんで俺のところで止まった?」
「主、怪しいんじゃないっすか?」
「お前もだよ!」
「静かに」
「はい」
「はいっす」
シエルに注意され、二人は揃って口を閉じた。
その様子を見ていた少女は、不思議そうに首を傾げる。
「あなたたち……どこの人?」
「……どこって」
ユウトは答えようとして、ふと口を閉じた。
(……待てよ)
ここは魔族大陸。
自分たちが今まで暮らしていた人間界とは、空間そのものが隔てられた別の世界だ。
そんな場所で、何も考えずに人間界から来たと話していいのだろうか。
そもそも、この大陸の住人たちが人間界についてどれほど知っているのかも分からない。
「…………」
「どうしたの?」
少女が首を傾げる。
「いや……遠いところから来たんだ」
「どこ?」
「ものすごく遠いところ」
「だからどこ?」
「…………」
真っ直ぐに見つめられ、ユウトは返答に困った。
「……遠いところ!」
「怪しい」
「なんでだよ!」
少女の容赦ない一言に、ユウトは思わず抗議した。
「ユウト」
シエルが横から声を掛ける。
「だって、どう説明すればいいんだよ!」
「普通に話せばいいでしょう」
「いいの!?」
「この子が人間界について知っているかも分からないわ。まずは話してみないと」
「あ……」
言われてみれば、その通りだった。
勝手に難しく考えていたが、そもそも少女が人間界という言葉を知っているかどうかも分からないのだ。
「……シエルって頭いいな」
「今更?」
「褒めたのに!」
あっさり返され、ユウトは肩を落とした。
そんな二人のやり取りを、少女は何が何だか分からないといった様子で眺めている。
ユウトは改めて少女へ向き直った。
「俺たち、人間界から来たんだ」
「……ニンゲンカイ?」
「ほら知らない!」
「最後まで聞きなさい」
「はい……」
シエルに注意され、ユウトは大人しく少女の返事を待った。
少女はしばらく考え込んでいたが、やがて何かを思い出したように顔を上げた。
「あっ!」
「知ってる?」
「おじいちゃんが言ってた!」
「おお!」
「すっごく遠いところ!」
「まあ、間違ってない!」
ユウトは思わず笑ってしまった。
どうやら人間界の存在自体は、この大陸でもまったく知られていないわけではないらしい。
もっとも、少女が知っているのは祖父から聞いた話だけのようだった。
「でも……」
少女は改めてユウトたちを見比べた。
「人間じゃないよね?」
「…………」
その問いに、ユウトは一瞬言葉を失った。
自分の手を見下ろし、それからシエル、シア、リトへと順番に視線を向ける。
「……確かに。一人も人間いねぇな」
「今気付いたのかよ」
リトが呆れたように声を上げる。
「アニキ、俺を見るな」
「いや、一番人間っぽいから」
「人間じゃねぇよ」
「知ってる」
「じゃあ見るな!」
リトに突っ込まれ、ユウトは笑いながら視線を戻した。
考えてみれば、人間界から来たからといって、自分たちが人間だというわけではない。
少女からすれば、ますます不思議な集団に見えているのかもしれなかった。
「それで、なんで人間界から来たの?」
少女は興味深そうに尋ねてきた。
「色々あって」
「色々?」
「話すと長くなるんだよなぁ」
「ふーん」
少女はそれ以上追及せず、あっさりと頷いた。
あまりにも素直な反応に、ユウトは少し拍子抜けしてしまう。
「……怖くないの?」
「何が?」
「俺たち」
「なんで?」
「いや……」
ユウトは返答に困った。
魔族大陸。
その名前から、もっと排他的で、人間界から来た者を警戒するような場所なのではないかと勝手に想像していた。
しかし、目の前の少女は自分たちの存在を不思議がってはいるものの、人間界から来たと聞いて特別怯える様子はない。
もちろん、まだ完全に警戒を解いたわけではなさそうだが、それは見知らぬ相手に突然声を掛けられたからだろう。
少なくとも、ユウトが想像していたような反応ではなかった。
「……変なの」
「お互い様だろ」
「私は変じゃない!」
「はいはい」
「子供扱いするな!」
「子供だろ?」
