第二百四十六話 女神ルミナ
ついに開かれた、聖塔ルクシア最上層の扉。
その先でユウトたちを待っていたのは、この国で女神として信仰される存在――ルミナ。
なぜ彼女はユウトたちを最上層へ招いたのか。
そして、空間転換について何を知っているのでしょうか。
それでは、第246話をお楽しみください!
重厚な音を響かせながら、巨大な扉がゆっくりと開いていく。
その向こうに広がる光景を目にしたユウトは、思わず息を呑んだ。
聖塔ルクシアの最上層。
そこは、これまで通ってきた塔の内部とは、まるで異なる空間だった。
白を基調とした広々とした部屋には、大量の書物が壁一面に並べられている。磨き上げられた床には巨大な魔法陣が描かれ、その複雑な模様は、ユウトがこれまで目にしてきたものとは明らかに違っていた。
そして何より目を引いたのは、部屋の奥に設けられた大きな窓だった。
そこからは、遥か彼方まで広がるルミナスの街並みが一望できる。
白い建物が整然と並び、街を行き交う人々の姿さえ、ここからでは小さな点のようにしか見えなかった。
「うわぁ……すごいっす……」
普段は賑やかなシアも、珍しく声を潜めている。
その隣では、リトが窓の外へ視線を向けながら呆然と呟いた。
「ここ何階なんだよ……」
「途中で数えるの諦めた」
「アニキが途中まで数えてたことに驚きだわ」
「暇だったんだよ!」
ユウトが言い返すと、すぐ隣から冷たい声が飛んできた。
「静かにしなさい」
「はい」
シエルに一言で黙らされ、ユウトは慌てて口を閉じる。
そんなやり取りをしていた時だった。
「ふふっ」
「…………」
聞き覚えのない、柔らかな笑い声が響いた。
ユウトが顔を上げると、部屋の奥にある窓辺に、一人の女性が立っていた。
長い髪を背に流し、白を基調とした衣を纏っている。
見た目だけなら、ユウトたちとそれほど年齢が離れているようには見えない。
しかし、その佇まいには不思議な落ち着きがあり、ただそこに立っているだけで、周囲とは異なる雰囲気を感じさせた。
(……この人が?)
ユウトが戸惑っていると、先導していた大司教が静かに歩み出た。
「ルミナ様」
老人は女性の前で立ち止まり、深く頭を下げる。
「お連れいたしました」
「ありがとう」
ルミナは穏やかに微笑んだ。
「では、私はこれで」
「……え?」
大司教が踵を返そうとしたところで、ユウトが慌てて振り返った。
「帰っちゃうんですか?」
「はい」
「俺たち置いて!?」
「私の役目はあなた方をこちらへお連れすることでしたから」
大司教は何でもないことのように答えた。
しかし、ユウトとしてはそう簡単に納得できない。
目の前にいるのは、この国で女神として信仰されている存在なのだ。
そんな相手と突然顔を合わせ、何をどう話せばいいのかも分からない。
「だって女神だぞ!?」
「大丈夫ですよ」
「……え?」
不意に、ルミナが口を開いた。
「取って食べたりはしませんから」
「…………」
ユウトは固まった。
数秒遅れて、自分の声が部屋中に響いていたことを思い出す。
「……聞こえてた」
「普通に喋ってただろ」
「リト!」
「ふふっ」
再びルミナが笑った。
「本当に賑やかな方たちですね」
「すみません……」
ユウトは思わず頭を下げたが、ルミナは気にした様子もなく首を振った。
「謝る必要はありません。ここまで声が響いたのは久しぶりですから」
その声には、どこか楽しそうな響きがあった。
しかし、ユウトは素直に喜んでいいものか判断できず、リトへ小声で尋ねた。
「……それ褒められてる?」
「多分違うと思うぞ」
「また!?」
思わず声を上げるユウトを見て、大司教も苦笑していた。
「それでは」
老人は改めて深く頭を下げると、静かに部屋を後にした。
やがて巨大な扉が閉じられ、重い音が室内へ響き渡る。
その音が消えると、それまでの賑やかさが嘘のように静かになった。
「…………」
ユウトは改めてルミナへ視線を向けた。
白い衣を纏った女性は、相変わらず穏やかな笑みを浮かべている。
しかし、相手は女神だ。
何を話せばいいのか分からず、ユウトの頭の中には妙な緊張だけが広がっていく。
(……気まずい!)
