第二百四十一話 最後の国へ
空間転換の手掛かりが残されている可能性のある国――聖国ルミナス。
目的地を決めたユウトたちは、帝国を離れ新たな地へと向かいます。
もちろん、その前に一つ問題が。
ゴルダンをどうやって王城から連れ出すのか――。
それでは、第241話をお楽しみください!
「よし!」
ユウトは手にしていた古い本を閉じた。
帝国図書館の奥深く。高い天井の下には、膨大な数の書物を収めた本棚が整然と並んでいる。
つい先ほどまで、その中から空間転換に関する手掛かりを探し回っていたのだが、ようやく次に向かうべき場所が見つかった。
「目的地も決まったし、行くか!」
「ええ」
シエルが頷く。
「聖国ルミナスっすね!」
シアも嬉しそうに声を弾ませた。
その隣で、リトが腕を組みながらシエルへ視線を向ける。
「どんなところなんだ?」
「聖国というくらいだから、信仰の盛んな国よ。大陸でも特に古い歴史を持つ国の一つね」
「へぇ……」
リトが感心したように声を漏らす。
シエルは記憶を辿るように少し考えてから、言葉を続けた。
「古代魔法に関する研究も盛んだと聞いたことがあるわ。まさかクロノシフトまで研究していたとは知らなかったけれど」
「なら期待できそうだな」
「そうね」
シエルは頷いたものの、その表情には僅かな慎重さが残っていた。
今回見つけたのは、あくまで古い文献に記されていた情報だ。そこに書かれていた研究が今も続いているのか、実際に術式を再現できているのかまでは分からない。
それでも、他に手掛かりがない以上、調べに行く価値は十分にあった。
ユウトはもう一度、手元の本へ視線を落とした。
(……空間転換)
かつて世界を三つに分けたという魔法。
そして、魔族の暮らす世界へ渡るために必要となるかもしれない力。
これまで、その存在を知っているだけで、どうすれば習得できるのかさえ分からなかった。
しかし、ようやく一つの可能性が見つかったのだ。
(……よし)
ユウトは満足そうに頷くと、本を元の場所へ戻そうとした。
その時だった。
「…………」
「……ん?」
視界の端で、何かが動いた気がした。
何気なく顔を向けると、少し離れた本棚の前で、一冊の本が宙に浮いていた。
「…………」
ユウトの動きが止まる。
その本は誰かに支えられているかのように、何もない空間で開かれていた。
しかも――。
パラッ。
誰も触れていないはずなのに、ページが一枚めくられた。
「…………」
ユウトはしばらくその光景を見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「……ゴルダン」
「何だ」
何もない空間から、聞き慣れた低い声が返ってきた。
「何してんの?」
「暇だったのでな」
「本が浮いてんだよ! お前今透明なんだよ!」
ユウトは慌てて駆け寄ると、宙に浮いていた本を奪い取った。
《擬態》によってゴルダンの姿は見えなくなっている。しかし、彼が手に取った本まで透明になるわけではない。
傍から見れば、誰もいない場所で勝手に本が動いているという、何とも不気味な光景だった。
「主、誰か来るっす!」
「え!?」
シアの声に耳を澄ませると、通路の向こうから近付いてくる足音が聞こえた。
ユウトは急いで本を棚へ戻し、何事もなかったかのように姿勢を正した。
直後、本棚の間から一人の女性が顔を覗かせる。
「何事ですか?」
どうやら図書館の司書らしい。
先ほどの騒ぎを聞きつけたのか、少し不思議そうな表情でユウトたちを見回していた。
「い、いや! 何でもないです!」
ユウトは慌てて答えた。
「……そうですか?」
「はい!」
「…………」
女性はしばらく怪訝そうにしていたが、特に変わったものは見当たらなかったらしい。