「もう九歳!」
「子供じゃねぇか!」
「ユウト」
「……はい」
シエルに睨まれ、ユウトはすぐに口を閉じた。
どうやら今日も、自分は余計なことを言ってしまうらしい。
そんなことを考えていたユウトだったが、ふと大事なことを思い出した。
「……そういえば、君はこの辺に住んでるの?」
「うん」
「近くに村とかある?」
「あるよ」
「マジで!?」
ユウトの目が一気に輝いた。
魔族大陸へ到着してから、まともな道案内もないまま歩き続けていたのだ。
ようやく人の住む場所が分かるかもしれない。
「どっち!?」
「主!」
その瞬間、シアも勢いよく身を乗り出した。
「ご飯あるっすか!?」
「そこ!?」
「お腹減ったっす!」
「あ、俺も減ってた!」
「主!」
「なんだ!」
「お肉っす!」
「なぁ! あるかな!?」
「知らない!」
少女がとうとう怒鳴った。
突然二人から質問を浴びせられ、明らかに困惑している。
「ご、ごめん」
「急に元気になるな!」
「迷子だったんだよ!」
「……迷子?」
「…………」
しまった。
ユウトは思わず口を閉じた。
せっかく人間界から来たという話を無難に済ませたのに、今度は自分から迷子だと白状してしまった。
「主」
「言うな」
「迷子っす」
「言うなって!」
少女は目を丸くした。
「大人なのに?」
「ぐっ……!」
九歳の子供に心配されてしまった。
その事実が、ユウトの胸に容赦なく突き刺さる。
「アニキ……」
「……なんだよ」
「九歳に心配されてるぞ」
「うるせぇ!」
リトまで追い打ちを掛けてきた。
ユウトが肩を落とす横で、少女はしばらく何かを考えていた。
そして、ようやく口を開く。
「……じゃあ」
「ん?」
「村まで案内してあげる」
「本当!?」
「うん」
「助かったぁ!」
ユウトは心底安心したように大きく息を吐いた。
案内役だと思っていたゴルダンに置いていかれてから、ようやく進むべき場所が決まったのだ。
「ありがとう!」
素直に礼を告げると、少女は少しだけ得意そうな顔をした。
しかし、すぐに表情を引き締める。
「ただし!」
「……ん?」
少女が勢いよく指差した先には、シアが立っていた。
「その人!」
「あーしっすか?」
「尻尾触らないで!」
「…………」
シアは一瞬黙り込んだ。
そして、諦めきれない様子で口を開く。
「……一回だけ!」
「ダメ!」
「先っぽだけ!」
「ダメ!」
「ちょっとだけ!」
「ダメ!」
何度頼んでも、少女の返事は変わらなかった。
ユウトはそんなシアの肩に、そっと手を置いた。
「……シア」
「主……」
「諦めろ」
「…………」
シアが残念そうに肩を落とす。
その姿を見て、ユウトは少しだけ考え込んだ。
「……実は俺も触りたい」
「主!?」
「二人ともダメ!!」
少女の怒鳴り声が、魔族大陸の広い大地に響き渡った。
◇
こうしてユウトたちは、少女の案内で近くの村へ向かうことになった。
見知らぬ土地を当てもなく歩いていた時とは違い、ようやく目的地が決まったことで、ユウトの足取りも少し軽くなっていた。
もっとも、案内してくれている少女は相変わらずシアの動きを警戒している。
尻尾を狙っていると思われているのだろう。
「……そういえば」
ユウトは前を歩く少女へ声を掛けた。
「名前聞いてなかったな」
「私?」
「うん」
「ルゥ」
「ルゥ?」
「そう!」
少女は元気よく頷いた。
ユウトはその名前を覚えると、今度は自分の胸を指差した。
「俺はユウト」
「ユウト?」
「ああ。それで、こっちがシエル」
「よろしく」
シエルが微笑むと、ルゥも小さく頷いた。
「それからシア」
「よろしくっす!」
「尻尾は触らせないからね」
「まだ何も言ってないっす!」
「顔に書いてあるもん!」
ルゥが即座に言い返す。
どうやらシアへの警戒だけは、そう簡単には解けそうになかった。
ユウトは苦笑しながら、最後にリトへ視線を向けた。
「そして、こいつがリト」
「こいつ言うな」
「よろしく!」
「ああ」
リトが軽く手を上げると、ルゥは四人の顔を順番に見比べた。
「…………」
「どうした?」