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
「えっ」
「顔に書いてあります」
「今日それ二回目!」
思わず叫ぶユウトに、リトが呆れたように肩をすくめた。
「アニキ分かりやすいからな」
「うるさい!」
そんな二人のやり取りを見つめていたルミナが、ふとユウトへ向き直った。
「あなたがユウトですね」
「…………え?」
ユウトの動きが止まった。
確かに、これまでにも何度か名前を呼ばれたことはある。しかし、初対面の相手に突然名前を言い当てられると、やはり驚いてしまう。
「なんで俺の名前を?」
「…………」
その問いに、ルミナも一瞬だけ言葉を止めた。
だが、すぐに穏やかな表情へ戻る。
「……大司教から聞きました」
「あ、なるほど!」
ユウトはあっさりと納得した。
その隣で、シエルが僅かに目を細める。
ルミナの返答までに生まれた、ほんの短い間。
何かが引っ掛かったようだったが、確かめるだけの理由もない。
「……何でもないわ」
ユウトが不思議そうに顔を向けると、シエルは小さく首を振った。
そんな二人の様子をよそに、ルミナは再びユウトを見つめていた。
「…………」
「…………」
しばらくして、その視線が気になったユウトが口を開く。
「……あの」
「はい?」
「俺の顔、何か付いてます?」
「いいえ」
「じゃあなんでそんなに見るんです?」
ルミナはすぐには答えなかった。
ほんの一瞬、その瞳が僅かに揺れる。
まるで何かを確かめようとしているようでいて、同時に、答えを口にすることを躊躇っているようにも見えた。
「少し……」
「少し?」
「懐かしい気配を感じたものですから」
「……俺から?」
「ええ」
ユウトは思わず自分の身体を見下ろした。
何か変わったところがあるわけでもない。
ましてや、目の前の女性とは今日初めて会ったはずだった。
「どっかで会いました?」
「いいえ」
「ですよね」
ルミナの返答は迷いのないものだった。
「俺、この国初めてだし」
「……そうですね」
彼女は静かに微笑んだ。
しかし、その笑みは先ほどまでとは少し違って見えた。
どこか寂しそうで、何か遠いものを見つめているような表情。
ユウトはその変化に気付かなかったが、シエルだけは黙ってルミナの様子を見ていた。
「それより!」
突然、ユウトが声を上げた。
先ほどまでの疑問はどこへやら、思い出したように身を乗り出す。
「聞きたいことがあるんです!」
「切り替え早ぇな」
「だってそのために来たんだから!」
リトへ言い返すと、ユウトは改めてルミナへ向き直った。
すると、こちらが口を開くよりも先に、彼女が静かに告げる。
「空間転換ですね」
「そう! クロノ――」
そこでユウトの言葉が止まった。
「……なんで知ってるんです?」
ルミナは穏やかな表情のまま、何も答えない。
ユウトは少し考えてから、先ほどのやり取りを思い出した。
「……大司教から?」
「ええ」
「ですよね!」
あっさり納得したユウトに、リトが呆れたような視線を向けた。
「……アニキ」
「何だよ?」
「お前もうちょっと疑えよ」
「ちゃんと聞いたじゃん!」
「納得するのが早ぇんだよ」
「だって大司教から聞いたって!」
「私はまだ何も言っていませんよ?」
「…………」
ユウトが固まる。
ルミナはそんな反応を見て、小さく笑った。
「冗談です」
「女神がそういうことする!?」
「いけませんか?」
「いや、ダメとは言わないけど!」
思っていた女神の印象と、目の前のルミナは少し違う。
もっと厳かで、簡単には話し掛けられないような存在を想像していたのだが、実際は随分と親しみやすい女性だった。
「主、遊ばれてるっす!」
「シア!」