小さく首を傾げると、そのまま通路の奥へ戻っていった。
「…………」
足音が遠ざかっていく。
ユウトはそれを確認してから、ようやく大きく息を吐いた。
「……危なかった」
「何を慌てている」
すぐ横から、ゴルダンの声がした。
「お前のせいだよ!」
「我は本を読んでいただけだ」
「透明人間が勝手に本読むな!」
「誰が透明人間だ」
「今のお前だよ!」
ユウトが何もない空間へ向かって怒鳴る。
見えない相手と言い争っているその姿も、他人からすれば十分おかしな光景だった。
そんな二人を眺めながら、シアが不思議そうに首を傾げる。
「主、そろそろ擬態解いた方がいいんじゃないっすか?」
「ここで解いたらもっと大変なことになるだろ!」
「あ、そうだったっす!」
「頼むよ!」
ユウトが頭を抱えると、再び何もない場所から低い声が響いた。
「……騒がしい奴らだ」
「お前が原因だ!」
結局、図書館を出るまでゴルダンには余計なものに触れないよう念を押すことになった。
◇
図書館を出たユウトたちは、城の敷地を離れ、人目のない場所まで移動していた。
帝都の賑やかな通りから少し外れたその場所には、周囲を行き交う人の姿もない。
ユウトは念のため辺りを見回し、誰もいないことを確認してから足を止めた。
「よし。もういいか」
ゴルダンにかけていた《擬態》を解除する。
すると、何もなかった空間に輪郭が浮かび上がり、やがてゴルダンの姿が現れた。
「ふぅ……」
ゴルダンは小さく息を吐くと、ようやく見えるようになった自分の手へ視線を落とした。
「どうだった?」
「何がだ」
「透明人間」
「二度とやるな」
「嫌だったの!?」
予想以上にはっきりと拒絶され、ユウトは思わず目を丸くした。
「自分の手足すら見えぬのだぞ」
「あー……」
そう言われて、ようやく気付いた。
透明になっていれば、周囲から姿が見えないのは当然だ。
しかし、それは本人にとっても、自分の身体が見えなくなるということだった。
普段当たり前のように視界へ入っている手や足が、突然見えなくなる。
考えてみれば、落ち着かないのも無理はなかった。
「それは確かに怖いな」
「今頃気付いたのか」
「悪かったって。いい経験だったろ」
ユウトは苦笑しながら肩をすくめた。
「でも仕方ないだろ。お前、王城に堂々と入れないんだから」
「……分かっている」
ゴルダンの表情が僅かに曇った。
彼は自分の手から視線を外し、しばらく黙っていたが、やがて低い声で続けた。
「……我がしたことを考えればな。今貴様らと行動を共にしてることが不思議でしかない」
「…………」
ユウトもすぐには言葉を返せなかった。
ゴルダンは皇帝を操り、帝国そのものを陰から利用しようとしていた。
その行為によって、多くの人間が危険に晒されたことも事実だ。
どのような事情があったとしても、彼がしてきたことまで消えるわけではない。
それはユウトも理解していた。
だからこそ、少しだけ考えてから口を開いた。
「まぁ……」
ユウトは頭を掻き、改めてゴルダンへ顔を向けた。
「これからどうするかだろ」
「……何?」
「やったことは消えないけどさ」
ユウトは一度言葉を区切った。
目の前にいるのは、つい先ほどまで命懸けで戦っていた相手だ。
簡単に信用していい存在ではないし、仲間たちに危険が及ぶようなことがあれば、また戦うことになるかもしれない。
それでも、敗北を認め、約束を守り、今は自分たちと行動を共にしている。
その事実まで無視する必要はないと思っていた。
「だからって、ずっとそこで止まってても仕方ないじゃん」
「…………」
ゴルダンは何も言わなかった。
ユウトはそんな彼を見つめながら、いつもの調子で続けた。
「とりあえず今は、お前を家族のところに帰す方法を探そうぜ」