「変な人たち」
「初対面で!?」
「だって変なんだもん」
あまりにも率直な感想に、ユウトは思わず声を上げた。
しかし、隣にいたシエルは否定するどころか、小さく頷いている。
「否定できないわね」
「シエル!? お前も変ってことだからね?」
「私は違うわよ……たぶん」
「たぶんってなんだよ!」
ユウトが突っ込むと、リトが吹き出した。
その声につられるように、ルゥも僅かに笑みを浮かべる。
最初に出会った時は、いつ逃げ出してもおかしくないほど警戒されていた。
だが、こうして歩きながら話しているうちに、少しずつ打ち解けてきたようだった。
狼族という種族についても、魔族大陸の暮らしについても、ユウトたちはまだ何も知らない。
それでも、最初に出会った相手がルゥでよかったのかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、先頭にいたルゥが突然声を上げた。
「あっ!」
「どうした?」
「見えた!」
ルゥが嬉しそうに前方を指差す。
「どれ?」
「あそこ!」
ユウトは指差された方向へ目を凝らした。
遠くに、いくつもの建物が見える。
「おお!」
「村っす!」
シアも嬉しそうに声を上げた。
建物が見えたということは、そこには人々の暮らしがあるということだ。
この大陸へ到着してから、初めて出会う集落だった。
「ようやく人のいる場所かぁ……」
ユウトは安堵しながら、ルゥの後について歩き始めた。
しかし、村へ近付くにつれて、その表情が少しずつ変わっていった。
「…………」
遠くからでは建物ばかりが目立っていたが、近付くと村の中を行き交う住人たちの姿が見えてきた。
そして、ユウトは思わず目を奪われた。
狼の耳を持つ者。
人間よりも遥かに大きな身体をした者。
全身を鱗に覆われた者や、頭に角を生やした者。
その姿は一人ひとり異なり、同じ種族とは思えないほど多様だった。
「…………」
ユウトは自然と足を止めていた。
ルゥと出会った時にも驚いたが、こうして多くの住人を目にすると、また違った感覚があった。
人間界でも様々な種族を見てきた。
それでも、目の前に広がる光景は、これまで旅してきた土地とは明らかに違っている。
村の中では、姿形の異なる者たちが当たり前のように行き交っていた。
ルゥにとっては、きっと何でもない日常なのだろう。
しかし、ユウトにとっては、その何気ない光景こそが新鮮だった。
「……どうしたの?」
先に進んでいたルゥが、不思議そうに振り返った。
「いや……」
ユウトはすぐには答えず、改めて村の様子を見渡した。
見上げれば、人間界とは異なる空が広がっている。
周囲に漂う魔力も、見慣れない植物も、そして今、目の前にいる住人たちも。
これまでは、魔族大陸という言葉だけが先行していた。
空間が隔てられた、もう一つの世界。
そう頭では理解していたものの、実際にその世界の暮らしを目にするまでは、どこか実感が湧かなかった。
だが、今は違う。
「……すげぇ」
ユウトの口から、自然と言葉が漏れた。
ここは人間界ではない。
これまで自分が知っていた世界とは、まったく異なる場所なのだ。
その事実を、ユウトはようやく本当の意味で実感したのだった。
第259話を読んでいただきありがとうございます!
魔族大陸で最初に出会った少女、ルゥ。
人間界から来たというユウトたちにも、それほど驚いてはいない様子です。
そして、到着早々迷子になったユウトたちを村まで案内してくれることに。
ただし尻尾は触らせません。
シアだけでなく、実はユウトも触りたかったようですが……。
そんなルゥに案内されて辿り着いた村には、これまで人間界ではほとんど目にすることのなかった様々な種族の姿が。
ユウトたちにとって、見るもの全てが新鮮な魔族大陸。
まずは新たな世界を存分に楽しんでもらいましょう!
次回もぜひお楽しみに!
「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります!
それでは、また次回お会いしましょう!