シアが楽しそうに笑うと、ルミナも微笑んだ。
「面白い方ですね」
「また言われた!」
ユウトは頭を抱えたが、ルミナの表情は終始穏やかだった。
ただ、その視線は時折、ユウトへと向けられている。
何かを確かめようとしているような眼差し。
シエルはその様子を見逃さなかったが、今は何も口にしなかった。
「それで」
ルミナが静かに話を戻した。
「空間転換を習得したいのですね?」
「はい」
ユウトも表情を引き締める。
自分たちがここまで来たのは、失われた古代魔法について知るためだ。
ルミナがどこまで詳しいのかは分からないが、大司教以上のことを知っている可能性は十分にある。
「なぜです?」
「……え?」
「失われた魔法を求める理由です」
ルミナの問い掛けに、ユウトは少しだけ考えた。
自分たちは魔族の世界について知りたいと思っている。
世界が三つに分かれた理由も気になるし、その向こうに何があるのかも確かめたい。
しかし、今ここまで来た理由は、それだけではなかった。
「それは……」
ユウトは隣に立つゴルダンへ視線を向けた。
「こいつを故郷に帰すためです」
「…………」
その言葉を聞いた瞬間、ルミナの表情が僅かに止まった。
「……故郷?」
「はい」
「それは……どこです?」
「魔族大陸」
「…………!」
ほんの僅かだったが、ルミナの瞳が見開かれた。
その表情には驚きだけでなく、何か別の感情も浮かんでいるように見えた。
「それが……今の名なのですね」
「……?」
ユウトは首を傾げた。
「今の名?」
「いえ」
ルミナは静かに首を振った。
「こちらの話です」
「…………」
何とも意味深な返答だったが、それ以上説明するつもりはないらしい。
ユウトが困惑している間に、ルミナの視線はゴルダンへと移っていた。
「あなたが……」
「ゴルダンだ」
ゴルダンは短く名乗った。
彼は先ほどからほとんど口を開かず、ルミナの様子をじっと観察していた。
「…………」
「……何だ」
「いいえ」
ルミナは僅かに目を細める。
「本当に……懐かしい魔力ですね」
「…………!」
その言葉に、ゴルダンの表情が変わった。
魔族の魔力は、こちらの世界ではほとんど知られていない。
聖国へ入った際に声を掛けてきた者たちでさえ、古い文献を頼りに、その特徴を推測していたほどだ。
だというのに、目の前の女性は、まるで実際に知っているかのように語っている。
「……貴様」
ゴルダンの声が低くなる。
「はい?」
「なぜ我らの魔力を知っている」
その問いに、部屋の空気が静まった。
ユウトも、シエルも、シアも、リトも、自然とルミナへ視線を向ける。
彼女は穏やかな表情のままだったが、すぐには答えなかった。
「それは――」
僅かな沈黙の後、静かに微笑む。
「もうずいぶん長く生きていますから」
「…………」
ユウトは数秒考えた末、思わず声を上げた。
「それだけ!?」
「それだけです」
「絶対なんか隠してる!」
あまりにもあっさりした答えに、ユウトは納得できなかった。
しかし、その肩をシエルが掴む。
「ユウト」
「何だよ!」
「女神に向かってその言い方はやめなさい」
「だって!」
「ふふっ。構いませんよ」
ルミナは楽しそうに笑った。
だが、シエルは容赦なく首を振る。
「ルミナ様も甘やかさないでください!」
「シエル!?」
「あなたが調子に乗るでしょう」
「俺の扱い!」
そのやり取りに、ルミナは再び笑みを零した。
先ほどまでの静かな雰囲気とは違い、どこか楽しそうにも見える。
しかし、ゴルダンだけは依然として訝しげな眼差しを向けていた。
彼女が魔族の魔力を知っている理由について、納得したわけではないようだった。
「……さて」
やがてルミナは話を切り替えるように口を開き、部屋の中央へ歩き始めた。