「…………」
ゴルダンの赤い瞳が、僅かに揺れた。
先ほど地下遺跡で聞いた話。
ゴルダンには妻と幼い娘がいて、こちらへ渡る際には必ず帰ると約束してきたという。
その約束を果たすためにも、彼は魔族の世界へ戻らなければならない。
ユウトにとっては、それだけで十分な理由だった。
しばらく沈黙が続いた後、ゴルダンが小さく息を吐く。
「……本当に変な奴だな、貴様は」
「またそれかよ」
「褒めてはいないぞ」
「それも二回目!」
「ふっ」
「…………ん?」
ユウトは思わずゴルダンを見た。
今、ほんの僅かだが、笑ったように見えたのだ。
「今、笑った?」
「笑っていない」
「いや絶対笑っただろ!」
「気のせいだ」
「お前そんな顔できるんだな!」
「うるさい!」
ゴルダンが不機嫌そうに顔を背けた。
その反応が余計におかしくて、ユウトは思わず笑ってしまう。
そんな二人の様子を見ていたリトが、ユウトの肩を軽く叩いた。
「アニキ」
「ん?」
「もう仲間みてぇじゃん」
「誰がだ!」
「誰がだ!」
ユウトとゴルダンの声が、またしても綺麗に重なった。
リトは呆れたように笑いながら、二人を交互に指差す。
「ほら」
「「…………」」
「息ぴったりっす!」
シアが嬉しそうに笑う。
「だから違う!」
今度は二人の声が、また同時に響いた。
そんなやり取りを背後に聞きながら、シエルが先に歩き出す。
「置いていくわよ」
「あ、待って!」
ユウトは慌ててその後を追い掛けた。
背後では、リトとシアがまだ楽しそうに笑っている。
ゴルダンは相変わらず不機嫌そうな顔をしていたが、それ以上何かを言い返すことはなかった。
◇
それから数日。
帝都を離れたユウトたちは、聖国ルミナスへと続く街道を進んでいた。
帝国の中心部から遠ざかるにつれて、周囲の景色は少しずつ変わり始めている。
広々とした草原の向こうには緩やかな丘陵が続き、街道沿いには旅人たちが休憩できる場所や、小さな集落が点在していた。
時折吹き抜ける風が草を揺らし、澄んだ空の下を薄い雲がゆっくりと流れていく。
先ほどまでの地下遺跡や図書館とは違い、今はただ目的地へ向かって進む時間だった。
「なぁ、シエル」
街道を歩きながら、ユウトが声を掛ける。
「何?」
「ルミナスって遠いの?」
「このまま順調なら、あと数日でしょうね」
「まだ数日かぁ……」
ユウトは少し肩を落とした。
目的地が決まってからというもの、早くクロノシフトについて調べたいという気持ちが強くなっていた。
古い文献に記されていた研究が、今も続いているのか。
もし続いているのなら、どこまで術式が解明されているのか。
考え始めると気になることばかりで、移動している時間がやけに長く感じられる。
「文句言うなよアニキ」
そんなユウトを見て、リトが呆れたように笑った。
「お前にだけは言われたくねぇ!」
ユウトが即座に言い返す。
つい先ほどまで移動するたびに文句を言っていたのは、他でもないリトだった。
そんな二人がまた言い争いを始めようとした、その時だった。
「主! 向こうに何か見えるっす!」
「ん?」
シアが前方を指差した。
ユウトは顔を上げ、その指先を辿るように視線を向ける。
街道の遥か先。
緩やかな丘を越えた向こうに、巨大な建造物が見え始めていた。
「あれは……」
「ルミナスとの国境よ」
シエルが静かに答えた。
「おお!」
ユウトの表情が一気に明るくなる。
「やっと着いた!」
「まだ国境だぞアニキ」
「細かいな!」
「事実だ」
今度はゴルダンまで口を挟んできた。
「ゴルダンまで!」
ユウトが振り返ると、ゴルダンは何事もなかったかのように前を向いていた。
どうやら、旅を続けるうちに彼も少しずつこのやり取りに慣れてきたらしい。
もっとも、それを本人に指摘すれば、また不機嫌そうに否定するのだろうが。
ユウトは苦笑しながら、改めて前方へ視線を向けた。
街道を進むにつれ、景色はさらに変化していった。
遠くに見える建物には白を基調としたものが増え始め、街道沿いには小さな礼拝堂のような建物も見受けられる。
どこか落ち着いた雰囲気が漂い、これまで通ってきた帝国の街道とは、少し違った印象を受けた。
(……聖国、か)
シエルの話では、ルミナスは信仰の盛んな国だという。
確かに、こうして国境へ近付いてくると、その言葉が少しずつ実感できる気がした。
そして、さらに歩みを進めた時だった。
「……なんだ、あれ」
ユウトは思わず足を止めた。
視線の先に、これまで見えていなかった巨大な建造物が姿を現していたのだ。
遥か彼方。
地平線の向こうに、天を突くような白い塔が聳え立っている。
周囲の建物とは比較にならないほど高く、その姿は遠く離れた街道からでもはっきりと確認できた。
陽の光を受けた白い外壁が、青空を背景に淡く輝いている。
雲の下まで伸びるその姿は、まるで天へ向かって真っ直ぐに道を示しているかのようだった。
「聖塔ルクシア。頂上には女神がいるとも言われているわ」
シエルが静かに答えた。
「ルミナスの象徴よ」
「……でっか」
ユウトは思わず呟いた。
これまでにも巨大な建造物は何度か見てきた。
王都の壮麗な建物や、グランヴァルト帝国の威厳ある城も、その規模には驚かされたものだ。
しかし、目の前の塔は、それらとはまた違った印象を与えてくる。
何より、あれほど遠くにあるというのに、周囲の景色の中で圧倒的な存在感を放っているのだ。
「すごいっす!」
シアも目を輝かせながら塔を見上げていた。
リトも言葉少なに遠くの景色を眺めており、普段はすぐに軽口を叩く彼でさえ、今はその光景に見入っているようだった。
ユウトはしばらく白い塔を見つめていた。
これまで訪れた王国とも、帝国とも違う。
建物の造りも、人々の信仰も、長い歴史の中で育まれてきた文化も、きっと今まで見てきたものとは異なるのだろう。
まだ国境を越えたわけではない。
それでも、その先に広がる国の姿が、少しだけ見えてきた気がした。
(……聖国ルミナス)
大陸に残された、もう一つの大国。
空間転換に関する研究が続けられていたという、古い歴史を持つ国。
ユウトは改めて、遠くに聳える白い塔へ視線を向けた。
「ここが……」
自然と言葉が漏れた。
「聖国ルミナス」
その先で何が待ち受けているのかは、まだ分からない。
古い文献に記されていた研究が、今も続いている保証はないし、クロノシフトの術式を手に入れられるかどうかも不明だった。
それでも、ここまで辿り着いたことで、ようやく次の一歩を踏み出せる気がしていた。
目的はただ一つ。
空間転換を習得し、魔族の暮らす世界へ渡ること。
そのためにも、まずはこの国で手掛かりを探さなければならない。
「……よし」
ユウトは小さく頷いた。
そして、遠くに聳える白い塔を見据えながら、再び一歩を踏み出した。
第241話を読んでいただきありがとうございます!
透明になったまま本を読み始めるゴルダン。
敵として登場したはずなのに、すっかりユウトたちの空気に馴染み始めています。
そして一行はついに、大陸に残された最後の大国――聖国ルミナスへ。
遠くからでもその姿を確認できる巨大な聖塔ルクシア。
果たしてこの国で、空間転換を習得するための手掛かりを見つけることはできるのでしょうか。
次回もぜひお楽しみに!
「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります!
それでは、また次回お会いしましょう!