そこには、床一面に広がる巨大な魔法陣が描かれている。
複雑な線と紋様が重なり合ったその魔法陣は、これまでユウトが見てきたものとも異なる構造をしていた。
「空間転換のお話でしたね」
「はい!」
ユウトはすぐに彼女の後を追った。
すると、ルミナは魔法陣の手前で足を止め、静かに振り返った。
「その前に一つ」
「?」
「あなたは、どこまで理解していますか?」
「……どこまで?」
ユウトは少し考えながら、これまで調べてきた内容を思い返した。
グランヴァルト城の地下遺跡。
帝国図書館。
そして、この聖塔の研究区画。
各地で得た情報は、少しずつ繋がり始めていた。
「空間座標」
「はい」
「空間への干渉までは研究記録で読みました」
「では――空間の境界は?」
「……それが分からなくて」
ユウトが正直に答えると、ルミナは小さく頷いた。
「やはり」
「……?」
まるで最初から分かっていたかのような反応だった。
ユウトは少し不思議に思ったが、ルミナは構わず説明を続ける。
「空間転換を発動するためには、空間の境界を認識しなければなりません」
「それ、大司教にも聞きました」
「ですが」
ルミナの声が、僅かに真剣さを帯びた。
「認識するだけでは足りません」
「……え?」
ユウトが眉を寄せる。
研究区画では、空間の境界を認識することが発動条件だと説明されていた。
しかし、それだけでは不十分だという。
ルミナはゆっくりと魔法陣の中央へ歩みを進めた。
「境界を認識し、そこへ自らの魔力を接続する」
「……接続?」
「そして初めて」
ルミナは足を止め、ユウトへ向き直った。
「異なる空間へ道を繋ぐことができます」
「…………」
ユウトは目を見開いた。
それは大司教から聞いた説明よりも、遥かに具体的な内容だった。
これまでの研究記録には、空間への干渉や座標についての理論は記されていた。
しかし、肝心の境界をどう扱うのかまでは分からなかったのだ。
(……認識して、魔力を接続する)
ユウトはその言葉を頭の中で繰り返した。
もしルミナの説明が正しいのなら、彼女は空間転換の発動に必要な仕組みを理解していることになる。
それどころか、実際に使用した経験があるのではないか。
そんな疑問が浮かび、ユウトは思わず一歩前へ出た。
「……ルミナ様」
「はい?」
「もしかして……」
ユウトは期待を隠し切れないまま尋ねた。
「空間転換、使えるんですか?」
「…………」
ルミナは答えなかった。
ただ、いつもの穏やかな笑みを浮かべている。
「……使えないんですか?」
ユウトが首を傾げる。
「使えるんですか?」
しかし、返事はない。
「どっち!?」
「ユウト!」
とうとうシエルが止めに入った。
「なんだよ!」
「焦りすぎよ!」
「だって気になるじゃん!」
ユウトが不満そうに言い返す。
そんな様子を見て、ルミナは再び小さく笑った。
その笑みの奥に、どのような思いが隠されているのか。
そして、なぜ彼女が失われたはずの空間転換について、これほどまでに詳しいのか。
ユウトはまだ、その理由を知らなかった。
第246話を読んでいただきありがとうございます!
ついに姿を現した女神ルミナ。
神秘的な存在……かと思いきや、ユウトをからかって楽しむ意外な一面もあるようです。
しかし、魔族の魔力を知り、失われたはずの空間転換についても詳しすぎる彼女。
どうやら、まだ何かを隠しているようですが――。
まずはクロノシフトの習得が最優先!
果たしてユウトは、空間の境界を認識することができるのでしょうか。
次回もぜひお楽しみに!
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それでは、また次回お会いしましょう!




